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呪われ少女は夢を見る  作者: 中上炎
第死夜:コドクな少女の霊
25/30

25.伊藤公子①

 一条の稲光に、真名は思わず目を閉じてしまっていた。だが、目を逸らすなと言わんばかりに雨が真名にも吹きつけ……そして、目を見開く。


 降り注ぐ雨の中に赤鬼の姿はない。ただ、公子が両手で顔を覆って泣いていた。


 「…………あ、そうか。お酒は奉納用じゃなくて、場を清めるのに使うものだったんだ」


 真名の足下には割れた一合瓶、そしてそこから漏れた日本酒が雨と混ざって広がっていた。どうやら、公子に突き飛ばされて転んだ際に、そこに突っ込んでしまったようだ。


 場を清められたことによって、神様の力が強くなったのだろうか。


 そんな現実逃避的なことを考えつつ、どうにか落ち着けていた。ゆっくりと立ち上がる。


 真名の目の前には泣きじゃくる公子がいた。そして……少し離れたところに転がっている手鏡には、相変わらず現実には存在しない文字が記されている。


 ”感謝 願掛可 述希”


 ……どうやら、神様の準備も整ったらしい。沢山の犠牲を生んだ終わらない悪夢から、覚める時が来たのだ。だから、真名は……


 「公子さん……」

 「………………」

 「……あの」

 「………………」


 ずっと泣いている公子に声をかけていた。返答はない。だが、真名にはそれが、拒絶ではないことがなんとなく分かっていた。公子は合わせる顔がないのだ。


 そこで真名は思い出していた。公子は幸子のことを、一度だけ”先生”と呼んだことがあった。てっきり、幸子の姿から先生と呼んだのだと思っていたのだが、違ったようだ。幸子は、本当に公子の先生だったのだろう。


 ……つまり、公子も戦前の人間であり、呪いを作り上げてしまった張本人の可能性が非常に高い。


 だからこそ、真名はもう一度公子に話しかけることにした。


 「公子さん……泣かないでください」

 「………………」

 「雨でびしょ濡れです。身体を拭きましょう」

 「………………………………」

 「実はお饅頭もあるんですよ。美味しいって評判だって……凛子ちゃんが言ってました」

 「…………どうして」


 そこで、ようやく公子が泣くのを止めた。ずっと顔を覆っていた両手が、代わりに自分の心を守るように身体を抱きしめていた。


 「……あなた、どうして怒らないの?」

 「……友達ですから。ずっと私を助けようとしてくれていたあなたが、こんな呪いを望むはずないんです」


 その瞬間、公子はまた泣いた。ただ、今度の涙は少しだけ暖かい。いつの間にか雨も弱まっていき……空には満天の星とまん丸の月が浮かんでいた。






 「……長い話になるわ」


 しばらくして、冷静さを取り戻した公子は、屋上の縁に腰掛けながら静かに呟いた。その手には真名が家庭科室から取ってきたコップが一つ。中にはよく暖められた、琥珀色の紅茶が注がれていた。


 「……時間ならいくらでもあります」


 真名は公子の隣に腰掛けると、同じようにコップに注がれた紅茶にふーふーと息を吹いて冷ましている。


 真名の分ではない。真名がせっかくだから神様も、と紅茶を3人分用意したら、手鏡に”熱熱熱熱熱”と書かれていたので、やむなく冷ましているのだ。


 神様は、猫舌らしい。


 今も真名と公子の二人で屋上の縁に腰掛けているが、目を閉じると不思議と気配がもう一つあった。


 「あれはもう、ずっと昔のことよ。さて、どこから話したことか……」


 そうして、公子は少しだけ考えてから語り出す。真名は静かに頷くと、口を結んだ。


 「………………さて、歴史のお勉強ね。この聖エトワール女子高校がある森上地区は、古くから温泉街として知られていたの。


 もっとも、草津や別府といった有名どころとは比べるまでもない。でも、森上には一つだけ、他の温泉地にはない特徴があったの。


 森上地区は、貴族の隠れ家と呼ばれるほど、貴族達がよく集まる土地だった。


 そして…………この街には、温泉街特有の花街も多かったのよ。どうしてこんな辺鄙なところに、聖エトワール女子高校が設立されたと思うかしら。それは、この場所に確かな需要があったからなのよ。


 どうしてそんなことが言えるのかって、お思いになったでしょう。


 答えは簡単……私もそうだからなの。


 ■■■■……伊藤公爵家の直系にして、母親はこの街の芸者、それも最大限尊重して“芸者”と名乗っているだけの、売春婦の生んだ娘。それが私。


 ……えぇ、そうね。私はずっとこの町で生まれ育ってきた。隔離されたこの土地は、扱いに困る子女達が逃げ出せない、天然の牢獄なのよ。


 忘れもしない昭和15年の夏、私は12歳だった……。今思えば、あの時自分の本音に従って”脱獄”していたら……本当に、そう思うわ。


 来春に尋常小学校の卒業を控えた私は、屋敷の床の間で一人寝っ転がっていたの。腐っても公爵家の庶子ですから、広間だけで10もあろうかという日本家屋だった。変なところで父親が見栄を張って大きなお屋敷を作って、母親は……さすがにもう仕事はしてなかったけど、お金にがめつい人だったから女中さんも雇わず、毎日一人で家中を掃除していたわ。


 いつ父親が来てもいいようにって。貯めたお金で綺麗な着物や洋服を買って……そんなの、一年に一度も来ればいい方なのにね。


 外ではうるさいほどに蝉が鳴いていて、それから微かに街の中心を流れる川のせせらぎ、そして温泉街特有の硫黄の臭いが漂っていた。


 ……あの時は本当に憂鬱だったわ。だって、尋常小学校には私達貴族以外にも、一応は平民の子供達だっていた。でも、進学先の女学校は違う。


 明確に平民と貴族に別れてしまう。そして、私はどんなに頑張っても、どうやら平民向けの学校には行けないことが分かっていた。だから、落ち込んでいたの。


 ……まぁ、なんとなく分かるかしらね。私の血の半分は貴族の最高位である公爵家の血が流れているけれど、もう半分は社会の底辺である売春婦の血が流れている。これがせめて、本当に芸者であればまだ良かったわ。芸者の子供なんていくらでもいた。


 最高と最低の血は、前者は他の人を嫉妬させ、後者は軽蔑させた。


 私は……この街ですら浮いていた。特に貴族の子供達の差別は凄かったわね。もしかしたら、みんな私と似たような待遇だからこそ、幼心に私をいじめることで、自分たちが立派な貴族だと確認していたのかもしれないわ。


 そして、貴族の子供がそんな様子だから、平民の子供が私を助けてくれるはずがない。だから、私は生まれてからずっと、理不尽に嫌われ、差別されてきた。当然友達なんて一人もいなかった。


 いるのは皮肉や罵声を浴びせてくる貴族か、関わらないように無視する平民だけ。


 ……ああ、せめて、一度でいいから、他の子達がやっているお茶会とやらをやってみたかった。ずっと憧れていたの。


 だから、平民用の学校に行きたかったのだけれど、それも駄目。私は落ち込んで、床の間で不貞寝していたの。私ったら不良さんみたいね。


 でも、そうしているうちに母親が突然やって来ては、財布から30銭を出して私に渡すと、しばらく外で遊んでくるようにって言ったわ。


 ……あぁ、父親が来るのか。


 子供の私にもすぐに分かったわ。正直、父親なんて知らないおじさんとほぼ同義だったから、私は街に出ることにした。


 街は……そうね。あなたの知っている街とそんなに変わらないわね。大きな川が流れていて、その片側に木造の温泉宿が密集している。


 その日はちょうどお祭りの日だったから、川沿いにはたくさんの出店が並んでいたわ。”い掬魚金”やら”的射”やら”めあたわ”の看板が沢山でていて、浴衣を着た家族連れや子供同士でとても賑わっていたのを覚えている。


 そんな中を、普段着の私は一人ポツンと歩いていた。心なしか、行き交う人々が私に道を譲ってくれていた気がするわ。


 行き先はレンガ積みの喫茶店だった。大正時代に営業を始めたお店で、調度品や給仕の制服までも全て華やかな大正風で統一されていたから、私はとても気に入っていた。家のしみったれた昭和の雰囲気を忘れられるだけでも、価値はあった。


 そんなに売れているお店でもなかったので、私はいつも通りに10銭で牛乳多めの珈琲を頼むと、窓際の席に座った。


 喫茶店は出店のある通りから少しだけ高いところにあったから、窓からはお祭りを楽しむ人達の姿がよく見えた。正直なところ、あまりに自分に縁のない世界だったから、なんだか泣けてきたわ。


 そんな時は珈琲を一口やるの。そうすれば、周りは勝手に子供が大人ぶって苦い珈琲に苦戦しているって思ってくれるから。


 そんな時だったわ、声をかけられたのは。公子ちゃん、また来たのって。


 心臓が飛び跳ねたわ。驚いて振り返ると、店主の息子さんが私のすぐ隣に立っていた。中学校の制服と制帽を折り目正しく着こなしていて、とても似合っていたわ。


 おにいさん……。


 緊張のあまり爆発しそうな心臓を抑えるのに必死で、私はそう言うのが限界だった。


 そうして、押し黙ってしまった私を見て、おにいさんは察してくれたようだった。おにいさんは私より5つ年上だから、その位の分別はついていたのよ。


 周りがお祭りではしゃぐ中、一人寂しくそれを眺めながら珈琲を飲む女の子。思えば、初めて声をかけてくれたときも、そうだったわ。おにいさん…………。


 よし、公子ちゃん。僕も今帰ってきて暇だったんだ。一緒にお祭りに行こう。


 そうして、おにいさんは私の手を握ると、赤面したまま沈黙してしまった私を連れて、そのまま街へと繰り出したの。


 ……えぇ、私、おにいさんのことが大好きだったわ。きっと初恋ってやつね。だから、一緒にお祭りに行けて、とても幸せだった。もちろん、少しだけ期待もしていたわ。でもやっぱり、実際にそれが叶うと例えようもないほど嬉しいものなのよ。


 そうして、二人で出店を散策して……わたあめやアイスキャンディを買って……。


 あぁ、やっぱり、本当に嬉しかったのね、当時の私は。正直、この話から始めたのは失敗だったかもしれないわ。


 まぁ、それはともかく、そうしてお祭りを回り終えた頃の私は、頭の横にお面、左手に金魚で右手はおにいさんと繋いでいて、どこからどう見てもお祭りをいっぱいに楽しんだ少女になっていたわ。惜しむらくは浴衣でなかったことくらい。着替えてから行けば良かったと、どれほど後悔したことか。


 そして、少しずつ日も傾き始めた頃、私達はゆっくりと帰路についた。


 私もおにいさんも、それぞれ学校を卒業する学年だったから、話は自然とそっちに移っていったわ。


 僕はね……軍人になろうと思うんだ。


 夕日を受けた川面が赤く染まる中、おにいさんはそう言った。


 軍人になって、この町を守りたいと思っている。公子ちゃんをいじめている連中も、みんな懲らしめてあげるよ。


 私は…………さすがに、あなたのお嫁さんになりたい、とは言えなかったわ。だから、散々迷った挙句、立派な淑女になります、と答えた。


 おにいさんはそれを聞くと、安心したように笑ったわ。あまりにも眩しい笑顔だったから、私は思わずそっぽを向いて……言ってしまった以上、立派な淑女になろうと決心していた。


 だから、その時点で私には家を出るという選択肢はなくなった。どれだけ苦しかろうと、私はこの街でいじめられながら生きていくしかなくなったの。


 そうして、家に帰ると折り悪く、丁度父と母が別れるところだった。


 父は……まぁ、どう見ても貴族のボンボンだった上に、先祖に似たのか一目で女遊びが盛んなのが見て取れた。これが大日本帝国の公爵の血筋かと思うと、幻滅もした。そして、自分がそれ以下の存在であることも思い出して、ちょっとだけ憂鬱になったわ。


 久しぶりだな…………あぁ、その……。


 ……見てくださいあなた。公子の凜々しい目元は、あなたによく似ておりますわ。


 娘の名前も言えずに口ごもる父と、助け船を出す母親。何故でしょうね。不思議と、それがそんなに悪い関係だとは思えなかったわ。そう、まるで、普通の家族のように見えたから……かもしれないわね。


 公子、学校はどうだ。


 父は私に聞いたわ。


 ……毎日楽しく暮らしています。


 嘘をついた。学校なんて、全然楽しくなかった。むしろ苦痛だった。


 でも、私がそう言うと、父はとても嬉しそうに笑った。


 後で知ったことだけど、父は見た目通り貴族のボンボンで、あまり能力のある人でもなかった。そのせいで妻や跡取りとの間の仲も冷えており……家族とのふれあいに飢えていた。


 だから、あちこちで愛人を作っては面倒を見て、それがますます妻や子供との関係を冷え込ませるという悪循環に陥っていた。


 頭を撫でてもいいかい?


 どうぞ。


 私がそう言ってお面を外すと、父は乙女の肌に触れるかの如く優しく、そして私が嫌がらないと分かるや、心の隙間を埋めるようにわしわしとなで続けた。


 母はそんな私を見て、驚くほどに満ち足りた微笑みを浮かべていた。


 公子、何か買って欲しいものはあるかい?


 心ゆくまで私を愛でた後、父は私にそう言った。不器用な父は、こういうやり方じゃないと娘と交流ができなかったのね。


 私は……即答できなかった。真っ先に思い浮かんだのは、この町を出たいということだったけれど、それはついさっき自分で否定したばかりだったし……なにより、街を出たらおにいさんと会うことはできないだろうから。


 かといって、着物にしろ指輪や簪といった装飾品の類いは、母が買い集めたものがごまんとあったので、これも欲しいとは思えなかった。


 家族でスイカを食べたいです。


 それが、私の答えだった。実際、その年はまだスイカを食べてなかったから、本音でもあったわね。


 その答えを聞くや、母は、よくやったと言わんばかりに力強く笑っていた。母にすれば、”スイカ”よりも”一緒に食べる”という方が重要だったのでしょう。


 そして父は驚いてそんなことでいいのかと聞き返し……それから笑って、それじゃあこれから夏は皆でスイカを食べようと言ってくれた。


 母も笑っていた。私もつられて笑っていた。そしてこの時初めて、私にとって父が父親なんだと理解できたの。


 その後、父は名残惜しそうにしながら帰っていった。


 ……うちの連中は宝石や着物ばかりを望むのに、公子はスイカか、と、虚しく呟いていたわ。


 やっぱり、父は家族との関係が上手くいっていなかったのね。

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