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ギャラクシー・ヴォイス  作者: BUTAPENN
ギャラクシー・ヴォイス
4/38

Galaxy Dream

(殴られる!)

 そう思ったエーディクは、とっさに首をすくめた。

 小惑星群の軌道を再計算しておくように命じられたのに、すっかり忘れていたのだ。

 もちろん新米操縦士の彼と言えども、航路の安全に関しては何度もチェックしている。

 小惑星群が航路を横切るのは、YX35便が通り過ぎたずっと後だし、宇宙のど真ん中でシップが一旦停止でもしないかぎり、何の脅威もない。しかも、軌道傾斜角0.3度と言えば、サッカーボールが隣町をかすめる程度。

 その気の緩みが、命令を失念してしまうという、とんでもないミスにつながったのだ。

「この、うすらとんかち。いったい何回火星と地球を往復すれば、てめえのケツから卵の殻が取れるんだ!」

 レイ・三神船長がフレスコ画の地獄の悪魔さながらの顔で怒鳴ったとき、てっきり殴られるとそう覚悟していたのに。

 いつまで経っても、衝撃はやって来なかった。

「あれ?」

 おそるおそる薄目を開けると、船長はもうブリッジから姿を消していた。

「どうしたんだろう」

 金髪の頭をぽりぽり掻くと、通信士のチェンが顎をしゃくって見せた。

「キャプテン、あれを見たんだよ」

 彼が指した正面スクリーンの左隅に、エーディクが軌道計算を命じられた問題の小惑星群が、遠距離ズームで映っていた。

 地球軌道のごく近くに分布する近傍小惑星、【アモール群】のひとつ。パイロットになってまだ3年のエーディクにとって、地球火星間航路上でこれほど大規模なものに遭遇するのは初めてだ。

 かつては直径数十キロにも及ぶ天体だったものが衝突によって破壊され、数十個のごつごつした岩石質の微小惑星となって、密集して楕円軌道をめぐっているのだ。

「どうして、あれを見て……」

 エーディクはそうつぶやいてから、はっとした。ブリッジにいるスタッフたちは、決まり悪そうに互いに顔をそむける。

 三神船長は幼い頃アウターで遭難した。彼の乗った探査移民船が、木星の衛星イオから地球への帰還の途中に爆発したと聞く。

 だがそれは、火星と木星との間に横たわる【アステロイド・ベルト】、つまり小惑星帯で起こった事故だったのだ。



「失礼します」

 エーディクは、真っ暗なブリーフィングルームに入った。船長はたったひとり、壁にもたれて立ちながら、部屋の中央の蒼いホログラムの天球図に向き合っていた。

「キャプテン。もうしわけありません。私の命令不服従に対して厳正なる処罰をお願いします」

 レイは、ゆっくりと首をめぐらした。

「殴りたくても殴れねえよ。手がさっきから震えが来て止まらない」

 拳を自分の目の前に突き出すと、彼はさもおかしそうに続けた。

「いい笑い話じゃねえか。なあ、エーディク。第一級航宙士ともあろう者がガキの頃の記憶におびえて、あんな岩のかたまりにぶるっちまうなんてよ」

「いえ、私は笑い話だとは思いません。キャプテンのような経験をされたら、そうなるのは当然だと思います」

「無理しなくてもいい」

「私がキャプテンの立場なら、きっと航宙パイロットになる選択肢すら思いつかなかったでしょう。私はあえてその道を選ばれたキャプテンを尊敬しています」

 真正面の一点を見つめ、しゃちこばって話す若き操縦士を見て、レイはくすくすと笑って、彼の肩をぽんと叩いた。

「結局、俺は心底、宇宙が好きなんだろうなあ」

 深いためいきを吐き出す。

「まるでたちの悪い女神に魅入られているみたいに、その妖しい微笑から目が離せねえ。たとえ次の瞬間、その女神の口が真っ赤に裂けて、死の鎌を振り上げたとしても、俺は一生、宇宙からは逃げ出せないんだろう」

 ゆらゆら揺れる天球図をながめる船長の横顔は、いつもと違って悲しげで穏やかだった。

「死神の鎌を引き寄せたのは、パイロットのほんの些細な見落としだったんだ。30年前、俺たち一家の乗った移民船は、【アステロイドベルト】を航行中、飛来した隕石を回避しようとして小惑星のひとつに激突した。パイロットが注意して、小惑星の軌道をシュミレーターの計測にかければ防げた事故だった」

「そうだったんですか」

 そのときエーディクはようやく悟った。小惑星の軌道を何度も確かめるよう命じられたのは、彼がいつのまにかパイロットの基本をおろそかにして慢心しているのを見抜かれていたからであることを。

「すみませんでした。以後絶対にこんな不注意はおかしません」

「ああ、そうしてくれよ。そしたら俺も枕を高くして昼寝できるしな」

 彼はにやりと笑い、しっかりした足取りでブリーフィングルームの扉に向かう。

「ああ、でも寝ている場合じゃありません。あと3時間ほどで地球管制ステーションの管轄に入りますよ」

 エーディクは、有頂天でその背中に報告した。

「2ヶ月ぶりに、ユナさんのギャラクシー・ヴォイスが聞けるんですね。クルーはこの時を指折り数えて待ってたんです」

「……」

「なんたって、みんなキャプテンご夫婦の会話を盗聴するのが何よりの楽しみ……」

 今度こそ、本当に殴られた。



【宇宙の静寂、あまりに大きく、底知れぬ深さをもつ静寂】

 と、宇宙史初期の飛行士が言った。

 暗黒で静寂に満ちていると思われる宇宙空間でも、太陽から放出される荷電粒子が目に見えぬ超音速の風となって太陽系をうねる。そしてその太陽風と同じ、目に見えないすさまじい嵐が、今まさに吹き荒れようとしていた。

「キャプテン! 認識記号を表示しないシップが凄いスピードでこちらに近づいてきます! 右舷、距離およそ0.3光秒」

「なんだと」

 レイは仮眠用のリクライニングチェアを蹴とばして立ち上がった。

「いつの間にそんな近くに……。自動警告システムは?」

「作動しません」

「くそう!」

 パイロット席のコンソールに屈みこみ、拳を叩きつける。

 発見が遅れたことで、クルーを責めるわけにはいかない。ある種のシップの中にはレーダーをかく乱するための装置が取り付けられているからだ。もちろん違法である。そしてそれが意味することはただひとつ――。

「先方から入電」

 パネルに浮かび上がった文字は何の挨拶も修辞もなく、YX35に対して停船と、通信ならびにメインコンピュータ回路のオープンを命じていた。

「宇宙海賊……」

 エーディクは悪寒が背筋を駆け上がるのを覚えた。

 以前は月やコロニーの定期航路を荒らしまわっていた無法者たちが、銀河連邦軍の取締り強化に業を煮やして、近年火星航路に鞍替えしていると言われる。

 レールガンなどの近距離用火砲で武装し、最高性能のプラズマエンジンを積んだ海賊船に、火星で発掘されたレアメタルを満載している貨物シップごときが太刀打ちできるはずもない。

 ブリッジ全員のすがるような視線がレイ・三神船長に突き刺さる。

 いつもなら、野獣のごとき怒鳴り声で素早く的確な命令をくだす彼が、パネルを見つめたまま無言で立ち尽くしている。

 十秒。二十秒。

「奴らの要求に従う」

 食いしばった歯の奥から、うめくような声が発せられた。

 クルーの、息をのむ音。

「キャプテン」

「聞こえねえのか、このとんま野郎。メインエンジン停止」

「メインエンジン――停止します」

 エーディクは、しぶしぶ命令を復唱する。

 宇宙海賊の中には、紳士的な態度で積荷だけを奪う者も確かにいる。

 だが中には、残虐なふるまいに及ぶ輩も当然ながら存在するのだ。昨年宇宙を震撼させたのは、陵辱されそうになった女性クルーをかばおうとして戦闘になり、28人の乗組員の大半が海賊の手によって射殺されるという、いたましい事件だった。

 果たして目前の海賊がそのどちらの部類なのか、彼らには確かめるすべがない。

 YX35便の全クルー22名、そのうち女性6名。それぞれ地球に愛する家族や恋人たちがいる者たちばかりだ。そのことは船長である彼が一番よく知り尽くしている。

 レイは、正面の大スクリーンを見上げた。ビロードのような虚空の彼方に地球がある。

 ユナ。

 唇だけが動いて、大切な人の名を呼ぶ。

「みんな。聞いてくれ」

 話し始めた彼の全身にはもう、弱さは微塵もなかった。

「機関室もスタッフルームも聞こえているな。通信は傍受されている恐れがあるから、船内無線を使う。

全員の意見が聞きたい。一クルーとしての俺の意見は、降伏すると見せかけて、隙をついてここから脱出することだ。奴らに一グラムだって、積荷を渡したくねえ」

 シップ全体の空気が張り詰める。

「だが、そのためにはぎりぎりの危ない橋を渡らなきゃならねえ。いちかばちかの賭けだ。失敗すれば、もちろんひとり残らず死ぬ」

 レイの目が苦悩のために伏せられる。だが次の瞬間、薄茶色の瞳に決意の炎がゆらめいた。

「この案に賛成か反対かを決めて、ひとりずつチェンに送信してくれ。無記名でいい。もしその中にひとりでも【ノー】がいれば、このまま降伏を選ぶ。その場合でも、俺の命に代えても、てめえらだけは守るから安心しろ」

 長い沈黙のときが過ぎた。

「キャプテン、意見が出揃いました」

 チェンのはずんだ声がブリッジにこだまする。

「22人、全員【イエス】です!」



 海賊船は時間をかけてYX35便の船側に近づいた。まるで肉食獣が怯える家畜をゆっくりといたぶろうとでもするように。

 しかし、表面では従順に要求に従いながら、貨物シップの内部では全クルーがフル回転していた。

「機関室、俺の合図でエンジン出力を、90秒で120%まで上げられるか」

「そんな、いくらなんでも無茶だ、キャプテン!」

「無茶でもやるんだよ、ボケ爺。……それからメカニック! 船尾のビーム砲を三発のみ充填。的にぴったり狙いをつけとけ」

「わかりました!」

「ブリッジ以外は全員防護服着用。船内の電力はすべてメインエンジンに集めろ。それと、エーディク」

「はい」

「船首を少しずつ座標軸Z56に回せ。奴らに気取られないように慎重に。姿勢制御エンジンは使うな」

 エーディクはそれを聞いて、驚愕した。

「ま、まさかキャプテン!」

 前方には、本来ならばとっくにやり過ごしているはずの小惑星群が迫っている。座標軸Z56はそのポイントを指し示していたのである。



 真っ黒な武装船はその巨体を横づけて完全に静止させると、YX35のハッチに向かってボーディングアームをするすると伸ばしてきた。まもなくハッチを開けるように指示がよこされるはずだ。

 最低限の生命維持装置を動かしているだけの船内は、室温がどんどん下がり始めた。

 深海の底のような真っ暗なブリッジの中でコンソールの画面だけが、青く光っている。

「エーディク、シュミレーターから目を離すな」

 パイロット席で真直ぐに前を見つめ、手は操縦レバーにかけたまま、三神船長が命じる。

「まかせておいてください」

「頼りにしてるぜ、ひよっこ」

 そのときが来た。

 敵のボーディングアームがハッチに固定されようとするまさにその瞬間、レイ・三神は雄たけびを上げ、スロットルレバーを全開にした。

 アームはバリバリと引きちぎられて四散する。船体は悲鳴を上げながら、限界点の加速に身を委ねた。

 そして見る間に、岩石の塊、小惑星群がスクリーンいっぱいに大写しになる。

「加速終了。この速度で突っ込む」

「了解、速度25宇宙ノットを維持します。シュミレーター計測、12.2秒後に最初の障害物へ到達。方位19」

「OK!」

 密集して浮かぶ天体の間をすり抜けて、これしかないという針路にピンポイントでシップを乗せる。

 ブリッジにいたクルーは奇術を見ているような心地だった。

 いったいどうなってるのだ。この人の手にかかれば、重いシップがまるで忠実な猟犬みたいに自在に方向を変える。

「5時の方向より、攻撃来ます!」

 後方を監視していたチェンの悲鳴が上がった。「着弾、55秒後!」

 不意を突かれてしばし沈黙していた敵海賊船が、怒りに燃えて、猛烈な追跡と攻撃を開始したのだ。

 レールガンシステムから放たれた超高速の金属弾は、音波を伝える空気のない宇宙では、ただ静かに光の矢となって飛来してくる。

「回頭、右45度!」

「間に合いません。船尾をぶち抜かれます!」

 レイが喉を鳴らして笑うのが聞こえたのは、隣のエーディクの席からだけだったろう。

 その直後、磁場誘導による敵の金属弾は、攻撃対象の移動に従って弾道を曲げ、立ち塞がった小惑星のひとつに衝突、爆発した。

 YX35の船体に破砕された岩石の飛沫が当たり、がたがたと不気味な振動が走る。

「こなくそぅっ! よくも、うちの別嬪さんの塗装を剥がしてくれたな」

 三神が吼える。

「お返ししてやらあ! ドミンゴ! 4時半方向にビーム砲発射」

「キャプテン、それでは敵右舷をかすめるだけです。当たりません」

「いいから、やれ!」

 レイは、続けてもう一発の砲火を命じ、敵が左舷に回避行動を始めたのを見てとると、3発目を小惑星のひとつに打ち込ませた。狙いは過たず、小惑星の破片は移動したばかりの敵武装船に雨あられと降り注ぎ、その弾幕によって、彼らはさらなる回避と減速を余儀なくされた。

 およそ30分後。

 YX35は、無事に小惑星群の中を抜け、地球に向かう直進コースに戻った。

「やった! 奴ら追ってこない、あきらめたぞ!」

 クルーたちは誰彼なく抱き合って喜んだ。

 海賊船は、被弾してエンジンに異常でもきたしたのか、それとも初速度の差から追跡はもう無理だと判断したのか、それ以上追いかけてはこなかった。

 いずれにせよ、もうここは地球管制圏内。連邦軍の監視エリアに入っている。

「キャプテン、おめでとうございます」

「ああ」

 エーディクは立ち上がって、パイロット席の後ろからこっそり軍隊式の敬礼をした。

 二十余名のクルーの命を背負い、しかも自らがあれほど恐れていた小惑星の中に突っ込むとは。それも無謀とはまったく対極の、冷静な計算と鮮やかな操船技術をもって、船を生還へと導くとは。

 キャプテン。あなたは間違いなく、宇宙一のパイロットだ。

『地球へ……こそ。……ちら、クシロ……ポ……』

「あ、ユナさんの声だ!」

 彼らはとたんに大騒ぎを止め、コンソールの前に殺到した。

「クシロ。こちらYX35便」

『おかえりなさい。YX35便。こちらクシロ航宙ポート管制ステーション、三神管制官です』

 誰かがほうっと吐息をついた。

 青く美しい故郷に帰ってきた安堵。彼らは心の中でそれぞれ家族や恋人の名前をつぶやきながら、ユナ・三神のギャラクシーヴォイスに聞き入った。

『クシロ上空の気象と誘導路のデータを送信します。……あの……、三神船長は?』

 少し不安げな様子のユナに、通信士のチェンはちらりと後ろを振り返ってから、応答した。

「キャプテンは、今ちょっと手がはなせないんです。だいじょうぶ。地球に着く頃には、奥さまを今晩寝かさないほどバリバリ元気になってますんでご安心を」

 パイロット席でレイ・三神はレバーを握りしめたまま、気を失うのに似た深い眠りに落ちていたのだ。

 その顔は、あたかも幸福な夢の中にいるようにかすかに笑んでいた。

       







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