第三十三話:緊張性気胸1
転移で帰ってきたユグドラシルの町は厳戒態勢に入った。あと一日か二日で魔物がダンジョンから溢れてくると言う情報が領主館に入り、それに伴って兵士たちの移動が始まったからである。兵士に混じって、冒険者ギルドからも人員を出すことになっていた。
「とりあえず、僕たちは休まなければならないよ」
治癒師はこれからある戦闘に備えて魔力を回復させておかなければならなかったし。他のノイマンやアレンたちも休養が必要で、レナやアマンダ婆さんだってかなりの量の魔力を使ってしまっていた。
魔物がユグドラシルの町に殺到するまでにはまだ時間がある。僕たちはそれぞれ家に帰って休むこととなった。店や酒場などは閉まってしまうために、兵士たちや冒険者ギルドから食料品の配給がある。僕はそれを持ってレナと小屋へと帰っていた。
「あんな顔のシュージを見たのは初めてかも」
「あんなって、どんな?」
「悔しそうな顔」
僕は死んでいった兵士の顔を思い出していた。実はこれと似たような事はいくらでも経験している。それは日本にいた時だった。
「魔法はね、回復魔法はすごいんだ」
「なによ、突然」
「回復魔法や他の魔法がない世界って、どうなるか分かるかい?」
「分かんないわ。魔法がないなんて考えられない」
こちらの世界の住人はそうだろう。だけど、僕は魔法のない世界からやってきた人間だった。だからこそ、魔法で原理もわからずに解決している多くの部分を化学が補い、発展した上で医学というものを学ぶことができた。
あのラッセンという治癒師に、いくら医学の事を説明しても聞いてくれないだろう。そして、回復魔法ならばなんとかなるはずで、ならなければそれは呪いだったとか、回復魔法が効かないほどにやられてしまっていたのだとか言うはずである。
だけど、同じ医学を学んだ医者相手であったら、僕の言うことに耳を傾けてくれるはずだった。感情論で理由もなく相手を拒絶するなんていうことは、あってはならないし、それがまかり通ってしまうならば化学や医学の発展はない。
だけど、この世界に化学の発展はいらなかった。かわりに魔法がある。
「あれが魔法でなんとかできる病気だったら……いや、待てよ」
「どうしたの?」
「レナ、早く家に帰ろう。僕は確認したいことができた」
食料を抱えたまま、僕は走った。目的は本である。一冊の本に、僕の欲しかった知識が乗っているかもしれない。そして、その本を僕はユグドラシルまで持って来ていたはずだった。
「何よ、確認したいことって」
走り出した僕を追って、レナも走る。
「あの本! なんだっけ、生活に使える魔法!」
「それって、風呂の沸かし方とか書いてあるやつでしょ!?」
「ああ、そうだよ! それが読みたいんだ!」
本来であれば専門書からは程遠い本である。生活魔法とも呼ばれる、日常生活に応用できる魔法をまとめた本だった。浄化の魔法などの生活魔法専用の魔法から、本来は攻撃などの用途に使用されるはずの黒魔法を日常生活に応用する知識などまで、さまざまな方法が考案されている。風呂の沸かし方なんかも、これに記載されていた。
「ああ、くそっ。大発生がなけりゃ、明日の朝まで読みふけるのに」
「それは駄目よ!」
「とりあえず、走るよ!」
「もう走ってるわよ!」
家に帰ると僕はそのまま本を読みだした。初めて読んだ時にはそんな事は全く思いつかなかったのに、この本に書いてある魔法を使えば、僕のやりたいことができるかもしれない。黒魔法に関しては僕はあまり得意じゃないけど、レナがいる。水の魔法と風の魔法を組み合わせてやればいけるはずだ。
レナがご飯を作ってくれて、それでも僕は本を読んだ。明日は朝早くに集合と言われていて、大発生が来たら無事に帰れるかどうかも分からない。だけど、これを乗り切ったら素材を集めて僕はもう一段階上の医療を行おうと思う。
「よかった」
「え? 何が?」
「いつものシュージに戻ったみたい」
「そんなに落ち込んでいたかなぁ」
またしてもレナに心配されていたみたいだ。反省しないとならない。
「ねえ、教えてよ。何を思いついたの?」
「うん、思いついたのはね。人工心肺と透析だよ。レナに手伝ってもらわないとできないから、頼んだよ」
「また、わけの分からない単語がでてきたわね。何に使うの?」
これは僕の中でどこかで諦めていたことだったけど、もう諦めるなんて事はしない。この世界には魔法があるんだ。器材がたりなければ、知識と薬が足りなければ、魔法でなんとかすればいい。魔法でなにもできない領域を僕の医学で何とかしようと思っていたけど、そんなこだわりはいらない。魔法も使って、医学もつかって、何でも使って助けられない人も助けるんだ。
僕は答えた。
「手術している間に、心臓と肺、それに腎臓の代わりをしてくれる魔法を開発するんだ」
僕はその後、レナの言うことも聞かずに夜遅くまでずっと本を読んでいたら、レナに睡眠を使われてしまった。
***
「大発生は災害でもあるが、恩恵がないわけでもない」
朝になって冒険者ギルドへ行っても、まだ魔物たちはユグドラシルの町に近づいていないらしく、多くの冒険者たちが暇を持て余していた。さすがに朝から酒を飲むやつはいなかったけど、食事をしている人はいる。冒険者ギルドの酒場も一時的に開いているようだったけど、メニューは少ない。
そんな中でノイマンとミリヤ、それにアレンにアマンダ婆さんを発見して、同じテーブルの所に座った。開口一番、アレンが言ったのがそんな言葉である。
「恩恵?」
「全て終わってしまえば、魔物の死骸で埋め尽くされるからな。肉は無理でも、素材は獲り放題というわけだ」
なるほど、それで意外にも商人たちがユグドラシルの町から出ていかないわけだ。市場でも、商魂たくましく商売や露店を広げているのだろう。大発生の規模次第では命にもかかわると言うのに、恐怖よりもプロ根性と言ったところかもしれない。
「だから、父上は基本的にダリア領には救援を求めていない。しかし、傭兵は沢山雇ったようだ」
「治安の事もあるから、最低限の物資補充以外は町に入らないようにしているらしいぜ」
前回の大発生の規模だとかを考慮して、傭兵を雇ってまで町を護ろうとしているのは正しいだろう。他の領地からも少数ではあるが救援は来ているようだった。
「冒険者ギルドの役割は、前線に出て死ぬ事ではない。兵士たちの補助と、不測の事態への対処といったところだな。カジャルが陣頭指揮を執って治療所を開設しているはずだ。ユグドラシルの町の衛兵から治癒師を全て集めても数十人にしかならんから、そっちを手伝ってもらうぞ」
「了解、できるだけ怪我しないようにしてもらわないとね」
「ああ、父上には策があるらしい」
冒険者をしていたランスター領主が大発生の対抗策を用意しているというのは当たり前の事だったのだろう。冒険者は魔物に対する専門家なのだ。
「前回の大発生の資料によるとだな」
アレンはコーヒーを一口飲むと続けた。
「魔物の数は多いが軍隊というわけではない。地上に沸いて出て、その数が増えすぎて低地であるユグドラシル方面への流れができてしまうという程度だ。ただし、その規模が数万匹にも及ぶと言われている」
数万匹の魔物というと、ユグドラシルの町の兵力が数千だったことを考えると対処できないのではないかと思ってしまう。
「隊列を組んで突進してくるわけではないために、あらかじめ城壁の向こう側に壁や堀を作る事で進軍を遅らせ、城壁の上から魔法を撃つだけでもかなりの数が討ち取れたそうだ。魔法使いはこっちに参加して欲しいと言われているし、数日前から壁だとか堀だとかはすでに建設されている」
この方法は前回の大発生でも使用され、かなり有効だったようである。ダンジョンから出てきた魔物の中に飛行するものが少なかったというのもこの方法を効率よくさせた一因だろう。
大小様々な魔物がそれぞれの速度でユグドラシルの町の方面へと山脈を下っていく。たまたま、町はその道中のど真ん中にあるというわけだ。
「そして、魔法である程度の打撃を与えたところに、兵士たちが突撃するというわけだな。それからは乱戦になるかもしれん」
つまり、魔物は平均すると人よりもずいぶんと強いのだろうけど、烏合の衆というやつだった。指揮系統のない集団というのは、驚くほどにあっさりと崩壊してしまったりするらしい。対してユグドラシルの町の兵士たちは、いつ来るかもしれない大発生に対する訓練というのを数十年間も続けてきている。百人単位で固まって突撃する事にかけては、大陸中探してもここまで練度の高い兵士たちはいないのではないかというほどであった。これならば、大丈夫だろうと思う。
「よく考えてあるんだね」
「前回の大発生は私の曽祖父が対処したのだ。その際の成功点と失敗点を学び討論するのが我が家系に引き継がれてきた儀式の一つでもある」
「じゃあ、僕は治療所へ、レナは城壁へ行けばいいのかな」
「ああ、よろしく頼む」
昼過ぎになって、魔物がやってくるという報せが入った僕たちはそれぞれに割り当てられた場所へと向かう。
「無茶しちゃだめだよ」
「分かってるわよ、そっちこそ魔力の使い過ぎと逃げ遅れには注意してよね」
レナは東の城壁へと走っていった。アマンダ婆さんとロンさんと共に特大の魔法をぶち込むつもりなのだとか。城壁の前には何重にも敷かれている防御陣があるから、ちょっとやそっとのことでは打ち破る事は出来ないだろう。土魔法を駆使した壁は、かなりの距離と厚みでユグドラシルの町を護っていた。
「こっちは、当分暇になりますね」
「忙しくなるとあっと言う間だからな。それまでは無駄な力は使わない事だ」
カジャルさんと話をしていると仮設の治療所にはミリヤも来た。ノイマンが心配なのだろうか、落ち着きがない。他にはウージュなどの見知った顔もあった。ユグドラシルの町の治癒師がほとんどここに集まっている。それに衛兵の中の回復魔法が使える者だとか、他の町からの救援で来ている治癒師なんかもいた。
「ついに、始まりますね」
「ああ、心配ないよ」
東の城壁の方から魔法の炸裂する音が聞こえてきた。魔物の第一陣が到着したのだろう。まだ、兵士たちの突撃までには時間がかかるはずである。治癒師が必要となってくるのは、まだまだ先。そして、一度必要になってくると、ユグドラシルの町か魔物たちのどちらかがやられ尽くすまで、僕らは働くことになる。
僕は、「皆」ではなく、レナを初めとして知り合いたちが死なないことを祈った。




