2.魔力ゼロの男
いつの頃からか、世界の各地には異世界に通じるゲートが出現するようになった。
ゲートの向こうに広がる世界は人間の常識を越えた不思議な場所だった。
文明のレベルは低いらしく、人工的な建築物が見当たらない、緑あふれる世界。そこには知能の低い、凶悪な生物が徘徊していた。
それらの生き物は不可思議な力を備え、人類がこれまでに生み出してきた武器では倒す事ができなかった。
魔物と呼ばれるそれらを調べていくうちに、魔力の存在が明らかになり、その不可思議な力はわずかながら人類にも宿っている事が判明した。
魔物を倒すには魔力の使用が不可欠。そこで人類は魔物に対抗するため、魔力を増幅して使用する武器を開発、少しでも魔力を多く有する人材を確保し、戦士として育成するシステムを構築していった。
現在ではそれなりに育成は進み、ごく少数ではあるが異世界を調査する事ができる人員もそろってきている。
さらなる戦士の増強と調査団の充実を目指し、世界各地には戦士育成専門の教育機関が設置されていた。
ここ永劫学園もまた、国内にいくつか存在する異世界探索者養成校の一つである。
一定レベル以上の魔力を持った人間は半ば強制的に入学させられ、戦士としての教育を受けているのだった。
天道雨音は今年入学した新入生の中でもトップレベルの資質を備えた、期待のニューフェイスであった。
魔力計測値はダントツのトップ、学業でもトップクラス、身体能力も高く、対魔技能レベルは通常最高位のAを超えるAA。
入学した時点でもはや実戦でも通用する実力だろうと言われていた。
そして、先日行われた異世界での現地訓練にて、予期せぬ魔物の襲撃に遭い、あわや全滅かと思われた新入生達を救った事により、天道雨音の名を学園内で知らぬ者はなし、という状況になっていた。
「あっ、天道だ!」
「うひょう、一年生きってのエース! 格好いいなあ!」
「天道さーん、こっち向いてー!」
「むう、天道がおれば、この学園も安泰じゃのう……」
「きゃあ、誰なの、このお爺さん!」
肩まで伸ばした黒髪をなびかせ、雨音は学園内を歩いていた。注目されるのは慣れているし、称賛を受けるのも悪い気分ではない。にもかかわらず、雨音は機嫌が悪かった。
整った顔立ちを不愉快そうに歪め、苛立たしげに呟く。
「何が新入生のトップよ……何が学園のエースよ……くっだらないわ……!」
先日の現地訓練において、確かに雨音は活躍した。教師達をフォローし、一人で魔物を四匹も仕留めた。我ながらよくやったものだと思う。
だが、問題はその後だ。敵を倒すのに夢中になり、まんまと罠に引っ掛かってしまった。
危うく命を落とすところだった雨音を救ったのは、新入生の中でも最底レベルの能力しかないと言われている男子生徒――クラスメイトの横賀健吾だった。
健吾の事は誰にも話してはいない。それというのも当の健吾が、「お願いだから黙っててくれ」と頼み込んできたからだ。彼に命を救われた雨音としては首を縦に振るしかなかった。
「それにしてもあいつ、一体全体、何者なの? 素手で魔物を倒せるなんて、絶対に普通じゃないわよね……」
あの日以来、彼の事が気になって仕方がない。本人を問いただしてやりたいところだが、どうも避けられているような気がする。自分の秘密を探って欲しくはないといったところだろうか。
現在は昼休み。校舎を出た雨音は考え事をしながら、広大な学園の敷地を歩いていた。
食後の散歩中、というのは単なる口実で、教室や食堂に健吾の姿が見当たらなかったので彼を捜している最中なのだった。
「むっ……見付けたわ!」
学園の中心部には中央に噴水を備えた、かなり広い中庭がある。中庭の片隅に数人の男子生徒が集まっていて、その中に横賀健吾の姿があった。
彼のもとへ駆け寄ろうとして、雨音は様子がおかしい事に気付いた。
友人同士で集まって談笑でもしているのかと思ったのだが、どうも違うようだ。
雨音や健吾とはクラスが異なると思われる数人の男子達が、健吾一人を取り囲んでいる。
「よう、一年最低ランク、元気か?」
「お前さ、魔力測定値ゼロなんだって? なんで入学できたんだよ、おかしいだろ」
「何とか言えよ、おい!」
彼らの会話を聞き、雨音は大方の事情を察した。対魔技能レベルが低い健吾を馬鹿にして絡んでいるのだろう。なんて低俗な連中だと思い、吐き気がしてくる。
複数の人間に取り囲まれていながら、健吾は臆した様子もなく、平然としている。彼の実力を考慮すれば普通の人間など恐るるに足らず、といったところか。
しかし、これは見すごすわけにはいかない。雨音は表情を険しくして、彼らに近付き、声を張り上げた。
「こらあ! 何してるの、あなた達!」
「げっ……」
「て、天道……」
有名人である雨音の顔を知らない者はいないらしく、男子生徒達は驚き、決まりが悪そうにしていた。
雨音は眉をつり上げ、彼らに叫んだ。
「一人を大勢で取り囲んだりして、恥ずかしい人達ね! こんな真似をして、死にたいの? それとも殺されたいの?」
「どっちにしろ死ぬしかないのかよ!?」
「お、おい、行こうぜ。天道が相手じゃまずいって」
逃げるように去っていく彼らを見送り、雨音はため息をついた。
傍らに突っ立っている健吾に鋭い眼差しを向けると、彼はぎこちない笑みを浮かべた。
「え、えーと、その……ありがとう、助かったよ」
「お礼を言われる筋合いはないわ。私は彼らを助けただけだから」
「えっ? それってどういう……」
意味が分からないといった様子の健吾をにらみ、雨音はつまらなそうに呟いた。
「あなた、彼らを皆殺しにしようとしてたでしょ?」
「い、いや、するわけないだろ、そんな事! 殺人鬼じゃあるまいし」
「嘘を言いなさい! あなたが本気を出せば、あんな連中、バラバラの粉々でしょ? 私が止めなかったらどうなっていた事か……」
両手で自分の肩を抱くようにしてブルブルと震えてみせた雨音に、健吾は引きつってしまった。
「あ、あのな、天道さん。何か誤解してるみたいだけど、俺は無闇に暴力を振るったりしないから。こう見えても平和主義者なんだぜ?」
「魔物を素手で殴り殺せるくせに平和主義? 笑えない冗談だわ」
「そ、それは秘密にするって約束だろ。こんなところで口にしないでくれ」
周囲を見回し、健吾は冷や汗をかいていた。雨音は呆れ、ため息をついた。
「なんで隠すのよ。私を助けて魔物を倒したって言えば、ヒーローになれるのに」
「いや、そんなのに興味ないし。俺は普通に、平和に暮らしていたいんだ。頼むから黙っててくれ」
「約束は守るわ。でもね、ここは異世界へ行って魔物と戦える人材を育てる場所なのよ。実力を隠す事に意味があるとは思えないんだけど……そもそも、よく入学できたわね」
「そこはほら、なんて言うか。知り合いのツテで」
「ふーん。ツテ、ねえ」
先程の連中が言っていた通り、健吾の魔力測定値がゼロならば入学できるはずがない。職員に身内か知人でもいるのだろうか。それは不正入学なのではないのか。
しかし、彼の実力を考えると、この学園に入学させたのは正解のように思う。本人にやる気がないのでは無意味なのかもしれないが。
「ま、深くは詮索しないけど。力があるのにそれを隠して手を抜くというのは感心しないわね。真面目に訓練をしている人に失礼だわ」
「いや、俺にも色々と事情が……」
「それはそれとして、えっと、横賀君?」
「あ、ああ。何だ?」
「この前は助けてくれてありがとう。お礼、まだ言ってなかったわよね?」
ほんのりと頬を染め、上目遣いに見つめてきた雨音に、健吾はドキッとしてしまった。
何となく苦手な感じのする少女だと思っていたが、改めて見てみるとかなりの美人だ。近い距離から曇りのないすんだ瞳を向けられると照れてしまう。
「べ、別にお礼なんか……気にするなよ、そんなの」
「受けた恩は必ず返すわ。当然、秘密も守る。こう見えても意外と義理堅いのよ?」
雨音がニコッと微笑み、健吾は赤面し、目を泳がせた。
元々、女というのはどうも苦手で、しかもこれほどの美少女が相手では対応に困ってしまう。
なのになぜか雨音は不必要なぐらい近付いてきて、健吾の顔を下からのぞき込んでくる。
「お、おい、ちょっと? さすがに近すぎ……」
「うりゃあ!」
そこで雨音は何を思ったのか、健吾の顎に額を打ち付けてきた。頭突き、いわゆるヘッドバットというやつだ。
突然の事に驚き、目を丸くした健吾の前で、雨音は勢いよく後ろ向きに倒れてしまった。
「あいたたたた! 痛い痛い頭が割れちゃううううううう!」
額を押さえてゴロゴロと転げ回る雨音に、健吾は掛ける言葉がなかった。
やがて雨音はどうにか起き上がり、目尻に涙をにじませながら健吾をにらみ付けてきた。
「よ、よくもやったわね!」
「いや、やったのはそっちだろ。大丈夫か? 怪我は……」
「おりゃあ!」
雨音が踏み込んできて、健吾の脇腹に右回し蹴りを叩き込む。
だが、健吾は微動だにせず、蹴りを入れた雨音の方が悲鳴を上げた。
「あいたあ! 脚が、脚が折れたあああああああ!」
右脚を押さえ、地面を転げ回る雨音を見つめ、健吾は冷や汗をかいた。
彼女は健吾にお礼を言っている最中だったはずだが、それがなぜ頭突きや回し蹴りを放つ事になったのか。意味が分からない。
「お、おい、平気か? 救急車呼ぼうか?」
しばらく転げ回ってから雨音は起き上がり、まだ痛そうに顔をしかめながら呟いた。
「あ、あなた、どういう身体してるのよ……皮膚の下に超合金でも仕込んであるの?」
「いや、何も。生まれ付き身体が丈夫なんだ」
「くっ、またそんな適当な事を言って誤魔化して! 打撃が効かないのなら関節を極めてやる!」
雨音は健吾の左手首を両手でつかみ、ひねり上げようとした。
だが、いくら力を込めても彼の腕はビクともせず、ひねるどころか動かす事すらできなかった。
「うーっ、なんで動かないのよ! こんなの変だわ!」
手首をつかんだまま、涙目になって踏ん張っている雨音を見やり、健吾はため息をついた。意識して腕の力を抜いてやり、雨音が動かしたい方向に合わせてやる。
「あっ、動いた! ふふっ、こうなればこっちのものよ! たあ!」
健吾の左腕をねじるようにしてひねり上げ、雨音は得意そうにしていた。
満足してもらえたようでよかったと思い、健吾はゆっくりと左腕を動かして、下ろした状態に戻した。
「ちょっと、なんで動かせるのよ! 関節を極めたのに!」
「えっ、動かしちゃまずかったのか? ごめん、それじゃ元に戻して……あれ、どっちにひねればいいんだっけ?」
首をかしげた健吾に雨音は眉根を寄せ、不愉快極まりないといった顔をした。
「な、何よ、馬鹿にして……こんな屈辱を受けたのは生まれて初めてだわ……!」
「いや、俺は何もしてないよね? お礼とか言っといて乱暴な真似をしたのはそっちだろ」
すると雨音はハッとして、無理矢理に笑顔を浮かべてみせた。口元をヒクヒクさせながら、懸命に平静を装って呟く。
「な、なんちゃってー! 今のは全部、冗談でしたー! う、うけた?」
「額が真っ赤だぞ。右脚は折れてないのか?」
「……赤くなんかなってないし、折れてないわよ! 馬鹿!」
健吾をキッとにらみ付け、雨音はクルリと背を向けて去ってしまった。
遠ざかる彼女の後ろ姿を見送り、健吾は首をかしげた。
「なんだありゃ。うーん、女の考える事は分からん……」




