エピローグ
卒業式が終わり、正面玄関へ行くと、ぼくの下駄箱に一通の白い封筒が挟まっていた。
ご丁寧にハート型のシールまで貼ってあったその封筒をぼくは手に取り、人気のない校舎裏まで移動して、開封した。
差出人の名前は、ない。
中に入っていた便箋には、お世辞にも上手いとは言えない字でこう殴り書きされていた。
『縁人くんへ。あの木の下で、待ってるよ』
もしかしたらこの文面だけで、勘のいい読者諸君はこのラブレターの送り主が誰であるのかわかったかもしれない。ぼくにはまるでわからない。……嘘だけど。
五階建ての校舎よりも高く、大きな杉の木。
ぼくたちが最初に出会ったあの場所に、《彼女》はいた。
間違えるはずもない、あの圧倒的な《圧》。
「君たち歯ごたえなさすぎ。いくら平和になったからって弱いにもほどがあるよ」
そこでは、黒いフード付きのジャケットを着た女性が、がらの悪い白虎学園の不良生徒五人を、一方的に蹂躙していた。
「麗那先輩。何やってるんですか」
久しぶりの邂逅だというのに、開口一番で出てきた言葉がこれ。
「ひどーい。縁人くん。せっかくこうして卒業を祝いにきてあげたのにぃー」
ぶー、と、かわいらしく口をとがらせる麗那先輩。
「祝いにきたんじゃなくて、戦いにきたんでしょう」
「まあねー」
麗那先輩はいつものあの好戦的な笑みを浮かべ、拳をごきごきと鳴らしながら、握りしめた。
「平和になっちゃったから、縁人くんの腕が鈍っちゃったんじゃないかって、気になってたんだ。久しぶりにこうして会ったんだし、ちょっとおねーさんに付きあってよ。お願いだから、がっかりさせないでね」
「大丈夫ですよ。こう見えても新しいお師匠さまのもとでしっかり鍛えてますからね」
ぼくがかつての自分とは一際異なる、自信に満ちた笑みを浮かべると、麗那先輩は意外そうに眼を見開いて「新しいお師匠さま?」と、素っ頓狂な声を上げた。その鬼神のごとき強さとのギャップがまたかわいらしかった。
「あの。困ります」
校舎の裏から、ひとりの少女が出てきた。
小学生のように小さな体躯に不釣りあいな、老人のようにまっ白い髪。以前と異なるのは、白虎学園の制服を身にまとっていたことくらい。
彼女……赤月瑠璃は、停戦協定が結ばれた後にぼくと共に、白虎学園に編入してきた。最後の戦いで切断された両腕は夢葉の処置が適切だったからか、あるいはそのあと運ばれたのが黒川先生のところだったからか、もしくはその両方だったからか、元どおりにくっついた。多少麻痺が残っていたが、今では懸命のリハビリの甲斐もあって、日常生活を送る程度なら問題ないくらいには回復していた。
麗那先輩は、きょとん、として眼をぱちくりさせていた。
「縁人さんに危害を加えるつもりなら、私が」
ぼくは瑠璃をなだめるように言った。
「大丈夫だよ、ルリルリ。これはちょっとした、コミュニケーションみたいなもんだから」
「コミュニケーション……?」
瑠璃は怪訝そうに眉を顰めた。彼女にはぼくがかつて麗那先輩を好きだったということは話していなかったが、ぼくと麗那先輩のやりとりから何かを感じとったのかもしれない。女の勘、というやつなのかな。
「ルリルリ。ちゅー」
ぼくは唐突に、瑠璃の唇を奪った。
突然のことに、今度は瑠璃が眼をぱちくりさせていた。
「ええええええ」
麗那先輩が頓狂な声を上げた。
そう、今ぼくと瑠璃は、恋人同士だった。
実はあの最終作戦の後、一命をとりとめてから、瑠璃の方からぼくのことが好きだ、と告白してきた。ぼくはてっきり彼女は大和に惚れているとばかり思っていたのだけれど、本人曰く彼を尊敬していたが恋愛感情のようなものはなかったらしい。
そして、ぼくはそんな彼女の好意を、ふたつ返事でそのまま受け入れた。
不思議に思うかい?
たしかに麗那先輩はぼくの憧れの人で、ぼくが彼女に惚れていたというのも事実だったが、同時に彼女とぼくの間にある、本質的な《違い》に、薄々気づいてもいたんだ。
ぼくが本気で彼女に惚れこんでいて、生死を共にしたいと願っていたならば、ぼくは彼女を追って赤鳳隊の他の支部か、あるいは傭兵として、彼女と共に戦っていたはずだ。
麗那先輩は戦好きで、ぼくは戦嫌いの平和主義者だ。
そして本当の意味でぼくに対して、異性としての好意を向けてきたのは、瑠璃が初めてだった。
自分の感情を表現するのが絶望的に下手くそで、何て言ったらいいのかよくわからずに、ただおろおろしながら震えるその唇で、「す、好き、です。あなたが」と言われて、ぼくは一発でノックアウトされてしまった。
寿、酉野先生。ごめんなさい。ぼくは今、あなたがたを殺した張本人と付きあってます。あの世で会ったら、好きなだけぼくをぶん殴ってください。
「サプライズだよ。縁人くん。サプライズすぎるよ。そっか。ごめんね。私が焦らしすぎちゃったせいだね」
麗那先輩は肩をすくめながら、乾いた笑い声を上げていた。
そしてまた、あの嗜虐的な笑みを浮かべて、こう付け加えた。
「さあ、おいで。縁人くん。たっぷり可愛がってあげるよ。またおねーさん無しじゃ、生きていけないようにしてあげる」
そしてぼくは彼女から向けられたプレッシャーに臆することなく、決め顔でこう言った。
「たぶん今度ばかりは、今までのようにはいかないと思いますよ」




