第五十八話:心室細動1
「先生にしてはやけに急な頼みだな」
「必要になりそうなんだ。お願いだよ、ルコル」
行きつけの魔道具屋に交渉をしに行ったのは、雷の魔道具をお願いするためである。もう何度も手術室や電気メスを頼んだ経緯があるために、僕が奇妙な依頼を出したとしても理由を聞かなくなったこの魔道具屋の名前はルコルというのだというのは、この前初めて知ったことだった。
「構造は簡単だしな、明日の朝までには……」
「今日の夕方までにお願い」
「……分かった、出来上がり次第届ける」
今まではこんな事をお願いしたことはなかったのだけども、僕はこの医療器具が必要になる可能性を感じざるを得なかった。なにせリッチと戦うのである。そのためだったらルコルがぐちぐちと言い続ける不満を聞き続けることも仕方がない。
黒衣の霊体、リッチというのは特別な魔物である。
周囲の死体を利用した死霊術に加えて、周囲のアンデッドを指揮下に加える能力を発揮されてしまうと少数精鋭が良いのか大多数で攻めたほうが良いのか分からなくなってくる。さらにリッチにはその強力な魔法にも注意が必要であり、特別と言われるだけの理由がそこにある。
リッチは、死という魔法を使う。
食らえば即死する、即死魔法である。これを防ぐためには魔法耐性を強化した装備で立ち向かう必要があった。どれだけ手練れの冒険者であってもリッチの前にあっさりと敗北する可能性を残しているのである。ましてや少数精鋭で挑んだ場合にこの死をまともにくらって前衛が死に、周囲のアンデッドたちの数の暴力で後衛がやられるなんてことも想定できた。
魔法耐性は、もちろん魔法が使えない者は弱いに決まっている。そのために最前線にいる冒険者にとってリッチはかなりの脅威であり、魔法耐性があったとしても運悪く死の効果が発現してしまう場合もあった。
かつてレーヴァンテインの近辺にリッチが出現したときには冒険者ギルドの総力を挙げて叩くこととなった。リッチに出会わないように周囲のアンデッドを狩りつつ、最終的にレナの魔法の大火力で動きを止めて、レイヴンがとどめを刺したのである。その時の戦闘では死を使う暇は与えさせなかった。しかし、最初の遭遇戦に巻き込まれた冒険者たちは何名かがこの魔法で即死させられている。
そのために僕もリッチが死を使ったところは見たことがない。死を使われて死んでしまった冒険者たちはリッチの死霊術で僕らに襲い掛かってきた。
「リッチと言えば死を使うことで有名だけど、俺なんかが食らったら抵抗できそうにないぜ」
「ノイマンは無理だろうね……」
「先生、どうすりゃいいんだよ……」
冒険者ギルドではリッチのいる遺跡への討伐が企画されていた。
昨日はアンデッドの襲撃がなかったユグドラシルの町であるけど、町が襲われて住民や衛兵たちがアンデッド化させられたら収拾がつかなくなり大混乱に陥ることは明白だった。そのためにランスター領主とギルドマスターであるロンは遺跡への先制攻撃を考えることにしたのである。
「領主様は周囲の地形が変わっても構わないとまで言ってくれたそうよ」
「地形変えることができるのはレナくらいだけどね」
ノイマンたちのパーティーに僕とレナ、それにロンを加えた七人でリッチを仕留めることになった。僕とレナがリッチとの戦闘経験があるというのが大きい。他の冒険者たちは遺跡の周囲のアンデッドを狩ってリッチのまわりに近づけさせないようにする役割を担う。
「おそらく、最後は遺跡の中での戦いになるだろうが馬鹿正直に内部に入る必要などない。遺跡の入り口付近で出てくるアンデッドを片っ端から片付けて、ある程度の数を減らしてから突入する」
決行は明日となった。今夜は衛兵たちが通常の倍以上の篝火を焚いて遺跡方面を警戒する。
解散となってそれぞれがそれぞれの家に戻る。襲撃時の連絡の方法としては空に魔法弾が上がるとか鐘を鳴らすとかいう方法がとられることになっている。僕らの家はやや遠いために、僕とレナは診療所に泊まることにした。もちろん診療所は本日から休診している。
大発生ほどではないけど、それなりにユグドラシルの町は警戒態勢に入っていた。
「ねえ、シュージ」
「なんだい?」
誰もいない診療所に帰ってくると、簡単な食事の準備をしながらレナが言った。その顔にはやや不安が見えている。
「前にね、レーヴァンテインでリッチと戦ったことがあったでしょう?」
「ああ、あったね」
「私ね、あの時すこし見ちゃったの」
「何を?」
何を、と聞いておきながら僕には思い当たることがあった。それは死霊術で操られていた冒険者たちのことである。
「その、シュージが死体を……」
「ああ、あれは死因を調べていたんだ」
「死因? 死で死んだんじゃないの?」
何も分からなければ僕が死体を切り刻んでいたように見えたのだろう。レナは記憶の奥に封印しておくつもりだったのかもしれないし、あの時は僕が医者だとは言っていなかった。
死んでしまったら生き返らない。だからこそ、一生懸命に生きるのであるし、助けることのできる命は助けるのだ。僕はもう自重しないと決めたのだけど、自信があるかと言われるとそうでもなかった。
***
「出たぞぉー!」
城壁の上で警戒に当たっていた兵士の大声が周囲で休憩していた兵士たちを飛び起きさせる。すぐに魔法弾が上空へと打ち上げられ、鐘を鳴らすために兵士の一人が走っていった。いつでも集合ができるように衛兵や冒険者たちは周囲で休んでいるはずである。深夜とはいえ、夕方から酒も飲まずに待機していた彼らの体調はそこまで悪くはないだろう。だが、翌日に攻撃に移るつもりだったのを先に攻められて浮足立つのは仕方がないことだった。
「なんて数だ!?」
「他の方面には来ていないだろうな!?」
「はやく増援を!」
城壁の上にいた兵士の数をかるく上回るほどのアンデッドがゆっくりとユグドラシルの町へと歩いて来ているのが見えた。いくら量を増やしたとはいっても篝火の光ではそこまで遠くまで見えるわけではない。それにもかかわらず、暗闇の奥からさらに多くのアンデッドたちが集まってきているというのが分かった。
「落ち着いて対処しろ、アンデッドはほとんど自我を持たないから城壁にへばりつくだけだ!」
隊長の言葉で落ち着いた兵士たちはそう簡単に城壁と城門が破られないということを確信する。今、アンデッドたちが見せている歩みであれば、城壁を乗り越えたり城門を破壊することはできないはずだった。たまに弓を使うゾンビのようなものもいるらしいが、視界を埋め尽くすそれらのほとんどは武装なんてしていなかった。
しかし、それらの後ろには確実にリッチがいるに違いなかった。ゆらゆらと歩いて来るアンデッドの軍勢は、それでも整然とした隊列のようなものを組みながらユグドラシルの城壁へと迫っていた。
「鐘がなっているわ」
「やっぱり来たか」
診療所で寝ていたところをレナに揺り起こされる。南側の門の付近ではかなりの数の篝火が焚かれており、深夜であるにも関わらずにそれなりに町は明るかった。そしてその光が照らしているのは城壁の南側から西側にかけてであり、大量のアンデッドの襲来を鐘は告げていた。数回にわたって魔法弾が空へと打ち上げられているのが見える。
「急いで向かおう」
大量のアンデッドが相手であっても、リッチが相手であってもこのユグドラシルの町ではレナが最大戦力と考えていていいと思う。僕は彼女を護りながら戦況を分析するしかない。リッチが出てくるまでに魔力がなくならないように、レナが戦いに参入するタイミングは非常に重要である。
診療所を出て城壁の方へと向かうと、周囲には衛兵や冒険者たちが集まり始めていた。まだ、城壁や城門を突破したアンデッドはいないようであるが、いつまでもつかは分からない。
城壁の上に登ると、南側から向かってくるアンデッドの量に思わず顔が引きつった。
「ちょっと、これって大発生の時の魔物よりもかなり多いんじゃない?」
「まずいね、この量だと……」
見渡す限りのアンデッドがユグドラシルの町へと向かって来ているのである。その数はおそらくは一万は軽く超えるのではないだろうか。大発生の時のように空から襲われることはないにしても、この量だと城壁の周囲に積みあがるだけで城壁を越えることができてしまう。そしてアンデッドはそういう犠牲を払いながらも数で押してくるという戦い方をするものであった。
「城壁に張り付かせるな!」
衛兵隊長が叫んでいた。魔法が使える衛兵や冒険者たちが中心となって遠くにいるアンデッドを撃退していく。しかし、大発生の時のように堀や壁を作っていたわけではないために大量のアンデッドたちの歩みを止めるほどではなく、数の力に屈しそうだった。
「雷撃!」
城壁の上から唱えたレナの大魔法が炸裂する。薙ぎ払う形で雷撃がアンデッドの先頭を歩いていた集団を打ち払った。しかし、その後ろから続々とアンデッドは屍を乗り越えてやってくる。
「これじゃキリがない」
「でも、どうやったら……」
その時に城門が開かれた。出て行ったのは約百騎を率いた騎兵たちである。率いているのは領主の部下であり隊長を務めている騎士団長だった。
ゾンビやスケルトンといったアンデッドはそこまで動きの速い魔物ではない。そしてその力はそれなりに強くても、騎兵に比べれば弱い。つまりは歩兵と同じと考えると騎兵で突撃をすればアンデッドたちに止める術はないはずだった。
「うまく密集していない部分を狙って突撃している。レナ、彼らの行く先でアンデッドたちが多く集まっているところを先に攻撃できるかい?」
「任せて」
囲まれて馬が止まってしまえば、彼らはアンデッドの波にのまれてしまうだろう。そうなれば生還することはできなくなる。そのためにレナに指示して、囲まれないように数を減らしていく。騎兵たちは順調にアンデッドたちに突撃を行い、何度目かの時点で城門の中に入ることを選択したようだった。南側の門から入るとアンデッドたちになだれ込まれてしまうため、東側にまわっていく。
「脱落者はそこまでいないようだね」
「それなりに数は減ったけど……」
城壁の上から見ていると、千を越えるアンデッドたちが騎兵によって倒されたようだったけれども、まだまだアンデッドたちはユグドラシルの町へと迫ってきていた。この城壁の高さであれば、千や二千のアンデッドが張り付けば越えられてしまうのではないだろうか。
ランスター領主が到着したらしく、兵士たちの指揮系統が整っていく。冒険者ギルドの方もギルドマスターのロンが中心となって魔法を使う部隊を編制したようだった。
「朝まで持ちこたえろ!」
ユグドラシルの町にとって、長い夜が始まった。




