第二十話:絞扼性腸閉塞4
「はあ、どいつもこいつも……」
なんでこうも異世界の冒険者という人種はこうなのだろうと思う。僕がため息をついてしまうのも仕方のないことだろう。原因を完全に取り除けたわけじゃないのだから、せめて予防の薬くらいは飲めといいたい。せっかく治療したとしても、それではまた再発してしまうのだ。いや、もちろん再発しないかもしれない、でも未来のことなんかは分からないし、地球でとった統計ではそうだったのだから人体の構造が同じこの世界でも再発の可能性があって、それを予防していくのも医学である。
「飲んでって言ってるでしょ」
「いーひっひ、すまんさね」
アマンダ婆さんの高血圧はまったく治っていない。そりゃ治療していないのだから治るわけもなく、高血圧からくる他の合併症の予防のための血圧の薬を全然飲んでくれないのだ。本人によると、飲むつもりはあるけどよく忘れるとのこと。そしてその頻度は二日に一度を越えている。
「何のために僕が薬を頑張って作ってると思ってるんだ」
「いーっひっひ、あたしも飲もうとは思ってるんだけどね」
「おお、ついに先生がアマンダさんに敬語を使わなくなった……」
地球も異世界も一緒である。きちんと言うことを聞いてくれる人もいれば、聞いてくれない人もいる。
「はぁ、それで問題のもう一人は今日も来なかったんだね」
この前イレウスの治療をおこなったヴァンもまた、診療所にはあまり顔を出さなくなっていた。腸管減圧の治療中は完全に意識を失っていたためにあまり抵抗感がなかったのか、またしても同じようなことになればまた治療ができると思っている節がある。次があるならば意識がある時にやってやろう。
「困ったな、再発は十分にありうるし、最悪は手術や命に関わる事態にもなるってちゃんと説明したんだけど」
「そうなったら自業自得さね」
「アマンダさんは人の事言えない立場だからね」
自信を取り戻したヴァンはかつての仲間たちとパーティーを組みなおしたという。本来の力さえ発揮できればAランクの戦士であって、重宝されているようだった。
この世界にフラグと呼ばれるものはあるのだろうか。言霊という言葉が存在するということは確認したから、同じ意味のものはあるんだろう。そして、悪い予感はあたるというのはどこでも同じようだった。
***
「せ、先生……」
ヴァンが仲間に連れられてというか運ばれて診療所を訪ねてきたのは数日後である。僕は天を仰ぎ見るというのはこの事かと思いながら診療所の玄関の天井を見つめた。心眼を発動するまでもなくイレウスの再発、いやむしろ腸閉塞の状態にまでなっているらしい。腹を抱えて痛がっているそれはかつてのノイマンと同じ、筋性防御を示していた。
ため息をつきたくなる衝動を抑えて目の前の事に対処しなければならない。このままではヴァンは死んでしまうだろう。
「レナ、緊急手術の準備だ。サーシャさんも手伝ってください。ローガン、ミリヤがいたら呼んできてくれ」
「は、腹が……」
ヴァンの腹はやや膨らんでいたがパンパンというわけではなかった。だけど、完全に歩くこともできないこの症状からいって、僕は最悪の想定をし、そして「心眼」でそれが当たっていたことを知った。
絞扼性腸閉塞である。
人の腸は小腸と大腸に分けられる。小腸は十二指腸、回腸、空腸と場所によってさらに細かく分けられ、大腸は上行結腸(上行結腸)、盲腸、横行結腸、下行結腸、S状結腸(Sじょうけっちょう)、直腸と腹腔の中をぐるっと回るかたちをしている。
それぞれの腸にはそれぞれを栄養する血管がついている。簡単に言うと、いびつな扇の形をした腸間膜という膜のなかに血管が扇の骨のように走り、扇の先の部分に柔らかい腸がくっついていると思ってもらえばいい。
もし、たまたまで癒着などでくっついた部分が輪っかをつくっていたとする。そしてたまたまその輪っかの中に腸が入り込んでしまったとする。そしてたまたまそのはまり込んだ先で腸管が拡張して抜けなくなってしまったとして……。あまりにも拡張しすぎた腸管が腸間膜を走っていた血管を圧迫し始めたらどうなることだろうか。
その血管が栄養していた部分の腸は血が行き届かなくなり、虚血壊死、つまりは腐り始めるのである。
ヴァンは空腸の一部が癒着で輪を形成した部分にはまり込み、拡張と同時に捻りも加えられたことで完全に血流が遮断されている部分があった。
発症した時間が知りたい。解除すればまだ腸が助かるかもしれない。僕はヴァンを運んできた仲間の魔法使いに聞いた。
「腹を痛がり出したのはいつ?」
「え、えっと、一昨日からだけど、こんなに痛がったのは昨晩からだ」
今はだいたい朝の十時くらいである。すでにかなりの時間が経っていた。おそらく壊死した部分の腸は助からないだろう。そうであれば切除し腸を再吻合しなければならない。しかし、これを簡単に解除するというのは危険でもあった。何故なら解除した途端に壊死した組織から出ていた毒素というか老廃物というか、とりあえずは体によくないものが血流に戻ってしまうのである。その量が多ければ多いほど不具合が起こり、最悪の場合は心臓が停止する。その他の臓器に悪影響を及ぼすことも多い。
「レナ、昏睡をお願い。それに気管挿管して呼吸させるから、その準備も」
ヴァンを手術室に運ぶとレナが昏睡をかけた。それによってさっきまで痛がっていたヴァンは意識を失って全身の筋肉が弛緩する。この緩くなった瞬間に腸閉塞の原因となっている部分が解除されてしまうとまずい。しかし、そんな兆候は訪れなかった。逆に言うと、この程度では解除できないほどに膨れ上がっている可能性が高い。
気管挿管を行ってバルーンで固定した。この固定は緩いために、気管挿管のチューブを紐で縛って顔に巻き付ける。テープがないためにこんな事をしているが、ないよりはマシだろう。足踏み製の呼吸器につなげて数回呼吸させ、聴診器で両方の肺に空気がきちんと入っていることを確認し、レナに託した。レナとしてももう慣れたものである。
「消毒を! それに手術着に着替えよう!」
帽子とマスクをかぶり、念入りに手を洗う。ゴーグルはまだ完成していなかったために出血が目に跳ばないように注意しなければならない。手をアルコールで消毒したのちに手術着を着た。全部サーシャさんが手伝ってくれる。
準備をしているうちにミリヤとノイマンが到着した。僕と同じように手を洗ってもらって手術の準備に加わってもらう。
ヴァンの腹部の消毒が終了し、滅菌した布をかけて腹部以外を隠した。これで手術ができる。
「よろしくお願いします」
「「「よろしくおねがいします」」」
麻酔はレナ、助手はミリヤである。ついでにやってきたノイマンに外回りをお願いし、ずっと看護師をやってくれているサーシャさんが器械出しで手伝ってくれる。僕は手術着に着替えてしまったから、手術野という清潔にした部分だけしか触ることができない。色んな人の助けを借りて初めて、手術を行うことができた。ついでにローガン少年は受付で緊急手術のために診療はストップしているということを伝えてもらう係である。
***
左右の肋骨の一番下の部分を肋骨弓という。この弓のようにしなった部分が胸の前面にある胸骨にくっついている部分に足の方向に向けてちょっとした突起がある。これは剣状突起という名前がついた骨であり、この少しだけ下の部分から、へそを右側に避けるようにメスで縦に皮膚を切った。皮膚のすぐ下の部分からじわっとした出血の点がぽつぽつと見え始める。皮下を通る血管を切ったのだ。
「こっち持って」
「はい」
ミリヤに反対側の皮膚を持ってもらい、出血の部分を焼きごてで焼いた。出てきた血をガーゼで拭きながら血管を焼いて止血していく。
皮下の止血が終わると、その下の組織を切っていった。すぐに腹直筋が現れる。これは一般にいう腹筋であり、シックスパックという六つに分かれるやつだ。その隣に腹斜筋そのさらに下には腹横筋というのが両側についているのであるが、今回のアプローチは正中切開である。腹直筋は中央で二つに分かれており、筋肉を包み込む筋膜が集合し繊維状になっているその縦の線を白線と呼ぶ。文字通り、白い筋線維の線である。ここを切れば腹直筋を傷つけることなく腹腔に到達できるのだ。
腹膜が見えて、僕はその下にあるはずの腸が傷つかないように慎重に鑷子で腹膜を掴んだ。ミリヤにも反対側を持ってもらい、僕は鑷子を一旦放す。もし腹膜と一緒に腸を掴んでいたとしたら、腹膜を切った時にしたにあった腸を切ってしまう。二度ほどそれを繰り返すことで腹膜を引っ張り上げ、下にくっついているかもしれない腸管を落とす動作を行った。腸と一緒に腹膜を掴んでいないという事を確認してから腹膜を一センチほど切った。
すぐに腹腔の中に空気が入るのが分かる。僕はそこに指を入れて腸を切らないように分けながら白線に沿って白線と腹膜を上下に剪刀で切っていった。
両手が十分に入るくらいに腹腔の穴を広げると、開腹器という器械でその穴を両側に引っ張ることで視野を確保する。腹腔の中では腐ってしまった腸がどす黒い色と異臭を放っていた。
「うっ」
一番近くにいたミリヤと、マスクをつけるのを忘れていたノイマンがのけぞる。
「見て、この部分がべったりとくっついている」
癒着によってヴァンの小腸は一部が他の腸とくっつき、さらには腹壁にも張り付いていた。前回のイレウスはこの辺りが詰まったのではないかと思われる。拡張しきった小腸をたどっていくと、明らかに色の悪い部分にたどり着いた。そこの境界部分は紐のようにピンと張りつめた癒着があり、その先では壊死の原因となった血管が完全に押しつぶされて捻じられている状態だった。これでは壊死して当然である。
「絞扼した部分の解除の前に、静脈を結紮するよ」
壊死部分の毒素が血流に流れないようにするために必要な処置である。若くて経験の少ない医師に多いが、血液検査に異常がないという理由で緊急手術の必要がないと判断し、見過ごすことがある。しかし、実際には腸管が絞扼、つまりは締めあげられてしまっていて毒素が血流にもどっていないだけで血液検査に反映されていないだけの場合があり、壊死範囲が広がるという事案がある。さらに、この手技をせずに手術をしてしまうと、毒素が一気に血流に戻ってしまう。その中でも非常に怖いのがカリウムという電解質であり、血液の中で一気に上昇すると心臓が止まる。このカリウムは細胞の中には当たり前のように存在し、尿とともに排出される物なのであるけど、壊死組織からもかなりの量が出るのだ。
「鉗子ください」
ハサミのような形状で先端で物を掴める構造をしている鉗子という器具の先端は、開かずに閉じた状態であれば剥離操作に向いている。剥離とは、切るわけではなく穴を開けたり剥がしたりする操作の事で、筋張った血管や神経などの組織はちぎられることなく残るけど、柔らかい膜が外れていくというのを目的とした操作の方法を言う。これが手術の極意とも言うべき剥離操作であるけど、そんなうまくいくわけもなく、血管を裂いてしまって出血することもあれば臓器に穴をあけてしまうことだってある。
そうはならないように慎重に行うわけであるけど、場合によっては力をこめて膜を破る必要だってあった。すべては総合的なバランスが必要なんだと、昔に先輩に言われた記憶もあるけど、要は出血させずに臓器に傷もつけずにいらない組織を剥がしてくるということである。これが上手であると、手術がうまいと言われる。
アマンダ婆さんの内胸動脈を剥離したことのある僕が、腸間膜の腸間膜静脈の周囲の剥離操作で出血などさせるはずもなく、あっというまに壊死部分の根元の腸間膜静脈の左右に穴を開け、血管の下に鉗子をくぐらせた。
「ミリヤ、この鉗子に糸を持たせてくれ」
「はい」
待機していたミリヤが、滅菌したジャイアントスパイダーの糸を鉗子の先に持たせてくれる。それを確認したあとに鉗子を抜いて、糸を結ぶと、血管の結紮が完了した。さらにはその横に走行している腸間膜動脈も同様の操作で結紮する。腸の切除前にはこの結紮、つまりは糸結びの操作が沢山必要になるのだ。それだけ血管が多い。
僕は根元の血管の処理が済んだことを確認して、締め上げられていた癒着を切って腸の絞扼を解除した。癒着した部分を切っていくと壊死した腸管の全貌が明らかになる。だいたい二十センチくらい、僕の手のひらを広げたのよりも少し小さいくらいの部分が壊死していた。
「こことここ、それでここも結紮するよ」
「はいっ」
ミリヤに指示を出す。ミリヤはまだ外科手技に必要なだけの糸結びができないので全ての結紮は僕が行った。指定した場所がすべて結紮できると、腸を切除しても血が出る事はない。
「ここからここまで切ります」
僕は剪刀で腸と腸間膜を切除した。そのどす黒い部分だけではなく、数センチずつは余裕を持っての切除である。そうでなければ腸管を再吻合したときにくっつかない。中身が外に漏れないように気を付けた。
取り出した壊死した腸管を金属製のパットに入れた。壊死した部分には細菌が繁殖している可能性もあって、他の器具とは別の場所に置いておいてもらうように指示した。
「さあ、繋ぎなおすよ」
「腸を繋ぐのですか?」
「はは、繋ぎなおさない技術もあるけどね」
繋ぎなおさないという技術は人工肛門である。腹部に穴を開けて、腸をそこから出して固定するのだ。その見た目は非常に悪く人気はない。しかし、医学的にはそんなに悪い方法でもない。
人工肛門には括約筋という便を出すのを止めている筋肉が存在しないから基本は垂れ流しである。日本ではここにビニールとテープで作られた袋を取り付けて便がそこに溜まるようにしている。
何故人工肛門が必要かというと、第一の理由は腸管の再吻合が行えない場合である。それは肛門に近い部分の直腸に何かしらの病気があって、かなり近くまで切り取らなければならなくなった場合などがこれに当たる。第二の理由は腸の腫れがあって吻合しても破れる可能性が高く、数か月待ってから再吻合する場合である。
もし、ヴァンのように小腸の絞扼性腸閉塞で人工肛門が必要になるとしたらこちらだろう。だけど、異世界にはビニールなどもなければ人工肛門を管理するような道具も少ない。そして、…………魔法があるからおそらくはいらないのだろう。
「持針器にこの針糸を付けて下さい」
「はい」
僕はサントネ親方が復帰してからある程度量産できた針糸の一つを持針器につけてもらった。そこまで細くない針糸を、血管のように連続的に縫っていくわけではなく、一つ一つ結紮するやり方で縫っていく。
腸は三つの層からできている。内膜、中膜、外膜である。まずは全部の層を貫くように針を通した。その全部を合わせるように結紮する。一周回ったら、次は外膜だけをつなげるように針を通し、結紮した。この二回に分けて腸を吻合する方法は|Albert-Lembert吻合と呼ばれている。読み方がドイツ語なのは、昔の日本がドイツから医学を学んでいた頃の名残りだ。
「回復!」
そしてお決まりの魔法をかけた。僕がこの時にいつも思うのが、手術の腕がある程度悪くてもこの魔法があれば補ってしまうどころか誰がやっても同じなのではないかという思いである。腕を磨き続けた若い頃の努力を否定されているようで、なんとも言えない。腸は綺麗に吻合され、あっと言う間に魔法で治癒した。吻合不全はないだろう。あったとしても回復で塞がってしまっている。
腹腔を滅菌した生理食塩水で洗い、腹膜や腹直筋、そして皮膚を縫合しながら回復をかけた。ミリヤも手伝って回復をかけてくれたために、この作業はあっと言う間に終わった。皮膚なんか手術をしたかどうか分からないほどきれいに治ってしまった。
「手術終了……ありがとうございました」
手術から一週間後、ヴァンは退院してパーティーに復帰した。相変わらず魔法の力が凄いのか、冒険者の回復力が凄いのかは分からないけど、日本の時よりも術後の経過がめちゃくちゃいい。




