3-9
ひゅっ、と、何かが空気を裂く音が聴こえた。
とっさの判断だった。
ぼくはなかば反射的に、停戦派の連中から支給されたナイフをポケットから取りだし、月野を盾にとられているにもかかわらず、投擲していたのだ。正直ナイフ投げは専門外だったが、下手くそでもなんでも、凶器が飛んでくればとっさに反応して防御行動をとらざるをえない。
案の定、ぼくの予期せぬ反撃に終零路は顔色を一変させ、斬馬刀の刀身でナイフを弾きとばした。彼は激昂して叫んだ。
「てめえ。なめた真似してくれんじゃねえか。気が変わったぜ。今ここで、ウェディングケーキみてーにきれーにぶった斬ってやっからな。おい、おめーら。その女を殺すんじゃねーぞ。こいつをまずぶち殺してから、じっくり嬲り殺してやろうぜ。さっきの女連中の中じゃ一番イカしてるからよ」
田代を切り裂いたときのような、狂気じみた《人割り》の、一種の圧力のような殺意が、ぼくに向けられる。
とりあえず月野に向けられていたそれが、ぼくに向いただけでも良しとしよう。
「死にさらせ!」
咆哮とともに飛びこんでくる終零路。しかし興奮しているせいか、それとも単に格下の相手となめているのか、フェイントもくそもない単純かつ直線的な突撃だった。防御不可能とはいえ、こんな見え見えの一撃を躱せぬぼくではない。
終零路の突撃を体捌きで躱し、ぼくは彼の脇腹に横蹴りをおみまいしてやった。普通なら肋骨がへし折れているが、終零路はややバランスを崩しただけで、まったく効かぬと言いたげにすぐさまぼくに向きなおった。ぼくの蹴りはコンクリートブロック程度ならやすやすと破壊するのだが、彼の体はまるで鉄塊のように硬く、びくともしなかった。
「てめー。調子に乗んなよ雑魚野郎。人質がどうなってもいいんかよ。え」
終零路は、悪意に満ちた笑みで月野を指さした。すると彼の仲間の長髪男が刀を抜き、月野の首に突きつけた。
どのみちぼくには終零路を殺し、残りの三人を瞬殺して月野を救い出すなんて芸当はできそうにない。ぼくが麗那先輩のような超人なら、あるいは可能だったのかもしれない。力がほしい。今ほど強くそう思ったことはない。
だから、これは賭けだ。
彼の、終零路のバカさ加減に賭けてやる。
ぼくの観察が正しければ、終零路は作戦の遂行や利害よりも麗那先輩のように興味本位で動くタイプ。感覚人間だ。
「雑魚、か。そうかもしれないね。なら、《一騎当千》《人割り》の終零路様は、女の子を人質にとって集団でかからないと、ぼくみたいな雑魚一匹狩れない臆病者というわけだ」
「ああ?」
感情が表に出やすいのか、終零路は露骨に顔をしかめた。
ぼくはさらに挑発を続ける。
「まったく、女々しいったらありゃしない。女の子みたいなおかっぱ頭と思ってたけど、もしかして本当に女の子なのかな。終零子と改名したらどうだい」
がきん、と、終零路の斬馬刀が地を穿つ。
咄嗟に反応して半身にならなければ、ぼくは割り箸のようにきれいにまっぷたつに分離されていたことだろう。
「てめーぶっ殺す」
終零路は憤りを露にして怒鳴り散らした。彼の漲る殺気が、ぼくを圧迫してくる。しかし呑まれてはならない。
「おれ様の髪型を悪く言って生きてるやつはこの世にいねえんだよ」
終零路は地面に深くめりこんだ斬馬刀を、なにごともなかったかのように引き抜いた。周囲の土、というよりは《地盤》が、彼の怪力によってまるごとめくれあがった。
「よし。じゃあ、こうしよう。おれ様がてめーを殺すまでは、女には手を出さねえ。いいな、おめーら」
終零路が月野をかかえたゴリラ男にそう言うと、彼は無言でうなずいた。
「てめーと一対一で戦ってやる。おれ様をぶち殺すか、降参させれば、女を放してやる。だからおれは女でも臆病モンでもねーぞ」
「はは」
あまりに簡単に挑発に乗ってくれて、ぼくはこみあげてくる笑いを押さえきれなかった。ばか正直すぎて面白かった。もし敵という立場でなければ、友達になれたかもしれない。
「どのみちてめーも女も死ぬからな」
自分が負けるとは一ミリも思っていない、傲岸不遜とも言うべきその自信に満ちあふれた顔は、心なしか格好よく、ぼくのあこがれの《あの人》をも彷彿とさせた。彼のように生きられたら人生はどんなに面白いだろうか。ぼくは敵ながらそんなことを考えてしまった。
ただシンプルに、自分が楽しむことだけを追求する。
たとえ不合理でも非効率でも、面白いと思ったら迷わず実行。それはまさにあの麗那先輩の生き方そのもので、ぼくが欲してやまない強者の特権でもあった。合理的でなければいけない、効率的でなければいけないというのは、そうしなければならない弱者の考えなのだから。
「てめーら、手を出すなよ。こいつを倒すのは、このおれ様だ」
まるで少年漫画のライバル役(宿敵、と書いて《とも》と読む)のようなセリフを吐き、終零路はぼくに向きなおった。
戦いは、しばらく膠着状態が続いた。
終零路の必殺の一撃はぼくには当たらなかったが、ぼくも彼の攻撃を避けるのが精一杯で、ときどき隙を見て攻撃してはいるものの、決定打どころかほとんどダメージを与えることができなかった。
もたもたしているうちに他の生徒たちがどんどん集まってきて、いつの間にか軽いお祭りさわぎと化していた。中にはぼくと終零路のどちらが勝つか賭けている者たちまでいる(なお賭け率は一対三十で、ぼくは超ダークホースらしい)。
「零路、負けんなよ。お前に二千円賭けてんだぞ」
「ヘイ彼女(月野)、付きあってる男とかいる?」
「誰だかしらねーけどがんばれよ。てめーが勝てばおれは億万長者だ。ぎゃっはっは」
……などなど、命がけで戦ってるこっちの気も知らずさわぎたてる青龍学院の生徒たち。なんだか現実ばなれした光景だったが、祭りの中で死ぬのも悪くない、と、ぼくは不謹慎にもそう思ってしまった。
ここでぼくが万にひとつ終零路に勝ったところで、もう逃げるのは不可能だろう。
脱出は、失敗に終わったのだ。
でも。今はそれでいい。
生きてさえいれば、またチャンスは巡ってくる……かもしれない。
あの大和十三がもし本当に《継戦派》を下し、白虎学園との戦に幕をおろせたなら、ぼくと月野は解放されるだろう。
正念場だ。勝っても地獄、負ければ終わりの最低なギャンブルだが、絶望するにはまだ早い。
終零路の怪力からくり出される、一撃必殺、防御不可能の斬撃の嵐。
蒼天音の眼にも止まらぬ正確無比な斬撃とも、赤月瑠璃の変幻自在でトリッキーな斬撃とも異なる、単純かつ粗雑な、その軌道。
ナイフすら失ったぼくにそもそも刀を受け止める術はなかったが、よく見て回避に専念すれば躱せぬレベルではなかった。もっと速くえげつない斬撃を、これまでに何度もしのいできたのだから。
「そこだ」
大ぶりの斬撃の合間にできたわずかな隙を見逃さず、ぼくは彼の懐にもぐりこみ、その脇腹に、必殺の肘打ちをおみまいした。
ごつん、と、にぶい衝撃が伝わってきた。
「いってーな、こら」
何事もなかったかのように終零路は、片手でぼくの学ランの襟首をつかんだ。
なんてやつだ。
普通なら肋骨が折れて内臓に突き刺さり、致命傷を与えるこの技も、酉野先生のハンマーパンチすら耐えしのいだ終零路の鋼の肉体の前では、無効のようだった。なんせ間合をとる時間すら与えてくれない。
万力のような力で掴まれ、ぼくは終零路に軽々と、片手で持ちあげられてしまう。
だめだ。勝てない。
これが《人割り》。これが終零路。
「どうやら勝負あったみてーだな。なかなか楽しいバトルだったぜ。何か最期に言い残すことがあったら聞いてやる」
これまた少年漫画の悪役が言いそうなセリフを吐いて(彼はきっと少年漫画好きにちがいない)、終零路は、締めあげたぼくの胸に斬馬刀を突きつけた。ぼくはこのあと、あの名も知らぬ女の子たちのように、串刺しにされるのだろう。
「円藤さん!」
月野の悲鳴が聴こえてきた。
ごめんね、月野。
やっぱりぼくには無理だった。
どうか、投げやりにならずに、ただ自分が生き残ることだけに専念してほしい。
大和十三たちが作戦を成功させれば、ふたたび解放のチャンスが……
そこまで考えたところで、ぼくは眼を丸くした。
いつのまにか拘束を逃れた月野が、ナイフを片手に、こっちに飛びこんでくる姿が、眼に入ってきたのだ。




