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ギャラクシー・ヴォイス  作者: BUTAPENN
ギャラクシー・オデュッセイ 木星航行編
28/38

Galaxy Odyssey 2



 出窓にはレースのカーテンが揺れ、庭は、ムスカリの青紫色のカーペットに覆われている。

 麦わら帽子をかぶった夫が、家の中の私に気づいて手を振る。

 私も振り返そうとする。けれど、手がとても重い――。



 気がつくと、ドロレスはオープンデッキにいた。

 人工の太陽光が降り注ぐ広い空間は、ほのかに花の香りが漂っている。それで地球の夢を見たのだろう。安楽椅子から起き上がると、チロが乾いた舌で彼女の手を舐めた。

「いい子ね」

 ドロレスはほほえむ。

 乗員が個人用にペットを飼うことは禁じられている。チロは、彼女が故郷で飼っていた犬と同じヨークシャーテリアタイプの小さなロボット犬だ。

 犬を抱き上げ、安楽椅子から起き上がると、ゆっくりとキャビンに向かって歩き始めた。【アパー・フロア(二階)】と呼ばれる、この巨大シップの第三層は、テクノロジストたちの居住スペースだ。

 パブやビリヤードといった娯楽施設、低重力生活で衰えてゆく筋力を回復するスポーツジム。各宗教共通の礼拝堂。

 区画ごとに配置された公園には、ホログラムの草花が花壇でそよいでいる。

 見た目はまるで、地球上のひとつの街がそっくり船の中に移植されたようだ。

 公園から四方に伸びる通路の一本を選んで進む。奥から三つ目の扉の前に立つと、自動認証が働いた。

 まだ地球を出航してあまり日が経たないので、キャビン内の調度はどこかよそよそしく、馴染みがない。ソファ。テーブル。コンパクトな書斎スペース。そして奥にはシャワールーム。

 ベッドは、毎朝自分の手できれいに整える。そしてその隣の、使われたことのないもうひとつのベッドは、彼女が持ち込んだ手作りのキルトカバーが覆っている。

 ドロレスの夫は、80年近い生涯を地質学に捧げ尽くした。彼の最後の望みが、第二次木星調査移民団に参加することだった。

 だが出航を目前とした半年前、夫は病のために亡くなった。死の床に着き意識が混濁しているときでさえ、彼は木星系衛星の地層を自分の目で確かめ、自分の指で触れることを夢見ていた。

 ドロレスには、移民団に貢献できるような知識も専門技術もない。ただ、年老いた夫の世話がしたかっただけなのだ。だから夫亡き後、彼女は木星に行く資格と理由を失った。

 勇気を奮い起こして、移民団長のベッテルハイム博士に面会を申し込んだのは、夫の死後わずか二週間目のことだ。

「月まででも火星まででもよいのです」

 と彼女は訴えた。「どうぞ【ギャラクシー・フロンティア】に私を乗船させてください。夫の夢であった木星への旅立ちを、せめて妻の私に見届けさせてください」

 彼女の必死の願いを、博士は快く承諾した。それでは、せめて火星までわたしたちと一緒に行きましょうと。

「ねえ、ホワン」

 書斎に座り、卓上の写真に話しかけることが、彼女の昼夜を問わぬ日課だった。

「無理を言って、とうとうついてきてしまったわ。あなたが生きていたら、『わがままを言って、みんなに迷惑をかけちゃいけないよ』と言うだろうけど」

 写真の中の夫は、お気に入りの麦わら帽子をかぶって、ただ笑っている。

「でも、あまり怒らないでね。あなたが逝ってから、私はこのフライトのために生きていたようなものなのよ」

 今ではもうすっかり慎ましやかになった雫が、ドロレスの目じりに浮かぶ。

「私とあなたの結婚生活は、数え上げれば良いことより悪いことのほうが多かったのでしょうね。でも、不思議とバランスシートはいつもプラスだったような気がするの」

 彼女は静かに立ち上がる。雫はその拍子に、彼女の目元の皺に浸み込むように消えていった。

「でも、あなたのいない人生は、どう考えてもマイナスがかさむ一方だわ。ホワン。それなのにあなたは私に、これからどうやって生きていけとおっしゃるの」

 部屋の隅で、骨の形をした充電装置に接続していたロボット犬は、主人の悲しみの感情を敏感に読み取り、走ってきて彼女の脚にじゃれついた。

『クーン』

「チロ」

 ドロレスは羽根のように軽い子犬を抱き上げた。「ここにいられるのも、もう幾日もないわ。さあ、お散歩に行きましょう」



「クリュス航宙ポート管制ステーション。こちら【ギャラクシー・フロンティア】号。こちらの現在位置を送信します」

 ユナの透き通った声が、ヘッドセットを通じて宇宙に響く。

 火星まであと1000万キロ。シップはいよいよ火星の管制圏内に入った。

 火星での滞在時間は、一週間と予定されている。

 木星へのフライトは始まったばかり。まして燃料も食糧も補給する必要のない【ギャラクシー・フロンティア】が火星に着陸するのは、直行に比べて時間および燃料の大きなロスになる。

 その無駄を犯してまで火星に寄港するのは、ふたつの大きな理由があった。

 ひとつには、惑星開拓の現状を乗員ひとりひとりが自分の目で視察し、これから彼らが取り組もうとしている木星系衛星群の開発に生かすこと。

 そして、もうひとつのもっと重要な理由は、宇宙に適応できないメンバーを火星で降ろすためである。

 どんなに強い意志をもって移民団に参加した人間でも、心身の不調には勝てない。過去の統計によれば、月、火星あるいはサテライトへの移民志願者の実に12%が、この予想もしない心身の不調で移民を断念、地球に帰還せざるを得ないのだ。

 宇宙とは、かくも残酷で苛烈な棲み家なのである。

 まして地球から7億キロ離れた地での十年間の長期移住生活。途中でリタイアすることは決して許されない。ここで各人に参加の意志をあらためて問うことが、この木星移民団が成功するための重要なワンステップとなる。

 それゆえ移民団の名簿は出航時は極秘とされ、リタイアによる個人の不利益は一切ないとされている。

「火星で降りることが決まっているのは、今のところひとりだけだったな」

 主操縦席で、キャプテン三神は腕組みをしながら、物憂げにコンソールの画面を見つめていた。

「はい。セニョーラ・ドロレス・ノリエガです」

 総務担当のミゲルは、話題になっている老婦人と同じスペイン人である。「ご主人が参加直前に亡くなり、火星までという条件での乗船を希望された方です」

「お気の毒に」

 火星との通信を終えたばかりのユナが、同僚のレフと顔を見合わせた。

「そんなことより、キャプテン!」

 ミゲルが立ち上がり、声を張り上げた。「話をはぐらかさないでください。さきほどの件をどう思われます」

「【キャプテンズ・ディナー】のことか」

「シェフたちにも給仕長のギュンターにも、話は通してあります。木星までの十ヶ月間に、テクノロジストとその家族全員を招待するという計画です」

 レイはイヤそうに顔をしかめると、背もたれを倒した。「気が進まねえな。俺といっしょに食事をして、クルー全体の印象が良くなるとは思えない」

「だから、スギタ副船長にも、もちろんユナさんにも同席していただきますって。キャプテンが荒っぽいことばを口走りそうになったら、両側から蹴っ飛ばしてもらって……」

 間髪入れずに蹴っ飛ばされたのは、もちろんミゲルのほうだ。

 航海が始まって二週間。いまだにシップクルーとテクノロジストの間に大きな溝があるのが、移民団の最大の悩みだった。

 もともとシップ乗りたちは荒くれ者が多い。テクノロジストのような狭い学歴社会にいた人間たちにとっては、近寄りたくない部類の人種である。

 さらに、宇宙での言動に大いに問題のあるキャプテン・三神が、その悪いイメージをますます助長している感は否めない。

 数年単位の時間をかければ、いずれ誤解は解けるだろう。だが現に今、その偏見ゆえに、しばしば双方の意思の疎通に障害が起きている。これは、できるだけ早く解決しなければならない問題だった。

 そこで総務セクションのスタッフが考え出した苦肉の策が、船長主催のディナーを定期的に開いて、テクノロジストとその家族を数組ずつ順番に招待するというものだった。

「ああ、弱ったわ」

 ミゲルから、くれぐれもレイを説得するように頼まれたユナは、ひとりで頭を抱える羽目になった。こういう仰々しいことに関して、俺様モードのレイが首を縦に振るはずはない。

「地球にいたときのレイなら、こういう役割は完璧にこなしたんだけど」

 152人の生命を預かるキャプテンとして、今は極度の緊張と重圧に耐えているのだろう。出航してからの夫は、ユナとふたりきりの時ですら、普段の穏やかで理知的な彼に戻ってくれないのだ。

 休憩時間でブリッジを退出しようとした彼女を、副航宙士のエーディクが呼び止めた。

 この若きロシア人は、このところプルシアンブルーの制服がようやく板についてきた。なにしろ一級航宙士のライセンスを取ったのは、まだ三週間前のことなのだ。

「あの、ユナさん」

 エーディクはいつもの彼に似合わず、暗い表情で口を開いた。「ドロレスさんのことなんですが」

「どうしたの」

「僕、銀河連邦軍で彼女の息子といっしょの部隊にいたんです」

「え?」

「八年前の第7サテライトでの暴動鎮圧のときに、僕の隣にいて光線銃で頭を撃ち抜かれました――ひどい戦いでした」

 ユナはものも言えずに、彼の青い瞳を見つめ返した。「まさか、あなたが連邦軍の元軍人だったなんて」

 普段、物腰の柔らかな彼からは到底考えられない。

「思い出したくないことなので、あまり人には言わないようにしています」

 と寂しげに笑う。「もちろんキャプテンはご存じですが」

 第7サテライトの暴動は、独立を求めて銀河連邦軍との間に行なわれた壮絶なゲリラ戦だったと聞く。エーディクはきっと、想像を絶する地獄を見てきたのだろう。

「フェリペはよく家族の写真を見せてくれました。それでドロレスさんが彼のお母さんだということは、乗船のときに一目でわかりました。あいつは――彼女にとってひとり息子でした」

 彼はすがるような眼差しで、ユナに訴えた。

「火星でシップを降りて地球に戻っても、息子を亡くしご主人を亡くしたドロレスさんは天涯孤独のはず。それを考えると、僕はたまらないんです」



 シップの第一層を人々は【地下】と呼んでいる。巨大な水耕農場と、ファームと呼ばれる家畜および魚類の飼育施設のある場所だ。

 ドロレスは飼い犬を腕に抱き、通路の両側に広がる緑の果樹を眺めながら歩いた。

 黄色い蝶が枝から枝へと舞い、どこかの梢から小鳥のさえずりが聞こえてくる。彼女は草木の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。

「ああ、ここはアンダルシアと同じね。チロ、覚えている?」

 犬は同意するようにくーんと鳴いた。かつての愛犬の性格や受けたしつけが、ロボットの人工頭脳には事細かにインプットされている。

 突然、小さな子どもの歓声が静けさを破った。通路のわきに群がるように、たくさんの人影が見えた。このシップにはテクノロジストの家庭の子たちも乗っているのだ。

 五歳くらいの幼児がふたりで、木の幹につながれた小犬たちとじゃれあっていた。大きな子らは、先にマフのような毛をつけた長い棒を手に、リスのようにくるくると動き回った。

 おとなたちもいた。真中に腰かけて彼らを見守っているのは、クルーの制服を着た美しく優雅な黒髪の女性だ。

「まあ、白雪姫と七人の小人たちだわ」

 ドロレスは思わず笑みをこぼしながら、近づいた。

「こんにちは」

「こんにちは」

 子どもたちは手を止め、老婦人に礼儀正しく挨拶した。

「何をしているの」

「ええと、サクランボの人工授粉を手伝っています」

 一番背の高いアラブ系の少年が、しゃちこばって説明した。ネームタグにはタリーフと書かれている。彼ともうひとり、リュカという金髪の少年が子どもたちのリーダー役を務めているようだった。

「あちこちで、もう実が成っているのね」

 果樹園を見渡しながら呟くと、黒髪の女性がにっこり微笑んだ。「不思議な光景ですね。どの木も季節に関係なく二ヶ月で収穫ができるように調整されているそうです」

「あら、こっちはマルメロね」

 ドロレスが指差した方向には、人工太陽を受けて黄金色に輝く実をたわわにつけた木があった。

「マルメロ? あれはナシの実じゃないの?」

 子どものひとりが聞き返した。

「いいえ、ナシと違って生では食べられないの。ジャムやお酒にするの」

「ジャム! おいしいの?」

「ええ、スペインでは『メンブリージョ』と呼んでいるわ。砂糖と煮詰めてミートローフのように固めたものをスライスして、チーズにのせて食べると、それはそれはおいしいの」

 暖炉のそばの食卓で、夫がワインを片手につまんでいたことを、昨日のように思い出せる。

 いつのまにか、ドロレスの回りに目をキラキラさせた子どもたちが集まってきた。

「ねえ、おばあちゃんは、マルメロのジャムが作れる?」

「ええ、材料さえあれば。毎年秋になると作っていたもの」

「すごーい! 食べたいな」

 【ギャラクシー・フロンティア】では、木漏れ日は地球とは違う。人工太陽が四角なので、木漏れ日の形も四角なのだ。だが、光が子どもたちの色とりどりの髪の毛と楽しげに戯れる様は、アンダルシアにいた頃と変わらずに心を憩わせてくれる。

 腕の中に抱いていたはずのチロは、いつのまにか本物の子犬たちの輪に混じり、鼻をつけながら互いの匂いを嗅ぎ合っていた。



 キャプテン・三神からのディナーへの招待状がドロレスのキャビンに舞いこんだのは、翌日の朝だった。

 持ってきたわずかな荷物の中で一番上等なドレスとイヤリングを身につけると、おそるおそるメインダイニングへ向かった。

 赤毛をしたドイツ人の若い給仕長に、広いダイニングの一番奥、カーテンで仕切られたスペースへと案内されると、円テーブルの前で、プルシアンブルーの制服で正装した船長が、直立不動の姿勢で彼女を待っていた。

 そして、その隣には、昨日果樹園で会った黒髪の女性。反対側には副キャプテンのコウ・スギタ。

「あの、キャプテン」

 混乱したドロレスは、あたふたと口走った。「これは何かの間違いではありませんか。私のような者が、それも、たったひとりきりの客としてキャプテンのディナーの席に招かれるなんて」

「間違いではありませんよ、セニョーラ・ノリエガ」

 いつも眉間に皺をよせた険悪な表情しか印象にない三神船長が、穏やかで魅惑的な微笑をたたえていた。

「第一回の記念すべきキャプテンズディナーに、あなたのような人生の先達を招くことができるのは、我々フロンティア・クルーの無上の喜びです」

 給仕長がうやうやしく彼女の椅子を引き、一同は席についた。

「2210年産のアルスアガ・グラン・レセルバでございます」

 ルビーのように深赤の液体が、それぞれのグラスに巧みに注がれる。

「まあ、スペインのワインね」

「今日のメニューはどれも、当シップのシェフたちが腕によりをかけて作るスペイン料理ですよ」

 とキャプテンが自慢げに説明する。

 続いて出されたオードブルに、ドロレスは目を見張った。

「ラマンチャのマンチェゴチーズでメンブリージョを包んでございます」

 震える手でフォークを取り上げた彼女は、ひときれを口に含んだ。

「おいしいわ」

 もったいなくて、しばらく飲み込むことができない。その懐かしい味が紡ぎだす思い出に、彼女の目には人知れぬ涙が宿る。

 キャプテンのことばどおり、ディナーは掛け値なしに素晴らしいものだった。アンダルシア風のガスパチョにイベリコ豚のソテー。シーフードパスタにりんごのタルト。

 この船のどこに、これほどの食材の貯蔵庫があるのだろう。バルサミコ酢やブラックオリーブにいたるまで、どれも一級品だ。

 地球でもめったに味わうことができない、夢のようなひととき。

 食事のあいだ、キャプテン・三神は素晴らしいテーブルマナーと配慮に満ちた態度と巧みな話術で、彼女を魅了した。その話題は、歯ブラシから始まって宇宙の深淵の謎に至るまで、多岐に及んだ。

 ときたま粗野な口調に転じそうなときもあったが、そのたびに両脇のふたりが、テーブルの下でこっそりキャプテンの足を踏みつけているのがわかった。

 この人のことを、なぜ恐いなどと誤解していたのだろうと、ドロレスは自分の早合点を悔やんだ。

「ところで、セニョーラ」

 コーヒーが出されるときになって、彼は徐に切り出した。

「あなたは火星で下船なさると、うかがっていますが」

「はい、そのつもりですわ」

「お気持に変わりはありませんか?」

「どういうことです」

「我々といっしょに、木星までいらっしゃらないかということです」

 老婦人は息をつめた。

「私が、正式に木星調査移民団に加わるということですか」

「そうです」

「無理です。私は何もお役に立てません。何の取り得もございませんのよ」

 彼は身を乗り出し、優しい眼差しで賓客を見つめた。

「立派な技術をお持ちです。ジャムやピクルスを作ること。花を育てること。そして、あなたのキャビンを飾っているような、すばらしいキルトをお作りになれること」

 キルトのことはハウスキーピング担当のクルーに聞いたのだと、船長は弁解した。

「これらは人類が後世に誇れる、尊敬に値する技術です。あなたのような方が移民団の一員となってくだされば、辺境の衛星での移民団の生活は、どれほど潤うでしょう」

 彼の熱意に火をつけられたのか、ドロレスの頬は紅潮し、ブルーの目は夢に輝いた。だが、その炎はたちまち消え去り、白い燃えかすとなった。

「でも……私はご覧のとおりの歳なんです」

 のろのろと答える。「23世紀の医学でも、80歳の夫の寿命を延ばすことはできなかったことはご存じでしょう。十年の滞在期間中に、ただでさえ役立たずの私にもしものことがあり、みなさんにご迷惑をかけるようなことになれば」

「ドロレス」

 キャプテン・三神は突然、鋭い声を上げた。そして、射抜くような薄茶色の瞳で老婦人を見据えた。

「このシップは、軍艦でも、まして観光クルーズ船でもない。人間が泣いて、笑って、生きていく場所だ。もし俺たちが子どもに自由に走るのを禁じ、年寄りの乗船を禁じ、命の誕生と病気と死を禁じたなら、それは人の生活する場所じゃねえ」

「キャプテン」

「安心しろ。俺はキャプテンとして、あんたの残りの人生の責任を持つ。決して途中で見捨てたりしない」

 両脇のふたりは、今度はキャプテンの話を最後まで止めなかった。言葉は粗暴にせよ、そこには喩えようもない温もりがこめられていたからだ。

 ドロレスは伝い落ちる涙をナプキンで丁寧に拭うと、しゃんと背筋を伸ばした。

「キャプテン・ミカミ。今から目的地を変えてもよろしいでしょうか」

「ああ」

「私を、あなたがたと一緒に木星まで連れていってください。夫の夢みた星に、夫の代わりに私を立たせてください」



 あくる日、ユナがオープンデッキを歩いていると、ロボット犬を抱いて安楽椅子に座っているドロレス・ノリエガのもとに、第一級航宙士のエーディク・スタリコフが近づくのを見た。

 若い痩せぎすのロシア人は彼女の隣に腰をかけ、頬を赤らめ目を伏せながら、長いあいだ訥々と話した。まるでプロポーズをしている青年のようだ。

 ドロレスは時に涙を拭い、時に声を上げて笑いながら聞いていた。連邦軍で一緒だったという彼女の息子の話なのだろうと思い当たる。

 そっと立ち去ろうとしたユナの耳に、エーディクのヘタクソなスペイン語が聞こえてきた。翻訳機を使わぬよう、きっと何度も練習したのだろう。

『Usted es mi madre――あなたは、私の母です』

 振り向いたユナは、満面の笑みを浮かべた。

 スペインの老婦人が若者の首っ玉に抱きついて、キツツキのように猛烈なキスを浴びせていたからだ。





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