第八十二話 Leriche症候群6
「魔法を遮断する魔道具を改良できないかと?」
「そうです。完全に遮断できなくても構いません。もっと粒子が大きければ吸い込むこともないし健康被害はないのではないかと考えています」
「だが、あれはおそらくは空中に浮遊していたからこそ魔力を遮断できていたのではないですか?」
僕はルコルの魔道具屋へと来ていた。目的は魔力遮断の魔道具の開発をメルジュさんに依頼することである。メルジュさんは手術の後からルコルの仕事を手伝いつつ、技術を引き継がそうとしていた。魔道具の開発というのはあまりできていないらしいが、なんとか周囲の魔力の遮断をしない状況でも作り出せるようにと試行錯誤中らしい。
「世間一般の魔道具師の中には魔力の遮断を行わずに開発している者もいると聞く。そのほとんどが精度がお粗末なものになってしまうため、高品質な魔道具というのは作れないのだが」
「メルジュさんの魔道具はかなりの高品質ですものね」
「完全遮断でなければ魔道具開発には無価値であるから、考えたこともなかったですな。昔、王都の魔道具師が使っていた魔力遮断の魔道具も完全には遮断できていなかったが」
店頭に並ぶメルジュの魔道具というのはルコルが作ってきたものに比べて値段の桁が違う。メルジュはそんな高額でなくてもいいと言ったらしいがルコルが価値に合わせた値段を押し通したとのこと。そのために僕ら平民では手に入れることができないのではないかというくらいの値段になってしまっている。それでも売れ行きはいいらしい。
「完全遮断が目的ではなければ作れなくもないが、空中に浮かせるのは……」
「それは例えば弓矢とかを使って空に打ち上げて、布を開いて落下速度を落とすなんてことをすれば機能しますかね。もしくは城壁の壁とかの高い位置に打ち付けるとか」
「ふむ、そういう事か。その方法ではおそらくはできないが、魔道具単体として独立していなくても、一時的にでも遮断ができればいいということですね」
白い男がヴェールと同じ魔法人形だったとして、おそらくあの魔力の正体は身体の中にあるものではなく周囲から吸い取ったものだ。呼吸をすることで周囲の魔力を取り込み、普通の人間では到達できないほどの魔力量にまで上げている。どちらかというと、魔法人形というよりはサイボーグかもしれない。そう考えるとヴェールはもともと人間だった? あまりにも情報が少なくてこれ以上考えがまとまらないけど、周囲の魔力を遮断したからと言ってもともと持っていた魔力が完全になくなることはないだろうけど、できうる対策はしておきたいと思った。
「できる、かもしれません」
「本当ですか?」
「例えば、液体ならばどうですか?」
「いいかもしれませんね、魔力遮断水をいれた袋を投げつけて濡らしてしまえばいいというわけですか」
「ああ、乾燥したとしても効力が失われるわけではないようにすれば、風呂にでも入らない限りは落ちることはないでしょう」
「魔法で雨のように降らせてもいいですね」
風魔法と使って上空に吹き上げれば雨のようになるだろう。
「レナ、できる?」
「余裕」
「ありがとう、それじゃあメルジュさん。お願いしてもいいですか?」
「ああ、分かりました。おそらくはできるでしょう。それに液体か……もしかすると完全遮断が可能かもしれない」
もしあのアスベストを使った魔道具以外で完全遮断ができるようになるとすればメルジュやルコルたちにとってはこれほどうれしいことはないだろう。何かを開発するような人たちにとってアイデアというのはとても重要なことだ。それは治療法を考え出す医学にとっても同じことなのかもしれない。
ともかくも魔力遮断水ができるのであればいつか白い男と対決することになったとしても有利に事を進められる。普通の魔法使いには影響のないものであれば、戦っている間に雨のように降らせればいいだけのことだ。魔法人形である彼らがもともとの魔力がどの程度のものかは分からないけど、魔力を取り込むことができなくなれば一般の魔法使いと変わらないために互角の勝負ができるだろう。
出来上がった時の費用は冒険者ギルドか領主様に払ってもらうことにしよう、そう僕は思った。
***
「メスをください。……よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
シングの手術が始まった。サントネ親方にもらった人工血管は滅菌処理をしても変形などはすることなく、手術台の上に置かれている。
シングとソフィアの夫婦は手術の説明を受けてショックを受けたようだったけど、それでも最後はお願いしますと言って頭を下げた。
身体の一部に何かを埋め込むという手術がこの世界で受け入れられるかどうかという問題はあったけど、僕の治療のことは冒険者ギルドの酒場ではかなり有名な話になっていたし、シングとしてはそれ以外に治る可能性がないのならば信頼すると言ってくれた。
ただし、手術というのは絶対ではない。死んでしまう可能性があるということは十分に説明した。手術をしなければ足の症状は治らないけど生きていけないわけではない。それでも手術を受けるという意味をシングは理解し、ソフィアも納得した。
「今日はかなり大きくお腹を開けるよ」
「はい」
麻酔はレナ、助手はミリヤとローガン、器械出しはサーシャである。外回りにノイマンとマインがついている。ベストメンバーだった。
腹部正中切開である。今回の目標は後腹膜の腹部大動脈だった。一度腹腔を開けて腸管を全てずらしたのちに背側の腹膜を切り開いた先が後腹膜だった。ここには腹部大動脈の他に腎臓などの臓器があり、腎臓からは尿管が膀胱にまで続いている。
「腸をよけてこの状態で固定しよう」
厚手のガーゼを使って腸管を保護しつつ、手術の邪魔にならないように左側へとよける。後腹膜を観察すると腹部大動脈の形に盛り上がっていた。まずは腎臓に向かう動脈が分岐する部分の周辺を電気メスを用いながら剥離していく。かなり小さな血管はもちろん大動脈を少しでも傷つけてしまうと大出血をするから慎重にだ。
「テーピングください」
腎動脈を見つけ出し、その足側の腹部大動脈を十分に剥離したあとに、大動脈の裏側に曲がった鉗子を通した。五ミリメートル程度の帯状の紐を鉗子で掴んで引き抜く。これで腹部大動脈の中枢側の遮断が可能となった。テーピングを引っ張りながら大きな血管遮断鉗子で血の流れを遮断するのだ。
シングのLeriche症候群の腹部大動脈終末の分岐部分の閉塞は狭い範囲だった。閉塞部分が広がってさらに先の総腸骨動脈から骨盤に向かう内腸骨動脈と足へ向かう外腸骨動脈まで詰まってしまうと再建する血管が増えて術式が変わってくる。人工血管の吻合の箇所が増えてしまうのだ。その分、剥離する範囲も増えるし遮断する箇所も増える。手術の難易度は増えていく。
シングの場合は両側の総腸骨動脈を遮断してつなげばよいので吻合は三か所と、もう一つ下腸間膜動脈という腸にいく動脈もつなげる。他にもこの部分の腹部大動脈から別れる枝はあるが、再建は必要ない。下腸間膜動脈も絶対に再建しなければならないわけではなかったが、しておいたほうがよいだろうという判断だった。
それぞれの血管の周囲を十分に剥離し、テーピングを行った。シングの血管は動脈硬化がかなり進んでおり、石灰化でガチガチに固まっていた。押してもつぶれない箇所がいくつもある。
「レナ。それじゃあ、血をサラサラにして固まらせなくする薬を投与してくれ」
「分かったわ」
僕はこの世界では毒として使われている血液の凝固、つまりは血が固まるのを阻害する薬の投与をレナに指示した。これから腹部大動脈の遮断であり、下半身に血がまったくいかなくなる。その間に急いで血管を吻合してできる限り早く血流を回復させなければならないし、下半身に血がいかなくなったことで心臓の負担が一時的に減る。ということは血流再開時には心臓の負担が相対的に上がることを示していた。薬の少ないこの世界で、それに対応できるだろうか。
「よし、投与して三分後に腹部大動脈を遮断するよ」
僕は大動脈専用の血管遮断鉗子を受け取った。




