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「太平記は南北朝時代、1318年の文保2年から1368年の貞治6年に起こった出来事が書かれている軍記物だが『以津真天(イツマデ)』については太平記の中に記されている『広有射怪鳥事ひろありけちょうをいること』という話が元になっていると考えられている」


「『広有射怪鳥事ひろありけちょうをいること』ってなに?」


「1334年、建武元年の秋に疫病が流行し数多くの病死者が出ていた時期。紫宸殿(ししんでん)の上空に謎の怪鳥が毎晩のように現れ、鳴き声をあげて都の人々を恐怖させていたという話が『広有射怪鳥事』の発端だ」


「こんな不気味な姿の妖怪が現れたんじゃあ、昔の人も怖いわよね……」


 日本画の以津真天(イツマデ)はテレビや漫画などでそれなりに耐性のある現代の人間が見ても、えも知れない忌避感を覚えずにはいられないだろう。そういったモノに触れる機会が少なかったであろう、昔の人ならば尚更ではなかろうか。


「『太平記』の中では名前は付けられていなくて、単に得体の知れない異形の『怪鳥』という扱いだったんだが後の世で、江戸時代に妖怪画を多く描いた浮世絵師、鳥山石燕(とりやませきえん)が『今昔画図続百鬼こんじゃくがずぞくひゃっき』という妖怪画集の中で怪鳥『以津真天(イツマデ)』の姿を描き、太平記に記載されていた怪鳥が『いつまでも、いつまでも……』という鳴き声を上げていたことから『以津真天(イツマデ)』という名前をつけたのではないかと考えられている」


「『いつまでも、いつまで……』って金森さんが見た怪鳥が『イツマデ』って鳴いてたから同じだ!」


「怪鳥『以津真天(イツマデ)』は翼を広げた大きさが一丈六尺。およそ約4,8メートルだ」


「金森さんの見た怪鳥が5メートル弱だから、ほぼ同じ大きさ!」


「ああ。サイズといい、鳴き声といい類似点から『以津真天(イツマデ)』で当たりだとは思うんだが……」


 そこまで言うと、兄は指で自身の口元を指で触りながら何やら考え込み始めた。


「それにしても『いつまでも』って鳴くから『以津真天(イツマデ)』って、けっこうストレートなネーミングね……。当て字っぽいし」


「『今昔画図続百鬼』自体が多くの妖怪を取り上げている、妖怪解説の画集だからな。特に当時は初見の者にも分かりやすい物や覚えやすい名前にした可能性はあるな……。以津真天(イツマデ)が描かれているのと同じ『今昔画図続百鬼』に収録されている妖怪には『土蜘蛛(つちぐも)』『骸骨(がいこつ)』という非常に分かりやすい妖怪がある」


「『骸骨』なんて本当にそのまま、骸骨なのね……。『土蜘蛛』も大きな蜘蛛だし……。それに比べれば『以津真天(イツマデ)』は多少は考えて漢字が当てられたし、姿も複数の生き物の要素が組み合わされてるって所かしら?」


 スマホで鳥山石燕が描いた妖怪の日本画を確認しながら尋ねれば、兄は腰に手を当ててチラリと窓の外に広がる夜の黒闇に視線を向けた。


「『以津真天(イツマデ)』は疫病(えきびょう)が流行したした時期、頻繁に現れた妖怪だ。ならば疫病によって日々、増え続ける埋葬されない遺体。その遺体にたかり屍肉を(ついば)(カラス)などの鳥たち。現実的に考えれば妖怪を直接、見ることが出来ない人間でも屍肉に群がる腐肉食の鳥や不吉の象徴とされることが多い蛇と埋葬されない遺体の霊が結びついて『以津真天(イツマデ)』という妖怪という形になったと考えられる」


「ああ、複数の鳥獣や人間のイメージが組み合わされて不気味なモンスターの姿になるって日本だけじゃなく、世界共通ですものね。ハーピーとか、コカトリスもそうだし」


 私はさきほど兄が怪鳥の例として出した海外の神話、伝承に伝わる異形の鳥を出して軽く頷き納得した。


「そもそも。以津真天(イツマデ)が描かれている『今昔画図続百鬼』は原形であるとされる太平記の怪鳥が現れたという南北朝時代と年代が全く異なる。日本画で描かれている以津真天(イツマデ)の造形はあくまで江戸時代の浮世絵師、鳥山石燕による創作だ。南北朝時代に怪鳥が存在したとしても、必ずしも後世に伝わっている絵姿と全く同一だとは思わない方が良いだろう」


「日本画の以津真天(イツマデ)と、金森さんが見た巨大な怪鳥が同じ姿とは限らないってことね」


「ああ。とにかく、太平記に記されている怪鳥が天皇の儀式を執り行う正殿、紫宸殿(ししんでん)の上空に現れていたという伝承は、疫病の蔓延(まんえん)を止められないばかりか、世を安定させない時の権力者達に対する批判的な意味合いもあったんだろう……。特に南北朝時代というのは北朝側の光明天皇と南朝側の後醍醐(ごだいご)天皇。同じ時代に二人の天皇と朝廷が存在した時代で、戦がたびたび起こったり政局が混乱した時代だったからな」


「当時の風刺的な要素があったのね……」


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