16.秘密
その日の6時間目。寮監が教師に話を通したのか、校内放送で耀子に呼び出しがかかる。真名はそれを神秘倶楽部の部室で聞いていた。
今日の最後の授業をお休みしたのには理由がある。
「……私が耀子を追ってこの部屋に入ったとき、あいつは奥の棚を探しているところだった」
凛子と二人で寮監から鍵を借りて、弱みを取り返しに来たのだ。神秘倶楽部の部室は不必要なまでに広い。学校側もそれなりに呪いに気を遣っていたのだろう。一方で、驚くほどに寂しい部屋でもあった。部室は校舎の南にある部屋であり、やや大きめの窓があるが特徴はそれくらいだった。教室で真名達も使っている机とイスが5セットに、開きっぱなしになっているロッカーが3つ。そして、部屋の壁を本棚が覆っている。意外なことに郷土史関連の古書が中心で、オカルト的な物は少ないようだ。
「私はそっちを調べてみる。真名は……」
「……こっちの本棚を調べてみるね」
真名は一番手前にあった1冊を手に取ってみた。背表紙に” 森上地区郷土史研究”と書かれている。古びた紙の香りを感じながら、窓にかざしてみた。だが、見た目とは裏腹に手入れされているのか汚れはないようだ。適当にページを開く。
”第4章 近現代の森上地区
前章で述べたとおりに、森上地区の中世以前の歴史は特に冴えない物であった。最大の原因は森上地区が言わば陸の孤島となっていることである。東を青上山脈に、西を物延山に囲まれ、北の森林地帯に至っては現代においても開墾どころか、逆に広がる始末である。挙句の果てに、平家の隠れ里とする説すら存在していることに至っては驚きを通り越して呆れるほかはない。一方で僻地ではあっても森の恵みと小規模ながら温泉があることから、近現代においては戦前における旧貴族の隠れ家としての側面を持っている。明治期に聖エトワール女子高校が設立されたのは、旧貴族達の扱いに困る類いの娘を養育するのに都合が良かったのだろう。初期の女学校においては、キリスト教徒である修道女達以外にも、大願成就の御利益があるとして森上地区で信仰されている森上神社から神職や僧侶が派遣されたとの記録もある。なお、森上神社は正確な起源が分からないほど古く、同時に神仏習合が進んでいるため、その信仰については別項にまとめる。御雇外国人の前でキリスト教の布教を行っているという口実を作りつつ、裏では寺社仏閣の人間を起用することで天皇の、ひいては明治政府の権威を植え付ける。正に和魂洋才といったところか。しかしながら、森上神社については第二次世界大戦時の空襲で陸軍の兵舎を狙った焼夷弾の流れ弾が物延山に落下したことから……”
真名はそこで読むのを止めた。森上地区郷土史研究を一旦本棚に戻し、その隣を手に取ってみた。手にとって……渋い顔になっていた。”森上神社縁起”と書かれた書物は森上地区郷土史研究よりも新しいにもかかわらず、動かすだけでも埃が舞うほど汚れていたのだ。よくよく見れば、ほとんどの本は”森上神社縁起”のように埃にまみれており、どうやらまともに掃除されていないらしい。春美らしいと言われれば春美らしい。
……そう、森上地区郷土史研究以外は。
「真名―。なんか、怪しい箱あったよー!」
「え?」
だが、そこで真名の思考は凛子によって散り散りになっていた。直前まで、何か重要な事に接しているという得体の知れない予感が完全に霧散してしまった。
真名が振り向いた先では、凛子が木製の凝った作りの木箱を振っていた。細やかなマス目や幾何学模様が刻まれた小箱を、真名は偶然ながら知っている。
「……寄木細工だ、これ。中に何か入ってるのかも」
「ふーん? 小物入れってこと? でもさ、開け方が分からないんだよね、これ。ほら」
同時に凛子が箱を真名へと手渡した。たしかに長方形の寄木細工には蓋を開けられそうなところがない。
「秘密箱かな」
「秘密箱?」
「うん。特別な細工が施された寄木細工。仕掛けを順番に動かさないと、開けられないの。ほら、ここのすみっこだけど、少しだけ板をスライドさせられるようになってるでしょ。それからこっちも」
真名が何度か試してみると、おもむろに箱が開いた。凛子が思わず驚きの声を上げる。一方で、真名はがっかりしていた。
「なんも入ってない?」
「……そうみたい」
残念なことに、スライドさせた蓋の中には何も入っていなかった。仕掛けに容積を使ってしまっているのか、大きさの割に箱の中はかなり狭い。お土産としては良いのかもしれないが、実用的ではない。
「それはおかしいよ」
「え?」
そう思った真名は、思わず凛子を見返していた。
「だって、私が箱を振ったとき、中で何かが動く感じがしたよ?」
「……あ、秘密箱だから、もしかしたら両面が開けられるのかな?」
改めて箱を手に取ってみれば、表だけでなく裏にも怪しい仕掛けが幾つかあるようだ。いや、ありすぎた。
「真名、開けられそう?」
「……無理かも」
秘密箱の中には、仕掛けが20以上ある物もあるのだ。真名の言葉に凛子は思わず頭を抱えてしまい……何故か目が据わっていた。
「ふっ、なら仕方ないわね。叩き壊して箱代さえ弁償すれば――」
「――でも凛子ちゃん、複雑な秘密箱って、その分高価で……」
「――うぐ。ま、まぁ伝統工芸を手荒く扱うのも悪いし?」
凛子の中では、さっきまでぞんざいに扱っていた秘密箱が小物入れから骨董品にランクアップしたらしい。目に見えて扱いが丁寧になっていた。真名が他意なく、本当に他意なく凛子を見ていると、凛子は何故か恭しくも箱を机に恭しく安置していた。そこで真名も自分の感じた直感を切り出そうとして……
「朽葉さん、いるんですか?」
部屋の外から響く聞き覚えのない声に、真名は思わずヒヤッとしていた。同時に鍵をかけていなかった部室の扉が開く音がし、凛子が握り拳を固め……
「……文香ちゃん?」
開けたのは、悪夢に閉じ込められていた二人の内の無口な方だった。中途半端に伸びた髪が陰気な顔立ちを作り出している彼女だったが、妙に焦っているような空気が漂っていた。
「……祟られたいんですか?」
「どういうこと、かな?」
「……私、実は霊感があるんです」
普段なら臆病な真名でも一歩引いてしまうその言葉。だが、今の真名には何とも思えなかった。
「勘違いしてました。てっきり、朽葉さんも川井さんも、同じ”視”える人なんだと」
少しだけ滑舌が悪いその言葉は、何か大事なことを伝えようとしていて、でも上手く伝える方法が分からず悶えている。続きを促す凛子とは対照的に、真名は話しやすいよう微笑みかけていた。
「この学校、放課後がヤバいんです。先生達が戸締まりに敏感なのも納得です。朝日が昇ってから最後の授業があるまでは平気です。でも、最後の授業が終わって”放課後”が始まってしまうと、途端に霊が湧き出てくるんです。今日はもう、時間がありません」
真名は思わずぎょっとなっていた。真名はまだ、明里や文香から呪いを移して貰うつもりだったのだ。思わずスマホを開いてしまう。最後の授業が終わるまで、あと13分しかない。
「ど、どうしよう凛子ちゃん!?」
「落ち着いて真名。とにかく一旦寮に戻ろう」
「……明里なら、既に寮で待ってるはず、です」
慌てて真名は部室を飛び出すと、そのまま電話で寮監に寮に戻ること、そして霊の出現時間を伝えていた。寮監も経験的に知っていたこともあり、ありがたいことに鍵は明日でいいから部屋で立て籠もるようにと言ってくれる。
だが、この時真名はうっかり、秘密箱を部室に置いたままにしてしまっていた。