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呪われ少女は夢を見る  作者: 中上炎
第惨夜 箱にシマう女ノ霊
24/30

24.赤鬼

 恐怖で震えそうな身体を懸命に抱きしめながら、真名は必死になって考えを巡らせていた。トイレの薄い壁を一枚隔てた向こうには赤鬼がいる。そして、赤鬼ほどではないにしろ、悪霊化した凛子が学校を徘徊し始めていた。


 どう考えても追い詰められている。だが、赤鬼の足が止まったままであることから、取りあえずの窮地を脱せる見込みが出てきたのも確かだった。


 「真名―! おーい! いるのー!?」


 凛子の声が駆け足で近づいてくる。一方で赤鬼は動かない。


 真名は音をたてないようにしながら、手鏡を見た。何か文字が書かれている。


 ”静観”


 道理だ。だが、それができたら苦労はしない。真名の身体は意思とは無関係に恐怖で震えそうなのだから。


 「真名―! あっ、真名の足跡だ」


 そして、ついに凛子が真名の残した雨の雫を発見したらしい。


 「やたっ! 真名! 今行くねー」


 息を潜めている真名とは対照的に、踊り出しそうなほど軽やかな足取りがトイレに近づいてくる。赤鬼もそれに気づいたのか、その足がゆっくりとトイレの入口に向かっていく。そして……


 「真名―? ……って、なんだ、あんたか」


 凛子の声が途端に低くなった。同時に、扉の向こうでは赤鬼もそれに応じるように真名には背を向けている。だが、双方共にトイレから出るつもりはないらしい。


 真名の頬を冷や汗が伝う。トイレの出入口は一つだけ。このままでは出られない。


 ”静観”


 見れば、鏡の中では真名の勇み足を咎めるように文字が増えていた。


 だが、それを見て真名は思ったのだ。この神様は、真名に一度3階まで階段を上るように指示してから、それを途中で取り消している。つまり、全知全能ではない。失敗するし、悪手も打ってしまうのだ。


 そして今もトイレの入口は悪霊に占拠されたまま。ほうっておけば悪霊同士が手を組んで、トイレの中を探しに来るかもしれない。そうなれば、真名に待っているのは非業の死あるのみ。


 大きく深呼吸を一つ。真名は覚悟を決めていた。


 「助けてぇぇぇぇ!!! 凛子ちゃぁぁぁんッ!!!」


 誰かが驚く気配をよそに、真名は勢いよくトイレの個室から飛び出していた。分が悪いのは自覚がある。だが、勝算もゼロではない。なにしろ、凛子の未練は一緒に呪われてしまった真名なのだから。


 真名は、神様よりも友達を信じることに決めたのだ。


 状況は劇的に変わっていた。


 真名が飛び出した先で見たものは、獲物を殺そうとする赤鬼の姿。そして……それに気づいて悪鬼の如き表情に変わった凛子だった。


 「見ツケタ!」

 「真名っ!」


 血で濡れてグチャグチャになった赤鬼が、即座に真名を殺そうと飛びかかろうとし……


 「真名をいじめるなっ!」


 その直前で凛子に体当たりされて、廊下に押し倒されていた。真名はそのすぐ近くを悠々と通過し、トイレから脱出すると反対側の階段を目指して一目散に走って行く。


 だが、凛子と赤鬼では力が全く違った。赤鬼は自分を押し倒したはずの凛子を、腕の力だけで押し返していたのだ。はね飛ばされた凛子は鈍い音共に、勢いよく壁に激突してしまう。


 「真名を……いじめるな……」


 だが、それでも凛子は諦めなかった。いや、執着していたと言うべきか。


 赤鬼が真名を追跡しようと起き上がる僅かな隙に、再び赤鬼の下半身に組み付くと、今度は殴られようが蹴られようが離れない。


 「邪魔ヲスルナ!」

 「真名…………真名…………」


 赤鬼の拳が凛子の頬を打ち、足がお腹を蹴り飛ばす。それでも凛子の両手は赤鬼の身体を捉えたまま。


 「真名………………」


 だが、赤鬼の膂力には叶わない。ついに赤鬼が怒りのあまり両手を凛子の首に回すと、形容しがたい嫌な音と共に凛子の首がねじ切れた。凛子の身体が力を失って倒れこむ。頭の方は赤鬼が苛立たしげに放り投げたせいで、廊下を転がっていき闇に飲まれて消えた。






 “馬鹿娘”


 手鏡のすみっこにチラっとだけ映る非難がましい文字を、真名は意図的に無視していた。手鏡の中に記されているのは矢印が中心であり、すみっこまで見ている余裕もない。荒い息を吐きながら、真名はどうにか階段を上りきって3階まで辿り着いていた。


 しかしながら、既に赤鬼は凛子を振り払ったのか、階段下からは再び物凄い足音が追跡を始めている。


 このままでは、すぐに赤鬼に追いつかれてしまうだろう。


 だが、真名はそれほど気にしないようにしていた。階下から響く追跡者の足音は震えるほどに恐ろしい。一方で、それはトイレで感じた追い詰められる恐怖と比べれば、まだ我慢できるものだったのだ。


 「箱ニイレテシマイマショウ……」


 なにより、あれだけ騒いでいれば幸子だって気づかないはずがない。


 廊下を走る真名の視線の先に、薙刀を構えた幸子が現れた。一本道の廊下。下の階への階段までは5メートル。一方で屋上に出るための階段は職員室の隣だから15メートル。どちらにしろ幸子の奥にあるのだ。


 「箱に……入れて下さいッ!」


 そう言う真名を、幸子は驚いたような顔で見た。だが、真名が赤く染まった幸子に寄り添ってくるのを見ると、攻撃を加えることもなかった。


 幸子の未練は、生徒を箱に入れて守ることなのだから。


 大慌てで真名が職員室の扉を開けて箱に飛び込むのと、赤鬼が3階にまで辿り着いたのはほぼ同時だった。一瞬遅れて幸子が正気を取り戻す。


 「先生!」

 「あなたは……」


 だが、真名には悠長に説明している時間もなかった。


 「……申し訳ありません。今から屋上に行って……全員の夢を終わらせます」

 「…………生者必滅会者定離。御武運を」


 幸運なことに、悪霊でも理性を取り戻している間の記憶はそのまま引き継がれるようだ。だが、同時に赤鬼が職員室へと迫っていた。それを理解した幸子の表情が凜々しくも引き締まる。


 先に動いたのは幸子だった。職員室を飛び出すや、薙刀を構え、裂帛の気勢を上げて赤鬼へと立ち向かったのだ。その背後を、真名は静かに駆ける。


 「ソレホドマデニ私ガ嫌イ?」

 「ここは……通しませんッ!」


 真名の背中に、激しくぶつかり合う音が響いた。






 立ちのぼる煙、降り続く雨。幾多の困難を乗り越えて、真名は屋上へと辿り着いていた。ここまでずっと走りっぱなしで、両足は灼熱してパンパンになり、酸素の足りない視界が赤みを帯びている。


 熱を帯びた身体に雨が心地よかった。


 だが、ゆっくりしている時間はない。早足で進みながら、ここまでどうにか持ってきた手提げ袋を漁る。酒、鏡、饅頭そして鍵。奇跡的にいずれもが壊れずに残っていた。


 荒れた息を整えながら、真名はその中から鍵を取り出すと無造作に南京錠に突っ込んだ。鈍い金属音と共に鍵を回し、南京錠をそのままに金網を抜けていく。奥に並ぶソーラーパネルや空調の室外機やらを通りこすと、社があった。


 小さな社だ。ご丁寧に鳥居まで。その姿は現実で見たときと変わらない。少なくとも神様の姿は見えないようだ。ただ一つ。ほんの少しだけ……空気がヒンヤリとしていた。


 「お参り……すればいいのかな……」


 真名はどうにか呼吸を落ち着けると、思わずそう呟いていた。近くに目に見えない神様がいることは分かっていた。だから、そのまま鳥居を潜って社に向かい、お酒を奉納して――


 ――誰かに肩を引っ張られた。


 思わず真名は一歩後ずさり……直前まで真名がいた空間を何かが突き抜けていく。


 同時に手からすっぽ抜けた酒瓶がコンクリートの床に叩き付けられ、中身が溢れ出す。


 真名の目が確かなら、鋭く投擲されたのは竹刀だった。ただの竹刀ではない。薙刀用の、幸子が使っていた……。


 真名が冷や汗を流しながら振り向けば、そこにはいたのは案の定赤鬼だった。どうやら真名が屋上への階段を上ったことを察するや、窓から力任せに壁をよじ登ってきたらしい。


 「……ズット一緒」

 「…………そんな!? ここまで来て……」


 真名の顔が悔しさと絶望に歪んだ。真名が願いを述べるより、赤鬼が真名を殺す方が速いだろう。少しでも時間を稼ごうと身構える真名を、あざ笑うように赤鬼は一気呵成に近づくと、真名を引っぱたいた。


 凄まじい力に、真名はあっさりと地面に倒れ伏す。……その鼻腔を何かがくすぐった。清酒だ。その瞬間、真名はハッとなっていた。足下に転がる手提げ袋。そこから転がり出た手鏡に社が映っていたのだ。


 そこには達筆な文字でこう書かれていた。


 ”未練”


 同時に、今まさに真名にとどめを刺そうとしていた赤鬼に対して、一際強く雨が吹きつけ、表情の分からないほど血に塗れた顔を洗い流し――


 「――公子さん!」

 「……!?」


 真名は夢心地でそう言った。同時に白い顔をした赤鬼の表情が引き攣ったのだ。


 思い当たる節は幾らでもあった。


 公子は、真名が呪いを引き受けても夢に現れた。


 公子は、瞬間湯沸かし器の使い方が分からなかった。


 公子は、箱の外にいても悪霊化していなかった。


 公子は、決して赤鬼と同時には現れなかった。


 「あぁ、公子さん。あなたの未練は、”お友達”だったんですね!? だから友達同士、一度に複数人で(・・・・・・・)呪われた場合、あなたは理性を保っていた……!」


 刹那、雷鳴が轟いた。

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