第五十二話:尿管結石2
「さて、勢いでここまで来ちゃったけどどうしようかな」
馬車の中には四人の男が伸びていた。おそらくは冒険者としてのランクで言えばCかBくらいの実力はあったであろう者たちであるけど、狭い馬車の中で僕を無傷で押さえつけようとするのにはまだ実力が足りなかったと言っていい。対して僕は結構容赦なく抵抗した。
結果、四人は馬車の中で仲良く失神している。首にある頸動脈洞と呼ばれる血管の周囲には沢山の神経が巻き付いている。その部分を正確に押さえると人間は失神するのだ。秘孔のようなものだけど、これは漫画と違って確実に存在する。ちなみにそこが圧迫されて失神する病気を頸動脈洞症候群という。
そんな医学的知識を基に、ある程度殴って落ち着かせてからそれぞれ失神させたわけであるけど、馬車の御者がこの騒動に気づているのか気づいていないのか、止まることなく東へと進んでいる最中なのである。
「この風景、どこかで見たことがあるんだよね」
東に向かっているのである。目的地はそれぞれあるだろうけど、明らかに前に見たことのある場所を通っているようだった。つまり、あの場所に向かっているのかもしれない。少なくとも、近くを通る。
「ダリア大空洞近くの砦?」
あまりいい思い出のある場所ではない。大発生が起こった時に治癒師の数が足りないからと応援に向かった場所だった。その場所で、本来は助けることのできたはずの兵士の治療を邪魔されて、結局その兵士は死んでしまったと聞いた。ただし、助けるためには足の切断が必要だった。この砦でできる治療でもなければ、この世界で義足で生きていくということがどのような事なのかくらいは理解している。
「とりあえずは僕をさらった動機が知りたいね」
完全に失神してしまった四人からは情報を聞き出すことができそうにない。起こしても御者にばれずに尋問することは難しいだろう。御者に何かすれば馬車が横転してしまうかもしれない。運転中にいたずらをするのはよしておこうと思う。
ならばどうしようかと考えて、僕は御者にばれないように馬車から飛び降りることにしたのだった。
***
「シュージらしき人物も、ユグドラシルの町からさらってきたと思われる人物も馬車の中には見当たらなかった」
「じゃあ、シュージはどこにいるのよ?」
「囮の馬車を使われたのかもしれない、しかし、こっち方面に向かう馬車はひとつだけだったはずだ」
砦から少し離れた場所で、アレンはレナたちと合流することに成功していた。すでに砦の内部を簡単にではあるが偵察してきた後である。斥候業でSランクのアレンにとって、大発生の予兆が全くない状態の砦に侵入することは容易であった。
「馬車に乗っていたのはここの兵士たちだったな。会話までは聞こえなかったが、上官からかなりの叱責を受けていたようだ」
「任務に失敗したってことかしら?」
レナがつれてきたのはノイマンとミリヤ、そしてアマンダである。アレンのパーティーを運んだと言ったほうがはやいかもしれない。このメンバーが最も信頼のおける者たちであり、シュージがひょっこりと診療所へ帰ってきた時のために数人は残ってもらっている。
「ギルドにも工房にもいないんだから、シュージが連れ去られたってのは可能性としてあると言えばあるんだけども……」
「そう簡単にさらわれるようなやつではあるまい」
「あー、先生って意外と力あるしな」
砦に望遠魔法を使って様子を伺っていたアマンダが帰ってきた。
「いーひっひ、少なくとも外からじゃあシュージがいそうな気配はなかったさね」
証拠もなく乗り込むというのはちょっと無理だろうという判断にならざるを得なかった。特にアレンはユグドラシル領の領主の息子であり、外交問題にもなりかねない。誰かをさらったというのが本当であれば正式に領主館を通して抗議をすればいいのであるが、それもできそうにない状況であった。
「手際は良い、証拠も残していない」
「さらにはアレンすら撒くほどの計画性ね」
どこかで完全に馬車を入れ替えたのだろう。もしかしたらダリア領ではない別の場所が目的地なのかもしれない。
ここにいてもいいのだろうかと思うのだが、だからと言って他に探す場所のあてがあるわけでもなく、アレンたちは遠巻きに砦の観察を行うことしかできなかった。
「とにかく、俺がもう一度潜入してこよう」
「任せたわ」
手掛かりは砦の中にしかない。アレンはそう思うのだった。
***
「ふざけるな! 逃げられただと!?」
優秀な兵を遣わしたというのに、任務は失敗であった。しかしそれは任務というほどのものでもない。内情を知るものがいれば単なる逆恨みであり、さらに言えば越権行為ですらあった。砦を統括しているのは気の弱い部隊長であって、ラッセンに強く言うことができていない。
「あやつのせいで、私はこんな所にいるというのに……」
砦の中で激昂しているのはラッセンという名の治癒師である。以前はそれなりに高い地位についていた治癒師であった。大発生の際には領都から治癒師の一団を率いてこの砦に派遣されたこともある人物である。優秀な回復魔法が認められ、彼の人生はそれなりに順風だった。
しかし、大発生の際に彼は道を間違えた。それは他の治癒師が助けることができると主張した兵士を助けられなかったのである。兵士の同僚の中に領主の一族に近しい者がいたのがラッセンにとっての不幸だった。
訴えを認めた領主はラッセンを降格させ、この砦へと派遣したのである。おそらくは数年間はここでの退屈な勤務となるだろう。そして彼の出世の道は閉ざされたと同義だった。
「くそっ! くそっ!」
そして彼は失敗した部下たちを蹴りつける。そのうちの一人がこう言った。
「ですが、ラッセン様。ユグドラシルの町であのシュージという治癒師の評判を聞きました。なんでも呪いを治すことができるほどの優秀な治癒師で……」
「ふざけるな! 呪いを治すことなどできるはずがないだろうが!」
その詐欺ともいえる主張のせいで、ラッセンはこんな砦に左遷されたと思っている。呪いは治らないから呪いなのであって、それを治すことができるというのは治癒師の中では禁忌なのだ。屁理屈をこねていないで回復の技量を磨き続けてきたラッセンにとって、純粋に許せないことでもあった。
「許さん、許さんぞぉ」
すでにその目には狂気が宿っているのではないかと思われるほどである。シュージがこの場にいれば、強迫観念と診断名をつけたかもしれない。ラッセンの中ではシュージという詐欺師に鉄槌を降すということが絶対的に正しいものであって、それを疑うというような事は全くなかった。それがシュージの拉致および私刑の計画へと結びついたのである。
「ラッセン様……」
「うるさい!」
もはや何を言っても無駄なのであろう。兵士はこの時が過ぎるのをじっと待つしかないと思い始めていた。しかし、砦の部隊長はラッセンに関わろうとせず、誰も止めることのできないこの状況が改善される予兆はどこにもなかったのである。
再度の拉致の指示が出たのはすぐの事だった。
***
「昔はあんな人じゃなかったんだぜ」
「えっ、お前ラッセン様を知ってたのか?」
「ああ、領都で母親の怪我を診て下さったことがあったんだ」
ラッセンに蹴られた兵士は部屋を出てから同僚へとそう言った。母を救ってくれた恩義があると、その兵士は言う。
「いや、でも明らかにおかしくなっているだろう」
「ああ、そうだな。何がラッセン様をああまで追いつめたのか」
「なんでも兵士を見殺しにしたとかいう噂を聞いたな」
そんな事があるのだろうかとその兵士は思う。自分の記憶の中にあるラッセンであれば、魔力が尽き果てるまで回復を唱え続けていることだろう。あれが治癒師としての理想だと思った記憶がある。
「何かの間違いだ」
「でも、あの様子だとそうかもしれねえぞ」
「何かの間違いなんだ」
語気を強めて兵士は言った。その時に蹴られた顎に痛みが走る。彼がこんな事をするなんて到底信じられなかった。あれほど優しく母に接してくれた治癒師が、何故こんな事に。
「とにかく、任務を遂行することだけを考えればいい。俺たちは兵士だ」
「こんな事をするために兵士に志願したんじゃねえよ」
同僚の想いはもっともである。そしてその想いに同調したい自分もいた。自分を縛るのは過去のラッセンと今の変わりようである。
「どちらにしてもその傷、治してもらってこいよ」
「しかしラッセン様には……」
「他に治癒師がいたんじゃねえのか?」
本来、この規模の砦には複数人の治癒師が常駐しているはずだった。最近はラッセンがいるために他の治癒師というのはあまりいなくても十分であることもあって臨時で入るものだけである。それは領都から派遣されている兵士のこともあれば、周辺で雇われた治癒師であることもあった。
「なあ、今日はラッセン様以外に治癒師っていないのか?」
「なんだ、怒られたのか? そう言えば、さっき治癒師の募集の張り紙持ってやってきていた奴がいたな。数日でいいから雇って欲しいとか」
兵士は馬小屋の横にあったみすぼらしい小屋を指差す。他の治癒師を雇うとラッセンの機嫌が悪くなるから、基本的に兵士以外の治癒師は診療室に入れないのである。回復をかけるだけならば、寝台が一つあれば十分だった。
「ちょうどいい、回復をかけてもらってから任務に戻るとしよう」
「もうちょっと休憩していけよ」
「いや、すぐにもどらないと対象がユグドラシルの町にまで戻ってしまうかもしれない」
御者の話を聞いていると途中で馬車から飛び降りて逃走した可能性が高かった。であるならば今はまだユグドラシルの町に向けて歩いている最中ではないだろうか。馬で追いかければユグドラシルの町に着くまでに追いつける。
「すまない、怪我をしたんだが回復を頼む」
小屋の中には一人の治癒師がいた。暇だったらしく、寝台の隣にあった椅子に深々と座っていたようであるが兵士が入ってくるのを見て立ち上がった。
「分かりました、ここに横になってください」
治癒師が笑ったような気がした。ラッセンも昔は患者に微笑みかけていた。そして母親を心配する自分にすら同じように。それで不安が取り除かれたのだ。あの治癒師が何故あんなことにと思う。
「回復」
しかし、この治癒師の笑い方というのはかつてのラッセンとは違うような気がする。なにやら、目的の獲物を見つけた時の狩人のような、それでいていたずらをする子供のような……。
「お前!? シュー……うぐっ」
気づいた時には遅かったのである。兵士はまたしても気絶させられ、その体を担いだ治癒師は誰にも気づかれないようにどこかへと移動を開始した。
「さあ、洗いざらい吐いてもらおうかな」




