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シチューに入っている鹿肉を銀色のスプーンですくって口に入れると、味がしみていてとても柔らかい。噛むと口の中でホロリと肉の繊維がほどけるのを感じる。やはりとても食べやすい肉だ。私が軽く目を見開いて頷きながら鹿肉入りシチューを堪能していると金森さんは嬉しそうに笑う。
「僕はハンターだけど、自分やお客さんが食べる食用の肉以外は狩猟しないって決めてるんだ。スポーツ感覚のハンティングや剥製作成の為に鳥獣を狩猟するハンターもいるけど、僕は無駄に生き物の命を奪うような狩猟はしない主義なんだ」
「ポリシーがあるんですね」
「……ご立派なことだな」
兄が口元に付いたソースを白い紙ナプキンでぬぐいながら興味なさそうに感想を述べると、白磁器のカップの取っ手をつまんで琥珀色のお茶を飲んだ。その様子を見たオーナーは身を乗り出した。
「自分で狩った鹿肉は格別だぞ? 真宮、おまえも狩猟を始めてみないか?」
「あいにく、重い猟銃を担いで足場の悪い雪山を歩いて回る根性はない」
「ははは。まぁ、気持ちは分かるよ……。しかし、ライフル銃はそこまで重い物じゃない。普通の男なら持ち運ぶのは問題ないさ。ナオミちゃんもどうだい? 射撃とかオリンピックの正式種目だし、最近は若い女の子も免許を取って狩猟を始める子が多いそうだよ?」
「競技で使う銃にも免許が必要なんですか?」
「ああ、確か18歳から免許の取得が可能だよ。ライフル銃、散弾銃、競技用、どれも扱うには必ず免許が必要だからね」
「それじゃあ、私の年齢的にまだ先の話になりますね……。でも、自分がライフル銃や散弾銃を使うなんて想像つかないなぁ」
「有害鳥獣駆除を目的に猟銃を使用してるハンターの三割は殺傷能力の高い散弾銃を使用してるし、僕も最初は散弾銃を使っていたけど、先日からライフル銃に切り替えたんだ。精神集中して獲物に狙いを定めて仕一撃で仕留めることが出来るとすごく気分が良いよ。兄妹で共通の趣味を持つのも悪くないんじゃないか?」
金森さんはとても良い笑顔で私と兄にすすめてきた。私がチラリと兄の顔を見れば、実に嫌そうに顔をしかめている。
「散弾銃だろうとライフル銃だろうと、あんな金属のカタマリに加えて仕留めた鹿までかついで帰れるほど体力に恵まれてないんでな……。俺は遠慮する」
「いやいや、仕留めた鹿を全部持って帰る必要は無いんだぜ。現地で解体した後、背ロースやモモ肉とか必要な旨い部位の肉だけ持って帰ってるからな。そんなに重い荷物じゃ無いさ」
「おまえ……」
兄が眉間のシワを深めた。確かに鹿の解体など狩猟に興味が無い人間にしてみれば、散弾銃だのライフル銃だの鹿肉解体だの、食事時に血なまぐさい話題は不快だろうけどオーナーさんに悪気はなく、あくまでスポーツとして善意ですすめてくれているのだ。
こんな所で余計な波風は立てたくない。私は剣呑な目で口を開きかけた兄を手で制し、オーナーさんに愛想笑いして、素朴な疑問をぶつけることにした。
「射止めた鹿の 亡骸って、森に置いていっても良いんですか?」
「ああ。一人で猟に出たときなんかは特に普通の鹿を丸々一頭なんて重くて持って帰られないからね。持って帰れない分や不要な部位は森に置いておくんだ」
日本に生息している鹿の中で最も大きいというエゾ鹿を雪山から一人で持って帰るなんて多少、体力に自信があったとしても普通の成人男性では不可能に違いない。私は金森さんの言葉に頷いた。
「確かに大きな鹿をまるごとなんて一人じゃあ、持って帰れないですよね」
「うん。持って帰れなくてもハンターが残していった鹿の遺体は大鷲やカラスなどの鳥類やキタキツネなど森の獣たちが食べてくれる。特に冬場はエゾシマリスとか冬眠してる生き物も多いし、食料が少ない時季だからね。鳥獣たちにとって、ハンターが置いていったエゾ鹿の屍肉は御馳走なんだ」
「エゾ鹿って北海道だけに生息してるんですよね? 狩猟しても大丈夫なんですか?」
「ああ。エゾ鹿に関しては生息数が増えすぎて農業被害や森林などの環境被害が大きいし、人間に慣れすぎて市街地まで降りてきてトラブルを起こしたり毎年、何百件も車や電車の接触事故が起こったりして死亡事故が起こることもあって大変だから、むしろ鹿猟に関しては近年規制が緩和されたんだ」
「規制が緩和というと?」
「一日に仕留めることが出来るエゾ鹿の頭数が増えたのさ。つまり増えすぎたエゾ鹿を猟銃で駆除する事は国からも奨励されているんだよ」
「へぇ。そうなんですね」
「人間は増えすぎた鹿を狩って鹿肉を食べる。鳥獣たちは残った鹿肉を食べる。そして全部、自然に帰るんだ。何の問題も無いさ」
「確かにそうですね」
これが都会なら獣の遺骸をそこらに放置なんてしてたら警察がやってきて一騒動おこるだろうけど、さすがにこの広い大自然の山中ではそういうことは無いようだ。それに狩猟で鹿が殺されても人間がちゃんと狩った肉を食べ、残った部分も森の動物たちが食料にするなら確かにオーナーさんが言う通り、私も全く問題ないと感じられた。




