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呪われ少女は夢を見る  作者: 中上炎
第一夜 車椅子の少女
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02.少女は夢を見る

 ……あれ、と真名はキョトンとしていた。わずかに降り注ぐ月明かりに目が慣れてくると、視界いっぱいに広がるのは机、椅子、黒板にその他壁に掛けられたプリントや時間割など。そこはどう見ても、この春から真名が通っている聖エトワール女子高校1年4組の教室だったのだ。


 胸に手を当てて深呼吸、今日の行動を思い返してみる。必ず明日までにやらなくてはいけないと念を押された宿題を、うっかり教室に忘れてきてしまった。それを何気なく寮で同部屋の凛子に伝えたところ、勝ち気な彼女にそれなら取りに行こうと言われてしまった。慣れない、しかも歴史ある分不気味な夜の校舎になんて行きたくはなかった。だけど、自分から言い出したことなので今更引っ込めるわけにもいかず……そして、奇妙な体験をした。


 思い出した瞬間怖気が走った。真名はあの後、凛子の手を引いて一目散に寮の自室に逃げ帰ると、シャワーを浴びようという誘いも断って着替えもせずに頭からベッドに潜って震えていた。


 ……そして、次に意識が覚醒したときが今であり……どうやら、そのまま眠ってしまったようだ。


 「夢……なのかな?」


 そうとしか思えなかった。自分に言い聞かせるようにつぶやいた言葉が、誰にも拾われずに暗闇の中に溶け込んでいく。なでた机の感触も、上履きで踏む床の質感もいやにリアルだった。周囲に人の気配はない。試しに自分の机をのぞいてみると、思った通りに明日使う教科書が入っていた。そのままガタと音をたてて隣の席を引っ張ってみれば、不思議なことに何も入っていない。真名の隣の席の少女はものぐさな性格だから、教科書を全部持って帰ることはないだろう。


 「……私が……中身を知らないから……夢の中に反映されてない?」


 なぜかその考えがストンと胸に落ちた。


 ここいてもしょうがない。そう思った真名はおもむろに教室から出ようとして扉を開けた。


 むっとした、それでいて少しだけ涼しい空気に触れる。薄闇に飲まれた廊下の先には誰もいないようだった。そのまま廊下に出て歩き出す。妙にリアルな夢なのか、校舎の構造は現実の学校と全く同じだった。それどころか、うっかりよろめいた瞬間に壁に擦った手の甲は、真名に確かな痛みを伝えてくる。


 痛み、足音、湿度、まるで、現実のような夢だった。


 「…………あれ? 何か……聞こえる……?」


 3つの教室をこえて階段まで来たところで、真名はおもむろに足を止めていた。金属の擦過音が聞こえたのだ。


 きゃりきゃりきゃりきゃりきゃりきゃりきゃり……


 どこか不快なニュアンスを帯びた音が、前方の廊下の闇から聞こえていた。その音は少しずつ遠くなっていく。思わず真名はその音を追おうとして……足音が響き渡った。


 きゃりきゃり。


 金属音の正体が分かったのだ。視線の先の闇の中、同じセーラー服を着た少女がいた。


 「……え?」


 妙に息苦しい。車椅子に乗った少女の背中がゆっくりと遠ざかっていくところだったのだ。車椅子に乗って……なぜか全身を鮮血で真っ赤に染め上げた少女が背を向けていた。過去形なのは、真名の立てた足音に気づいたのか、周囲を伺いつつもゆっくりと方向転換しているからで――


 「――こっちよ」

 「ッッッッ!!!?」


 同時に、強い力で真名は後ろの暗がりに引っ張られた。口元がハンカチで覆われくぐもった息が漏れるだけ。あまりの驚きに悲鳴すら出ない。


 それが結果的に幸運だった。恐怖で混乱した真名は瞬く間に廊下の向こうに引っ張られ……そのおかげで車椅子の少女からは見えなくなったようだ。


 きゃりきゃりきゃりきゃりきゃりきゃりきゃり……


 暗闇の向こうから不快な金属音がゆっくりと近づいてくる。


 「ひとまず教室に隠れましょう」

 「……ッッ!! はい……」


 慌てず急いだ手つきで教室の扉が開けられ、真名はもう一人の少女と一緒に転がり込んでいた。そこで思わず真名は見とれてしまう。ここまで真名の手を引いてくれたのは、とても美しい少女だった。絹のように艶やかな長い黒髪は上品かつ古風な佇まいで、不思議と学校のセーラー服に似合っている。まるで昔の映画から飛び出してきた、昭和のお嬢様のような出で立ちだった。


 少女はそのまま真名の手を引いて教卓の中に身を潜める。月明かりの下でも浮き上がりそうなほど白い肌に、紅を引いたような唇。真名は思わず状況も忘れて見とれていた。活動的な凛子とは別種の美しさだ。同時に真名の口が解放される。高級そうな白いレースのハンカチには、赤い刺繍で縦に名前が記されていた。


 「伊藤……ハム子?」

 「……やっぱり、横書きにするべきだったわよね」

 「ご、ごめんなさい!」


 慌てて真名は読み直す。伊藤公子(いとうこうこ)。公子は名前を間違えられても怒ったりはしていないようだ。それどころか、慣れてると言わんばかりに首をすくめていた。


 きゃりきゃりきゃりきゃりきゃりきゃりきゃり……


 そこで鳴り響く不吉な音に真名はハッとなっていた。同時に公子の切れ長の瞳がきゅうっと細められる。


 きゃりきゃりきゃりきゃりきゃりきゃりきゃり……


 空気が不快な匂いを帯びて、重く湿っていく。真名はその匂いに嗅ぎ覚えがあった。鉄臭いようなそれは、紛れもない血の臭いに他ならなかった。


 「静かに」


 公子の言葉に真名はコクコクとうなずき、荒くなった息を必死に整えていく。


 はーっ、はーっ、はーっ、


 その音をかき消すように金属音が無音の教室内を満たしていき……遠ざかっていった。


 ……どうやら隠れている真名達には気づかず、奥の教室の方へ進んでいったようだ。


 「厄介だわ。あの車椅子、陰湿で執念深い。一旦生徒の気配を察したら、しばらくはここを離れないでしょうね」

 「あ、あの……ありがとうございます」


 遠ざかっていく足音を察した公子は素早く教卓内から出ると、静かに扉際に立って外の様子を探っているようだ。


 どことなく他者の干渉をためらわせる佇まいに気後れしつつも、真名はどうにか声をかけた。


 「あの……すみません。これは……いったい?」

 「……もしかしてあなた、今日が初めて?」

 

 そこで公子は驚いたように真名を見た。真名は場違いにも、そんな姿も絵になるな、と思っていた。公子もそれに気づいたのか、苦笑いを浮かべ……すぐに皮肉気に笑った。


 「終わらない悪夢の中へようこそ、呪われ少女さん」

 「……どういうこと……ですか?」

 「……あなた、呪われたのよ。その結果としてここに囚われている。さっきの車椅子の奴もおんなじ。……違うのは、あなたはまだ生きているのに対して、アイツら(・・・・)はもう死んでいる。死んでなお呪いに囚われ、永遠と終わらない悪夢の中を彷徨い続けている……」

 「の、呪い!? それって……」


 焦った真名の問いに、答えはなかった。公子が静かに教室の扉を開けた。そして真名自身も思い当たる節が嫌というほどあったのだ。あの時真名が感じた違和感、窓ガラスに映らない少女。それはそのまま、幽霊の条件に当てはまるわけで……


 「車椅子はとても足が速いけど、階段を上る(・・・・・)には時間がかかるわ。2階まで走るわよ」

 「ま、待ってください!」

 「駄目。さっきも言ったでしょ? あの車椅子は執念深いの。ひととおり見て回って、いないと分かれば、次は教室内まで探しに来るわ。……ほら!」


 同時に公子にぐいと引っ張られ、真名は廊下に飛び出していた。


 バクンと心臓が跳ねる。


 ――見つかった。


 そんな訳の分からない、だけど確固とした予感が全身を貫いたのだ。公子に引かれて走る背中を、暗がりの向こうから鋭い視線が貫く。もはや足音を消す余裕なんて残っていない。


 ぎゃりぎゃりぎゃりぎゃりぎゃりッッ!!!


 「ヒッ!?」

 「振り返らないで!」


 不快をこえて不吉な金属音が廊下を満たす。同時に、心を塗りつぶすかのようなぬっとしたプレッシャーが真名にのし掛かった。


 ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃッッ!!!


 真名は耐えられなかった。だから必死になって走りつつも、つい後ろを振り返り――凄まじい速さで追いつくや、今まさに背中に手を伸ばさんとする血塗れの少女と目が合った。


 ――ニコニコニコニコニコニコニコニコニコニコニコニコニコニコニコニコと狂的にまで笑い転げるその表情に心臓が縮み上がり、恐怖に脚が悲鳴を上げて硬直し……


 「しっかりなさいッ!!」


 ぐいと公子に引かれ、転ぶように真横に倒れ込んでいた。星が飛んで涙が滲むほどの痛みに打ちひしがれつつも、気がつけば真名の身体は這いつくばるように階段を本能だけではい上がっていた。


 階下から届く一転して憎しみの視線。だけど、それ故に真名は窮地を脱したことを察し、人目もはばからず息を吐き出していた。公子の言っていたことは本当で、車椅子の少女は階段を上るのが苦手らしい。今も悔しそうに車椅子から降りると、左手でそれを引きながら右腕一本で這い上がり始め……


 「行くわよ」

 「は、はい……」


 そのまま公子に腕を引かれて階段を上りきっては、そのまま2階の廊下にたどり着いた。


 「あなた、覚えておいて。3階は危険よ。でも、あそこは近づかなければ襲ってこない――」


 そこで唐突に鳴り響く、まるでピンと張った糸が耐えきれずに断裂したような音。思わず真名が公子を見るや、公子も驚いたように視線を階下に降ろすところだった。そこでは、さっきの血塗れの車椅子の少女がニタリと笑って、車椅子に乗ろうとしているところであり……


 「い、今の音は!?」

 「あぁ、あれね。あれは、誰かが悪夢の中に入ってきたときの音よ。大丈夫、たぶん神秘倶楽部とやらの……って、ちょっと!?」


 真名は一目散に階段を駆け下りるところだった。全身が悪寒のように震えて止まらない。真名の第六感がヤバいと告げていたのだ。


 止める公子を振り払って階段を降りた真名は見た。


 ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃッッ!!!


 凄まじい音をたてたボロボロの車椅子が廊下を突き進み、一番奥に向かうのを。その瞬間、真名は理解したのだ。


 呪われたのは真名だけではない。そして、一緒に付き合ってくれた凛子はシャワーを浴びてから、遅れて眠りについたはずで……


 「凛子ちゃんッ!!!」

 「真名!?」


 必死に走った真名は見た。凛子だった。4組の教室を出た凛子が、車椅子の少女にのしかかられるや、首を絞められているところだった。


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