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「え! じ、冗談だろ!」
「冗談でこんなこと言うもんですか! 仔犬たちは? スタッフルームね」
「ちょ、沙織! 待ってくれ!」
食堂を出た沖原沙織さんはヒールブーツの靴音を鳴らしながら真っすぐスタッフルームへと進み、両脇に二匹の白い北海道犬を抱えると金森さんの制止を振り切って、ペンションの玄関を出てタクシーに乗った。
ここで黙って見送れば、もう婚約解消が確定すると思ったのだろう。なんと沖原沙織さんと共に金森さんもタクシーに乗り込んだ。
一体、どうなるのだろうかとペンションの玄関から皆で成り行きを見守っていると、車内でタクシー運転手と沖原沙織さんが何度かやり取りした末、タクシーは沖原沙織さんと二匹の北海道犬、そして金森さんも乗せて発車してしまった。
「え、行っちゃった」
「オーナー……。一体どこへ」
「空港だろうな。沖原沙織はこのまま、東京に帰るつもりだろうし」
「夕方までにはオーナー、戻って来るかしら?」
従業員の笹野絵里子さんと横塚千絵さんは突然、ペンションのオーナーが不在になったことで戸惑っている。そんな女性従業員に兄は冷静な視線を向けた。
「笹野さん。予定より早いが俺と妹はチェックアウトしたい。あとタクシーも呼んで欲しいんだが」
「あ、はい。分かりました。タクシー会社に電話しますね。荷物を持ってロビーでお待ち下さい」
私は一度、兄と共に二階の客室に戻り荷物を持ってロビーに降りた。兄は受付のカウンターで客室の鍵を返した。そして笹野絵里子さんに促され、提示された用紙に万年筆を走らせてチェックアウトの手続きをしている。
昨晩「どうせ居づらくなるから予定より早いがチェックアウトする」という趣旨のことを兄が言っていたのは、こうなるのが分かっていたからに違いない。
確かに、オーナーである金森さんにとって都合の悪い情報をつまびらかにした上で、このペンションに宿泊し続けるのは非常に居心地が悪い。メインの用事が済んだわけだし、チェックアウトしてしまった方が無難だ。ロビーにあるソファに腰かけながら私は大きな溜息を吐いた。
そして、ロビーに置かれている立派なオジロワシの剥製が視界に入った。このペンションに来た時、玄関でオオワシの剥製を見て驚いたことを思い出す。
あの時、金森さんは雪山で落ちていた死骸を剥製にしたと言っていた。物言わぬ剥製と化してしまった今となっては、このペンションに飾られているオオワシとオジロワシについて死因を知る術も無いが、実は金森さんが射殺したエゾ鹿の死肉と共に鉛弾を食べたせいで鉛中毒となり死んでしまった可能性も高いんじゃなかろうか。そう考えると私の胸は切なく傷んだ。
ほどなくしてペンションの前に黄色い車体のタクシーがやって来た。受付にいる笹野絵里子さんに簡単な別れの挨拶をすべく私は軽く頭を下げた。
「あの、短い間でしたけどお世話になりました。笹野さんが作ってくれた料理、とっても美味しかったです」
「こちらこそ、あなた達が来てくれて良かったわ……。オーナーは大変なことになってるけど、あのまま放置していたら鉛弾のせいで死ななくていい生き物が、ずっと命を落としていたんですものね」
「笹野さん……」
「オーナーには私からも、二度と鉛弾を使わないように念押しするから心配しないで」
「よろしくお願いします。じゃあ……」
「世話になった」
最後に兄が笹野さんに頭を下げ、私はペンションを出て階段を降りた。待機していた背広姿のタクシー運転手は私と兄の手荷物を見て車体後部のトランクカバーを開けて、キャリーケースを中に収納してくれた。




