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第四十三話:十二指腸乳頭部癌7

 終わる事のない刺客の恐怖から少女を守ろうとして、ブラッドとイーネは立ち上がった。今のところ計画は順調であり、このまま王が替わって王女が狙われる必要がなくなるまでマインは王女の身代わりを続けるという。

 

「私がもっと早くあの孤児院の危機に気づいていれば、マインがこんな事をしなくて済んだのに……」


 イーネさんの思いというのは痛いほどに伝わってきた。


「そしてこんな時に限って、私が呪いにかかっていると分かるとは……」


 神様っていないのですかとマインが言う。こんな少女が言う台詞ではない。


「シュージ」

「なんだい? ブラッド」

「旦那様を治療するために必要なものと時間は?」

「多分、数時間以上かかる。朝からはじめても日が暮れるまでに終わらないかもしれない」


 刺客の接近が本格的になってきた今、護衛の人数というのも必要になってくる。だけどミリヤは絶対だし、ノイマンも手術には協力して欲しかった。


「それは大丈夫だ。アレン殿と俺でなんとかしよう。その間のマインの護衛はアマンダ殿にお願いしたい」

「何をするつもりなんだい?」

「とりあえず殲滅だ」


 こともなげに言うブラッド。そもそも実力は昔からSランク相当だったのだが、たまにギルドともめたりするからAランクのままだったのがブラッドである。レイヴンがギルドマスターになってからはおとなしくなったために、Sランク認定が受理されたという経緯があるようだった。刺客の暗殺もできるだろう。


「物騒な話だね」

「刺客を一掃すれば、増援が送られてくるにしても数日かかるだろう。できれば前日に行いたい」

「そんな簡単な話じゃないだろうに」

「だが、やらなければならない」


 僕が知っているブラッドはもっとドライというか淡泊な男だった。別れを切り出した時にも一番最初に同意してくれたのもブラッドだった。だから、彼のこんなに熱い部分を久々に見ることができて、なんとなくうれしい。


「情報もなしに刺客をすべて抹殺するというのはナシだ。奴らがどれだけ密な連絡を取っているか不明だしな」


 王都から王女を護衛してきていた人物たちは徐々に離脱していった。それは刺客に殺された人もいるが、もともとはこの旅に最後まで付き合うつもりがない連中だったのである。特に側仕えが全ていなくなっているのが不自然といえば不自然であり、ブラッドもイーネもそのことを気にしている。


「いつ終わるか分からない。本物の王女様がいなくなるのであればそもそも無駄死に。王女がその孤児院で生きているからこそ、孤児院の存続が確定するということか。レイヴンは何やっていたんだよ」


 こういう事をあまりうまくできないのがレイヴンである。いくらギルドマスターになったからといってももともとは戦士職であって世渡りなんかはあまり上手ではない。とりあえず寄付していればいいという感覚だったのだろうけど、経営に関して口を出すなんてことはしなかったのだろう。

 それはイーネも同じだったようだ。というよりも孤児院の経営が難しくなっているという事を院長以外に誰も知らなかったのである。


 自分から手を伸ばさないと、誰も手を差し伸べようとしてくれない。


 助けが必要だと認識しなければ善意も施しようがないのである。なぜ、助けを求めなかったのかという問いは第三者が言っていいものではないのであるけど。



「辛気臭い顔をするな」


 アレンが言った。彼は、僕らを元気付けるためにそう言ってくれているのだろう。


「だが、現状がそこまでいいわけではないのだ」

「ブラッド、君には仲間が増えたではないか」


 アレンは僕らを示しながら言う。


「私も末席ながらSランクだ。そして君も、彼らもだ。これだけSランクが集まっていればたいていのことはできる」


 Sランクというのにアレンは誇りを持っているのだろう。そして、それはもちろんお飾りではなくて実力相応の力があるということだった。いくら具体案のない虚勢だったとしても、なんとかなるのではという気分にはなる。


「そうね、なんとかなるわ」


 レナまでがそんな事を言い出した。僕は場を和ませるためだけにそんな事を言ったのかと思ったけど、レナはマインのところにいって、彼女を抱きしめた。


「大丈夫、絶対にあなたを助けるわ…………シュージがね」


 僕が!? レナじゃないのかって思っていると、レナはニヤリと笑ったのだった。あ、これはなんか悪いことを思いついた顔をしている。



 ***



「よろしくお願いします」

「「「よろしくお願いします」」」


 腹部正中切開で手術を開始した。かなり大きく開ける。そうでなければ視野が狭くて手術ができなくなるからだった。


「今回の準備にはかなりの金額がかかったからね、ブラッドに払ってもらおうよ」

「イーネさんの商会はレーヴァンテインではかなり有名だったんでしょ? イーネさんなら大丈夫よ」

「いや、この人にはマインを養ってもらわないとね」


 軽口をたたきながらも手術の速度が鈍ることはない。この日のために数日かけて僕らはシミュレーションをやってきた。次に僕が何をするのかというのをミリヤもサーシャさんも分かっているし、レナは不測の事態がないかと目を光らせてくれている。


「モニターはどう?」

「血圧も脈拍も異常はないわよ。自信はないけど、こんなものでしょ?」


 円盤に針で示す、昔ながらの測定器具に似た血圧計をレナは見せてくれる。その数字が麻酔がかかった患者と考えればなにも問題ない数値を示していた。脈拍も問題ないようである。


「魔道具でこんな事をするなんて思いもつかないですね」

「うん、まあそうかもしれないけどあると便利だよ。ミリヤも心臓がちゃんと動いているかどうか分からない状態で手術したくないでしょ?」

「も、もちろんです」


 臓器周囲の剥離はくり操作というのは順調だった。イーネさんはお腹に怪我をした事もなければ腹膜炎ふくまくえんとかになったこともないようで、癒着ゆちゃくはほとんどなかったために臓器が分かりやすかったのである。


 まずは胃の周辺についている脂肪組織を目印の血管に沿ってはがしていく。切り取らなければならない部分に血管が走っていると出血するために、その血管の両側を糸で縛ってから切っていくのだ。切っても大丈夫な血管と、替えが効かないために縛って切ってしまうとその先の臓器が虚血きょけつ壊死えししてしまう血管があり、僕ら外科医はそれを知っていなければならない。


「これをこうやって切っていくんだ。できるかい?」

「れ、練習してもできそうにない手つきなんだけど」

「大丈夫。練習すれば速くなる」


 この手術、ローガンが手術着を着て手袋をはめて参加している。もちろん教育のためであるけど、純粋に人手が足りないというのもあった。


「糸結びは、手術の基本だから。これが遅いと手術がいつまでたっても終わらない。そして糸結びがきちんとできていないと、血管から血が出てきてしまう。血がでるとわけが分からなくなって手術が難しくなる」


 奥が深いのである。だけど、これを語りだすと外科医は朝まで語りだすから注意が必要だった。


「臓器の周りには、リンパ節っていうものがあって、これは臓器周囲に走っているリンパ管の関所のようなものなんだ。だから、がん細胞がリンパ管に乗って転移しようとすると、まずはリンパ節に引っかかることが多い」


 そのリンパ節への転移がどのくらいあるかで病期ステージを決めるのである。もちろん、リンパ管だけではなく血管にのって他の臓器へ遠隔転移えんかくてんいしてしまえば病期ステージⅣであり、ものによっては手術の意味がなくなってしまうほどの全身転移へとつながる。



 まずは胃の周囲の脂肪組織ごと、リンパ節をはずしていく作業だった。黙々とやるわけではなく、ローガンやミリヤに教えるように説明を加えながら行っていく。そうすることで僕が次に何をやりたいかを伝えるという事もできていた。


「ローガン、ここをこうやって持ってて。動かないでねそうしたら、ここからここまで切っていくよ。血管はこことここにあるから、これは糸で結んで、他は電気メスで焼いてしまおう」


 電気メスも魔道具で作ることができた。ちょっと重いけど問題なく使うことができる。そして、これはほんの少しの魔力を流すことで効果を発揮するものだった。


「それ、雷撃サンダーボルトの杖なのよね」

「そうみたいだね。だいぶ小さいけど」

「そんなのを手術に使うなんて思わなかったわ」


 魔道具開発に雷撃サンダーボルトの知識を教えてくれたのはレナだった。詠唱が必要なくて魔力の構築をしなくても、自分の魔力を込めれば魔法が発動する杖というのは多い。しかし、威力が落ちてしまったり、一般的に使う以上の魔力が必要になったりするわけで制約もある。特に攻撃魔法の場合に威力が落ちるのは致命的だった。


 それでも医療には関係ない。というよりも、あの威力を出されても困る。ほんのちょっとでよいので、ほんのちょっとの魔力で発動できるようにしてもらった。それで電気メスは僕が知っている電気メスに近いものになったのである。


 十二指腸の後ろ側を剥がしていく。この時にも胆管や他の血管を傷つけないように慎重に行っていく。十二指腸が完全に浮いてきてはずれそうになってくるまではがすと、次に胃の切る部分を決めることとした。

 胃はできるだけ残せるものならば残したほうが術後の消化にいいとされている。一見当たり前の話なのだけど、これにはわけがあった。


 転移がどこまで起こっているかなんて、細胞を染色した後に顕微鏡を使った病理検査をしなければ分からないからである。そのためにデータをとって、リンパ節が腫れていればこのくらいの転移をしているのだろうという「推測」をもとに切除範囲を決めてくるというのが医学だった。



 だが、ここは異世界である。そして僕は医療のためにならばなんだってやると決めたのだ。自重なんてしない。


「心眼と探査サーチを使って切除できる範囲を決めるよ」


 僕はがん細胞がどこまで転移しているのかを確認しながら手術を行う。これは地球の外科医が見たら卑怯だというに違いない。なぜなら、彼らはそれを知りたくてありとあらゆる術前検査を行うし、データをまとめて日々精進しているからである。なのに、それを魔法で解決してしまう。


「転移はここまで。それ以外の脂肪組織はそこまで綿密に取り除く必要はなさそうだ」


 胃の切除はほとんどしなくてよさそうである。胃と十二指腸側は幽門ゆうもんと呼ばれる部分である。この手術は幽門ゆうもん温存おんぞん膵頭十二指腸切除術すいとうじゅうにしちょうせつじょじゅつとなる。幽門ゆうもんの周りの部分のリンパ節は周囲の脂肪組織ごと取り除くことができた。



 次に胆のうと胆管を剥がす作業に移った。ここまでの過程は順調である。はがした部分から少量の出血があったけど、それは僕とミリヤの回復ヒールを使って止血した。この止血に魔法を使うというのも、使い勝手がよく便利である。自重はしないと思いながら、胆のうを剥がす。胆のうは肝臓の下側にくっついているのだ。そして、胆のうから出ている胆嚢管たんのうかんと、肝臓からの総肝管そうかんかん、合流して十二指腸へむかう総胆管そうたんかんをそれぞれ剥がした。後ろに大きな静脈が走っているためにかなり慎重にやらなければ大出血しそうである。


「シュージ、魔力は大丈夫?」

「ああ、まだいける……と思う」

「無理はダメよ」

「たしかに思ったよりも魔力の消費がはげしいかもね。ミリヤ、回復ヒールのところだけでも手伝ってね」

「わ、分かりました」


 レナは僕のために魔力回復のポーションを用意してくれていた。どこかで休憩を取って魔力の回復をさせないと、電気メスとかで魔力を消費しきってしまうかもしれない。そんな管理も必要になるなと思いつつ、他にも魔法や魔道具を使おうと思うと魔力不足が問題となってくるかもしれなかった。特に心眼と探査サーチを同時に使うあれが魔力をごっそりともっていく気がする。



「失敗できないんだからね!」

「分かってるよ、せっかくレナが考えた作戦がうまくいったんだしね」


 ニヤリと笑ってもマスクがあるからあんまり伝わらないかもしれない。でも、僕が笑ったのをレナも分かったようだった。


「よそ見しない」

「はーい」



 こんな雰囲気で手術が行うことができているのも、マインが刺客に狙われることはもうないからである。

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