「捨て犬」になっても生きる意味を探す一人の男の物語
ある日、急に会社をクビにされた。人員を削減して整理したいとのことだった。
いわゆるリストラだった。
たしかに、自分の営業成績はあまり良い方ではなかった。それでも自分なりには真剣に働いてきたつもりだったし、30半ばでまさか自分がとは夢にも思わなかった。
納得できず上司に意見すると、
「自分なりとか、つもりとか、そんなんで会社が回ると思っているのか?」
当然納得できない。だが返す言葉が出てこなかった。
「だからお前はクビなんだ」
唾を吐き捨てるようにそう言われた。
リストラされたことは誰にも話せなかった。いつも通りの時間に出勤する自分を、まだ幼い娘を抱き抱える妻がいつも通りに見送ってくれる。
「いってらっしゃい!」
いつも通りの何気ないやりとりで心苦しくなる。
「いってきます」
いたたまれなくなって駅へ向かう。
7月の快晴は気持ち悪いほどに晴れ渡っていて、家族に本当のことを言えない自分とは全く対照的だった。
Yシャツに汗が染み付くのを感じながら、見慣れた街通りを歩き、改札を通ってホームに立ち尽くす。
向かうべき場所もなければ、帰るべき場所もない。
「次の電車が来たら、飛び降りようか」
そんなことを考えるが、いざその時が来ると怖くて足が動かない。
「フワァン」
無機質なサイレンがこの世のものとは思えない音に聞こえてくるのだ。
こわい。こわい。
でも楽になりたい。
右足が黄色の境界線を踏み越したその時だった。
ゴオオオオオオオオオォォォォォォォ…
轟音を立てながら、巨大な鉄の塊は過ぎ去って行った。
呆然と立ち尽くす。涙が溢れてくる。
死なずに済んだという安堵感より、死ねなかった後悔による涙に違いなかった。
その日の夕方、「ただいま」も言わずに帰宅すると、「おかえりなさい」のいつもの言葉がない。
「当たり前か」
そう思いリビングに入ると、妻の涼子が座っていた。
いつも笑顔で自分の帰りを待ってくれる彼女だが、今日だけは違う意味で自分の帰りを待っていたかのようだった。
「会社、やめたのね」
「…」
「今朝、あなたの様子がおかしかったから、心配で会社に電話したの。そしたら『駒井は自主退社致しました』って」
(違う!本当はリストラされたんだ!)
和良は心の中で否定した。だが口にはしなかった。
いやできなかった。
おそらくあの会社は解雇という、風評被害を防ぐために情報操作を図ったのだろう。それに対して和良はただ憤りを覚えた。
「どうして何も言ってくれなかったの?」
そうだ。
自分はいつかバレるとわかっている嘘をを隠そうとして、そのうえ自分の家族を見捨てて死のうとまでした最低の男だ。言い訳をする資格などない。
「これからどうするの?玲奈のこと養っていけるの?」
「…」
娘の玲奈はまだ小学校にすら上がっていない。そんな娘を養っていける自信のない自分の不甲斐なさに何も言えない。
「どうして黙っているの?!」
涼子の声が荒くなる。怒りというより、呆れ果てた口調だった。
仕事を見つけなければならないのは分かっている。どの口がいうかと思うが、自分の家族を守れるのは自分以外にいないのだ。
しかし自信がない。
文字通り、自分を信じることができない。涼子もそれを察したのだろう。
「別れましょ」
そっけない一言だった。
明かりの付いていない窓から差し込む夕日に照らされたリビングは異様に仄暗く、この家族の雰囲気そのものであった。
その翌朝、家はもぬけのからだった。和良だけを除いて。