第七十八話 Leriche症候群2
「セイが帰ってきていないだと?」
「ああ、ハクがやらかしたあの町に行ってるみたいだ。ユグドラシルっつったっけ」
かつて四人の人ならざる者たちが言い争いをしていた所に、今はコクとセキの二人しかいなかった。ハクとよばれたアンデッド使いは、戦力補充と称して大陸中の墓地を回っているらしいが、もう一人のセイは所在を明かしていなかった。その情報をようやくセキが手に入れたという状況であった。
「あそこは攻め入るのは待つという結論になったではないか」
「どうせいつもの遊びに決まってるがな」
「ふん、軽率な……」
コクは憤りを隠そうともしなかった。かつてはハクとセキの言い争いの調停をしてはいたが、あの時も個人的にはハクの不甲斐なさというのに不満を覚えなかったわけではない。
「ガルーダがやられたという話は聞かねえ。あいつがやられてたら計画に支障が出るとは思うが、さすがにそれはないだろう」
「当たり前だ」
そこまで馬鹿ではないだろう。そしてその実力は普通の人間には及ばない遥か高みにあるはずだった。我らは主の作りあげた最高傑作なのだから。だが、コクには一つ懸念があった。
「見栄を張ってはいるが、セイは一番心が弱い。計画をやめるなどとは言わないとは思うが……」
そう心配しているあんたもなかなかに弱いんだぜ、とセキは思う。
まるで、人ならざる者が、……かつて人であった頃のように。
***
ギルドの酒場は相も変わらず混みあっていた。ここならばどれだけ聴力が良くても隣のテーブルにでもいない限り話の内容なんて分かるわけがない。人が多いが、逆に密談をするには好条件だった。
「さて、ノイマンとミリヤにはまだ言ってなかったね」
ヴェールの事を伝えるために、アレンを含めて三人を集めた。ロンやアマンダ婆さん、それにランスター領主にも相談するかどうかはここで決めるつもりだ。
とにかくも今までこういった事態というのは経験がない。この世界では人と亜人はともかくも、魔物とその他という具合にはっきりと敵味方が別れていたからだ。知性のある魔物というのはアンデッドのリッチなどの特殊な例を除くとほとんどないのである。そして知性があるからと言って敵であると決めつけるわけにもいかない。
「心眼で確認したから、確実だよ」
「本当かよ? どう見ても人間にしか見えなかったぜ」
ノイマンもミリヤも手にとったエールのジョッキを飲むわけでもなく固まってしまった。アレンも酒が進んでいないようである。レナだけが黙々と飲み続けていた。ちょっとペースが速すぎやしませんかね。
「明日、僕たちは郊外に出かける予定なんだけど、そこにヴェールも付いて来るって言うんだ」
「それで、どうするんだ?」
「郊外ならば万が一戦いになったとしても被害は少ないよね。彼女が何者なのか、聞いてみるのが手っ取り早いと思うんだ」
「なるほど」
その時、ギルドの酒場の中がざわついた。それまでもかなりうるさかったはずだが、何かあったようだ。
「見ろ、鳥が入ってきたみたいだ」
アレンが指を指す。梁の部分に留まった黄色の小鳥はまるでこちらを見ているかのようだった。それに注目して何人かの冒険者たちが騒いでいる。
「なんか、この前も入ってきててな。最近はちょっとした風物詩だ」
そんな声と共にテーブルの上には追加したエールが置かれた。レナ以外はまだ飲み干せてないけど。
「あれ? おやっさんが持って来てくれたのか」
「そうだぜ、ノイマン。感謝しろよ」
酒場のマスターがわざわざエールを持ってきたようである。いつもはホール担当に任せてカウンターの中にこもっているはずだけど、今日はあまりにも忙しくて手が回らないのだとか。
「ふー、よっこいしょ」
すでにそれなりの歳になっているマスターだが、それでもロンやアマンダ婆さんの方が上である。しかし、動きはまるで老人だった。
「どうしたんだよおやっさん、調子悪いのか?」
「ん? ああ、ちょっとな」
そう言うとマスターは両側のふくらはぎをさすりながら隣のテーブルの開いている椅子に腰かけてしまった。
「脚がだるくてよ、ちょっと休んだら治るんだがな」
「最近、急に老けこんだんじゃねえのか?」
「うるせえな、すでに年なんだよ」
たしかにノイマンの言うとおりでマスターはこのところ急に老け込んだ印象がある。忙しいはずだが、足がだるくてカウンターのところまでもどれずにいる。少し前まではかなり豪快な人だったと思っていたが、人が変わってしまったかのようである。
マスターが戻らないために、僕らはヴェールの話の続きをすることができない。
「あんた! そんな所でサボってないで、早く仕事しな!」
「分かったよ、母ちゃん! そんな叫ぶなって!」
するとカウンターの奥からマスターの奥さんの怒鳴り声が聞こえた。こちらもかなり豪快な人物である。二人とも昔は冒険者をしていたこともあって、現役の冒険者たちに一歩も引かないつわものだった。このギルドの酒場の名物でもある。奥さんの得意料理はもちろんユグドラシルチキンのローストだ。
しかし、この二人は仲が良くて有名だった。こんなに言い合っているなんていうのはめったに見たことがない。
マスターは奥さんに怒られて、仕方ないとばかりにカウンターのほうに歩いていった。足取りはかなり重そうであるし、どちらかというと痛いのを我慢して歩いているようにも見える。
「とにかく、明日は郊外で……」
僕はこの先を言うことができなかった。酒場の入り口にヴェールの姿が見えたからである。彼女はすぐに僕らを発見すると、こちらのテーブルにやってきて言った。
「皆こんなところにいたんだ。私も混ぜてくれない?」
「あ、あぁ」
これでは詳細どころか一言も明日の事を話すわけにはいかない。僕は他の三人に目くばせをすると三人は頷いた。それをヴェールは参加することの了承と受け取ったようだった。
「じゃあっと、ここに座るわね」
「ちょっと、なんでそこなのよ」
「いいじゃない」
テーブルに備え付けてあった椅子は全て埋まっていたためにヴェールは隣の、さきほどマスターが座っていた余っていた椅子を移動させて僕の隣にやってきた。アレンと僕の間に無理矢理に座ると、店員にエールを注文している。
どう見ても、普通の人間であった。そして普通に食事をしている。しかし、心眼ではその食べたものを消化させる臓器がまるで見当たらない。いや、中で多少は魔力を吸い取っているのか?
「どうしたの、先生? 私のこと見つめて」
「いや、別に見つめていたわけじゃないんだけど」
「誰もあんたの事なんか見つめてないわよ!」
僕をはさんでレナとヴェールはちょっとした事で言い合っていたけど、その日は特に問題もなく食事は終わった。結局、終了するまで詳しい話はできなかった。
「じゃあ、ヴェールは明日の朝に西門に集合ね。ゴブリン捕まえに行くから」
「分かったわ。でも、なんでゴブリン?」
「それはまた明日ね」
あえて、ノイマンたちにも伝わるように言った。これで彼らは察してくれる。そう期待するしかない。
冒険者ギルドの前で四人を見送ると、僕とレナは一度診療所の片づけをすることにした。すでに夜はかなり更けている。明日のこともあるし、早めに帰って寝るべきだろう。
「サーシャさんがほとんど片付けはやってくれてるから……」
やる事は少ない。あとは戸締りをして帰るだけだと思っていたら、出たところで声をかけられた。
「先生、ちょっといいかい?」
「マスターの奥さん? どうしたんですか?」
そこには酒場のマスターの奥さんが立っていた。僕らが出て行くのを見て、声をかけようと思ったらしい。
「ああ、そういや名前を教えてなかったね。あたしはソフィア。旦那はシングって言うんだ」
マスターの名前がシング、奥さんがソフィアさんか。ずっとお世話になってたけど名前は知らずにマスターとその奥さんって呼んでいた。
「ちょっと、うちの旦那のことで相談があるんだけど」
仕方ない。僕はもう一度診療所の扉を開けて、ソフィアさんを中に入れることにした。




