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第九十二話 ナットクラッカー症候群4

「なんだあの軍隊は!?」

「おい、ハク。口調がもどってるぞ」

「セキはうるさいでござる!」

「まあ、しかしこれは戦略的撤退だな。あれをどうにかしない限り、王都は落ちない」

「くそっ、くそっ!」


 ジェラール=レニアン率いるユグドラシル領軍が王都に到着したことでそれまで防戦一方だった籠城戦は一気に戦局が翻ったという。

 王都を取り囲む魔物たちの大群へとユグドラシル領軍が突撃した。その進む方角の魔物たちは蜘蛛の子を散らすかのように逃げ出し、それを阻止しようと高位の魔物が領軍へ襲いかかろうとしたが、なぜか攻撃もできないままに領軍の突撃に巻き込まれたという。魔物たちは領軍の侵攻を止めることはできなかったし、その意思が感じられなかったと目撃者は証言した。

 特殊な水魔法部隊が先頭にいたと言うが、それが何をしていたのかは分からない。ただ、王都に集まった魔物たちの結束を解く何かをしたのは確かだった。


 魔物たちやアンデッドたちを率いていたのは各地で目撃情報がある赤や白の服に身を包んだ男たちであった。彼らはユグドラシル領軍への魔法攻撃を行ったのであるが、これが不発に終わる。すぐさま撤退を決めた男たちは魔物たちを引き連れて南へと後退していった。

 損害をほとんど出さなかったユグドラシル領軍であったが、これを追うことなく王都へ進駐し王都民から熱烈な歓迎を受けた。それほどに王都は陥落寸前だったという。




 ***




「本当に良いのか? これは未だかつてない手柄だ」

「こんな事で注目されたくないのですよ。褒美がもらえるのであればユグドラシル領としてもらってください。僕はいりませんから」

「だが、メルジュが開発したとはいえ、根本的な発案はシュージではないか」

「むしろ誰が発案したのか分からないようにしておいて下さい。奴らにばれたらメルジュさんも危険になるかもしれませんし。あ、でも領主様から褒美があるのであれば遠慮なくいただきますよ」


 魔力遮断水を霧状に噴射する魔法というのは意外と簡単にできたようで、領軍の中で水魔法が得意な部隊を編成し、先頭に立たせて噴霧し続けたらしい。

 メルジュが開発したのは魔力遮断水の粉だった。その粒子というのはアスベストほどに細かなものではなく空気中には霧散しないが、水に溶けるという性質を持っていた。

 風と水の魔法で混ぜ合わされたのちに霧状に広がった魔力遮断水の効果はてきめんで、正気にもどった魔物たちは大混乱して潰走した。高ランクの魔物たちもこの霧の中に入ってしまうと戦意を喪失して逃げていく有り様だったようだ。

 魔物たちを率いている男たちも目撃された。彼らが魔法を使えば領軍にも被害があったかもしれないけど、魔法を使う前に霧で包んでしまったのが功を奏したらしい。特に被害はなく、ユグドラシル領軍は王都を救った英雄たちとして王都に迎え入れられた。追撃がなかったのは持ち込んだ魔力遮断水の残りが少なかったからだとか。レナに持っていってもらったたくさんの樽でも王都を包囲するほどの大群相手ではすぐに尽きてしまうのは明らかだった。


 しかし、ここまでうまくいくとは思わなかった。つまり彼らは特殊な魔法を使って魔物たちを洗脳し、そして彼ら自身も周囲から魔力を大量に取り込むことで魔法を行使しているというのが証明された。対策としてはこれ以上ないものができたと思っていいだろう。


 だけど、次はやつらも対策をしてくるに違いない。少なくともあの霧が魔力を遮断してしまうという事はばれたはずだった。次は霧を吹き飛ばしてくるはずで、その対策も考えるようにとランスター=レニアン領主には伝えておいた。


「さあて、用事も終わったことだしローガンのところに行こうか」

「ねえ、ローガンに何をさせてるの?」

「え? 別に何をさせているわけでもないけど、ローガンがあの病気に対してどんな風に取り組むのかが知りたくてね」


 あの病気とはリンクのナットクラッカー症候群の事である。いまだに背部痛と血尿が続いているのだとか。もしかするとこのままでは腎臓に障害が残ってしまうかもしれない。早いところ検査を行いたかったのだけども、リンクは頑なに検査を拒んでいた。


「早く治療した方がいいんでしょ?」

「まあ、そうなんだけどね」


 レナの懸念はもっともである。だけどナットクラッカー症候群に対して手術というのは、教科書では見たことはあっても実際にしたという話はあまり聞かない。僕も見たことはなかった。


「たぶん……」


 ローガンがなんとかしてくれるんじゃないかな、と期待していたりする。無理かもしれないけど。




 ***




「だから! なんで治療どころか検査も受けないんだよ!?」

「…………」


 開店前のライヒさんの店に行くと、そこにはすでにローガンとマインがいた。おそらくはリンクを説得しているのだろう。ライヒさんも心配しながらその光景を見ている。


「ちょっと血液をとって治療が必要かどうかをみてみるだけでもいいだろ!?」

「…………」

「ねえ、なにか言ってくださらない? さすがにだんまりじゃ、私たちも何て答えればいいか分からないわ」

「あー!! もー!!」


 我慢が苦手なローガンは地団駄を踏む。説得は完全に逆効果を呈し、リンクは甲羅に引っ込んだカメのように何も言わなくなって店の掃除を続けていた。


「ローガン、そこまで。さすがにリンクが困っているよ」

「あっ、先生! こいつもうだめだぜ! 何言っても反応すらしやがらねえ!」

「こら、こいつとか言わないの」


 これはだめだ。ローガンが特別傲慢な考えを持っているというわけでもないけど、せっかくの善意を払いのけられた時の悔しさというのは僕も理解できる。だけど、それじゃダメなんだという事は帰ってから説教しなきゃな。

 人によっては善意の押し付けというのに拒否反応を示す人もいる。相手のことを思いやるのならば、自分基準で考えてはいけないという事をローガンに教えるいい機会だろう。単純な知識や技術以外に、こういった事は重要である。


 だけど、リンクの考えというのも聞いておきたかった。これだけライヒさんや僕、そしてローガンやマインまでが説得したというのに反論すらなく拒否するだけなのだ。なにかしら理由があるだろう。


「どうしても駄目なんだね」

「……はい」

「ちなみにさ……」


 僕は、さすがにそれはないだろうと思わないでもなかったけど、他に理由も思いつかなかったためにある仮説を立ててみた。




 ***




「それで、リンクに手術は必要なかったのね」

「そうだね、一件落着だよ」


 リンクはなんとか手術をせずに体重を増やすことに成功してナットクラッカー症候群は改善した。

 もしも手術をすることになったら、後腹膜こうふくまくにある左腎静脈ひだりじんじょうみゃくを足の方へとずらす手術を行わなければならなかった。

 それは腎臓にかなり障害がきて、腎機能の低下や腎臓で生成されるエリスロポエチンという血を作るために必要なホルモンが低下していれば行うことになっただろう。だけど、血液検査を魔法で行うとリンクはまだそこまで重症というほどでもなかった。


「まさかね、血液検査を拒んでた理由があれとは思わないわよ……」

「ローガンには絶対に言っちゃ駄目だからね」

「分かってるわよ」


 仮説を立ててみた僕も本当にそうだとは思わなかった。もっとこう、宗教上の理由で採血は行えないだとか、自分はもう生きていく価値がないと考えていただとか、真っ当な理由があると思っていた。いや、これも真っ当な理由じゃないわけじゃないけど。


「ローガンにばれたらあの子また怒りだすわよ」

「だろうねえ……まだまだ一人前には程遠いから」

「私もシュージが何も文句言わないから黙っているけど、一人だったら怒ってるわよ」

「そうだよねぇ」


 僕も怒ってないわけじゃないんだよ。そのくらい我慢しろよ、とも思うよ。でも、人それぞれなんだ。人それぞれ、思いも価値観も違う。でも、そのくらい我慢しろよ。



「まさか、針が怖いから採血が嫌だったなんてね」



 理由が分かったためにレナに昏睡コーマをかけてもらってから採血したのだった。

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