第三十話:筋腎障害性代謝失調症候群 1
「おっしゃぁぁぁああああ、Aランクだぁ!!」
「よかったわね、あとうるさいわよ。ここには病人がいるんだから」
診療所で叫んだノイマンをレナが極弱の雷撃で撃つ。「んごうわぁっ!」っと、何と表現したら良いか分からない声を出して、ノイマンが倒れ伏した。しかし、その顔は緩みきって笑い続けている。
「悲願、でしたからね。Aランクに上がるのが」
それを見守るように微笑んでいるのは、同じくAランクに昇格したミリヤだった。
「二人とも実力は十分にAランクだったからね」
「ま、まあな。先生とアマンダさんにつき合わされて高難易度の依頼ばっか受けまくったおかげで、最近じゃBランクの魔物に苦戦するなんてことはなくなってきたしな」
床に伏せながらもドヤ顔をきめるノイマン。恰好ついていないけども、まあ、これがノイマンなのだろう。
「今回の働きが認められたということだな、ロンも君たち二人ならばAランクとしても問題ないだろうと言っていた」
ノイマンとミリヤがAランクに上がったというのを知らせてくれたのはアレンである。ニーナさんが入院中であるこの数日は、毎日ここに顔をだしていた。特に冒険者の依頼を受けているわけでもないけど、かなり忙しいのは忙しいらしい。領主の息子としての仕事があるのだろうか。
意識が戻ったニーナさんは、世界樹の雫から抽出した抗生剤がよく効き、少しずつではあるけど回復してきていた。すでに食事もとれるようになっており、少しずつリハビリが必要な段階にまで来ている。
すでに首から差し込んでいた中心静脈カテーテルは抜き、二日前には胸腔ドレーンも抜くことができた。それまでは交代で胸腔ドレーンの中を陰圧にする作業を行っていたのであるけど、これが大変で、すぐにカジャルさんが領主館の使用人だとか暇してそうな人員をかき集めて、交代制で二十四時間やり続けさせたのである。僕らも休むことができ、やっぱり数というか人数というかマンパワーは力そのものなんだなと思った。
カジャルさんはニーナさんにつきっきりで一度も領主館に帰っていない。途中で銭湯に行く以外は領主館の人に着替えを持ってこさせたりだとか指示を出している。専属治癒師兼領主の昔の冒険者仲間というのはそれなりに地位が高そうだった。
意識が回復したニーナさんは、世界樹の果実を食べた。食欲なんてほとんどなかったはずであったけど、アレンが命がけで採ってきたそれをニーナさんは食べたのである。
「ニーナ、これが世界樹の果実だ。先に毒見は済ませてある」
「若、恰好つけてないで死にそうになったから魔力補充のために少し食べたと正直に言いなされ」
「ぐっ、カジャル……、ま、まあ念のために魔力を補充しただけで、そこまで危ない状況ではなかったからな」
「アレン様……、もう同じようなことはしないと約束しない限り、私はこれを食べません」
「む、……分かった。約束だ」
「ええ、ではいただきます」
一通り領主やカジャルさんたちから怒られていたアレンは、最後にニーナさんにも怒られた。だけど誰一人として本気で怒っている人はいなかったのだろう。それだけアレンもニーナさんも、皆から愛されているというのが分かった。
「むせないように、ゆっくりとよく噛んで飲み込んでくださいね」
誤嚥が心配だったけど、ニーナさんはまず一口食べる。その顔があっと言う間に綻び、びっくりしたように、次の一口が進んだ。よほど美味しかったのだろう。
「ねえ」
「なんだい、レナ。自分も世界樹の果実を食べたいとか言わないでくれよ」
「なんでもないわよっ!」
むせてしまうのではないかと思うほどの勢いで、ニーナさんは世界樹の果実を食べ切った。噛り付いた時に少しだけ香ったはずの果実の香りが、診療所の中を満たすほどだった。
「いーひっひ、あれがランスターがプロポーズに使った世界樹の果実さね。第二十階層にまで上がらないと手に入れることはできんし、その実に満たされている魔力量は製薬しなくても一流の魔法使いの魔力を完全に回復させるとまで言われているさね」
かつて第二十階層で口にしたその味を思い出したのか、アマンダ婆さんは今にもよだれが垂れるのではないかというほどの表情で言った。そんなに凄いのか。
第二十階層付近になると急に魔物の強さが変わってくるのだという。その理由が世界樹の果実を食料としている魔物がいるという事だった。たしかに、明らかに生命力を取り戻したニーナさんを見ていると、それも頷ける。
世界樹の果実を食べてから、ニーナさんは明らかに回復していった。
***
「おそらく、肺は完全に癒着してしまっているでしょう。次に手術が必要な事態になっても、そう簡単にはできません。必ず、薬を飲んでください」
「分かりました。本当に、命を救っていただき、ありがとうございました」
ニーナさんは背筋をピンと立ててからお辞儀をして、それからカジャルさんとともに領主館へと帰っていった。今後は定期的に診療所に通ってもらうことにしている。
「なんで、あの二人は結婚してなかったのかな」
「人にはそれぞれ、事情というものがあるからね」
レナの疑問というのは当事者以外が答えを言ってはならないものなのだと思う。それぞれの気持ちとか人生というものがあるのだろうから。
「好きなら、結婚して家庭を持ってもよかっただろうに」
「まあ、一般的にはそうなのかもしれないけど、冒険者と領主館の使用人だとすればそんなに簡単には結ばれないだろうよ」
「まあ、でも今はお互いに幸せそうだしいいかな」
「そうだね」
今回の事件で領主ランスター=レニアンから正式にお礼をもらえる事になった。そこで僕は領主が各地から取り寄せているものの中に、僕らが薬に使えそうなものがあれば分けて欲しいという事と定期的に購入できるようにしてもらえないかという事をお願いしたのだ。
ランスター領主はその程度ならばアレンの命を救ってくれた礼とは釣り合わないとして、かなり多くのお金を置いていった。それで、本日は祝宴である。
「ノイマンとミリヤの昇進祝いと、ニーナさんの退院祝いという事で、乾杯!」
「「「乾杯!」」」
ギルドの酒場で盛大に祝うことにしたのである。僕とレナ、ローガンにサーシャさん、ノイマンにミリヤ
にアマンダ婆さんが参加した。ローガン少年はソフトドリンクであるけど、隙を見て酒を飲もうとするのをサーシャさんに止められている。あとから仕事が終わればロンさんがやってくるらしいけど、どうやら終わりそうにないらしい。それにもう一人参加している人がいた。
「えっと、領主様のご子息がこんなところで酒を飲んでいても良いのですか?」
「なんだ、ノイマン。私がいては酒がまずくなるか?」
「いえいえ、そんな事はないです!」
アレンがどこからか聞きつけて参加しているのである。この数日ですっかり顔なじみになったアレンは意外にもお酒が好きらしく、普段はあまりギルドの酒場を利用できないから今日は楽しみなのだと言った。
「それに私の仕事も一段落したしな」
「仕事、ですか?」
「…………まず、その敬語をやめよ。君たちは私の命の恩人なのだぞ」
「そんな事を言っても、将来領主になられさられる方にご無礼をば……」
完全に敬語がなっていないノイマンの額をコツンとつつくと、アレンは左手に持っていたエールのジョッキを一気に飲み干してから言った。
「それだ。私は次期領主の座を完全に手放すことにし、弟に告がせる旨を父上に了承させるという仕事がさきほど終わったのだ」
「はい!?」
「もともと、弟の方が政務は得意だしな。私は冒険者稼業、というよりも父が挑んだ世界樹の更に先を見てみたい」
「お、おぉ……なんかびっくりし過ぎてて、何と言えばいいのか……」
アレンはエールの追加を注文すると、楽しそうにユグドラシルチキンにナイフを入れた。
「それでだな、世界樹を登るにあたってパーティーを組みたいと思っているのだ。そこにちょうど実力のあるAランクの戦士と治癒師がいると聞いて駆け付けたのだよ。ノイマン、ミリヤ、私とパーティーを組まないか?」
「お、俺なんかでいいんですか?」
「だから敬語は禁止だと言うておるのだ。そうだ、アマンダも付いて来てくれ」
「ひっひっひ、またしてもランスターに羨ましがられるのぅ」
あたしがまだ世界樹に登っていると聞いて自分も行きたそうにしとったからの、とアマンダ婆さんも楽しそうに盃を飲み干した。酒はほどほどにしてほしいものである。
「では、もう一度乾杯しよう。新しいパーティーに、そしてここにいる奇跡を成し遂げた医者にだ」
***
ユグドラシルの町の東には山脈がそびえている。ほとんど人が住むことのないその山脈には、数多の魔物たちが跋扈し、未知の植物が群生する場所があるという。
世界樹に住み着く魔物を除けば、大陸東部というのは魔物の強さはさほどではないと言われているが、この山脈地帯だけは別物として考えられていた。
そして、その中でも特に注意が必要と言われている場所がある。
「今日も異常なしだな」
「ああ、たまに自分の仕事の意義ってのを問いたくなるぜ」
衛兵が常駐しているその砦は、あるものを監視するために作られていた。そしてそこに常駐する兵たちは魔物と戦って帰ってきたその鎧を洗うために、井戸から水を汲んでいたところである。魔物と戦うというのは彼らにとっては日常で、そしてたまにAランクの魔物が出るこの状況ですら退屈に感じるというほどの精鋭たちだった。新兵の死亡率だけは断トツで高いその砦の目的は果たされることなくこの数十年が過ぎている。
彼らが恐れているのは大発生と呼ばれる魔物の大量発生だった。
そして、その発生場所というのは予想されている。それはすでに過去に起こっていた。
ダリア大空洞と呼ばれるダンジョン。常に魔物がどこからともなく発生し続けると言われているこの洞窟で、その数は予想もできないほどの大軍で、数十年前にユグドラシルの町を完全に飲み込んだと言われる大発生は、静かにその予兆を示し始めていた。




