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ギャラクシー・ヴォイス  作者: BUTAPENN
ギャラクシー・ヴォイス
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Galaxy Maze 1



 どんなに技術が発達した時代になっても、事故はなくならない。

 天災。人為的ミス。あるいはそのいずれともが、もつれた糸のように複雑にからみ合って生まれたもの。

 何重ものチェック体制のほんのわずかな穴をすり抜けるようにして、天文学的な確率の壁を乗り越えて、事故は発生する。そして待ち受けるのは、最悪の事態のドミノ倒し。

 それは、運命の残酷な女神が微笑みながら鎌を振り下ろしたとしか言えないような、誰にでも起こりうる現実なのだ。



 火星に向かって航行中のYX35便で、その事故は起こった。1カ月近くの航海のちょうど半分を終えたというとき。

 内臓が痺れるような低く重い震動が数秒間続く。そして突然の静けさ。自分の体の一部が欠けたような喪失感。

 クルーの誰もが、理由を知らされる前に、それが異常事態であることを察していた。

「キャプテン! 操縦系統にトラブル発生!」

 メカニックルームからの悲鳴に似た報告が、ブリッジに響きわたった。

「複合基盤の一部が異常な放熱のため溶解しています。主制御ならびに補助制御システムダウン」

「なんだとぅ」

 YX35便の船長レイ・三神は、けたたましい警告音すら子守唄に聞こえるような大声で、吠えた。

「補助システムまで一緒にイカレちまうなんて、そんな話聞いたことがあるか」

 メカニックのベテラン、スギタは震えながら答える。

「でも、事実なんです。補助システムへの切り替えができません。原因は不明ですが、ニューラルネットワークそのものがやられているのかもしれません。こんなこと、わたしも初めてです」

 レイは、ううと唸って、いまや幼児の玩具以下のシロモノになってしまった操縦席のスロットルレバーを見つめた。

 エンジンは正常に作動している。あらかじめ火星の軌道を綿密に計算して取った進路だ。このままでも火星に向かって一直線に飛び続けることはできる。火星衛星フォボスの軌道内に入ってしまえば、曳航船に着陸誘導を依頼すればいい。

 だが、それまでの間に、隕石が飛来でもしてきたらどうなるか。宇宙海賊にまた狙われたら? わずかコンマ1度、船体の方向を変えることすら、今のYX35便にはできない。

 最悪の事態が起こったら、火星400万住民の2カ月分の食糧や生活必需品とともに、クルー22名の生命が宇宙の藻屑と消えてしまうのだ。

「キャプテン」

 副操縦士のエーディクが頼りなげな目で見つめてくる。ブリッジのほかのクルーたちも同じ。機関室でもメカニック室でもスタッフルームでも、彼のことばを一言一句聞き漏らさぬように、耳をそばだてているのだろう。

 たとえ手足をもがれた状態でも、シップのキャプテンは弱音を吐くわけにはいかないのだ。

「けったくそ悪りぃ! そんな情けねえ面すんな。こんなトラブル、何でもねえよ。

スギタ! 今からメカニック全員でシップのシステムすべてを精査! 一度調べたところもすべて、もう一度調べなおせ。故障に関する完璧な報告を持ってこねえと、給料半年分、没収するからな。非番の連中もメカニックの指示があれば、できるだけ従え。

チェン! クリュス管制ステーションに通信を入れろ。曳航船の準備を乞うと。くれぐれも海賊どもに盗聴されるな。俺たちがこんな状態だとバレたら、奴さんたちハイエナのように群がってきやがるぜ。

機関室。姿勢制御ロケットをフルチャージにしておけ。以後、方向の微調整は4つのロケットを交互に噴射することにより行う。

ブリッジクルーは、交替でレーダーの画面を瞬きせずに見ていろ。どんな遠くの小さな障害物も見逃すな」

「はいっ!」

「アイアイサ!」

 担当者全員の声が重なった。やっと彼らの中から笑みがこぼれる。

 自信に満ちた三神船長の矢継ぎ早の指示を聞いて、ようやくみんな安心できたのだ。どんな危機の中にあっても、自分たちは大丈夫なのだと。

 レイは誰にも聞こえないように、吐息をゆっくり、ゆっくりと吐いた。



「ここに来ると思っとったよ」

 ブリーフィングルームに入った彼は、先客がいるのに気づいて足を止めた。

 機関長のタオ。YX35便のもっとも古参の乗組員である。

「キャプテン。おまえさんは、いつも怖くてたまらなくなると、人のいない部屋を見つけて隠れに来るんだな。最初の実習船でもそうだった。あのときは食糧倉庫の隅だったかな」

 中国系の小柄な老人は、真っ白なあごひげをワシャとつかみながら、愉快そうに言った。

「15年前のことは、もういい加減に忘れてくれと言っても、無理なんだろうなあ」

 レイも、苦笑いをうかべる。

「あの光景は忘れたくても一生忘れられん。航宙士志望の18歳の若者が、宇宙が怖いと涙声でブルっとるんだから。そんな情けないガキがやがて宇宙一のパイロットになって、一緒の船に乗り組むようになるなんて、人生というのは不思議なものだわい」

 レイは部屋の中央まで歩くと、青く光る天球図に手を伸ばした。かすかに震える指先に触れたホログラムは、よじれ、明滅しながらも、ゆっくりと元の姿に戻っていく。

「タオ。あんたがあのとき、ひーひーわめいてる俺を思い切りぶん殴ってくれなかったら、俺はとっとと荷物をまとめて養成大学を逃げ出していただろう」

「あれ以来、おまえさんは恐怖に駆られると、わしのところに来て「殴ってくれ」と頼むようになったな。わしは言われたとおりにしたよ。気の済むまで殴ってやった。怖さを紛らす意味で、船乗りの卑猥なジョークを片っ端から話してもやったよ。

そのうちおまえさんは、荒っぽい性格へと自分を切り替えることによって、恐怖と折り合いをつけるようになった。それを見て、わしは後悔したんだ。わしが考えもなしにしたことが、そういう逃げ場を作らせてしまったのではないかと。そのためにおまえさんを15年経った今でも苦しめているんじゃないかと」

「それは考えすぎだ」

「それで、どうした? 船長の重圧に耐えかねて、またあの痩せっぽちのガキみたいに部屋の隅に縮こまろうっていうのか」

「まさか。……でもまあ、それに近い気持ちになったことは確かだ。メカニックのレポは最悪だった。船内の制御があらかたヤラれてる。これじゃ、操縦が回復するのは不可能だ」

「ああ、レポはわしも読んだよ」

「くそぅ。いったいクシロの整備士どもは、どこに目をつけてやがったんだ」

「整備士だけを責めてはならん。報告にもあるとおり、「冷却装置そのものの欠陥」という可能性がもっとも高いんだからな」

「ああ、そうだな」

「それに、スギタたちメカニックにも落ち度はあるじゃろう。1カ月の長い航海のちょうど半分。中だるみの時期に虚を突かれた。もっと早く異常を発見していれば、ここまでの事態にはならなかった。そしてそれは、船長であるおまえさんの落ち度でもあるということだ」

 三神船長は、はっと空中の見えない何かに目をこらすように、薄茶色の目を細めた。

「俺の……慢心だったというのか」

「そうは言うてはおらん。だが、ちょっと前の自分自身のことを思い出してみればいい。地球にいるあいだも整備工場に日参しては、あれこれ注文をつけておったろう」

「……」

「新米整備士のあいだでも言い交わされておったのじゃよ。YX35便だけは何があっても、とことん整備しろって。今のおまえさんには、あの頃の熱意がない」

 機関長の耳に、ぎりりと歯軋りする音がかすかに聞こえた。

「いさめてるのではない。わしはそれが正しいと思っとるのじゃよ。愛する妻といっしょに地球での短い生活を楽しみたいと願うこと。それは何も間違ってはおらん。むしろおまえさんの人生にとって喜ぶべきことじゃ。

ただ、頭の片隅に覚えておいてほしい。このおんぼろシップが今まであれほど完璧に動作していたのは、キャプテン、おまえさんの操舵技術だけが理由ではないってことにな」

 タオは、第一級航宙士のプルシアンブルーの制服の背中をいたわるように、ぽんぽんと叩いた。

「どうだ。また、わしに殴ってもらいたいか?」

「さすがにこの歳になって、こんなヨボヨボ爺に殴られでもしたら、それこそ立ち直れねえよ」

 彼は形のよい顎をかばうように押さえて、くつくつ笑った。



 火星の第一衛星フォボスは直径27km、火星中心より平均9380kmの距離で火星の周囲を回っている。もうひとつの衛星デイモスは直径12.6km、火星からの平均距離は2万3500km。どちらも、もともとは木星の摂動によってコースを変えられ火星の引力に捕えられた小惑星である。

 そして、そのふたつの衛星と競うように、太陽発電システム、通信衛星などがいくつも周回している。しかし、この二百年にわたる火星開発が火星近海に増やしたものは、それだけではない。

 寿命を過ぎ廃棄された人工衛星。海賊が仕掛けた機雷の残骸。事故を起こし、船主が倒産して回収されずに放置されている貨物シップなど。

 文字通り鉄屑以下の不法投棄ゴミが、火星周辺数万キロにわたって散らばっている。

 事実、宇宙船とこれらゴミとの衝突事故は年間十数件に及び、ますますゴミを増やす悪循環に陥る。銀河連邦議会で毎年のように対策が議論されながら、結局、責任をなすりつけ合って、莫大な予算を計上できずに持ち越しになる案件であった。

 今まさに、YX35便の巨大パネルには、その吹き溜まりのような浮遊物が大写しにされているところだった。操縦系統がまったく利かないシップが、この迷路のような「魔のサルガッソ(藻海)海域」を無事通過できるのか。

 もうすぐ初めての子どもが生まれるクルーもいる。男手ひとつで育てた妹が来春結婚だと喜んでいる者も、いる。

 レイ・三神の掌が、いやな汗でじっとりと濡れた。

「微速前進、毎時0.3宇宙ノット」

 パイロット席に腰を落ち着けると、機関室に命じる。

「タオ。緊急回避が必要なときは、いつでも逆噴射エンジンを噴かせるようにしとけ。エンストなんか起こすんじゃねえぞ」

「あいよ。逆噴射なら地球で毎晩、女の中で練習してらーな」

「メカニック。4つのロケットに張りついて、俺の指示を待ってろ」

「了解!」

 いつもなら、ブリッジのコンソールのボタンひとつでできることが、今はできない。それぞれの姿勢制御ロケットのノズルを手動で開閉するしか手はないのだ。

「ニザーム」

 ついで、彼は保安主任の名を呼んだ。

「船長命令だ。持ち場についていないクルーは、全員退船させろ。おまえが指揮をとって、救命艇で火星に向かうんだ」

「ええと、あのう」

 数十秒の間があって、情けない声で黒ヒゲのアラブ人が応答する。

「全員、退船を拒否しました。で、あのう、わたくしも命令を拒否させていただきます」

「てめえら、覚えてろよ」

 船長は口の中で毒づきながら、にやりと笑った。

「ドッキングポートに着いたら、一列に並べて尻をひんむいて、昇降口から蹴飛ばしてやる」



 ブリッジの中に、緊張をはらんだ静寂が訪れる。

「不思議なもんだな、エーディク」

「はい?」

「操縦レバーを、いつのまにかぎゅっと握りしめてる。何の役にも立たねえっていうのによ」

 隣の席の金髪の副操縦士がにこにこと答える。

「でも、そうしてるキャプテンが一番自然で、一番かっこいいです」

「とりあえず全力を尽くすとするか。火星の住民たちに、毎日代用肉やレンズ豆のスープを食わすわけにはいかねえからな」

 レイ・三神は大きく息を吸って、吐いた。

 目をコンソールの画面に釘づけながら、意識を少しずつシップのあちこちに張り広げる。パイロット席に座ったまま四肢をすっと伸ばすと、指の先が船の隅々に届いていくようだ。船内に散らばったクルーたちが、それぞれの持ち場で息をひそめて彼の指示を待っているのを感じる。

 彼ら22人すべてが、彼の末梢神経なのだ。

 傷つき、病んでいる船のパーツひとつひとつが、主の意に沿おうと震動を始める。

 フォボス軌道上にたどり着いたとき、レイ・三神とYX35便は完全にひとつだった。



 火星地球間の通信はとんでもなく高額なので、夫はいつも火星に着いた夜だけ、短い録画メッセージを送ってくる。

 ホテルの部屋着を着てくつろいだ様子のレイの姿が、居間のパネルに映し出されていた。

「ユナ。今朝、無事に火星に着いた。何事もなく、退屈な航海だったよ」

「うそつき」

 彼女は一人つぶやきながら、目の縁のしずくを指でぬぐいとった。

「あなたの奥さんの職業を何だと思ってるの」

 彼女の小さな抗議の声も、もちろん画面の中の彼には届かない。

 YX35便が操縦系統のトラブルを起こし、曳航船で火星のドックまで牽かれて行ったことは、すでにクシロの管制センターでも大騒ぎになっていた。

 乗員・積荷ともにまったくの無傷。

 故障の状況について詳細な報告が入るにつれ、こんな状態のシップを火星上空まで完璧に操ったキャプテン・レイ・三神のテクニックは神業だと言う声があがった。

 そんなことも知らぬ気に、火星に降り立ったレイは、いつもと変わらぬ穏やかな笑みを浮かべている。

 だが。

「地球に帰ったら、大事な話があるんだ。できたら一日だけでも休暇を取ってほしい」

 その微笑の中にほんの一筋の翳りがあるのを、ユナは気づかないわけにいかなかった。

           




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