第七十話:仮性脾動脈瘤5
ガルーダの爪というのは人間の大きさ以上のものがある。
ユグドラシルの町の城壁の幅とほとんど同じくらいのそれが、僕たちめがけて振り下ろされたのは攻撃が始まってすぐのことだった。
「下手に攻撃なんかしたからこっちを狙ってきたんじゃねえのか!?」
大剣を使ってその爪をなんとか防いだヴァンが叫んだ。自分の身体よりも大きな大剣よりも大きな爪で襲い掛かってくるガルーダを押し返すヴァンはAランクの戦士である。あまり人数が多くなかった魔法使いたちは逃げ散って反撃に転じようとしていた。
それまで町の上空を飛んでいたガルーダがこちらを攻撃した理由はヴァンの言う通りだろうけど、いつかは襲ってきたかもしれない。
「業火球!」
ランスたちが一斉に攻撃を始めた。だが、あまりにも巨体なガルーダにダメージがあるのかと言うと不安になる。それでも一斉射撃を嫌ったガルーダは一旦上空へと逃げた。ガルーダの羽毛にあたった魔法は爆発はしたものの炎上などはしなかった。翼を一振りしただけで炎は消えてしまった。
「よっしゃ、なんとかしのいだな!」
「馬鹿っ、次が来るぞ!」
パーティーを組んでいるヴァンとランスの連携は悪くない。若干、この部隊を率いているはずのランスが楽観主義なのか、ヴァンがそれをきちんと補っていた。
何度かガルーダは僕らがいる城壁めがけて降りてきては爪で攻撃を仕掛けてくる。たいていは避けるか、ヴァンたち前衛組が攻撃を防ぐという事をしていた。だけど、前衛組は極端に人数が少ないし、避けずに受け止めるヴァンも限界が近い。
対してガルーダにはほとんどダメージがないのではないかと思われた。あれだけの魔法の攻撃を受けているのにだ。それにしてもガルーダは巨大である。その翼を広げると数十メートルにまで達する。
「このままじゃ、やばいかもね」
「ええ、そうね」
僕のつぶやきをヴェールが聞いていたようで返してくれた。彼女はなにやら詠唱に入っている。
「速度上昇!」
仲間のほとんどに速度が上がる補助魔法がかかる。これでガルーダが狙ってきても避けられる可能性が上がった。
「さあ、反撃よ!」
でも、このままでは決定打に欠ける。レナみたいな超強力な魔法が使える者がここにはいないのだ。
「ランス、ロンさんみたいな業火球撃たないとあのガルーダにはダメージが入らないみたいだ」
「無茶言うな!」
「だったら、引きずり落としてヴァンに叩き斬ってもらうか」
「無茶言うな!」
冗談で言ったつもりもないのだけども二人とも反応が悪い。出来ない事をしろと言うつもりは全くないけれども、このままではそのうち負傷者が出てきてしまう。それに攻撃を受ける度に町の城壁も壊れていた。今もガルーダはこちらの隙を見て襲い掛かろうとして上空を旋回中である。
「それじゃあ、ロンさんがやってくるまで耐え忍ぼうか」
「それしかないな!」
最初から攻撃をしかけるんじゃなかったと僕は舌打ちした。思ったよりも状況はまずいかもしれない。
ガルーダが滑空の体勢に入った。
***
「待て! 分かった! 分かったから! うごっ!」
王都のある酒場の入り口でシグルドは力の限りに叫んだ。すぐに居場所を突きとめたジャックから逃げようとしたのだが、あっという間に取り押さえられた上に雷撃を準備した魔法使いが脅迫まがいの発言をしている。あれはジャックのそれをかなり上回る魔力だとシグルドも気づいていたが、現在は地面とキスさせられている状況であり反論すらできなかった。
「もごごごっ!」
「とりあえず、こいつがいなくなれば王都にとどまる理由はないわよね」
「ちょっと待て、もう少しできちんと拘束するから放つならその後だ。私を巻き込むな」
「待てっ! いや、待ってください! アレン様! 本気じゃないですよね!?」
「でも逃げようって姿勢をしたわけだし、説得するなんてもう面倒よ……ね?」
「待ってレナさん!」
どこからかロープを準備してシグルドをぐるぐる巻きにしようとしているアレンを止めてジャックは叫んだ。昔のアレンはもっと常識人だったと思うが、いまはそんな事を確認している場合ではない。
「な、なんだよ急に」
「馬鹿野郎、このシグルド野郎!」
最初はシグルドを探すのにきちんと手伝ってくれていたはずの二人の機嫌が悪くなっていったのは一時間を過ぎたころだった。知っている酒場をしらみつぶしに回ればいつかは見つかるというのんびりした考えをしていたジャックだったが、レナもアレンも気が長いわけもなく徐々に機嫌が悪くなっていったのだ。
そういえば、基本的に冒険者に我慢強い奴は少ないよな……とジャックが思い当たった時には二人の機嫌は最悪となっていたのである。
「もう、魔力回復ポーション飲んで帰るわよ」
「む、節約するのではなかったのか?」
「冒険者ギルドに費用は請求するわ」
「なるほどな」
などと相談し始めた頃から嫌な予感はしていた。それでもそこまで文句も言わずについて来てくれていたのだ。いきなりシグルドを消滅しにかかるとは思っていなかった。
「冗談だよな!? いや、ですよね!?」
「半分は冗談よ」
「半分だけかよ! とりあえず説得しますから!」
「もう強制的に連れていくわよ」
雷撃をレナが納めると、簀巻きにされたシグルドをアレンが担いだ。見た目に反してアレンはかなり力があるようだったが、これは連日ローガンを世界樹の第七階層にまで輸送しているために人を担ぐのに慣れていただけである。
「ぐえっ」
「ちょっと、シグルドは呪いにかかっててですね」
「早くシュージに診せないとな」
「だから、そのシュージって誰なんです!?」
有無を言わせずにアレンとレナはシルクたちの許へと戻っていく。宿の予約をキャンセルする手続きをしている最中に鞄の中から世界樹の雫を飲んだレナはその甘ったるい味に顔をしかめながらも言った。
「もう帰るわ。ここがあんまり気分が良くないというのもあるけど、その人、思ったよりも早くシュージに診せた方がいいみたい」
かくして本日二回目となる転移で一向はユグドラシルの町へと帰ることになった。
ただ、その転移先というのが町の城壁の上だった。
***
「ヴァン! 申し訳ないけど、もう一度だ!」
「お、おうっ!」
城壁の上の魔法使いたちはヴェールの速度上昇で避けることができたために直接掴まれる者はいなかった。それでも風圧で飛び散る瓦礫の破片がぶつかったりして怪我を負う者が少なくなかった。
それに対して前衛組はほとんどが戦闘不能になっている。死者が出ていないのは幸運な事だったけど、ヴァンを除くともう誰もいない。彼も満身創痍だった。回復魔法は追い付かない。
ヴァンの背後に近づき、回復をかける。それで回復した分以上の攻撃がガルーダから繰り出されていた。僕も巻き込まれそうになる。
「先生、危ないから下がってろ」
「ヴァンが倒れたらもっと危なくなるんだよ」
まだ、冒険者ギルドからの援軍は到着していなかった。というよりも思ったよりも早めに壊滅状態に近い。ランスはまだ無事で攻撃魔法を唱えているけど、もう戦えない者も多ければ魔力が枯渇した魔法使いもいた。こんな状態なのに死者が出ていないのは何故だろうかと思うけど、ゆっくりと考え事をしている場合じゃなかった。
「ギルドマスターたちはまだか?」
「援軍の気配はない」
ガルーダの攻撃は爪だけではない。その巨大な翼を使った風圧だけでもかなり動きが制限されるし、瓦礫も飛んでくる。業火球があまり効いていないところを見ると火に耐性を持っているのか魔法に耐性を持っているのか、翼から羽が落ちることは少なかった。
まだ嘴で攻撃してこないのは、単純に城壁の上に留まりにくいからだろう。あまりにもデカい体というのはそれだけで十分な武器となる。
「なぶり殺しってやつか……」
「諦めちゃだめよ、速度上昇!」
ヴェールが次々に補助魔法を唱えた。今まで人数が多くて全員にかけるために時間がかかっていたが、逆に人数が限られてきたために補助魔法は使いやすくなったようだった。しかし、彼女も若干ではあるけど飛んできた瓦礫に傷を負っていた。
「大丈夫かい? 回復」
「ええ、ありがとう」
脚に傷があると機動力が落ちる。僕は彼女の太ももに回復をかけると上空に注意を移した。
「なによ、あれ?」
その時、よく知っている声がした。いつの間にか城壁の上にレナたちが現れたのだ。転移してきたのだろう。
「ちょうどいいところに!」
「説明はあとでしてもらうけど、私はもう魔力がないわよ」
「ノイマン、なんとかならんか?」
「なるわけねえよ、アレン」
軽口をたたく仲間たちを見て、すこし落ち着いた。彼らがいればなんとかなる。
「あれはガルーダだよ。こっちの魔法攻撃が全然効かなくて困ってたんだ」
「ガルーダなんて戦ったことないわね。でも、飛んでいる魔物なら雷撃が効きやすいわ……世界樹の雫持ってる?」
「いや、持ってないよ」
それにレナは王都の往復で転移を二回も使っている。距離もかなりのものがあるし、無理はさせたくなかった。
「仕方ねーなー、ちょっと見てなよ」
すると、レナたちの後ろから出てきた黒色の帽子の男が言った。左手で帽子を押さえながら城壁の上に立つ。ちょうど、ガルーダが滑空体勢に入ったところだった。
杖を取り出すと、その男は言った。
「雷撃!」
杖から飛び出した雷は、ガルーダの胴体に直撃する。一瞬であるけどガルーダの体が硬直した。雷が通ったことで麻痺したのだろう。
「いよぉっし!」
落下していったガルーダだったが、途中で全身を振るわせると翼をはためかせてまたしても上空へとのぼって行った。
「おしかった、もうちょっとで落下したんだがな」
その男はくるりと杖を回した。ガルーダは雷撃を警戒したのか、もうこちらを攻撃することなく南の空へと飛んでいった。
「どうだ、これがSランク魔法使いの実力ってやつだぜ。惚れ直したか、シルク?……って、あれ?」
おそらく彼がジャックなのだろう。そしてジャックの恋人だというシルクは町を救った英雄でもある彼に対してこう言い放った。
「いつもレナさんのばかり見てたからあれだけど、雷撃ってそんなショボい魔法だったっけ?」
どんまい、誰かが言った。




