6.モーニングラーメン
永劫学園は全寮制であり、各地から集められた魔力を持つ生徒達が学園に隣接した学生寮で生活している。
無論、横賀健吾も例外ではなく、男子寮に入っている。
部屋は一階の一番奥、物置部屋の隣にあり、通常は二人一部屋なのだが、生徒数の関係で健吾は一人きりだった。
しかし、それはおそらく口実にすぎず、生徒数がどうあれ健吾は一人で生活する事になっただろうと思われた。
理由は単純、彼は普通の人間ではなく、特例として入学を認められた生徒だからだ。
朝、妙な匂いがして健吾は目覚めた。
六畳の部屋に二段ベッドが設置され、向かい側の壁にはデスクが二つ並ぶ、さして広くもない簡素な部屋だ。
健吾がベッドから這い出したところ、向かいにあるデスクに着いた女性が声を掛けてきた。
「おはよう、健吾君」
「おはようございます……って、操先生? な、何してるんですか?」
そこにいたのは担任の女性教諭、砂川操だった。
操はエンジ色のジャージ姿で椅子に座り、豚骨ラーメンを食べていた。
「見て分からない? 朝ご飯のラーメンを食べてるの」
「いや、そういう事じゃなくてですね……なんで先生が俺の部屋にいて、ラーメン食べてるんですか?」
道理でラーメン臭いと思った。
すると操はズルズルと麺をすすり、窓の方を指して答えた。
「窓が開いてたから」
「入ってきちゃったんですか!? じゃあ、そのラーメンはどこから」
「もちろん、ラーメンを持参して入ってきたの」
「朝からラーメンの丼持って男子寮の周りをウロウロしてたんですか!? 自由すぎるでしょ!」
声を荒らげた健吾に操は首をかしげ、おずおずと丼を差し出してきた。
「食べる?」
「いりませんよ! って、ほぼ空じゃないですか!」
「スープを一口だけ分けてあげてもいいかな、って。先生、太っ腹だから」
それのどこが太っ腹だ。
言いたい事は山ほどあったが、この超マイペースな教師に何を言っても無駄だろうと思い、健吾はため息をついた。
「操先生、本当は俺の様子を見に来たんじゃないんですか?」
「そんなわけないでしょう。教え子の寝込みを襲ったりしません」
「いや、そうじゃなくて……」
「実はさっき、五分ぐらいベッドに潜り込んで休憩してたんだけど、全然起きないからやめたの」
「なっ……冗談ですよね?」
「もちろん。本当は三分ぐらいよ」
「潜り込んだのは事実なんだ!? セクハラで訴えますよ!」
どこまでが冗談なのか分からず、ヘラヘラと笑う操に、健吾はぐぬぬとうなった。
「それはさておき、天道さんにバレたみたいね」
「うっ……!」
やはり、本題はそっちか。引きつった健吾を真っ直ぐに見つめ、操は淡々と呟いた。
「なるべく目立たないように、大人しくする約束でしょう? もう忘れたの?」
「い、いや、あれは不可抗力というか、天道が危なかったから、つい……」
「まあ、どうせいずれは誰かにバレるとは思ってたし、危険な目にあっている女の子を助けるなとは言わないわ。でもね、もう少し慎重に行動しなさい。普通の生活を送りたいって言ったのはあなたでしょう?」
「す、すみません……」
操は健吾と旧知の仲で、担任の教師であるのと同時に、この学園における健吾の保護監督者でもある。
何かと便宜を図ってもらっている事もあって、健吾は操に頭が上がらないのだった。
「天道さんが言い触らすような子じゃなくてよかったわね。そこだけは救いだったわ」
「どうですかね。あいつ、俺の事を疑ってるみたいですけど」
「それはまあ、無理もないでしょう。君の力は常軌を逸しているもの。だからこそ、魔力がないのに特例として入学が認められたわけだけど……その事を不審に思ってる生徒もいるみたいね」
先日、絡んできた連中の事を思い出し、健吾はうなずいた。
「やっぱ、魔力ゼロってのがまずいんでしょうね。ほんのちょっとでも魔力があるって事にしておけばよかったのに」
「職員全員の目を欺くのは無理だし、ある程度レベルが高い生徒なら魔力の有無を感じ取る事ができるから、数値を誤魔化してもどうせすぐにバレちゃうわよ。身体能力が優れてるから将来的に魔力が身に付くのを期待して、って事にしといた方がそれっぽいでしょ?」
「そう……なんですかね」
そうすると、雨音は健吾に魔力がない事を感じ取った上で何か秘密があるのではないかと考え、疑問をぶつけてきたのか。
またえらい相手に目を付けられたものだと思う反面、ストレートにぶつかってきた雨音の態度には好感が持てた。少なくとも悪い人間ではなさそうだ。
「ともかく、身の回りには気を付けなさい。できる限りフォローはするけど、あまり当てにはしないように」
「は、はい。あの、天道の事はどうしましょう?」
「それは自分で考えなさい。そのぐらいの問題も解決できないようじゃ、これから先、ここで生活していくのは無理よ」
どこかぼうっとしていながら教師らしい台詞を口にした操に、健吾は神妙な顔でうなずいた。
「それにしても先生、ジャージが普段着なんですか。似合ってますけど、色気の欠片もないですね」
「ふっ、まだまだお子様ね。何も分かってないんだから」
「どういう意味ですか?」
すると操はクスッと笑い、自分の胸元を指で差してみせた。
「実は、ジャージの下には何も着てないの。素肌に直で着てるのよ」
「ええっ! マ、マジですか……」
「嘘だと思うんなら確かめてみる?」
操が呟き、ジャージのファスナーをチィー……と胸元まで下ろしてみせる。白い肌と深い胸の谷間がのぞき、健吾は赤面した。
慌てて目をそらし、操の腰にぶら下がっているホルスターに視線を移す。そこには魔銃剣が収まっていた。
「ジャ、ジャージ着ててもそれは持ち歩いてるんですね」
「まあ、標準装備だからね。いつ何時、必要になるか分からないし」
「なるほど」
「むっ、さては武器さえなければ襲ってやるのに、と考えてるな? 悪い子ねえ」
「か、考えてませんよ! 言いがかりだ!」
前屈みになり、ボサボサの髪をかき上げて顔をのぞき込んできた操に、健吾はうろたえた。
ジャージの胸元を大きく開いているために丸みを帯びた大きなふくらみがかなり際どいところまで見えてしまい、思わず凝視してしまう。
操は健吾の視線に気付いた様子もなく、ヘラヘラと笑っている。
いや、むしろ気付いていながら健吾の反応を楽しんでいるようだ。
「さて、ラーメンも食べたし、若い男の抱き心地も堪能したし、そろそろ帰ろうかな」
「お疲れさまです……って、もうやめてくださいよ、そういうの」
「えっ、ラーメン食べちゃだめなの?」
「逆セクハラの方ですよ! 青少年をからかわないでください!」
「ごめん。ちょっと異性に飢えてて」
「真面目な顔で言わないでください。リアクションに困るじゃないですか」
空になった丼を手にして立ち上がり、健吾に軽く手を振って、操は窓から出て行った。
健吾はため息をつき、今度からは寝る前に戸締まりをしっかりしておこうと決意したのだった。
登校した健吾が教室に入ると、待ち構えていたように天道雨音が現れ、声を掛けてきた。
「おはよう、横賀君」
「あ、ああ、おはよう……」
健吾が挨拶を返すと、雨音はニコッと微笑み、右腕を鞭のように振るって健吾の脇腹に手刀を打ち込んできた。
「えいっ! って、あいたたた! 指が、指が折れたあああ!」
右手を押さえて痛みを訴える雨音を見つめ、健吾は引きつってしまった。
「お前は一体、何がしたいんだ? 勘弁してくれよ……」
「ふっ、昨日言ったでしょ。隙あらばビシバシ攻めてやるんだから覚悟して……あいたたた!」
「自爆してりゃ世話ないよな。ちょっと見せてみろ」
「あっ」
雨音の右手首をつかみ、健吾は彼女の右手を見てみた。
細くしなやかな指には傷らしきものは見当たらず、腫れてもいない。
指を一本ずつ確認してみたが、折れてはいないようだ。
「大丈夫みたいだな。折れたとか言うからあせったじゃないか」
「~~~~~~っ! は、放して!」
健吾が手を放すと、雨音は慌てて右手を引き戻し、左手で押さえて庇うようにしながら、健吾をジロッとにらんだ。
ほんのりと頬を染めつつ、抗議の声を上げる。
「わ、私の手を潰そうとしたわね! なんて危ないやつなのかしら!」
「はあ? そんなわけないだろ。怪我してないか見ただけで……」
「そ、そんなんじゃ誤魔化されないんだから! 今に見てなさいよ!」
「あっ、おい!」
雨音はすごい勢いで健吾から離れ、教室を飛び出していずこかへ去ってしまった。
同じクラスなのに教室を出てどこへ行ったのやら。健吾は呆気に取られるばかりだ。
「何なんだ、あいつは……何を考えてるのか、サッパリだ……」
しばらくして予鈴が鳴り、朝のショートホームルームが始まる頃、雨音は何食わぬ顔で戻ってきて、廊下側最後尾の席に着いていた。
担任の砂川操が教室に入ってきて、教卓に着く。操はジャージではなく濃紺のスーツに着替えており、相変わらず髪はボサボサで眠そうな顔をしていた。
「あー、全員、出席、と」
室内を見回し、空席がないのを確認して、操は出席簿に書き込んでいた。一人ずつ点呼を取るのは面倒だかららしい。
それでは生徒が入れ替わっていても分からないのではないかと思い、健吾は尋ねてみた事があるのだが、操曰く受け持ったクラスの顔ぶれは覚えているので問題はないという。本当だろうか。実に疑わしい。
「今日は野外訓練を行います。全員、校門前に集合して」
通常、実技訓練は学園内の訓練場やグラウンドで行われる。
いきなり予告無しの野外訓練を言い渡され、生徒達は戸惑っていたが、担任の指示では従うしかなく、ゾロゾロと教室から出て行く。
操から手招きをされ、健吾は彼女のところへ向かった。
「分かってるわね? 目立つ真似はしないように」
「は、はい。気を付けます」
健吾はうなずき、皆の後に続いた。
二人のやり取りを、雨音は目を細めて見ていた。




