第五話:狭心症3
必要物品はきりがないほどだったけど、それ以上に必要なものがあった。手術室である。
「お風呂をまずは作ろう。あの魔道具はものすごく特殊というわけじゃなくてお金と材料があればすぐに手に入るものだからね」
「そ、そうね」
先にお風呂を作っていいのだろうかとレナが戸惑っているけども、いいと思う。それには理由があった。
「冒険者ギルドの建物の隣の建物が空き家になっているから臨時の診療所として使ってもいいと言ってくれたしね。手術室はそこに作る事にしよう。その練習を兼ねてさ」
それなりに立派な建物があったのである。あれをリフォームすれば十分に診療所として使えるし、手術室として使えそうな大きな部屋もあった。防水と気圧の調整ができるようにさえすればいい。
レナが作り上げた土魔法の建物は魔力が抜けた後の強度の問題があって二階建てにはできないし、水が染み込んでしまうのである。屋根は別の素材で作らなければならないし、結局は手術室としては耐えられそうになかった。反面、冒険者ギルドの隣の建物は魔力を使わずに作った二階建てである。
「屋根は大工に頼んだからなんとかしてくれそうだけど、耐水の素材を手にいれないと」
「何が必要なの?」
「熱にも強くないと消毒できないから、マグマスライムのスライムゼリーかな」
この世界にはスライムゼリーの加工技術がある。ビニールのかわりに使えるスライムゼリーは特殊な錬金魔法で形を変えて定着するらしいのであるが、基本的には熱に弱い。そんな中でも熱湯消毒にも耐えることができるのがマグマスライムのスライムゼリーだった。しかし、希少な素材である。
「それはまた高い買い物になりそうね」
「その前にユグドラシルの町にそこまで流通してないだろうね」
この近くにマグマスライムは生息していない。火山地帯のさらに標高の高い場所に行かなければ出会わないだろう。だから、マグマスライム自体はBランク相当の魔物と言われているが、冒険者ギルドで依頼を出す場合はAランクの依頼となっている。それがそれなりの量を必要としている。
「風呂や手術室のコーティングに使うだけじゃなくて、点滴にも使うからさ」
点滴のルートは他の部分と違ってガラスや金属で代用するわけにはいかない。できれば点滴の留置する針もこれで作りたかった。金属製の針は血管内にずっと留めておくと血管を傷つけやすい。
「テンテキって何かしら?」
「点滴っていうのは直接血管の中に薬を入れるために使う装置だよ」
「本当に、どこでそんな知識を仕入れてくるのよ」
「それは秘密なんだけど、ここだけの話、僕は他の世界からやってきた医者なんだよ」
「まあ、教えるつもりがないのは分かったわ」
レナは僕の話を冗談だと受け取ったようだ。というよりも、僕が話し方でそのように仕向けたんだけど。
「他にも必要な素材や道具がある。冒険者ギルドにいってロンと相談しながら依頼を出さなきゃね」
全ての素材を自分たちで取りに行くには時間がかかり過ぎる。僕らはマグマスライムの素材を取りに行く計画を練りつつ、手術道具やその他の必要なものを作ってくれる道具屋や加治屋を紹介してもらうために冒険者ギルドへ向かった。
冒険者ギルドの建物に入ると、そこには予想外の人物たちが僕らを待っていた。
「よう、この間は世話になった」
「その節はありがとうございました」
それはノイマンとミリヤである。ノイマンはずいぶんと顔色が良く、完全に治っているのが分かった。
「体に変わりはないか?」
「ああ、絶好調だ」
そう言ってノイマンはかるく腕を回して見せる。その動きから見ても問題なさそうだ。
「それで、何か僕らに用事でもあるのかな?」
「ああ、礼がまだだったと思ってな」
「治療費ならもらったと思ったんだが」
ウージュから彼らの治療費はもらっていた。僕はウージュの診療所で行った治療だから半分くらいと言ったのだが、ウージュは全額を押し付けてきたのだ。意外にも律儀な男だった。
「私たち、パーティーを解散したんです」
ミリヤが唐突にそう言った。
「え? なんで?」
「そうよ、せっかく助かったのに」
そう言うと二人はちょっと照れ臭そうにした。
「えっと、あのパーティーはパーティー内の恋愛禁止だったもので……」
つまりは吊り橋効果というやつでノイマンとミリヤがくっついてしまったというのが原因だった。さらに言うと二人はBランクの冒険者でもあり、二人でもなんとか冒険者を続けることができるのもパーティーを抜ける理由の一つだっただろう。
なぜだろうか、少しだけ助けたことを後悔したというのは口にはしなかったはずなのにノイマンにはばれてしまったようだ。
「ちょっと、何だよその顔、ひでぇ!」
「いや、まだ何も言ってないよ。まだな」
「まだって、これから言う予定だったってか!?」
それから少しだけ世間話を続けた後に、ノイマンとミリヤが表情を改めてこう言った。
「なあ、アマンダの婆さんを助けようとしてるんだってな」
「あの……私たちにも手伝わせて下さい」
願ってもない申し出だった。ノイマンたちは俺たちにもアマンダやロンにも恩があるという。だから
冒険者として素材の採取などできることがあれば手伝うと言ってくれたのだ。
「ちょどいい。一緒に素材採取に行こうか」
「そうね、おと……前衛の代わりにノイマンに頑張ってもらえれば楽になるわ」
レナさんや、さっき「囮」と言おうとしなかったかい? ノイマンにもミリヤにも気づかれていないようだから良かったけれど。
「ロンに道具屋と鍛冶屋を紹介してもらったら素材採取に出よう。これからでも大丈夫かい?」
「ああ、大丈夫だ」
「もちろんです」
二人ともにすでに万全の用意をしているという。僕はもしかしたら野営が必要になるかもしれないと言って、レナとともにギルドマスター部屋へと向かった。
***
「転移ぉぉぉぉ!!」
「えっ!? ちょっと、まっ」
「きゃぁぁぁぁぁ!!」
転移で火山地帯にまで移動するって伝えるのを忘れていた僕らの横で、ノイマンとミリヤの悲鳴がする。たしかに初めての転移はめちゃくちゃ怖かったし、酔って大変だった。
すでに僕とレナの間では当たり前の移動手段となっている。今回の火山地帯まではユグドラシルから馬車で一週間ほどかかる距離だ。そんなところまで素材採取に行って帰ってきたらアマンダが死んでいてもおかしくない。
「あ、ごめんね」
火山地帯の入り口に転移した後、地面に転がっているノイマンとミリヤに対してレナが謝っている。さすがに心の準備ができていなかった二人にとっては精神的にかなりきつい移動となったようだ。僕も慣れているとはいえ、未だに気持ち悪くなる時がある。
「しまったね」
「しまったわ」
二人が嘔吐しそうになっているためにすぐさま採取へと出るわけにはいかなくなってしまった。しかたなく僕は一緒に転移してきた荷車の中からテントなどをとりだして野営の準備を始めることにした。まだ午前中だというのに。
「マグマスライムは無理だとしても、火山地帯にしか生えない薬草は結構あってね」
「そうなのね。たまにここには来ていたけれど、レーヴァンテインからより近かったから魔力量としてはまだ余裕があるわ」
ささっとテントを設置する。ここは近くにマグマの川があるから非常に暑い。熱中症対策として冷風の魔道具は持って来ているけど、冷気を外に出さないようにするためにもテントは必須だった。荷車は持って来ていても馬は連れてきていない理由がこれである。馬と一緒にテントで寝るのはちょっと勘弁願いたい。
「うぅ~」
「おろろろろろ」
ついにノイマンが吐き出した。これはちょっと重症である。というよりもこいつら足手まといだよね。
「まあ本格的な採取は明日にしよう。今日は僕だけでできる事をやってくるよ」
「私は?」
「とりあえずは二人の事を頼んだよ」
了解の意志を示すようにレナが手を振った。ついでに氷の魔法をテントの周囲に放って周囲の気温を下げている。テントの中に収納された二人は当分は起きてこないだろう。レナはそのまま外で本を読みながら見張りでもするつもりらしい。
「さて、僕は探索だ」
個人用の氷の魔道具を装着して、僕は火山地帯に入ることにした。装備がそこまで重装備ではないけど、採取を中心とするために背嚢を担いでいる。
この火山地帯はティゴニア火山という名称である。大陸の北に位置し、周囲に主な町はない。麓から少し離れたところにドワーフの町が存在し、豊富な鉱石と温度の高い炉で優秀な武器屋防具を作り出している。意外にも植物は多く、森を形成するほどではないが視界のどこかに何かが生えているといった具合だった。それのほとんどが熱に対する耐性を持っている植物であり、薬の原料にもなるし防具などの素材としても十分に重宝される。
徘徊する魔物はマグマスライムの他に火を纏うような外見の大きなトカゲであるフレイムドレイクや、岩の塊にしか見えないロックアルマジロなどが有名である。他にもオーガという鬼族の魔物の集落があったりし、さらには稀にファイアドラゴンという竜の目撃情報もあるが、ここ十年は討伐の記録はない。
そんなそれなりに危険な地帯であるために、ここでの採取依頼は基本的にAランクである。
「あ……そう言えば、あいつらはBランクだったような……」
僕はその時に思い出してしまった。Bランクのノイマンとミリヤをこんな所に連れ出してしまったということを。冒険者ギルドの依頼であればギルドの職員がチェックするためにBランクを連れてくることはできない。しかし、マグマスライムの素材は高価であったから僕らが自分たちで採りに行こうという事になったのだ。
「まあいいか、平均したらAランクってことで」
誰に怒られるわけでもないし、よしとしよう。え? ノイマンとミリヤの意見? そんなものはありません。
気を取り直して僕は周囲の探索に戻った。まずは地図を作って、採取できそうなものを探す。できれば魔物の出現位置などが分かればいいけど、中には移動を繰り返す魔物もいるから油断は禁物だ。
ティゴニア火山にきたら絶対に採取しておきたかったものに「火薬草」がある。これは調合すると火薬になるという物であるが抽出できる量はかなり少なく、武器として使うには足りない。しかし、これは薬になった。
アマンダに処方した薬品の中にも少し入っている。主成分はニトログリセリンであり、ダイナマイトの原料であるとともに、心臓を栄養する冠動脈を広げて狭心症の症状を和らげてくれるものだ。あの薬を飲めば、アマンダの胸痛も少しは良くなるのではないかと思う。しかし、完全に治るわけではないから手術は必要だ。
「あった」
その火薬草の群生地がここティゴニア火山だった。たまにマグマとかが火薬草に降りかかって小規模の爆発を起こすことがあり、そのためにここいら一帯はたまに爆音がするという物騒な場所でもある。地形を変えるほどの量が含まれていないからいいものの、これが凝縮されていれば立派に武器として使えるほどだっただろう。幸か不幸かこんな所に来てまで火薬草を大量に集めてそれを武器に使用とする効率の悪いことをする者はいなかった。
「この場で精製魔法を行うと爆発する可能性があるからな……」
火薬草は製薬せずに持ち帰る。ニトログリセリンはちょっとしたことで爆発するから、そうしないように処理を行わないといけないのだ。そのために必要な物は揃っているが、さすがにここでやるような仕事ではない。かさばるようであるが火薬草はそのまま持って帰ることとした。根元に近い部分にはニトログリセリンは含まれていないために根っこの部分で切り落とす。それを束ねて背嚢へと詰め込んだ。この背嚢を殴られたら小規模の爆発が起こるから注意が必要である。
その時、近くにあった岩が動いた。
それは急に僕の方へととびかかってくる。よく見ると岩ではなくロックアルマジロだった。
「今日のメインディッシュに良さそうだね」
なんなくそれをかわすと、僕はロックアルマジロにメイスを叩きこんだ。彼らは岩のような体表をしているけど、それは硬い外皮であって岩ではない。剣は通らない反面、打撃の衝撃が伝わりやすい構造をしていた。だからロックアルマジロは頭に寸分たがわず叩きこまれたメイスによって脳震盪を起こしてフラフラとしている。
僕は冒険者としては治癒師だけれども、このくらいならできるのだ。
ちなみにロックアルマジロはBランクの魔物として認識されている。
「よっと、ごめんよ」
腹を上にして倒すと、ロックアルマジロの弱点である首から腹部が顕わになった。僕はその首めがけて持ち替えた短剣を振り下ろした。