22.手紙
翌日、真名は一日かけて頼まれた品物を集めることにしていた。鏡、お酒、それから一応お饅頭も。手鏡はともかく、それ以外は学校の中では手に入らなかったので、寮監に頼んで車で町まで買いに行かせて貰うこととなった。
学校は町の中心街から歩いて30分はかかり、肝心のバスも朝と午後以外は運行されていないのだ。
そしてその学校への帰り道。川に沿って立ち並ぶ寂れた温泉街の風景を横目に、真名は手紙を読んでいた。そう、以前にお見舞いに行ったはいいものの、結局会えなかった凛子からの置き手紙だ。
そこには、こんなことが書かれていた。
”
真名へ。
せっかく会いに来てくれたのにごめんね。もうさぁ、急に治ったもんだからお医者さん達も大慌てで、何回採血やらMRIやらをやったことか! いや、そんなことはどうでもいいんだけど。
さて、わざわざ手紙を書いたわけなんだけど、公子の件なんだ。夢の中でもちょっと言ったけど、真名が車椅子の人と話している間、あの女と私で自己紹介をしあったんだよね。その時、確かに公子は”きみこ”って名乗った。でも、その後に、通話しっぱなしになってたスマートフォンから、”こうこ”って聞こえてきてさ。私、冗談めかして言ったんだよ。
あなたが公子さん? って。
そうしたら……あの女、一瞬だけど表情が凍り付いたのよ。嘘をついてたんだって、すぐに分かった。
公子は何かを隠している。
それは間違いないと思う。でも、だからといってあの人が悪い人かと言われると、そうではないと思うんだ。
実際、真名のことは助けてくれたわけだし。たぶんだけど、あの人が”きみこ”って名乗ったのは、学校の怪談のせいだと思う。あ、真名は知らないかもだけど、うちの学校にはこんな噂があるんだよ↓↓
寮の開かずの間
この学校の寮には一つだけ空き部屋があります
先生に聞くと、それは遠いところから学校を訪ねてきたお客さん用だと言われます
でも、それは嘘です
何故なら、誰もその部屋が使われているところを見たことがないからです
そして、その部屋がどこにあるかは誰も知りません
普段は扉が閉まっているので、見分けもつきません
その部屋にはこうこさんという名前の幽霊が暮らしています
こうこさんは悪い霊ではありません
でも、自分が誰にも見えないので、とても寂しがっています
なので、間違えてその部屋に入ってしまうと……念願の友達だと思ってでます
ある入学したての生徒が、不運にもその部屋に割り当てられました
すると、その生徒は毎晩同じ夢を見るようになりました
気がつくと、自分は部屋で立ち尽くしています
そして部屋の外では誰かが自分を捜し回っているのです
焦った彼女はクローゼットの中に隠れました
いつもそれで難を逃れられるのですが、ある時彼女は気づいたのです
こうこさんが寮の部屋を一つずつ調べていることを。そして、次が彼女が隠れている部屋の番だということを
そして最後の夜、彼女は祈るような気持ちでクローゼットに隠れました
扉が開く音がした瞬間、彼女は慌ててクローゼットを閉めました
真っ暗で何も見えません
でも、音だけは聞こえます
ペタペタと足音が部屋の中を探し回っているのです
そして足音が、彼女が隠れてるクローゼットの前で止まりました
嫌な沈黙が続き、彼女は恐怖に耐えられず目を閉じて震えていました
そんな日に限って、夢は中々覚めません
どれほど震えていたでしょう
いつのまにか、部屋の中から気配が消えていました
彼女はおそるおそるクローゼットを開けました
部屋の中には誰もおりません
安堵した彼女はほっと胸をなで下ろし……隣でニコニコしているこうこさんと目が合いました
寮に彼女の悲鳴が響き渡りました
開かずの部屋は今も寮のどこかで、誰かが入ってこないかじっと待っています
↑ここまで↑
って言われたらさ、気になるじゃん? だからさ、実際に探してみたんだよ。
いやぁ、寮の部屋を一つ一つ調べて回るのは大変だったよ。でも、久しぶりに度胸のある新入生がきた! って話題になったらしくて、先輩たちも面白がって協力してくれたんだよね。
で、結論なんだけど、開かずの間はあったよ。寮の一番上の階の、階段のすぐ隣の部屋だった。
だから……実際に入ってみた。
でも、なんて事はなかったよ。ベッドが二つにクローゼットと傍机、それから机の上には瞬間湯沸かし器があったかな? でも、それぐらいで、どう見ても本当に普通の空き部屋だった。しいて言うならカーテンが古くて雰囲気あったけど……寮監が掃除とかもしているみたいで、普通に綺麗な部屋だった。
もちろん、私が”こうこ”さんとお友だちになることもなかったわけ。
むしろ、私が気になったのは、お世話になった先輩方にお礼も含めて調査結果を報告したときだったよ。
どうやら、”こうこ”さんには苗字があるらしい。”しのはら”って言うんだって!
”
「しのはらこうこ……四ノ原紅子」
真名は思わず呟いてしまっていた。四ノ原紅子、つまり呪いを悪用して、この学校に君臨していた女の名前だ。そして、それであれば噂も合点がいく。夢に現れるというのは、間違いなく呪いを表していたんだろう。
「あの女がどうかしたか?」
その呟きを寮監が拾ってくれていた。どうやらちょうど赤信号で停止したところだったらしい。寮監の運転はとても丁寧で、ブレーキをほとんど感じさせないものだったのだ。
「あ、いえ。すみません」
「いや、気にすることはない。それに、蛇のように陰湿な四ノ原が夢に囚われていなかったのは幸いだったな」
その何気ない言葉に、真名は疑問を感じて顔を上げていた。だが、同時に信号が変わったせいで車がゆっくりと動き出す。片側一車線の道路は左側が林に、右側は温泉街全体を流れる川になっていて、その向こう側に宿が密集しているのだ。
「……どういうことですか?」
「……? あぁ、そう言えばお前は知らなかったか。新聞にも載ったんだがな……学校で呪いを用いて悪逆非道の限りを尽くした四ノ原だったが、その最後は呆気ないものだった。四ノ原は……呪いを本気にした生徒に恨まれ、寮の一室で刺し殺されたんだ」
真名はギョッとなって運転席へと視線を向けた。
寮監は前方を見ていて、真名には意識を向けていない。
「以来、その部屋は使用禁止だ。今でも不気味な噂が残っているらしいしな」
初夏にもかかわらず、真名の背中を嫌な汗が伝っていった。
なにかがおかしい。なにかを見落としている。
そんな嫌な予感が、確かな確信として真名の胸に残っていた。
「四ノ原さんは呪いで死んだのではなかったのですか?」
「あぁ。あいつの死因はお腹を刺された事による失血死だ。これは間違いない。そして私の知る範囲では、悪夢の中で四ノ原に似た生徒の目撃例はない」
「…………そうですか」
なにかがおかしい。だが、真名にはそれがなんなのかが分からなかった。
一方で、視線は自然と手紙の続きに向かっていた。ただ、既に大部分を読み終えてしまっている。
”
開かずの間の噂と夢の呪いってさ、どことなく似てるよね。
公子は自分がこうこさんだと思われたくなかったから、あえて”きみこ”って名乗ったんだと思う。
それに……なんとなくなんだけどさ、私はあの人が悪い人だとは思えないんだ。うまく言えないけど……どこかで会ったことがあるような気がするんだよね。
ま、いっか。余白もなくなっちゃったし、あとは直接会って話そーよ!
”
それは無理だった。凛子はいまだ夢に囚われたままであり、その身体は現在再び入院してしまっている。
真名が抱えた違和感は、どうやら解消できないようなのだ。
真名が懸命に考えている間に、寮監の運転する車は静かに町を進んでいく。
「しかし、この辺は変わらないな。本当に……私が小さかった頃と、何一つ。そんなはずはないのにな」
そうして、車が学校の駐車場に着いたので真名はやむなく降りていた。少し遅れて寮監もゆっくりとシートベルトを外すと、忘れ物がないかを一つ一つ確認してから、億劫そうにドアを開ける。
そうして、地面に立った寮監の身体は完全に老婆のものだった。普段は背筋をピシリとたてて相手を威圧しているから分からなかったのだ。
「鏡は手鏡が、お酒は一合瓶でよし。これで残りは屋上の鍵だけだな」
だが、真名が年寄りに見えた寮監だったが、すぐにいつものハキハキとした態度に戻っていた。真名もその言葉につられて手提げ袋を確認していた。手鏡と日本酒に、一応のお饅頭。すべて揃っている。
「はい。最後に……これを持った状態で清水先輩に呪い直して貰うだけです」
そうすれば耀子も呪いから解放され、これで夢に囚われているのは真名の他に凛子と公子、そして桐村幸子だけのはずだった。
「そう言えば、聞いたことがあるな」
寮への道すがら、不意に寮監がそんなことを呟いた。
「森上神社の神様は喋らないそうだ」
「…………」
「だから、代わりに文字で知らせてくれるそうだよ。もし夢の中に入ったら、持って行った手鏡を覗き込んでみなさい。だが、幽霊は鏡に映らないから、鏡だけに頼るのもよくない」
「分かりました。…………それと、寮監」
「うん?」
真名はそこで立ち止まると、改まってから深々と頭を下げた。
「今までありがとうございました。本当にお世話になりました」
真名は今までに調べた全ての呪いに関する情報はもとより、自分や凛子の未練に関係ありそうなことまで寮監に伝えている。これで万が一の時も……犠牲は最小限に抑えられるはずだった。
「……気にするな。これからもよろしく頼むぞ」
そんな温かい言葉にポンと肩を叩かれ、顔を上げた真名が見たのは、優しく微笑んだ寮監だった。
そうして、真名は最後の夜を迎えることとなっていた。
真名がスタート地点に選んだのは、寮の自分の部屋だった。凛子がいないから鍵がかかりっぱなしであるし、校舎からは離れているので夢に入ったときの音を聞かれる心配もない。
念のために耳を澄ませてみるも、気配はない。ただ、夕方から降り始めた雨音が響いているだけ。
ベッドに腰掛けていた真名は、おもむろに手提げ袋から手鏡を取り出すことにした。あいにくと真名のお小遣いで買える範囲の代物なので装飾はほとんどなく、お世辞にも豪華とは言えない。むしろ呪い場には相応しくない、シルバーのメタリックなデザインだった。
しかし、それが逆に真名の心を落ち着けていた。頑丈そうだし、持ち手の部分も真名の手に馴染む。
そして、手鏡の中に映り込んだ室内をのぞき込み――
「――え?」
――ギクリとしていた。
寮監の言ったとおり、神様は文字で人間と意思疎通するらしい。鏡の中で真名の正面にある凛子側のベッドの壁、そこに達筆な墨書が流れるように書かれていたのだ。
草書体らしく、現代っ子の真名にはとても読みにくい。だが、読めないわけではない。
真名が硬直したのは文字が書かれていたことではない。
……壁には、流麗な文字で“危険”と書かれていたのだ。




