第九十話 ナットクラッカー症候群2
王都と言っても僕らは王都に用があるわけでもないし、ユグドラシルの町からは馬車で何日もかかる。魔道具による通信がないわけではないけれど、それはかなり高価なもので冒険者ギルドや領主の館にあるくらいで、普段は使用されてはいなかった。
だから王都に近づくなと言われても、そもそもレナの転移でもなければ近づけないわけで、ヴェールは何がしたかったのだろうか。
「むしろ、止めて欲しかったのかもしれんな」
一応はギルドマスターであるロンのところに報告へと言ったらそんな事を言い出した。そう言われればそうかもしれない。
「領主のほうにも伝えておこう。とは言っても我々が王都にむけて何かをするというわけではないが、情報を集めておくくらいのことしかできん」
「それで十分です。ありがとうございます」
ここのところユグドラシルの町は大変な事件がたてつづけに起こっている。他の町で何かが起こるとしてももう巻き込まないで欲しいと思うのは僕だけじゃないはずだった。
「しかし、その話が本当だとすると、ヴェールとやらはあのアンデッドたちを率いていた白い男とつながりがあると見て間違いなさそうだな」
「本当だとすると、ですけどね」
もうひとつ問題があった。それは何故ヴェールが僕らに王都に近づくなと言ってきたのかという事である。
白い男も魔法人形だとして、ヴェールがその仲間であるならば情報は伏せておいたほうがよいのだ。しかし、あえて僕らが近づかないようにと警告してきた。ヴェールはどちらの味方なのか。
***
「王都近辺で魔物の襲撃があったそうだ」
その知らせを聞いたのは数日後だった。僕はリンクの治療をどうしようかと悩んでいた昼頃のことである。あれからリンクは診療所にくる気配がないし、今夜あたりにもう一度あの店に顔を出すべきかどうかを考えていたところだった。
「大量の魔物とアンデッドが王都の周囲に現れたらしい。周辺の村がいくつも焼かれているとか」
「これはもはや戦争だ」
「地図を見てみろ、この前滅ぼされた町って王都への非常時の補給路じゃないのか」
「しかし、いったいどこから……」
大群だということだけが伝わる。詳細は全く分からなかったけど、領主館から次期領主ジェラール=レニアンが率いる救援の騎士団が派遣されたようだった。強行軍だとしても王都まで十日くらいはかかってしまうのではないだろうか。
王都に魔物がつめかけたようだったが、陥落はしていないとのこと。籠城戦はどのくらいまで持ちこたえられるのかは分からない。
「なんか、活気がなくなっちゃったね」
「そうだね」
ギルドの酒場は基本的に人が多い。冒険者たちは依頼を達成したあとには打ち上げをするし、依頼がなくても飲んでいる奴らもいる。基本的に陽気な彼らだが、さすがに魔物による王都襲撃の知らせは気になるらしい。
通信用の魔道具が使われるのはそう多くない。貴重な魔石を消費しなければならないし、魔道具自体の数が少なく、相手も同型の魔道具を持っている必要がある。
冒険者ギルドでも主要な都市にしか置いてないらしいし、基本的には王都から各都市に通達などをする場合には非常に短い文となる。詳しい戦況などわかるはずもなかった。領主館に来た情報は一般人の耳には入らない。
「おう、先生。ライヒの所に話を聞きに行ってくれたんだってな?」
「ええ、いただいた分はマスターにツケておきましたから」
「マジか」
「冗談です。ライヒさんがごちそうしてくれました」
酒場に入るとシングが暇そうにしていた。ギルドの酒場のテーブルは埋まっていても、どこかしら元気のない冒険者たちは酒の消費量が少ないのだとか。他のスタッフたちだけでも十分回せるようで、シングはカウンターの奥で料理を作る当番だったが注文が途切れているらしい。
あの高級店のマスターはライヒという名前で、昔は冒険者を引退したシングとともに修行をしていたこともあったのだとか。シングはその後冒険者ギルドの酒場を運営してみないかと言われて今の職場へ、ライヒは何店か修行を重ねたのちに自分の店を出したという。これまであまり交流はなくなっていたらしいけど、僕の噂を聞きつけてシングの許を訪れたということだった。
「治療はなんとかなりそうなんですけどね、本人に受ける意思があるかどうかが問題なんです」
「あぁ? なんでだ? 治してもらえるなら治してもらえばいいじゃねえか」
「まあ、普通はそう考えると僕も思っているのですけどね」
あまり仕事の内容を詳しく話すわけにも行かない。僕とレナはテーブルについた。今日はここで夕飯を食べようという事になったのだ。
二人での食事になるかと思っていたけど、ここは冒険者ギルドの酒場であって知り合いは非常に多い。入った時は気づかなかったけど、特に向こうのテーブルにはノイマンとミリヤが座って食事をしていた。それに、もう一人。あれはフォンじゃないか?
「で、ミリヤさんにお聞きしたいのはパーティー内恋愛をどう思っているかということでして」
「えぇ!? そ、そんな」
「だって、ノイマンさんと付き合うためにパーティー解散するなんて普通はできないでしょ」
「そ、そんなことはないと思うどなぁ。というかあれは勢いで……」
「生活かかってますからね。あ……ミリヤさんクラスになれば生きていくことなんて余裕だからか!」
「え!? いや、そうでもないよぉ」
だいぶミリヤが押され気味である。そしてノイマンは空気。普段はそんな会話なんて聞こえないくらいにうるさいのだけど、なぜか聞こえてしまった。
「なんかあのテーブル、大変なことになってるわね」
「ち、近寄らないようにしとこうか」
こんな時はおいしいものでも食べて気分を変えるしかない。となりのテーブルの冒険者たちは明日にユグドラシルの町を通過する予定のダリア領の兵士たちの事を話している。もっと他に話題はないものか。聞かなかったことにしてエールを飲んだ。
「ねえ、それでヴェールのことだけど」
ユグドラシルチキンのローストが運ばれてくる前にレナがそう切り出した。やっぱりレナもその話になるよね。
「どうするの? 何か考えてるんでしょ?」
「うん、よく分かったね」
さすがに王都には知り合いはいないけど、西方都市レーヴァンテインも含めて僕は知り合いに不幸にはなってほしくない。もし魔物の襲撃を止めることができるのであれば協力は惜しまない。
ただし、人間には役割というものがあると思う。僕は今はこのユグドラシルの町で医者をやっているんだから、その職務を放棄するというのはナシだ。
「そろそろ、メルジュさんが魔力を遮断する水を開発してくれるよ。たぶん、白い男たちは魔力で魔物とかアンデッドとかを従わせているからね。遮断してやれば逃げていくさ。レナ、申し訳ないけど出来上がったら王都に向かっているジェラール様に届けてくれないかな」
「いいわよ、ついでに雨にして振らせてきてあげる」
「それは他の誰かに任せてさっさと帰ってきてね」
レナにこの戦いに加わってほしくなかった。僕もできる限り遠慮したい。
「僕は医者であって勇者じゃない。世界を救うなんてことは神様に特殊な能力をもらったやつにでも任せておけばいいさ」
そんなやつがいればの話だけど。




