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窓の外で遠くから人々の声が聞こえる。温かい掛け布団から顔を出すと昨晩、閉められていた筈の客室のカーテンは全開になっている。窓から差し込む太陽の光を浴びながら私はゆっくりとベッドから起き上がった。
隣のベッドに視線を向けると、すでにもぬけの殻だった。どうやら兄はとっくに起床済みのようだ。時計を見るとすでに昼に近い時間だった。昨日、慣れない雪道を深夜に長時間、歩いたのもあって疲労感から夢も見ず、今の今まで泥のように眠っていたようだ。
私は洗面台で手早く顔を洗って歯を磨きパジャマを脱いで洋服に着替え、身支度を整えてから階下に降りた。ロビーに行くと他の宿泊客たちがスキーウェアに着替えスキー板を持って外に出る所だった。しかし、ロビーにも兄の姿は見当たらない。
「……先に食堂で朝食を食べているのかしら?」
独りごちながら食堂に入ると、宿泊客たちの朝食はほぼ終わっているのだろう。食堂内は閑散としていた。
「あら、起きたのね」
「笹野さん。おはようございます」
「おはよう。ぐっすり眠れたみたいね」
食堂のカウンターから、ひょっこり顔を出したのはスレンダーなポニーテールの美人、笹野絵里子さんだった。
「はい。あの、笹野さん。ウチの兄どこに行ったかご存じないですか?」
「知ってるわ。あなたのお兄さんなら昨晩、見つけたオオワシやカラスの死骸について朝から専門機関に連絡して、今は死骸を回収に来た人と現地に行ってるわ」
「えっ! そうなんですか!?」
「うん。だから、お兄さんからは『妹が起きてきたら、そういうことだから心配せずに朝食を食べおくように』伝えて欲しいって言付かっていたの」
「はぁ……」
「朝食の時間内に降りて来てくれて良かったわ。今から用意するわね」
「あ、お願いします」
私がベッドの中で爆睡している内に兄は関係各所に連絡を取って動いていたようだ。まぁ、確かに昨晩、複数の野鳥が死んでいるのを発見した訳だし、もしも鳥インフルエンザに感染している野鳥が死んでいたなら周囲の畜産業者も警戒や検査をしないといけない筈だ。ああいう異常に見える状態を発見した以上、連絡や通報は義務なのだろう。
そんなことを考えていると笹野絵里子さんは自ら金属製のトレイに朝食を乗せて持ってきてくれた。白磁器の皿には半熟の目玉焼きとキャベツの千切りにレタス、薄切りのキュウリ、カットした赤いトマト、ハムが添えられ、焼きたてで芳ばしい匂いのパンが乗せられた皿、グラスに入ったオレンジジュースがテーブルの上に置かれた。
「ありがとうございます。ところで今日はウェイトレスの横塚さんでしたっけ? いないんですね?」
「千香ちゃんね。さっきまではいたんだけど、もう忙しい時間を過ぎたからスタッフルームに下がって休憩してるの」
「そうでしたか……」
私の起床が遅かったばっかりに、調理担当の笹野絵里子さんに配膳までさせていたようだ。私は申し訳ない気持ちになりながら、できたての朝食を頂くため銀色のカトラリーを手に持った。
昨日食べた鹿肉料理に比べれば、どこででも食べられるごく普通のシンプルな朝食だったが昨晩、雪道をけっこうな時間歩くという運動をしたせいで空腹だったのもあり、黄身がトロリとした半熟の目玉焼きやキツネ色にこんがりと焼けたパンなど、全部を美味しく頂いた。




