第三十八話:十二指腸乳頭部癌2
馬車から降りてきたのはローガンと同い年くらいの少女だった。一瞬だけローガンと目が合うが、その視線はすぐに店内の品物へと移る。ローガンはその子へと道を譲りつつも、何故か観察を続けてしまっていた。
綺麗な金髪に青い瞳。ぱっと目には貴族かと思えるほどの淡麗さと気品を兼ね備えていた彼女は、どこかの商会のお嬢様なのだろうか。そこまで豪華には見えないが、質のいい服を着ているところを見るとなかなか裕福な家であるらしかった。
「さあ、早めに補給を済ませてしまいましょう」
「お嬢様、そこまで急がれなくてもよろしいのではないでしょうか」
「そんなのダメよ。お父様が働けないのなら、私がなんとかしなくちゃ」
少女は付き人と思われる男とともに店の奥に入る。少なくなった物資を補給しに来ているという事を考えると、ユグドラシルの町へ向かう商人なのだろうと思われた。しかし、両親はどうしているのだろうか。
「回復薬がないわね。お父様にははやく治ってもらわなくてはいけないのに」
「すまんね、売り切れだよ。材料ならあるんだがね」
店主はその少女に向けて、薬草の棚を示した。これも量は多くないが、ポーションを作るならば一人分は十分に足りるだけの薬草が置かれていた。朝にこの近くの住民が採取してきたものなのだろう。遠目にも鮮度は悪くないことが分かる。
「材料があっても、薬師がいないのよ」
「うーん、回復薬の補充は明後日までできないんだよ。大発生のおかげでどこも品不足でさ」
ここにアマンダがいればローガンはからかわれて大変なことになっていただろう。しかし幸運なことにここにはローガンしかいなかった。そして普段ならば絶対にとらないであろう行動をローガン少年はついやってしまうことになる。
「あ、あのさ」
「貴方だれ? 何の用?」
見知らぬ異性にいきなり話しかけるなんて、ローガンは今までやったことはない。だけど、何故かローガンはこの少女を放っておくことができなかった。
「……俺の父さんは薬師なんだ、よかったら製薬を頼んであげてもいいよ」
最初は自分で製薬しようと思い、しかしシュージがいない状態では何の成分を製薬すればいいのか全く分からず、自己治癒力向上のポーションならば父親の足元にも及ばない自分を発見し、ローガン少年の高揚感は少しだけ落ち着き、声をかけたのを後悔した。
***
「心眼をもっと進化させたい」
「無理だわね」
目への補助魔法とでも言うべき心眼をもっと診療に使えるようにしたいと思ってアマンダ婆さんを捕まえたはいいけど、なかなかこっちの要望に応えてくれるような答えを言ってくれない。何十年も心眼を使ってきたアマンダ婆さんなら、その先の進化についても目星がついていてもよさそうなものなのに。
「今の状態だとかなりぼんやりとしか分からないのと、何かに絞って集中的に見たりだとかをしたいんだよ」
「そんなん、あたしにも無理だわさね!」
例えばPET-CTのようなものである。PET-CTとは放射性薬剤を体内に投与し、その代謝の分析を特殊なCTと同時に行う方法で、悪性腫瘍などで代謝が更新されている部分が強調される。つまりは、病気のある部分だけが強調される画像診断法である。
「じゃあ、何かを探すような探知の魔法ってのはあるかい?」
「ああ、それならばかなり珍しい魔法だけど、あったと思うさね」
探査の魔法というのはかなりマイナーな魔法であったらしく、アマンダ婆さんも習得はしていなかった。家のどこかにその魔法の使い方が書かれていた本があったはずだとアマンダ婆さんが言い、それならば早く見せてくれと僕が言った時からすでに数時間が過ぎている。
「どこにいったかのう」
「それこそ探査があればすぐに出てくるのに」
「探査があれば探さんでもいいさね」
それからまた一時間ほどアマンダ婆さんの家を探して、最終的にロンさんの部屋から探査の魔法について書かれた書籍が見つかった。すでに日が暮れている。この世界、夜に本を読むのはちょっとしんどいくらいに光が少ない。
「明日、またしっかりと読むことにするよ」
それに僕は医学の本を書くという仕事があった。毎日、寝る前の日課にしているのである。さらに言えば、早く帰らないとレナがお腹を空かせて待っている。
練習しなければならない魔法が沢山あった。全てを行うことはできないから、得意な分野をそれぞれで担当することになるだろう。それを組み合わせてでも、医療魔法を発展させていかなければならない。
僕は少しではあるけど、充実感を覚えていた。
***
「困った時はお互い様です。材料はそちら持ちですし、製薬の代金はいりませんよ。代わりにユグドラシルの町で薬屋に用がある際はお立ち寄りください」
「これは申し訳ない」
「ははっ、この御縁がお互いのために良いものになれば私たちの儲けということです」
「ありがとうございます」
少女の付き人の男性とガッチリと握手を交わして、ローガンの父親は微笑んでいた。本来であれば製薬魔法をかけるだけでも料金を取るところであるが、それよりも少女の商会との取引ができるのではと人脈を優先させたようだった。この少女の父親はそれだけ名の知れたイーネ商会という商会を経営していた。
「私はマイン、貴方は?」
「お、俺はローガンだ」
「ローガン、ありがとうね。これでお父様もすぐに元気になるわ」
金髪の少女はマインと名乗った。父親の付き添いでユグドラシルの町を目指していたようであるが、その道中に父親の体調が崩れてしまったらしい。休んでいても一向に良くならないのを案じて、回復薬を買いに出たようだった。父親の体調が良くなるまではここに滞在することになるらしい。
「マインはもう商会の仕事をしているのか?」
「いえ、まだよ。今回初めてお父様の付き添いを許されたの」
「跡継ぎなのか? 大変だな」
「ううん。跡継ぎには弟がいるわ。でもお父様の方針で私も商会の仕事を学ぶことになったのよ」
同年代同士で話がはずむのだろう。それにしてもローガンの顔が若干赤くなっているのをみて、ローガンの父親は今朝怒っていたことを忘れて、半ば呆れてしまった。しかし、自分にも同じような年頃があったと思って大目に見てやることにする。
「ローガンは学校にでも通っているのかしら?」
「いや、俺は先生のところで薬師の……」
ふと、ローガンはその先を言うのをためらった。薬師の修行中であるのは間違いない。だけど、ローガンが求めているのはただの薬師だろうか。それとも……。
「俺は医者の修行中なんだ。主に薬関係のね」
「イシャって、なあに?」
「呪いでも治してしまう人だよ。先生は凄いんだ」
「そんな人がいるの!? 呪いを治すなんて!?」
ローガンは自分の事を褒められたかのように嬉しくなった。先ほど、ローガンの父親が製薬をした時にも同じような感情を持ったが、今回のはそれ以上である。
少しだけ父親に対して後ろめたい思いを覚えて、しかしローガンは今までシュージが起こしてきた奇跡を語った。
「すごいのね、その先生って」
「ああ、昔はSランクの治癒師だったらしいんだけど」
「Sランクね、そんなに凄いのなら有名な人なんでしょう。お名前はなんていうの?」
そこで初めてローガンはシュージの事を先生としか呼んでいなかったことに気づいた。
「ああ、先生はシュージって名前だよ。前は西方都市レーヴァンテインにいたって…………」
その瞬間、ローガンはマインの付き人の男性にがっちりと肩を捕まれた。あまりにも速いその動きに、周囲の人間全員がびっくりしている。
「な、なんて言った…………じゃない、おっしゃいましたか?」
口を震わせながら、付き人の男性は言う。
「ちょっとブラッド! 急にどうしたのよ!?」
しかし、付き人の男性は、マインの言葉に返事をすることなく、じっとローガンを見つめ続けるのだった。
***
ローガンの父親の製薬したポーションを飲むと、マインの父親は若干ではあるが生気を取り戻したように見えた。
「助かりました。ローガン君と言いましたね、お父様に私が本当に感謝していたとよろしくお伝えください」
ローガンの手を握って、マインの父親はにっこりとほほ笑んだ。だが、ローガンは何か違和感を感じていた。
「ブラッド、ユグドラシルについたらお礼の準備をして下さい」
「分かりました、旦那様」
付き人のブラッドは恭しく頭を下げた。先ほど取り乱したのがなかったかのように振る舞うその所作に、ローガンはわけがわかっていない。
「そのシュージ先生って方は、昔のブラッドの冒険者仲間だったってことなのね」
「はい、八年間の間、彼らと一緒に依頼を受けていました」
ぱっとみた感じは執事のようである。だけど、高位の冒険者だったのだろう。
「マイン、ダメだよ。冒険者たちの過去を詮索するようなことは」
「ブラッドはもう冒険者じゃないじゃない。イーネ商会の執事でしょ」
口を膨らませて抗議するマインに対して、やれやれと困った顔をするマインの父。その構図を見てローガンはまたしても違和感を感じたのであるが、それが何なのかは分かっていない。
「ブラッド。私の体調も少し良くなったことだし、明日にはユグドラシルの町に向かうことにしよう」
「かしこまりました」
「大発生は終わってしまったのよ。完全に乗り遅れたわ」
商人として大発生の収束に間に合わなかったというのは大損なのかもしれない。今のユグドラシルの町では大量の魔物の素材の売り買いがなされているだろう。行政の査定が済んだものから順に商人が扱ってもよくなるのである。多少の税金がかかっていたとしても、その大量の素材を持てるだけ持ち出せばかなりの利益になるのは明らかだった。
おそらく、うちが薬屋じゃなかったら父親もユグドラシルに残っていたんだろうなとローガンは思う。逆に多少の小旅行にも近い距離の避難に加えて、在庫を一斉に売り抜けた父親の商才というのにも気づいた。さらには薬が希少になったあとに暴利で売るということもしない誠実さも父親は持っているようだった。
違う職種の父親を比べて、ローガンはひとつ勉強になったと思う。マインの父親がどれだけの規模の商売をしているのかは知らなかったが、執事と娘を連れてユグドラシルにまで来るような身分なのだ。そのマインと違ってやや黄色がかった顔で多くの商品をさばいているのだろう。
「ローガンたちも明日にはユグドラシルの町へ向かうんでしょ」
「ああ、父さんはそう言ってたよ」
「なら一緒に行きましょうよ。いいでしょ? ブラッド」
「ええ、お礼のこともありますから馬車はこちらで準備するといたしましょう」
「それがいいわ」
ローガンの家族と違ってマインたちには専用の馬車がある。その荷台にはローガンの家族が加わっても十分なほどの座席があった。荷物はもう一台の馬車に積んであり、専用の御者までいるというのだ。
ローガンはそこまで裕福な家というのを貴族以外でみたことがない。
「なあ、ブラッドさん。先生の所に会いに行きたいなら案内するよ?」
「いえ、私には仕事がありますので遠慮しておきます。ブラッドが元気にやっていたとだけお伝えください」
「そ、そうなんだ」
またしても違和感を感じる。ローガンはマインという少女の事が気になるだけではなく、この家族と執事に対して感じる違和感をユグドラシルの町に帰りつくまで拭うことができなかった。