第五十話:包虫症6
体にメスを入れるという事は、日本であっても抵抗がある。ましてや、この世界においては更に受け入れがたいものだろう。
「落ち着いて聞いてくれ。まずはナインテイルズの呪いの正体からだ」
移動の最中に簡単に説明しただけで、エキノコックスという寄生虫がどのようにして体に寄生し、それを物理的に排除する以外、薬などでは治療できないということを言っていなかった。
「だが! 腹を切るなどという蛮行を許すわけにはいかない!」
「族長であるガルダが僕の話を聞かなかったら、あの里はどうなるんだい? まずは冷静になって最後まで説明を聞いてくれ。それをしないとは言わないだろう?」
少々卑怯な言い方ではあるが、ガルダは僕の言うことを聞く体勢になった。
もともと頭の回転が悪い人間でもなければ、話を聞かない人間というわけでもない。族長としてふさわしいほどの器をもったガルダは僕の説明を十分すぎるほどに聞いてくれた。
説明を行っている間にも僕はガルダの母親に対して回復を逐一かけていく。全身状態が回復傾向とはいえ良いわけもなければじり貧である事には変わりなかったのだ。おそらく、隠れ里で数少ない回復魔法の使い手が死に物狂いで回復をかけ続けていたからこそガルダの母親は助かっていた。
「分かった」
最後にガルダは短くそう言った。そのまなざしというのは僕をまっすぐに見つめていた。
「先生、これ以上先生が回復をかけていたら明日の手術に差し障ります」
もう一度回復をかけようとして、サーシャさんが僕を止めた。たしかに言われてみれば明日の朝から手術を行う必要があって、電気メスや心眼に魔力を使う。
「でも、ミリヤにも手術には入って欲しいんだよ」
「分かりました。ウージュ先生に依頼してきますので」
有無を言わさずにサーシャさんは診療所を出て行ってしまった。この時間、すでにウージュは酒を飲んでそうだなと思ったのだけども、僕は成り行きに任せるしかなく、レナと一緒に帰るようにマインに診療所を追い出されてしまったのだった。
***
「シュージ、俺はもう後悔はしない。我が一族の運命はお前に任せるしかないと思っている」
朝早く診療所へ向かうと、ガルダが真っ赤な目をしてそう言ってきた。ウージュとともに徹夜をしたようであるけど、徹夜というよりも悩み抜いたための疲弊が顔に出ていた。ウージュはもうほとんど寝ていないようで限界だった。自分の診療所へ帰ることもせずにここで寝ると言い出している。
「全力を尽くすよ」
僕はガルダにそう言った。これは日本にいた時からの口癖のようなものである。必ず助ける、とは言えないのだ。僕はこの場面で必ず助けるといった医者をどうしても信用できなかった過去があるから、全力を尽くすという言葉を使うこととしていた。求められているものは、言葉ではなく結果で示そうと思う。
ガルダは無言で頷き返した。
「先生、世界樹の雫を採ってきたよ」
「ありがとうローガン、アレンも助かった」
「なに、このくらいお安い御用だ。依頼料ももらってるしな」
昨日の内に、アレンに頼んでローガンを世界樹の第七階層にまで護衛してもらっている。これから手術をするにあたって抗生物質の補充が必要だった。アレンがローガンを背負って往復するのに数時間がかかっている。正式な指名依頼として後から冒険者ギルドに手続きにいかねばならないけど、サーシャさんがマインをお使いに出すと言ってくれていた。
「よし、準備はととのったかな」
ミリヤとノイマンが来て全員が揃ったところで、僕はガルダの母親を手術室へと移動させるように指示を出した。
「しかし、一般的な肝右葉切除にはならないだろうなとは思っていたけれども」
腹部を大きく開け、肝臓が露出するように様々な金属の板を臓器と腹壁の間に滑り込ませた。これによって肝臓とその周囲の臓器が持ち上がって見えやすくなる。本当はその板を固定しておきたかったのであるけど、固定専用の道具はまだ開発していなかった。全ての器具を消毒しておく必要があるために、手術に使える道具というのは限られてくる。またしても設備、特に消毒の器材を大きなものにしなければならないと、問題点が見つかる度に覚えておくことにした。
皮膚および腹壁を切った断面から出てくる出血を電気メスで焼いて止血する。これまでは焼きごてを使っていたためにかなり時間がかかる作業であったけど、魔力を少し流すだけだったためにあっと言う間に終った。清潔なガーゼで出てきた血などを拭って、肝臓の状態を確認する。
「こっちが正常な部分。この右側は大きく嚢胞ができてしまっているね」
肝臓は中に血管と胆管が通っており、その構造で右葉と左葉に分けて考える。その右側である右葉のほとんどの部分に嚢胞という風船のように膨らみ、中には液体の入っている構造が何個も出来上がってしまっていた。
それがエキノコックス、多包虫である。
「壊さないように、周りの組織ごと切除するよ」
中にはエキノコックスの幼虫とでも言うべき「包虫」がいるのである。これを他の臓器にばらまいてしまうと転移してしまうために壊さないように、周囲の組織を切開して、肝臓から切り離すのである。
繰り返すが肝臓は中に血管と胆管が通っている。それぞれの走行を十分に理解した上で肝右葉切除術は行わなければならない。一本でも通行止めな部分が出来上がってしまうと大変なことになる。そしてそれぞれの血管や胆管の中には血液や胆汁が通っているのだ。そのために切ってしまえば血が出るし、胆汁が漏れる。
細いものは仕方がないにしても、太い血管や胆管を糸などで縛る前に切るわけにはいかない。すこし肝臓を掘っては血管や胆管を糸で処理していく作業を行わなければならないはずだった。
「まずは胆嚢を取ってしまうよ」
「えっ、いいんですか?」
助手をしてくれているミリヤがそうつぶやく。普通の感覚では当たり前だった。胆嚢にはエキノコックスがついているようには見えないからである。
「大丈夫、むしろ手術の邪魔だから胆嚢を取って視野を確保するんだ」
胆嚢は摘出してしまっても強い後遺症はほとんどない。もともと肝臓でつくられた胆汁という脂肪分解酵素を貯めておく袋なのである。摘出後に慣れていない時期には脂肪分の多い食事をすると下痢をする人もいるけど、すぐに慣れてくる。
「よし、剥離できた。血管と胆嚢管をしばって切ってしまうね」
「はい」
胆嚢は肝臓の下側にくっついている。そのために電気メスを使って焼きながら剥がしてくる必要があった。膵頭十二指腸切除術の際にも同じ事をしているので、ミリヤも次に何をするのか分かっているのだろう。適切な部分を鑷子で持って補助をしてくれた。
「さあ、肝臓を切り取るよ」
右葉切除に入る。
残った部分の胆嚢管をミリヤに持たせて左腹側に引っ張ってもらった。そうすると肝臓の中の胆管が全て総肝管という管に合流するのが見える。その後ろに右肝動脈を確認する。この右肝動脈が重要であり、要するにこの右肝動脈に血液が通らなくなっても大丈夫な部分だけを残して、他を取り除いてしまうのが肝右葉切除術だった。
他にも門脈とか肝静脈という名前のついている血管や、肝臓の中を走っている胆管など重要なポイントがいくつもある。
全てを完全に把握している必要があって、さらにその処置も完璧でなければ肝臓の手術はできない。すこしでも処置が甘かったりすると、血液や胆汁で肝臓の断面がぐちゃぐちゃになってしまって、組織の状態が分からなくなる。分からなくなるからさらに手術が難しくなって、処理ができなくなる。この悪循環に陥らないように、出血は電気メスや針と糸などを使って確実に止めながら肝臓を掘るように切っていくことが求められた。
肝臓の実質部分を掘る作業には本来、超音波外科用吸引装置というのを使うことが多い。超音波で肝臓を削っていきながら吸引も行う特殊な装置で、細胞はこわすけど血管や胆管は壊れにくい。もちろんこっちの世界にはない。だから出血などが多くなるはずだった。
そしてその出血を少なくする方法というのもある。それは動脈と静脈と胆管の三つが合わさっており、それの周囲が膜で覆われている構造をしているのであるが、それを全部ビニールテープなどで一時的に縛って血液や胆汁が通過しないようにする手技である。もちろんずっとそれをし続けると肝臓の細胞が壊死してしまうので時間制限を設けるのであるが、これが結構難しいうえにややこしい。このメンバーではできないだろうと僕は考えている。しかし出血がひどかったならばやらなければならないだろう。
だが……。
「回復!」
「よし、切っていくから回復をかけ続けてくれ」
「はいっ、回復!」
僕が肝臓の血管や胆管を処理しつつ切除をすすめる反対側からミリヤが回復をかける。日本にいた頃にはここの出血の処置にかなりの時間がかかったというのに、あっと言う間に血が止まり、さらには肝臓の表面が治っていくのである。
「これは、肝機能も少しは良くなっているのではないだろうか」
肝臓自体にも回復が浸透するために、日本では手術に耐えられなかったような肝臓であってももしかしたら手術が可能なのかもしれない。少なくとも術後に胆汁が漏れてしまってその周囲の脂肪を溶かして大変なことになってしまう最悪な術後合併症は起こさずに済みそうだと思う。魔法というのはいつ見てもすごい。
「よし、取り出すよ」
「はいっ!」
全ての血管と胆管を処理して肝臓の右葉を外した。肝臓と腹壁とをつなげている靭帯を切ってから、両手でそれを持ち上げて体の外に出す。
「回復!」
残った肝臓の断面にやや強めに回復を掛けると、肝臓が少しだけ大きくなったように見えた。肝臓は取ってしまってもある程度再生すると言われている臓器なのである。その影響が魔法のおかげで手術中にすでに表れているのかもしれなかった。
「さあ、結腸にも二か所ほど転移している。これを切除して繋ぎなおすよ」
「はいっ」
僕は上行結腸に転移していた部分を切除して繋ぎなおすと、手術を終えた。
***
「全部で七人もいたのか……」
「いや、七人しかいなかったと思うべきじゃないかな」
ガルダは本来ならばそこにあるはずの傷をさするようにして腹をなでていた。もちろん、肝臓の部分切除術を受けたあとであるけど、回復のおかげで傷は残らなかったのである。
「本当は早期発見なんて無理なんだけど、心眼と探査の合わせ技で小さい嚢胞も見つかっちゃうからねえ」
「シュージ、お前は本当にすごいな。礼を言う」
「いや、こっちも今回はかなり良いことがあったし」
ナインテイルズの隠れ里にはまだ七人もエキノコックスに寄生された人たちがいた。それぞれ、それなりの大きさを持つ人から、ガルダやロキルのように小さな嚢胞ができているだけの人もいたけれども、全員が手術を完了できたのである。これであらたに寄生されない限りは嚢胞が原因で死に至る人間はいないだろう。
ガルダの母親も順調に快復した。特に術後にナインテイルズの弧裘を着させて回復力を上げたのが良かったらしく、それこそあっと言う間に隠れ里に戻っていった。帰りは歩いて帰っていったのであるから驚きしかない。
「今回はしんどかったわね」
「そのわりには嬉しそうだね」
レナは転移を何度も使ってナインテイルズの隠れ里とユグドラシルの町を往復しなければならなかった。今回の騒動の功労者はレナでいいと思う。そして、隠れ里から御礼としてもらったものがあったのだ。
「うふふ」
「本当に白いんだね」
レナの首には真っ白な毛皮のマフラーが巻かれていたのである。
「本来は族長しか着る事を許されないものであるが、首巻だからな」
ナインテイルズの脇の白い毛のみを使ってつくられたマフラーだった。伝説の魔法使いのローブと同じ素材ということである。ガルダが作っていた最中のものらしい。
「私はもう一度一から作り直す。我が隠れ里もこれからの生き方を一から考え直す時期にきているのかもしれん」
ガルダはそんな事を言っていた。
「もう、川の水をそのまま飲むんじゃないよ。あと、ナインテイルズの生息地で採れた獲物は絶対に火を通してからじゃないと食べちゃだめだからな」
「ああ、分かっている」
エキノコックスに寄生された全員が手術を終えるとガルダたちは隠れ里へと帰っていったのであった。




