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呪われ少女は夢を見る  作者: 中上炎
第荷夜 裏ギられた少女
17/30

17.立花由香

 再びの夜、真名はそれを他人のベッドの上で迎えていた。おもむろに立ち上がって一通り持ち物を調べてみて、スマートフォンを即座にサイレントモードに切り替えた。そうして、持ち主に詫びながらも他に使えそうな物がないか部屋を調べてみる。


 真名と凛子は、春美の裏をかくために明里と文香の部屋に泊まったのだ。昨日の春美は凛子がのしたため、真名と明里達との接触は知らないはずだから。そして二人が夢にいないのは、呪いを肩代わりしたからだった。真名、そして凛子で。


 「待たせた、かな?」

 「凛子ちゃん……」


 真名がそこで振り向くと、凛子は抱きしめて眠っていた金属バットを掲げるところだった。


 「行こう、真名。幸いなことに、部室の鍵は開けっ放しだから、今日は鍵を取りに行く必要はない」

 「……うん。あとは清水先輩より先に部室に行って、秘密箱を壊す」


 壊して無関係の物なら良し。もし真名達の弱みであれば、改めて明日寮監に頼んで燃やしてしまえばいい。真名達の弱みなら、春美の未練の可能性も高い。後は正気に戻った春美を成仏させ、由香をどうにかするだけだ。


 厳しい条件だったが、幸か不幸か昨夜よりも時間はあるはずだった。


 たっぷり5分かけて気配を伺ってから、ゆっくりと寮の扉を開けていた。光の少ない闇の中、耳を澄ましながらゆっくりと歩いて行く。女子寮は静かだった。いや、静かすぎた。雨音も虫のさざめきもなく、互いの息づかいすら濃厚に感じとれる。本能が進むのを嫌がる世界が広がっていた。誰もいないはずなのに、誰かに見られているような。嫌な空気に怖気が走る。


 そのままゆっくりと玄関を降りて校庭を進み、校舎に入ることができていた。淀んだ空気に動くものはない。下駄箱を通り過ぎて階段を上り、あっさりと部室に辿り着くことができた。


 予想外の展開に、真名は思わず無表情のまま立ち止まってしまう。だが、凛子は特に疑いもしなかったらしい。バットを持っていない方の手を部室の扉を伸ばし……


 「ん?」


 ガタンと響く音に止められていた。


 部室の鍵がかかっている。その瞬間、真名は猛烈に嫌な予感がして、思わず部室から距離を取っていた。


 ……だが、周囲に物音はしない。星明かりに照らされた廊下も、見える範囲で動く影はないようだ。


 「真名、どういうことだろう? 寮監が閉めたのかな?」

 「ううん、そんなはずないよ」


 寮監は今日真名達が部室に立ち入ることを知っている。鍵を開けっぱなしにしてもらったはずなのだ。だとすれば、一体誰が?


 「……!」


 その瞬間、真名は慌てて口を開きかけていた凛子を黙らせていた。淀んだ闇の向こうから、聞こえてきたのだ。


 ぺたり、ぺたり。ぺたり、ぺたり。ぺたり、ぺたり。ぺたり、ぽたり、ぺたり。


 オドオドとした調子に、何かが滴る音。それは、最悪なことに階段の下から上ってきていたのだ。


 「……由香ちゃんだ…………」

 「まずいね。階段は北側にもあるけど……」


 北に行くには、職員室の前を通らなくてはならない。あの赤鬼の目の前を通るのは不可能だ。他にも3年生のクラスがあるにはあるが、隠れられそうなスペースはない。


 「逃げ場がない……!」


 あるとしたら、由香を無理矢理倒すことだけだ。だが、できるのだろうか。由香は春美と違って包丁を持っている。


 ぺたり、ぺたり。ぺたり、ぽたり、ぺたり。


 鼻腔をくすぐる血の香り。


 「真名、一旦教室に隠れよう。せめて教室の中まで霊を誘い込めば、最悪真名だけでも――」


 ――逃げられる。


 その言葉を遮るように真名は首を横に振っていた。


 悪霊化した凛子と対峙した経験のある真名だから分かったのだ。凛子と由香が戦ったら、凛子だってタダでは済まない。そして、それは凛子が再び悪霊化してしまうことを意味している。


 ――もう二度と、あんな思いはしたくない。


 そう思ったからこそ、真名は今ここにいるのだ。


 たとえ志半ばで力尽きようと、諦めることだけはしたくなかった。真名は凛子の手を引いて教室へと入り込む。鍵はかかっていなかった。不気味なほどに美しい満月が明るく照らし出す教室に、残念なことに身を隠す場所はない。立ち並んだ机や椅子に、先頭に佇む教卓。壁には学校便りが画鋲で留められていて、掃除用具入れは……


 これだ、と真名は思った。ちょっと汚いけれど、詰めれば無理矢理二人入ることが出来るかもしれない。これが春美ならば喜々として開けるだろう。だが、由香なら……そこまではしないかもしれない。


 だから真名は必死の思いで開き……


 「はぁ、奇遇ね」

 「――ッ!!? し、清水先輩!?」


 中から出てきたのは、皮肉そうな顔をした耀子だったのだ。掃除用具入れはどんなに頑張っても二人が限界だった。そして、今この場には三人の人間がいる……


 「取引をしましょう」

 「どういうことですか?」


 返事の代わりに耀子は少しだけ扉を開けると、そこから器用に何かを廊下の行き止まりに向かって滑らせた。


 「貴方たちのどちらかが職員室の赤い女を引きつけ、もう片方が部室の鍵を取ってくる。この条件が飲めるなら、私のスマホの電話番号を教える」


 後は、そこに電話をかけて由香の注意を引き、その間に由香が上ってきた階段へと逃げる。


 耀子も部室の鍵がかかっていることに気づき、ここで隠れて誰かが開けるのを待っていたのだ。真名は思わず固まってしまう。だが、凛子はそうでなかった。


 「足下見やがって……いいでしょう、私がやります」


 凛子ちゃん、と真名が口を挟む間もなかった。凛子も耀子も時間がないのは百も承知。即座に凛子がスマホを起動して手渡したのだ。


 「どういたしまして。まったく、麗しい友情ね」

 「合理的な判断です」


 真名は、それを苦々しさを押し殺して見ていることしかできなかった。歪んだ真名の表情を、耀子は冷めた顔で眺めている。


 ぺたり、ぺたり。ぺたり、ぽたり。ぺたり、ぺたり。ぽたり、ぺたり、ぺたり。


 もう時間がなかった。音はすぐ近くに迫っており、いつの間にか鉄臭い香りが教室内にまで充満し始めている。


 そんな嫌な空気を切り裂くように、場違いに明るい音が廊下に響き渡った。


 「あっ、耀子先輩!」


 嬉しそうな声と共に、青い顔をした由香が教室の前を走って行く。病的なまでに喜びに染まった顔は、すぐに闇の向こうへと進んでいく。


 その瞬間、三人は無言のまま教室を飛び出してた。多少の足音は着信音がかき消してくれることを祈って、どうにか階段まで走る。


 「……先輩のだ」


 階段の踊り場まで下がったところで、上の階からボソボソした声が聞こえてきていた。


 「……耀子先輩、どこにいるんですか? 私……頑張りました……」


 その瞬間、険しい顔の耀子がスマホを切った。そのまま電源までも落としてしまう。


 「あああああ!!! 耀子先輩ッッ!! どこですか!? 私、頑張りましたよ! これ以上先輩が汚れないように……! なのに……どうして無視するんですか!? 先輩もあいつらみたいに私のことを影でバカにして笑っていたんですか!?」


 三階から響き渡る絶叫を、真名は無言で聞いていた。耀子の表情は驚くほどに変わっていく。悲しそうに、そして泣きそうになって……最後には怒るような顔をしていた。


 「許さない……許さない許さない許さないゆるさないユルサナイユルサナイユルサナイィィッ!!! 耀子先輩も春美も真名ちゃんも……どうして私ばっかり苛めるの? ユルサナイユルサナイユルサナイ……」


 続いて響く破壊の音に、真名は思わず息を飲んでいた。由香が包丁を手当たり次第に突き刺しているらしい。


 「……約束を守って貰おうかしら」


 それを、耀子は作った無表情で無視していた。真名にはそれが、とてもつらそうにみえた。


 「……分かりました。たぶんですけど、私の未練は真名になります――」

 「――安心なさい。別に闇討ちなんてしないわ」


 二人の間の会話はそれだけだった。怒り狂った由香が階段を降りてこないことが分かるや、真名を置いてきぼりにして頷き合っている。


 「……バットは置いて行きなさい。あの赤い女は恐ろしく強いけど、トドメまではささずに人間を職員室の箱に仕舞うの。死ぬのは仕舞われた後よ」

 「……つまり、戦うよりも遠くまで逃げた方が、かえって無事で済む可能性が高い、と」

 「付け加えるなら、由香を探しなさい。赤い女は意地でも獲物を箱に仕舞うから、それを邪魔する悪霊も薙ぎ倒してくれるはずよ」


 ニヤニヤ笑いながら優しいところもあるんですね、と絡む凛子に、その方が鍵を取ってこれる可能性が高いからよ、と否定する耀子。真名にはとても見ていられなかった。


 「それじゃ、真名。……また明日ね!」


 心が一杯になった真名には、グシャグシャの顔で頷くのが精一杯だった。






 そして、真名は職員室に忍び込んでいた。鍵の場所は分かっている。分かってはいて……だが、思わずそれに目を奪われていたのだ。


 職員室の机は脇に寄せられ、空いたスペースに鎮座するのは人一人入れそうなほどの木箱だったのだ。何か宗教的な意味があるのだろうか。真名の腰ほどの高さがある四角い箱には、梵字がびっしりと書き込まれている。


 真名の背筋を冷や汗が伝った。噎せ返りそうなほど部屋中に染みこんだ鉄臭い悪霊の香りに……ではない。白い布の被せられた箱は、どうみても棺桶(・・)にしか見えなかった。だが、それだけではない。


 ………………………………。


 「……っぅ…………!」


 その箱からは、明らかに何者かの気配が漂っていたのだ。中にいる。真名の視覚以外の感覚が、それを絶叫していた。鉄臭い臭い。風が通る音。生暖かく粘つく空気。そして、じっとりと熱を帯びた何者かの視線。真名は明らかに、棺桶の中の誰かに見られていた。それどころか、じわりじわりと、真名へと近づいて来ている気さえして。


 真名はそれから目を逸らすように戸棚を開けて鍵を取ると、一目散に部屋から駆け出していた。だが、真名の脳裏を棺桶が離れない。いや、それどころか、鎮座した棺桶の蓋がズレ、そこから何かが這い出す嫌なイメージが全身に広がって――


 「――お疲れ様」


 闇の中から耀子がぬっと現れ、ようやく嫌な感覚を振り払うことができていた。耀子は別に突然現れたわけではない。ただ、部室の壁に寄りかかって佇んでいただけ。


 「あ、あれは何なんですか!?」


 真名はそう尋ねざるを得なかった。だが、返事も聞きたくなかった。


 「車箪笥(くるまだんす)よ」

 「…………え?」

 「……大昔に使われていた金庫みたいな物よ。よく見ると箱の下に車輪がついていて、押して動かせる様になってるの。書いてある梵字は、サンスクリット語で中の物が無事でありますようにって意味らしいわ。まったく、仏教用語で神道の願いを込めるなんて、神仏習合ここに極まれりよね」


 真名は呆気にとられていた。近づいて来ている気がしたのは、勘違いではなかったのだ。真名が職員室に入ったことで風の通り道ができ、それで悪霊の臭いや棺桶が近づいて来たのだろう。


 ……だから、何者かの視線については考えないことにした。


 そして、耀子はそのまま部室の鍵を開ける。


 扉は呆気なく開いた。由香のせいだろうか。鉄臭い臭いが残る中、耀子は無遠慮に中へと入っていくので、真名も慌ててそれについていく。


 幸いなことに大きな窓があるせいで、部室は廊下よりも少しだけ明るかった。机や椅子に本棚も昼に来たときのままで、特に変わったところはない。3つあったロッカーはいずれも扉が閉じている……


 「これで、調べてないのはこの箱だけか……」


 耀子はいらだたしげに秘密箱を指で小突いていた。真名はその背中に声をかけようとして、転んでいた。いや、つんのめったという方が正しいか。強い力で勢いよく床に倒れ込んでしまい――


 「――真名ァ?」

 「……え?」


 ――閉まる喉に絶える呼吸。思わずキョトンとなってしまう。春美が、真名に馬乗りになっていた。視界の隅にちらつく、開かれたロッカーの扉。


 「オ別レノ時間ヨネェェェ!!? 準備ハイイィ!?」

 「あぐッ!?」


 昼に来たとき、ロッカーはたしかに開いていた。だが、この部屋に入ったとき、ロッカーは閉まっていた! なぜ? 答えは、中に誰かが隠れていたからだったのだ!


 「くっ!? こんなところにいたのね、どこまで性根がねじ曲がっているのよアンタは!!!」


 気づいた耀子が慌てて真名の首を絞める手を引きはがそうとし……だが、悪霊の力はびくともしなかった。しかし、少しだけ呼吸が楽になる。


 「箱を……壊してください……!」


 必死の叫びに、耀子は一瞬だけ躊躇したものの、秘密箱を勢いよく床に叩き付けていた。箱はバラバラにはならなかったものの、裏側の蓋が拉げてしまっている。耀子は強引にそこから写真を撮りだしていた。間違いない。一番上にあったのは他でもない真名の写真であり……


  「――真名ァァァァ!!!」


 だが、春美は止まらなかった。少しずつ真名の苦しさが遠くなっていく。春美の未練は、真名達の写真ではなかったのだ。

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