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極楽戦争 - End of End  作者: 富士見永人
序章「天上天下」
6/99

6

 車か何かに()ねられたようだった。

 鈴子の体が、先ほど秋月に蹴とばされた時よりも一段と派手に宙を舞った。それにしてもよく飛ぶ女だ。

 がっしゃーん。がらがら。

 コップ一杯のジュースをストローで仲よく飲んでいたカップルの席に、鈴子は突っこんだ。辺りが静寂に包まれた。目の前で起こった《交通事故》に、ぼくも含め一同度肝を抜かれていた。

「何やってんだ。てめえは」

 ひどく冷たい、ドスのきいた声が響き渡る。

 鈴子を撥ねとばしたのは、百九十センチはあろうかという長身の大男だった。荒れ狂う炎のごとく逆立った黒髪に対し氷のように冷たい眼光、そしてその眼の下に走る傷痕(きずあと)。左手にはわが白虎学園名物珍味ワイヤーラーメン……

「か、(かなめ)先輩……」

 そう。彼こそが鈴子や寿が所属する荒くれ者集団《要組》のボス、要玄人(かなめくろと)だった。学年はぼくらよりひとつ上の三年生。ぼくも何度かお目にかかったことがあるが、寡黙(かもく)で愛想が悪く、それは教師に対しても同様である。が、座学も実技も優秀な上に戦場で幾度も仲間の危機を救ってきたことから、一部の生徒からの信頼は厚い。彼は一見冷酷そうに見えるが、仲間想いな一面もあるのだ。

 鈴子は立ちあがろうとしていたが、完全に脚にきていたせいか、カップルふたりを尻にしいたまま鎮座した。

 玄人先輩は、鈴子の胸ぐらをつかんで強引に立たせた。

「先輩、脚……」

 鈴子の視線の先には、赤く染まった玄人先輩の左脚があった。おそらく彼女を蹴りとばした時にナイフが当たったのだろう。玄人先輩はかすり傷だ、と傷口をばんばん叩いていたが、手が血でまっ赤に染まっていた。

「あっ。そんなことしたら傷が。あっ」

 思わず玄人先輩に近よる夢葉。

 秋月があわてて制止したが、玄人先輩は鬱陶(うっとう)しそうに「寄るな」と静かに言い放った。そして、付け加えた。

「うちの馬鹿が迷惑かけたな」

「いえ」

 秋月は夢葉をかばうように身構えていたが、その一言で警戒心が解けたのか、表情を和らげた。

 玄人先輩はそのまま振り返らずに鈴子を引きずりながら去っていった。脚から流れ落ちた血がリノリウムの床に転々と血痕を残していた。鼻にいつの間にかティッシュをつめていた寿も彼についていった。

 夢葉は秋月に向き直り、「お怪我はありませんか」と心配そうな顔をして言った。

 秋月は「大丈夫です」と爽やかな笑顔で答え、そして未だにみっともなく地べたで団子虫のように丸まって悶絶していたぼくに手を伸ばした。

「災難でしたね。大丈夫ですか」

「ひゃい」

 痛みのあまり変な声が出た。片手で股間を押さえながらもう片方の手で彼女の手を掴み、立ちあがった。顔からなんか変な汗が出ているのがわかった。

「顔色が悪いですね。保健室までご一緒しますよ」

 そう言って秋月はぼくに肩を貸した。

 ぼくはちらと横眼で彼女を見た。中性的で整った顔立ち、女性としてはやや広めの(たくま)しい肩。同性にモテそうな、男装すれば宝塚も顔負けというその凛々(りり)しい姿に、ぼくはしばらく見蕩(みと)れてしまっていた。い、いかん。ぼくには、麗那(れいな)先輩という心に決めた人がいてですね……

 夢葉もぼくの身を案じていたようで一緒に保健室までついてきた。見た感じこの二人は友達のようだった。秋月はいわゆる《上層》の人間ではなかったが、彼女が親衛隊連中に因縁つけてられているところを夢葉に見つかり、同性ということもあってか公認の仲となったらしい。夢葉は親衛隊の行動をどういうわけか善意の行動、すなわちボランティアのようなものと勘違いしているようだった。

 ぼくが彼らに暴力をふるわれたと知ったら、夢葉はどう思うのだろう。彼らを叱りつけて公認の仲にしてくれるのだろうか。鈴子にビンタするくらいだから意外と肝が据わっているのかもしれないが、夢葉にそんなことを頼むのも何となく情けない気がした。


 保健室にたどり着くと、田代がひと足先に保健室の番人こと白虎学園養護教諭の江口先生に治療を受けていた。どうやら鼻の骨が折れていたらしく鼻にペンチのようなものを突っこまれて形を整えてもらっていたようだったが、見ているこっちが痛かった。白虎学園の近くには政府軍管轄の軍病院があるが、そこに運ばれるのは基本的に重傷患者のみである。長引く戦によって慢性的な病床不足に陥っており、今ではちょっとやそっとの怪我では受け入れてもらえない。

 秋月は夢葉に傷の手当てをしてもらっていた。秋月はたいしたことはないのでと遠慮していたが、却下されたようだ。夢葉は医療の講義も受講していたので、保健室が混雑しているときは簡単な処置なら彼女がやってしまうこともある。温厚で平和を愛する彼女らしいスキルだった(そしてぼくは負傷部位が部位なので、保健室の白衣の天使様に診ていただくことにしよう)。

 東陽夢葉は《上層》の中でも特別な存在だ。日本有数の金持ちで、この白虎学園にも多額の寄付をしていると言われている名家の中の名家東陽家の令嬢。生まれながらに支配者階級。危険をともなう前線への派遣任務も(科目によっては実習授業も)彼女らのような特権階級は免除されている。

 が、ぼくは思った。

 彼女は、戦場にいるべき人間ではない。

 特権階級のお嬢様といえど、夢葉は心の底からこの戦乱の世を(うれ)いており、鈍くさい自分でも何かみんなの役に立てることはないかと真剣に考えていた。その結論が、医療の道だったのだろう。戦場に出て敵を殺すより、後方で味方の介抱をする方が理にかなっている。

 だがそんな夢葉の特別扱いを快く思っていない連中も、少なからずいる。特に下層の女生徒に多いという印象だった。ぼくの属する二年G組でも、ときどき彼女の陰口を叩いてる者たちがいる。親衛隊が神経を尖らせるのもわからなくはなかった。

 股間に氷袋を当てながらそんなことを考えていると、夢葉に声をかけられた。

「縁人さん。顔、()れていませんか?」

「ああ、これは……」

 ぼくはうっすらとふくれた頬に触れた。思い出したように舌がちりっと痛む。昼休みに下北沢に蹴られた場所だ、股間の痛みにすっかりかき消されていたが。

「ああ。ちょっと階段で転んでしまってね」

「はあ」

 われながら下手な嘘である。格闘教練で一発もらったとか、もっとましな嘘はつけんのかと頭の中で自分に突っこみを入れた。夢葉は怪訝(けげん)そうに眉をひそめたが、深く詮索する気はなさそうだった。

 田代の治療を終えた江口先生がぼくの前に現れた。

「どれ。ちょっとお姉さんにみせてみなさい」

 彼女の胸元から垣間見える谷が、ぼくの視線を泳がせた。先生、こちらは男にとって非常にデリケートな部分を損傷しているんですよ! 少しは自重してください! 嬉しいけど!

「ふふふ。円藤くんも男の子ねえ。色香に惑わされるようじゃ、戦場で生き残れないわよ?」

 あんたがそれを言うか。

 江口成子(えぐちせいこ)。白虎学園養護教諭。保健室の白衣の天使であると同時に、常に胸元全開のブラウスにミニスカートというサービス精神旺盛な格好で学園の思春期男子諸兄を惑わす魔性の女(生徒たちには《江口(えぐ)っちゃん》という愛称で親しまれているが、一部の男子の間では彼女の名字にあやかって《エロ先生》と呼ばれている)。わが二年G組担任の酉野先生とは学生時代からの仲らしい。

「はい、あーんして」

 江口先生がぼくの開いた口に手を突っこみ、舌の傷口の唾液(だえき)を丁寧に拭きとってから、綿棒につけた赤銅(しゃくどう)色の軟膏(なんこう)を塗っていく。傷口がちりっと痛んだが、すでに出血も止まっており、大した怪我ではなかったようだ。ひと安心。

「ほっぺも腫れてるわね。喧嘩でもしたの?」

「ちょっと階段で転んじゃいましてね」

「うふふ。強がっちゃってかわいい」

 別に江口先生に会うためにわざと転んだんじゃないですからね、勘違いしないでくださいね、はははなどと付け加えようかと思ったが、やめておいた。キャラじゃない。

「あなたの服装は男子生徒には刺激が強すぎです。少しは自重してください。教員なんですから」

「なによ。いい子ぶっちゃってー」

 眉をひそめながら諌言(かんげん)する秋月に対して悪戯(いたずら)っぽく微笑み、べーと舌を出す江口先生。なんだか子供っぽくて可愛かった。

 そして。江口先生は、氷袋を当てたぼくの股間を指さして「さ。下の方も診るわよ。ズボン脱いでー」と言ってのけた、平然と。

 夢葉がまっ赤になって顔を背けた。

 秋月はさらに眉間に(しわ)を寄せた。

「先生。カーテンくらいお願いします」ぼくは懇願した。

「あら、いやだ。気が利かなくてごめんねえ。おほほほ」

 この人、わざとやっているのだろうか……。

 幸い、我が息子は若干内出血があったものの打撲傷の範疇(はんちゅう)だった。ひどいのになると陰嚢(いんのう)が破裂して精巣が飛び出してしまうこともあると江口先生は笑いながら言っていたが、ぼくは肝を冷やした。冗談じゃない。くそ。あのアバズレビッチめ。


 がららら、ぴしゃ! 


 ふいに、保健室の扉が乱暴に開けられた。

 何ごとかと振り返ると、そこには負傷した男子生徒を担いだ酉野先生がいた。

「おい、江口! 急患だ!」

 夢葉が「ひっ」と短い悲鳴を()らした。

 その男子生徒は、両腕がなかった。

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