第九十三話 鎖骨下動脈盗流症候群1
「治癒師の助っ人が欲しいと。それならばシグルド野郎がいるから連れて行きな」
「ありがとうございます、副ギルドマスター」
「あ、依頼の最中に酒は飲ますなよ。絶対だぞ」
ユグドラシルの町の冒険者ギルドは徐々にではあるが落ち着きを取り戻していた。
通常の依頼も元通りに増えて行き、それにつれて冒険者たちも忙しくなる。パーティーの入れ替えもそれなりにあったために、治癒師が足りないだとか斥候職が必要であるだとか、戦士の募集がどうこうという話も増えていた。
どうしても募集にかからない場合にはギルドへ相談となる。ギルドの職員が依頼のランクに応じて直接冒険者へ声をかけることもあった。それでもいない場合にはギルド職員が助っ人としてついていくこともある。
「え? 他に冒険者いないのかよ」
「ああ、ちょっとあいつらの実力的にそれなりの治癒師いないと厳しいかもしれんしな。ついて行ってやってくれ」
「マジかよ……」
大量の事務仕事が残っている状況を見ながらも、シグルドは頷いた。たしかにこの冒険者たちにとってはちょっと背伸びした依頼だとシグルドは思ったようだ。
「シグルドさんもギルドの仕事に慣れてきたみたいですね」
「お、なんだ先生か」
「今日はマグマスライムの素材依頼です。ついでに火薬草も」
「あー、あれはティゴニアまで行かなきゃならんから割高になるなぁ」
「そこをなんとか」
ギルドへ素材依頼を出しているとシグルドが治癒師のいない冒険者パーティーに助っ人で駆り出される場面に遭遇した。Bランク程度のパーティーであり、治癒師の募集に誰も応募してくれなかったようだ。
フリーランスの冒険者は多い。しかし治癒師はすこし少な目であろうと思う。それは治癒師自体が単独では攻撃力をもたないために固定のパーティーを好むからだった。そのためフリーランスの治癒師は戦士などと組んでいることが多い。一時期のミリヤがそうだった。治癒師一人での募集は、集まらないことが多い。
「先生、変わってくれよ。俺は仕事が忙しくてさ」
「あいにく僕も忙しいので無理ですね」
「てめえ、この野郎シグルド野郎。パーティーの助っ人もギルド職員の立派な仕事だろうが!」
実際にギルドの職員の半数以上が冒険者をしていた人間で、その中でもほとんどはギルドでの仕事だけではなく定期的に世界樹を登ったりなどの活動をしている。収益がほとんど見込まれない危険な場所の調査など、冒険者にとって有益ではないものはギルドの職員がすることが多い。
治癒師の補充役はシグルドに回ってくることが多いようだった。
「あのパーティーには少し早いんじゃねえのか、この依頼は」
「だからお前がついていくんじゃねえか。しっかりやってこい」
「へいへい、分かりましたよ」
「途中で酒飲むんじゃねえぞ」
しぶしぶと言った顔でシグルドは出ていった。しかし、本心ではあのパーティーのことを心配しているのだろうなと、僕ですら思う。ジャックはそこのところをよく分かっていて、シグルドがついていったことで何も心配していないようだった。通常の業務に戻って僕の素材依頼を受理する。ある程度権限がある副ギルドマスターの彼が受付をすることで色々とスムーズに動いているのだとか。たしかにいちいち上司にお伺いを立ててたら仕事にならないからな。
「ところで先生。例の「敵」について親父が色々聞きたがっていたんで、時間があるならマスタールームに寄ってってやってくれ」
「ああ、分かりました」
ヴェールと同様の魔法人形と思われる白い男や、今回初めて目撃された赤い男の情報について冒険者ギルドでも情報が欲しいのだろう。とは言っても、知っていることはほとんど伝えている。話せることと言えばメルジュが開発した魔力遮断水の詳しい構造くらいだ。
結局、あまり有効な事は教えられなかった。
***
「裏切りものめ!」
ある崩壊した町のある建物の中には四人の人が集まっていた。いや、彼らはすでに人ではなかった。
「セイがユグドラシルの町へと戻ったことは確認している。では、何をしていたのかというのと、何故奴らが我々に対して有効な対抗手段を持っていたかというのが問題だな」
「コク! そんな事はもう問題ではない! 問題なのはセイが裏切ったということだ!」
「待てセキ。裏切りが決まったわけではない。ここは冷静になれ」
「そんな事を言うのは、お前はもともとセイの身内だからだろうが! そうでなければ今頃こいつの首は竜に噛み千切られていた! 違うか!?」
セキの言うことに一理あるとコクは本能で理解してしまっていた。たしかに相手がセキやハクであれば今頃は激情のあまりに首を飛ばしていたとしてもおかしくない。
「お前の言うことはたしかに一理あるが、どんな時でも冷静になるという事は悪くないはずだ。特にこんな時はな」
「冷静になどなれるか!?」
「裏切りではなかった場合には後悔しか残らん。そのくらいは分かるだろう。もちろん裏切りが事実だとすれば煮るなり焼くなりすればいい。俺は止めん」
手足を拘束されたセイは椅子に座らされている。この町に帰ってきたところをコクに捕まったのだ。セキとハクはなんとか王都周辺から逃れてきた。しかしその手下たちの数は激減し、中には同士討ちによって死んだ魔物やアンデッドたちも多い。
セキもハクもそれを止めようとしたが、魔力が上手く構成できなかった。なんとかもともと自分の身体の中にあった魔力を使って霧の外に出たのであるが、二人ともに人をやめる前はただの村人であり魔力などほとんど持っていなかった。
「主の無念を忘れたでござるか?」
「…………」
「セイ、何か言うでござる」
「うるせえ、その口調をやめろ!」
セイは無言を貫いている。それは肯定とも否定ともとれた。セキやハクにしてみれば使命を全うする前に死にかけたのであり、許せないだろう。だが、コクにとってセイは身内だった。
「セイ、俺は兄に誓った。あなたを護ると。だから、裏切りなんてしていないと言ってくれ」
「…………」
「何も言わないってことは、裏切ったってことでいいんだな!?」
「待て、セキ」
「…………」
「兄の無念を忘れたわけではないだろう? 復讐はどうするのだ? 恋人を殺されたお前が、そう簡単に復讐を忘れられるのか?」
セイは最後まで何も答えなかった。
「俺が責任をもって逃亡などはさせない。だから、この件は俺に任せてくれないか」
コクは初めてセキとハクに向けて頭を下げた。次の作戦にはコクの使役する竜たちを前面に出す。風竜が霧を吹き飛ばしてくれるはずであるし、他にも霧の対策を考えねばならなかった。
「たしかに、仲間割れしている状況じゃないでござる」
「後顧の憂いを絶つ、という考え方もできるんだぜ?」
「セイには何もさせない。俺の顔に免じて預けてくれ」
セキとハクの二人が建物を出ていき、コクはセイの許に戻る。その顔に表情はなかったはずであるが、もの悲しさがにじみ出ていた。
「……ねえ、私もね」
聞こえていたが、コクは答えなかった。
「あの時、あの人を助けたいと、心の底から思ったのよ」
それは、助けられなかった兄のことだとコクには分かり過ぎるほどに分かっていた。




