第十九話:絞扼性腸閉塞3
さて、僕の中で全てがつながった。
ヴァンの不調の原因はその身体能力ではなく、たまに訪れる腹痛と腹部膨満、そして排便困難であろうと思われる。彼はそのことで仲間に迷惑をかけると思っているのだろう。だから調子がいい時に単独での依頼しか受けない。僕は心眼をつかってヴァンの腹部をくまなく観察した。これで確定した。
人体にはほとんどまっすぐな直線というものが存在しない。どこか少しだけでも曲がっているものなのである。そして、もしその人体の中に直線があるとすると、見ただけでも違和感を感じる。
その正体が「鏡面形成」であり英語でniveauと呼ばれるものだった。これは画像での検査、とくに腹部レントゲン検査などで診ることができる所見の一つで、僕はそれを心眼で確認できた。
鏡面形成の正体は水面である。拡張した腸管の中に便と腸液が混ざった液体の水面が、人体ではありえないまっすぐな平面を形成するのだ。
ヴァンの不調の原因であり、その病名は「癒着性イレウス」という。イレウスは日本語では腸閉塞の事であるけど、医学用語では腸はまだ完全に閉塞していないが蠕動、つまりは腸の動きが非常に悪い状態のことを指す。まだあまり腸管の拡張は起こっていないけど、明らかに数日は便が出てなさそうだった。彼はこうなると食事を制限しつつ良くなるまで耐えるという事を繰り返していたのだろうけど、下剤の調達もままならないこの世界ではそれは本当に死と隣り合わせの状態だったのだろう。
「ヴァン、君のそれは呪いじゃないよ。というよりもこんな回りくどいことをせずに普通に診療所を受診すれば良かったんだよ」
「……これだけでそこまで分かってしまったのか。さすがだな」
自分が呪いだという事がばれてしまえばもう二度と誰ともパーティーを組めなくなる。そんな不安が彼にあったのは間違いなさそうである。僕の診療所を受診したという噂さえ、彼の中では耐えられないものになっていたのだろう。話好きで陽気な彼は意外にも内心は臆病者なのかもしれず、それがあるから冒険者として大成していたのかもしれなかった。
だけど、とりあえずはそんなことはどうでもいい。
「もう無理はしてはダメだ。ここでは何もできないけど、まだ体は動けるかい? 痛みは?」
「ああ、大丈夫だ。ここの魔物とくらいなら戦えるし、痛みも我慢できる」
我慢できるということは痛いということだろうが、と叱りつけたくなる気持ちを押さえて僕はこの場での最善を考えた。
ヴァンの事だけを考えるとすぐに転移で帰るのがいい。しかし、転移の身体への影響というのはイレウスにとって良いものであるはずがなかった。そして彼のイレウスの原因は癒着である。
癒着とは、傷が治ったりする際に周囲の組織を巻き込んで治るためにくっついてしまう事である。ホーンブルに腹部をさされ、出血する中を三人がかりで回復をかけたと言っていた。つまり、その時にかけた回復が原因で、腸管が回りの腸管や腹膜を巻き込んで治ったのである。その一部がヴァンの小腸をまるでヘアピンカーブのように曲げたままにくっついて治しており、腸の動きが悪くなってここの部分が拡張してしまうと、カーブの先の部分が潰されてその先に内容物が通らなくなっていたのだ。
さらに腸閉塞へと悪化すると、場合によっては手術が必要となってくる。
「ヴァンの事を考えると帰還した方がいいのだけども」
「いや、それはダメだ。覚悟はできているから採取を優先させてくれ」
やはりそう言うか。冒険者として自分の体調が悪くなるかもしれないからといって依頼を放り出すというのは許容できないというヴァンの主張も僕はよく分かる。しかし僕は医者であって病気が悪くなるかもしれないというこの状態を放っておくのも納得できるわけではなかった。
「本当にまだ大丈夫なんだ。このくらいならばすぐに良くなるから」
「……困った人だ」
確かに今現在、緊急性があるわけではない。十分に説明したうえでヴァンがそれでもいいと選択するのならば僕に決定権はないが、文句くらいいう権利はあるだろう。しかしそれは今ではない。
「分かった。ここでは落ち着けない。早く野営ができそうな場所に行くか、採取を終わらせてしまおう」
「ああ、ありがとう」
レナとローガンにも後で詳しく説明することにしよう。僕らはそれから少しすすむと大地を登道へとたどり着いた。この道を上がっていく途中にカインの葉の群生地があるのだという。すでにかなり高度がありそうで、麓にいた時よりも寒い気がした。
カインの葉はそんな坂道に植わっていた。結構太い幹は茶色で年を越すタイプの樹なのかもしれない。ヴァンはあまり痛みを感じさせない動きで一つのカインの樹の根を周囲の土ごと掘り始めた。僕らは他のカインの葉を採取していく。乾燥させて、粉末にするべきか煙草のようにするべきかは迷う。それとも乾燥させずに生のままの方が抽出しやすいのかもしれないけど、そうすると栽培が必須だった。
「ローガン、帰る前に一つだけ製薬魔法で薬を作ってみるよ」
「はい、先生」
「ローガンもやってみるといい」
僕とローガンは葉をひとつずつ取ると、製薬魔法を使った。目指すのは局所麻酔に使うことのできる成分であり、麻酔の作用と精神に作用する効能をもつものである。
「先生、できました」
先にローガンの製薬魔法が終わった。もしかして製薬魔法に関しては僕よりも才能があるかもしれない。だけど、その成分はある程度は抽出されていたけど薄いものだった。
「僕が作ったほうはどうかな」
鑑別魔法をかけて濃度などを確認していく。思ったとおりのものが抽出できているようだ。しかし、これを誰かで試してみないことには最終的には効能が分からない。他の薬は本に載っているものが多かったから副作用とかも分かりやすかったけど、こういった未知のものには試験が必要である。人体実験、になるのかもしれないがやらないわけにはいかないのだ。
僕は持って来ていた注射器でその薬を取り分けると、躊躇なく自分の腕に刺した。
「先生!?」
皮下注射は痛い。しかし、これは痛み止めの麻酔であって、そのうち痛みはなくなる。濃度的に大丈夫なのかという疑問はあったけど、おそらくは大丈夫だ。他の薬と大して変わらないから。しかし、効能が強すぎれば、効果が過剰に発現してしまうことになる。
「よし」
完全に腕の感覚が麻痺するのが分かった。それでいて神経にまでは注射していないので腕が動かせることを確認する。後は数分待って、切ってみる。血は出たけど全く痛くなかった。見た目は痛々しいのですぐに回復をかけた。
「実験しとかないとね、使えるかどうか分からないから」
「鑑別魔法だけじゃだめなのかよ。それになにも先生がやらなくても」
「鑑別魔法は全然完璧じゃないし、他の人は極力使いたくないんだよね」
他者を実験に使わねばならないこともでてくるだろう。と言うよりも自分で実験をしてみるなんていうのは化学からすれば言語道断である。きちんとした結果が出れば問題ないが、もし副作用などで意識がなくなったりすれば助ける人物がいない。医学を少しでも知っている人がいれば、僕は叱られてしまうのだろうけども、それでも他者はできるだけ使いたくなかった。
でも、この行為をレナから見えない場所で行ったのは自分でも理由がよく分からない。単純にレナには見られたくなかった。
「レナには言うなよ」
「やだよ、レナさんに止めてもらうんだ」
「待てローガン。師匠命令だ」
「ぐっ」
カインの薬は問題なくできた。あとは乾燥させたものでもできるかどうかをユグドラシルの町に帰って試してみるだけである。乾燥させたものでも問題なければ、ある程度の数を一度に採取できるのでコストが大幅に減らすことができる。生木がユグドラシルで栽培できるかどうかは分からなかったし、良質なものが採れるかどうかも不明だ。
「荷馬車に全部詰め込んだぜ」
「ヴァン、調子は悪くないかい?」
「ああ、運動するとまだマシなんだよ」
腸閉塞を起こしかけているヴァンは、カインの樹を土ごとに馬車に乗せていた。根っこの周りを布で包んで紐で縛ってある。この作業をするためにも前衛職を雇う必要があったのだ。ヴァンの調子が崩れなくて良かった。
「レナ、転移の準備を。ヴァンはこれから言うことをよく聞いてね」
「ああ」
「君の病気はホーンブルに刺された時にかけられた回復のせいで、腸が周りの組織を巻き込んで治ってしまったことによって便の通りが悪くなっているのが原因だ」
「そんな、それじゃ俺はどうすればいいんだ?」
「基本的には食事の量を減らすというのと水分を多めに摂取するんだ。だけど、それは普段の場合で、すでにお腹が張り始めているこの状況だったら絶食だね。便が狭い部分を通り始めるのを待つ。場合によっては鼻とかお尻から管を入れてお腹の中にあるものを出して圧力を下げてやらなければならない」
「う……浣腸か?」
こちらの世界にも一応は浣腸という療法があった。しかし……。
「浣腸はおすすめできないな。巧く行けばしっかりと便が出るから治ってしまうけど、その圧力が変な方向へと働いたら腸を破ってしまう。最悪は死ぬ」
腸閉塞に浣腸というのはできれば避けたほうがいい。治ることはある。そのためにこの方法を望む患者も多かった。特に癒着性イレウスはよく再発するのである。お腹が張って苦しくて吐きそうな状態をすぐにでも良くしてくれる浣腸という方法を患者が望むのは仕方がないことだろう。が、それによって腸が破けてしまって緊急手術になった症例というのを経験したことは一度や二度ではない。そのために腸閉塞に浣腸は禁忌であると学生時代から教えられてきた。それでもこの方法を行う医師がいるのも事実だった。
「じゃあ、帰ったらヴァンの治療だ。絶食しなければならないけど、水分は体内に取り込む必要がある。つまりは点滴して入院だね」
「て、テンテキ?」
「血管の中に直接水分を入れる方法だよ。まあ、帰ってから教える。それに……」
レナの転移の準備が整ったようだった。
「転移酔いで吐きそうになるかもしれない。吐いたら、お腹の圧力があがるから、最悪は腸が破れ……どうしたの?」
「俺、馬で帰っちゃだめか?」
「ダメだね。レナ、吐かれると面倒だからヴァンに昏睡かけちゃって。それから転移だ」
何故かレナがにっこりと笑ってヴァンに昏睡をかけた。僕らは転移で診療所まで帰ると、ローガンは吐いていたけど、ヴァンはなんとか大丈夫なようだった。今の内に治療してしまおう。ヴァンの大柄な体を持ち上げて病室へと運んだ。重い。
「サーシャさん、ただいま帰りました! それと、この前買ってきたバルーンがついてる太いチューブを殺菌してください!」
こうしてヴァンは異世界で初めてイレウス管と呼ばれるぶっとい管を鼻と肛門の両側から入れられて胃や小腸に溜まったものや便を抜かれるという経験をしたのだけど、それは本人が全く意識のないところで行われたため、黙っておくことにした。
イレウスや腸閉塞は全身麻酔をかけられると全身の力が抜けて、腸管の動きもなくなるから一旦解除されることも多い。おそらくヴァンもそうだったのだろう。内容物が沢山でると張っていたヴァンのお腹は元の大きさに戻ったのである。
その日、ローガン少年は転移酔いに加えて病室にただよう悪臭のためにもう一度吐いていたらしい。