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呪われ少女は夢を見る  作者: 中上炎
第死夜:コドクな少女の霊
26/30

26.伊藤公子②

 昭和19年。4年前に決めた女学校に進学していた私は、16歳になっても相変わらず不遇の日々を続けていたわ。


 正直なところ、私は貴族を舐めていた。貴族向けの学校というのが良くなかった。なにしろ、この学校に通っているのは私と同じ、この街で生まれた不都合な子供か、別のところで生まれた不都合な子供ばっかりで、本当の貴族のご令嬢といった方々は少数派だったのよ。


 だから、私への嫉妬と軽蔑は高まる一方であり、もはや憎悪と言っても変わりない域にまで達していたわ。彼女たちにとって、私をいじめるということは自分が歴とした貴族の一員だということを肯定する、言わば阿片のようなもので、そうしないと小さな金魚鉢の金魚のように窒息してしまうらしかったの。


 陰でこそこそ言われることなんて気にしていたら、三日と生きていけない。それに……まあ、あんまり自分で言うのもなんだけど、私は器量よしだったから、その嫉妬も混ざっていたと思うわ。


 月に一回くらいは、やれ通学路ですれ違っただの、やれ喫茶店で隣のテーブルに座っていただの、そんな殿方から手紙を頂いていた。お陰で私が通っていた喫茶店の売上げにも貢献できていたみたい。


 ……こんな恋文、貰っても返事なんて書けないし、一々読むのも大変ですから、まとめて捨てていたのだけれど、これが良くなかったの。


 どうも、まとめて捨てようと思っていた手紙の束を、いじめていた連中が見つけてしまったのよ。そして、なお悪いことに手紙の送り主の一人が、平民の学校で素敵な殿方として噂されている方だった。


 ……きっと、学校が違うから私の出自のことを知らず、本当の貴族のご令嬢だと思ってしまったのね。


 次の日から学校は荒れたわ。


 元々陰口上等でつるし上げまでは慣れていたのだけれど、まさか屋上に呼び出されるとは思っていなかったわ。さすがに自称貴族のご令嬢なので、よってたかって罵詈雑言を浴びせかけるくらいしかしてこなかったけど……さすがに堪えたわね。


 ……まぁ、この阿婆擦れったら、なんて恥知らずなんでしょう!


 ……外で男をたらし込むなんて、非常識にもほどがあるのではなくって!


 ……我が校の恥さらしですわ!


 …………もちろん私は阿婆擦れではないわ。彼女たちのように制服にお洒落をしたりはしないし、化粧品も、装飾品の類いも持ち合わせていない。流行のお菓子を食べに行ったりもしないし、ハンカチだって、家庭科の授業で作った物をそのまま愛用していたわ。喫茶店でかしましく殿方について論評したりもしないし、そもそもする友達がいない。悲しいことにね。


 だいたい、私はおにいさん一筋だった。そのおにいさんにしろ、宣言通り軍人になってしまったので、今は官舎の人だ。それに、軍人が若い女性と会っていると知られると、色々不都合もあるだろうから、最近はほとんど会えず、手紙でのやりとりになってしまっている。


 私の友達いない歴=年齢は、どうやら卒業まではこのまま変わりそうになかった。


 ここまではよくある話しよね。


 私の人生は、ここから大きく流転する。


 昭和19年は、毎年家族で楽しみにしていたスイカが食べられなくなった年で、北海道では噴火で新しい山ができた年でもあり、空襲と、それにともなう疎開が本格的に始まった年でもあったわ。


 でも、この街は陸軍の駐屯地こそあるもの、その規模は大きくなく、どちらかというと疎開先の方だったの。だから、私達の生活も大きくは変わらなかった。……もっとも、これには貴族達の力が働いていたのかもしれないけれど。


 それに、当時の私達にとって戦争はそこまで重要なことではなかったわ。みんな負けるとは思ってもいなかったし、貴族向けの学校に来るような生徒の近親者が戦死するようなことも少なかった。


 それこそ、ある女生徒はこう言って鼻で笑っていたわ。


 ……鬼畜米英が侵攻してきたら? ハッ! そん時は伊藤の出番ではなくて?


 初志貫徹、私は……立派な淑女になりたかった。それでも、私の心は限界に近づいていたの。この頃の私は、凜として学校生活を送り、家に帰ってからは一人部屋で悔しくて、悲しくて、涙を流すという生活を続けていたわ。


 私に向けられるものは罵声と嘲笑ばかり。私は……孤独だった。


 だけれど、次第に戦況は悪くなっていく。この街の上空を飛ぶ飛行機も、いつの間にか太陽の紋章から星の紋章に変わっていたわ。大人達はこぞって防空壕の場所やら、非常食をどこに埋めるのがいいかを話すようになっていた。


 さすがにこの頃になると、貴族の隠れ家でも食料は配給制になり、服も男性は雑草みたいな色の国民服、女性は古くさいモンペになっていたわ。


 そんなある日、私はお茶会で盛り上がる同級生を尻目に早々と学校を出たところで、先生に呼び止められていた。それが……幸子先生だった。


 先生はいつも私のことを心配してくださって、色々と便宜を図ってくれていた。特に倶楽部活動では、護身術として薙刀の使い方について丁寧に教えて頂いていたの。


 用件は、これから森上神社に書物を疎開させるので、手伝って欲しいということだった。まぁ、貴族の娘達は嫌がるわよね。私としては特に用事もないし、なにより普段お世話になっているお礼も込めて、神社まで同行することに決めたの。


 荷物自体は学校に保管されていた古文書だったから、女二人でも持ち運ぶことができたわ。


 二人して夏の日差しを浴びながら、緑色濃い物延山に登ったの。……そうね。あの頃はまだ参道がちゃんと整備されていたわ。今は……どうなっているのかしらね。


 神社に着くと、虫干しでもしていたのか、他の書物が境内に並んでいたわ。


 先生は神社で話があるそうだったので、私は先に帰ることにした。


 ……その帰り道。


 普段とは違う道を通って家に帰った私は、道端で声をかけられたの。


 失礼。私は角田三郎と申します。公子さん、手紙は読んで頂けましたでしょうか。


 声をかけてきた男性に、まったく見覚えがなかったわ。顔立ちは整っていたけれど、地味な国民服がそれを台無しにしていたし、なんだか青白くて線の細い優男だったので興味も湧かなかった。


 だから、私は迂闊な対応をしてしまったの。


 ……どの手紙でしょうか?


 すると、男性は悲しそうな顔になった。


 私はすぐに失態を悟ったわ。そうでしょうね。私からしたら、沢山ある恋文のどれか一枚でも、この人にとっては最愛の人へ必死の想いを綴った恋文だったんですもの。


 いえ、覚えていないのであれば結構です。


 私は何も言えなかった。男の人の表情は悲しみから、不思議とさっぱりしたものに変わっていた。それがなんなのか、私には分からなかったの。……この時はね。


 まあ、なんて無礼な! 阿婆擦れのくせに!!


 そう言ったのは、物陰から飛び出してきた女だったわ。私と同じモンペ姿の彼女を、私はよく知っていた。


 ……彼女は、私をいじめていた女の一人だったの。


 良子! お前、公子さんに向かってなんて口を利くんだ!!


 だってお兄様! この女は、お兄様にとんでもない侮辱をっ!!!


 えぇ、彼女、良子さんは、私に声をかけてきた男性の妹だったの。


 ……つまり、この方は私の出自を知って、なお懸想してくれていたのだわ。


 良子さんの瞳には激しい炎が渦巻いているのがすぐに分かった。彼女は……私に嫉妬していたの。妹として、兄を取られるまいと必死になっていたのね。


 お兄様は黙っていてくださいまし!


 控えなさい! それから公子さんに謝りなさい良子! 僕は、彼女ほど淑女然とした女性を見たことがない!


 いいえ黙りません! いいですか伊藤! あなたは黙ってお兄様に従えばいいのよ!


 良子、いい加減にしろ!


 いいえ、絶対に黙りませんわ! だってお兄様……出征が決まったのよ!!!


 ……その言葉に、私は衝撃を受けたわ。この方は、これから危険な戦地に行く。そしてその直前、偶然街で私と鉢合わせした。だから、最後に想いを果たそうと私に声をかけたのね。


 海よりも深く込められた愛に、私は動揺を隠しきれなかった。なんて言えばいいのかも分からず、ただただ自分の迂闊な対応を呪うばかり。


 そして、それが向こうの兄妹にも伝わってしまったのね……。


 良子さんは……あろうことか、往来のど真ん中で私に頭を下げたの。ただ下げたんじゃない。土下座だった。


 お願いします。私はずっとあなたのことが嫌いでした。妹の私よりも兄に愛されるあなたが嫌いで、いじめていました。だから、今までのご無礼のお詫びに、死にます。ですから、どうか兄に最後の思い出を……ください。


 良子………………黙れ。


 絶句したままの私を救ったのは、三郎さんだった。結局のところ、私は……上辺こそ淑女然としていたものの、彼の想いを癒やす術を持ちあわせていなかったわ。出自と一緒で、見た目だけしか立派でなかった。だから、結果としてこんな最後になってしまったの。


 ……妹が大変ご迷惑をおかけいたしました。


 いえ、こちらこそ……良子さんには普段からお世話になって……。


 ……気を遣って頂かなくて結構です。


 私の精一杯の配慮なんて、何の役にも立たなかった。そうでしょうね。たった今、本人がいじめていたと告白したのだから。


 ……私には、心に決めた方がいるのです。


 だから、私はそう言った。


 あなたの想いに応えられないのは、あなたが嫌いだからでも、あなたの妹にいじめられていたからでもなく、好きな人がいるからだと。


 せめて最後だけでも淑女になろうと、三郎さんの目を見てハッキリと言ったわ。


 三郎さんはそんな私を見て、笑った。とても澄んだ笑い方だった。これで思い残すことはないと、そんな笑い方……。


 ……ということは、まだ婚約したわけではない?


 はい。


 なるほど。では……帰ってきたら、まだ望みはあるということですね。


 爽やか、そう、例えるなら真夏の風のような、そんな爽やかな笑い方だったわ。


 では、公子さん。しばしのお別れです。私には……戻ってやるべきことができましたから。


 あぁ……三郎さんは最後まで私のことを気遣ってくれていたの。


 私が返答に窮しているのを察して、そのことを後で私が後悔しないよう、綺麗な記憶になるように。殿方って本当にそう。変なところで格好つけるのね。


 ……三郎さんは、私には勿体ないほどの人だったわ。


 不謹慎なことに、静かに去りゆく兄妹を背に、私がこの時考えていたのはおにいさんのことだった。


 私も他の子達と同じで、母国の勝利を疑っていなかった……いえ、違うわ。疑いたくなかったの。


 だって……おにいさんは軍人なのよ。手紙の感覚が間延びしているのは分かっていたわ。それが、同僚の嫉妬を避けるためだと信じていた。決して、危険な戦地に行ったのではないと、安全な森上地区にいるのだと信じていたかった……。


 だから、私はいても立ってもいられなくなり……人力車を捕まえて駐屯地に行ったの。


 駐屯地は物延山の麓で、街から少し離れた所にあったから、半刻はかかったわね。山の麓の……他には何もないところだったわ。


 内心が焦りでいっぱいになった私とは対照的に、駐屯地は普段と何も変わらなかった。だからそのまま面会を希望している旨を受付に伝えたの。


 でも、案の定会うことは許されなかった。当然よね。第一、その時間は勤務時間だったから。


 せめて一目だけでも会いたいと、基地を金網越しに見て回ったのだけれども、もちろん見つからない。


 日も暮れ始め、雨雲さえ目立ち始めていたのに、それでも諦められなかった私は……近くの小高い丘にあった展望台に来ていたわ。


 展望台といっても古びた四阿があるだけで、望遠鏡も何もない。それこそ、四阿に至る道だって草ぼうぼうで、誰も使っていないのが丸分かりだった。


 それからしばらく基地を見ていたのだけど、やっぱりおにいさんを見つけることはできなかった。


 だから諦めて帰ろうとした……その時だったわ。


 公子ちゃん?


 おにいさん!!


 信じられないことに、一人四阿から遠くを見ようと目を細めていた私に、おにいさんが会いに来てくれたの。


 ……その、宗太郎さん。どうしてここに?


 私は慌てて言い直していた。いつの頃からか、私は勇気を出しておにいさんのことを、宗太郎さん、と名前で呼ぶようにしていたの。


 森上地区では、自分より年上の男の子は全部おにいさんで、女の子はおねえさんだった。その関係から抜け出したかったのかしらね。


 仕事だよ。言ってなかったっけ? 僕の仕事はこの街を守る、憲兵なんだ。……ふふ、川夷宗太郎上等兵、貴君は基地の周りをうろつく不審な影について調査されたし、って命令が来てね。調べに来たんだよ。


 おどけたようにおにいさんは笑ったわ。きっと、基地の方が気を遣ってくださったのね。……当時、市民には情報統制がしかれていたけど、軍の方はそこまで厳しくなくて、戦況についてもある程度知っていたみたい。


 基地の方々は……口にしないだけで、負けることを察していたのかもしれないわ。


 その時、突然雷が光ったかと思うと、激しい雷鳴が鳴り響き、夕立が降り始めたの。


 私は……思わず悲鳴を上げると、おにいさんの腕に抱きついてしまった。


 幸いなことに、雷はそれだけだった。でも、強い雨はしばらく止みそうにない。そして、薄暗い四阿にいるのは私達二人きり。邪魔は入らない。それに……今日を逃したら、次があるかも分からない。


 気がつけば、私は腕を抱いたまま潤んだ瞳でおにいさんを見上げていたわ。


 おにいさんが息を飲むのが、身体を通して伝わってきた。私だって、いつまでも子供じゃない。


 ずっと、お慕いしておりました。


 気がつけば、私はおにいさんの胸に飛び込むと、今まで心の中にとどめてきた言葉を噴出させていた。


 ………………どうか、公子に消えない思い出を下さい。


 分かるでしょう? 結局のところ、私は半分の血のどちらの定めにも従っていたのね。

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