第四十八話:包虫症4
吹雪の中を移動するという事は基本的にやらない方がいい。
それは視界が悪く何が起こるか分からないということと、体温が奪われてしまい体力が落ちることがほとんどであるからだ。そんな中で、吹雪に順応した魔物などと戦う必要などが出てくると目も当てられない。
さらに言えば、その吹雪の先にあるものというのはたいして価値がないもののことが多い。わざわざ雪と氷の中を進んでいった先にあるのは資源としては使いづらいものであり、その輸送にも多大な力を要することがほとんどである。だから吹雪であれば移動を諦めて、吹雪が止むのを待つのが普通である。
「シュージ、すまない」
「ガルダさん、仕方がないでしょう」
「私のことはガルダと呼んでもらえばよい」
「分かった、ガルダ」
僕らはガルダとともに北へ向かっていたけど、吹雪に阻まれていた。洞窟を見つけることができたのは幸運で、テントを張って風が入ってこないようにしてたき火をしているけど、吹雪が止むまでは移動できそうにない。
それは昨日にガルダの弟と名乗る男がユグドラシルの冒険者ギルドへやってきたことを発端としている。
「兄上!」
「ロキル、いったいどうしたのだ。村はお前に任せていたというのに」
ガルダの弟であるロキルは、ガルダと同様に黄色の魔物の毛皮を羽織っていた。しかし、それは肩から背中にかけての辺りだけであり、面積は少ないものである。弓はガルダと同様に丈夫そうな魔物の骨を組み合わせて作られたものを担いでいた。髪型などはガルダに似ているが、少し短めである。後からきいたが、族長などの身分で長さが決まっているということだった。
「母上が倒れた。ナインテイルズの呪いだ」
「まさか、この前父上が亡くなられたばかりだというのに」
「すでに肌が黄色くなってきている」
「すぐに戻ろう」
ガルダはすぐに僕の診療所へきて事情を説明した。
「私の母が倒れたのだ。身体が黄色へと変色する呪いなのだ」
「すぐにでも治療が必要かもしれないね。それで、ガルダの村まではどのくらいかかるんだい?」
「私たちの脚ならば約一週間というところだが、雪に慣れていないものだと難しいかもしれない」
弟であるロキルがユグドラシルの町まで強行軍して六日かかったという。僕やレナがどれだけ急いでももっとかかるだろう。
「途中までは馬を借りることにしよう。雪山に入ってからは歩くしかない」
「ともかく、急いで村に来てほしいのだ」
春になれば雪は溶ける。それからガルダの集落に向かう予定だったけど、急がなければならなくなってしまった。そのため、帰りの転移の事を考えるとレナには付いて来てもらわないと患者の輸送すらできないけど、ローガンやマインなどはユグドラシルの町に置いていかなければならない。
診療所をミリヤとカジャルさんに任せて、僕はレナとガルダにロキルの四人で出発したわけだけど、雪山に入るまでは順調だった。だけど、さすがに雪山は慣れていない僕らにとって進みにくいことこの上ない。吹雪になってからはガルダとロキルは何故か進めていたけど、僕らはどうしても進むことができなかった。
「少し、弱まってきたか」
ガルダが外を見てそう言った。僕にはそんな風には見えないけど、この土地に慣れているガルダが言うのだからそうなのだろう。でも、テントを外すと絶対に洞窟の中にまで吹雪が入り込んできてしまうほどの勢いで風が吹いていた。
「急がねばならない。ロキル」
「はい、兄上」
兄弟がお互いに目を合わせて頷き合った。それだけで意思疎通ができたのか、ロキルが荷物の中から何かを取り出そうとしている。
「シュージ、レナ。これを着てもらいたい」
ロキルが取り出したのはガルダやロキルが羽織っているものと同じ毛皮でできたマントだった。ロキルのものと同じくらいの大きさである。
「これは?」
「魔力を通すことができる。それで体を覆えば吹雪の中も進むことができる」
つまり、魔力を体の周囲の空間に広げることで外気の影響をうけなくすることができるらしい。僕はガルダたちがやってみせるのを心眼で見て、たしかに魔力が体の外にまで流れ出ているのに気づいた。そして、その量は半端ではなく多い。
「これ、面白いわね」
「レナはさすがに魔法使いだな」
すぐにその真似ができたレナにも、いつも以上に魔力が溢れている。僕もそのマントを羽織って同じようにしてみたけど、最初はうまくいかなかった。
「少し練習をすればできるようになる。他の使い道はそう簡単には習得できないだろうが」
「これは何なんだい?」
こんな物は見た事も聞いたこともなかった。これがあれば雪山の中であっても体力をあまり削られることなく移動することができるだろう。少なくとも凍死する危険性がぐっと減る。何度か試していると、僕にも魔力を通すことができるようになった。
「これから行くのは、私たちの隠れ里。私たちはある魔物を狩り、その毛皮を活用することを伝え、そして世間にそれを秘密にしている種族だ」
ガルダは、このことは誰にも言わないでくれと言った。
「私たちはナインテイルズの狩人。それはナインテイルズという魔物の毛皮で出来ているのだ」
ナインテイルズの弧裘、これはいつかの行商人が欲しいと言っていた伝説のローブに似た装備だったのである。
***
ナインテイルズの弧裘に魔力が通るようになると、外気の温度が全く気にならなくなった。洞くつを出た頃には天候は少しだけ収まりかけていたけど、吹雪であることは変わりない。しかし、心なしか視界もはっきりしているように感じた。
「全ての感覚が研ぎ澄まされる。その魔力を磨けば磨くほどに、ナインテイルズの恵みは応えてくれる」
ガルダの言う通りで、慣れてくるとその感覚はどんどんと研ぎ澄まされてきた。その分、魔力が消費されていくのが分かる。これは駆け出しの冒険者には扱うことのできない代物なのだろう。僕もレナも、魔力量はなんとかなりそうだった。
ガルダを先頭に新雪の中を進んで行く。雪をかき分けるガルダはそれなりに大変なのだろうけど、そんな事を微塵も感じさせない足取りで進んで行った。僕はガルダが今まで力を加減して歩いていたという事に気づいた。
「兄上は里へ招待すると決めた時点で秘密を伝えるはずだったのですが、どうしても躊躇していたようで」
最後尾のロキルが頭をかきながら言う。本来であれば頭部には何かしらの帽子なりフードなりがなければ大変なことになりそうであるけど、ロキルは帽子を脱いでしまっていた。それでもナインテイルズの弧白裘が雪と風を防いでくれている。
「しかし母上が倒れてしまったので、一刻を争うのです。まさか呪いを治すことのできる方をすでに探し当てていたとは思いませんでしたが」
母の死を覚悟していた、とロキルは言った。それでもまだ助かったわけでもないし助けられると決まったわけじゃない。僕はそれを伝えるかどうかを迷っていたけど、ロキルはその辺りも察してくれたようだった。ただ、希望が持てただけでもありがたいと呟いた。
「歩きながらでいいから、君たちの集落の事を話してくれ」
「分かりました」
ガルダは里への方向を見失うわけにはいかないし、道を切り開かないといけなかったけどロキルには余裕があった。僕はナインテイルズの隠れ里のことを聞いて、治療に役立てようと思った。しかし、診察をしてみないことには何も分からないだろう。あくまで、環境が病気に関係あるかどうか、参考にするつもりくらいだった。
のだけども……。
「私たちの里では成人するとナインテイルズの皮で作った何かを身にまとって狩りに出ます。ナインテイルズの生息地で数日過ごして、ナインテイルズに気配を察知されないようになり、ナインテイルズを狩って初めて大人と認められるのです」
そしてナインテイルズの生息地に潜伏するのは数日以上かかるのが当たり前で、近くの小川の水と少しだけの携帯食で過ごすのだとロキルは言った。
「そういうことか」
狐狩りをしていて、狐の生息地で火も起こさずに数日間過ごし、黄疸がでるような肝臓の病気になる。ここまでくれば思い当たる病気はある。
「もしかして、呪いの解き方が分かったのですか?」
「見当はついたよ。ナインテイルズの呪いは大人しか発症しないでしょ? ちなみにナインテイルズって鼠の魔物か何かを好んで良く食べるとか知らないかな?」
なんでそんな事を知っているのかとロキルが目を丸くした。僕の指摘した事は合っていたのだろう。ならば診断は可能であり、もしかしたらガルダとロキルもその病気になっているかもしれない。
僕は心眼と探査を同時に発動させた。悪い予感というのは当たるものである。
「まずいな、ガルダもロキルもすでに、そのナインテイルズの呪いというのにかかっている」
「……やはりか」
先頭を歩いていたはずのガルダがこちらを見ることもなく言った。ロキルはショックで何も言えないようだ。足が止まっている。
「ねえ、結局何なの?」
ガルダの後ろを歩いていたレナが後ろを振り向いて言う。その顔は僕がすでに治療法を思いついていると確信している顔だった。思いついているけど、かなり大変なことになるかもよ?
「うん、呪いじゃない。虫だ」
「虫?」
「そう、原因は寄生虫。エキノコックスという名前の狐の体に住んでいる寄生虫だよ」
病名は包虫症、エキノコックスという名前の、日本では北海道を中心としてキタキツネなどに寄生している寄生虫である。この卵が入った糞が水に混ざって人の口に入ってしまうと、エキノコックスは成虫にはならずに肝臓で嚢胞を形成し、次々と色んな臓器に移っていくのである。嚢胞が大きくなるにつれて肝臓内の胆管や血管が塞がれ、肝機能障害が進み、放置すると死亡するという恐ろしい寄生虫だった。
こちらの世界のエキノコックスは地球のエキノコックスと同じなのだろうか。それは分からないけど、性質はほぼ同じだろうと思う。薬でなんとかできるわけじゃない。
根治できる唯一の治療は、外科的切除。つまりは手術で取り切るしかない。
ガルダたちの母親の肝臓の嚢胞が、手術で取り切ることのできる大きさなのかどうかが問題であった。




