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ギャラクシー・ヴォイス  作者: BUTAPENN
ギャラクシー・ヴォイス
23/38

Galaxy Frontier 1




 クシロの空に、また雪が舞い始めた。

 地面を伝わって来る振動に、ランドールはしばし足を止め、煌々とライトが灯る航宙ポートを雪を透かして仰いだ。一隻の見知らぬシップが、垂れ込める灰色の雲の彼方に今しも吸い込まれていくところだった。

 ようやく我に返り、また先を急ぎ始める。その腕には、大きな袋が抱えられている。

 一つの建物の玄関をくぐった。雪のちらつく楕円形の中庭を取り囲んで、コロセウムのような三階建てのコンパートメントが並んでいる。

 扉のひとつを、軽くノックした。

 ほどなく、ロックがはずれる音がする。扉を開けて彼を迎えたのは、YX35便の同僚、看護師のハヌルだった。

「これでよかったか」

 キッチンのテーブルの上に袋を置き、今買ってきたばかりの食料や医薬品を並べた。

「うん、これでいい。ありがとう」

「……様子は、どうだ?」

 奥のドアに向かって、視線を送る。

 ハヌルは首を振った。

「だめ。ひとくちも食べてくれない」

「そうか」

「ねえ、ドクター・リノに連絡を取っちゃいけない? ドクターなら、私よりもっと的確な治療をしてくださるわ」

「それは……だめだ。まだ、他のクルーに知られたくない」

「だって、このままじゃ、ユナさん死んじゃうよ」

 コリアンの看護師は、必死のまなざしで訴えた。「もう五日になるのよ。点滴だけで命をつないでるようなものよ」

 ランドールは項垂れたまま、答えない。

「あなたが、ユナさんを好きなのは知ってる」

 涙があとからあとから、ハヌルの頬をこぼれ落ちる。

「けど、もういい加減に納得しなさいよ。この状況を見たらわかるでしょう。ユナさんには、キャプテンしかいないの」

「……会わせてもらえないか」

 ランドールは不眠と疲労で真っ赤になった目を、彼女に据えた。「三分だけでいい。絶対にそばには近づかないと誓う」

 ハヌルは、睫毛を何度かしばたかせた。

「訊いてくるわ」

 しばらくして、奥の部屋から顔を出した看護師は、押し殺した声で言った。

「会ってもいいって。ただし私が同席することが条件よ」

「わかった――ありがとう」



 これほど壮絶な美貌をたたえた女性を、ランドールは今まで見たことがなかった。

 照明を抑えた室内で、ベッドの上に起き上がったユナは、口元にかすかな笑みを浮かべていた。長い髪を乱し、頬はこけているが、それでも輝き出すような肌の白さは、目に痛いほどだ。

「ユナ」

 ひとこと名を呼んだきり、後が続かなくなって、彼はドアのところに立ち尽くした。

「あなたに、謝りたかったの」

 彼女のほうから切り出してきた。五日間寝込んでいたとは思えないほど、毅然とした口調だ。

「あなたを、ひどく罵ってしまったわ。気絶した私を助けようと、ここに連れてきてくれただけなのに。ごめんなさい」

「いや」

 ランドールは、力なく首を振った。

 五日前。

『あなたのせいよ。あなたが……私を!』

 道路の真ん中で昏倒したユナを、ランドールはエアカーを使って、自分のコンパートメントに運んだ。

 だが、意識を取り戻したユナは、ひどく取り乱し、決して彼をそばに近づけようとしなかった。万策尽きた彼はしかたなく、彼女もよく知っているクルーのひとり、看護師のハヌルを家に呼び寄せたのだった。

「謝る必要はない。今度のことが、俺のせいであることは間違いないんだから」

「いいえ、あなたじゃない。私が全ての責めを負うべきなの」

 何も見つめていないユナの黒い瞳が、湖面に風が吹きつけたかのように揺らいだ。

「ずっと、ベッドの上で考えていた。自分では否定していたけど、もう否定できない。最初に会ったときから、私はあなたに魅かれていた――あなたの笑顔に。強引さに。その裏にひそむ弱さに」

 ランドールは、顔を伏せたまま聞いている。

「会うたびに、あなたのことが気になってたまらなかった。胸が苦しくて、自分が変わってしまいそうで、恐かった。……でも、やっぱりそれは、愛することとは違うわ」

 穏やかな湖面は、静かにその縁からあふれだした。

「レイを失ってしまった今になって、こんなことを言うなんて馬鹿ね。私は、レイを愛している。レイだけを愛してる。彼がそばにいなければ、私は私ではいられないの」

 ユナはゆっくりと、自分の豊かな胸に両手を押し当てた。

「ここにいる私は……もう生きていないの。ただの抜け殻」

「ユナ」

 耐え切れなくなって、ランドールは叫んだ。

「俺は待つ。あなたがキャプテンを忘れるまで、何年でも何十年でも、そばにいて待つ。せめて、それだけでも許してはもらえないのか」

「無理よ……忘れるなんて、できない」

 ユナは悶えながら身体をよじり、シーツに顔を埋めた。

「レイは私を娼婦と呼んだわ。そう呼ばれて、当然なのよ。こんな罪深い女は、二度と誰かを愛する資格はない」

「そんな。あなたは罪など犯してない。もっと罪深いのは、あなたをそんな風に傷つけたあいつのほうだ!」

「……お願い、もうやめて! 私を放っておいて。このまま眠らせて」

 暗い部屋の床を這うように、すすり泣きが始まる。

 ハヌルが合図のために、後ろからランドールの袖をぎゅっとつかんだ。ふたりは、そっと部屋を出た。

「キャプテンに会ってくる」

 ランドールは、両の拳をぶるぶると握りしめながら言った。

「あいつを思い切りぶん殴ってやる。この手で殺してやる!」

「冗談じゃない」

 ハヌルはキッと眉を吊り上げると、ランドールの背中をどんと突いた。

「キャプテンを説得して、引きずってでも、ここへ連れてきて。それ以外に、ユナさんの救われる道はないわ」

「……」

「わかってんの!」

 いつも陽気でにこやかなハヌルの、こんな激昂した声は初めてだった。

「誰だって、自分の好きな人に振り向いてもらえない苦しみに耐えてるのよ――あんただけじゃない」

 その声に含まれる悲痛な響きに、ランドールは思わず彼女の顔を見た。

「わかったら、とっととキャプテンのところに行って来て!」



 キャプテン・三神のレジデンスに入ったとき、そのあまりの異様さにランドールは茫然とした。

 人がいる気配はない。それどころか、部屋の中は見たこともないほど雑然としている。テーブルは倒れ、高価な中国の花瓶は粉々に割れていた。

 そして、窓の外に映る庭は、まるでブルドーザーが踏みつぶした跡のように、めちゃくちゃだった。

「おい、コンピュータ! ――【アルパード】!」

 このレジデンスを管理するコンピュータの名前をようやく思い出すと、ランドールは怒鳴った。

【はい】

 部屋の壁から染み出てきた声は、まるで憔悴しきった人間のように、弱々しい。

「キャプテン・三神はどこにいる」

【もう、この【シップ】内には、おられません】

 【アルパード】は、この家をシップと呼ぶのだ。

【YX35と同じく、ここも廃船になったのだとおっしゃっておいででした】

「この有様は……キャプテンがやったのか」

【そうです。すべて片付けるように言い置いて、出て行かれました。明日メンテナンスロボットを数体手配しています】

「だから、奴はどこへ行った!」

【行き先を許可なく他言することは、船長命令で固く禁じられています】

 ランドールは、傷だらけで横倒しになっているソファの腕に、がっくりと腰を下ろした。

「いったい、何を考えてやがるんだ」

 おかしい。何かがおかしい。

 キャプテン・三神の行動が、不可解すぎるのだ。

 サテライト【イプシロン】で、YX35が廃船になった、あの日。

 レイはランドールを連れて、【遺伝子情報センター】へ赴き、そこで遺伝子提供の口実のもとに女性を抱いていることをほのめかした。

 そして怒りを爆発させるランドールに向かって、ユナと離婚するつもりであることを告げ、彼女は【ポンチセ】で待っているから、次のシャトル便に乗れとまで言った。

 だが、ユナが急いで帰宅したとき、レイはすでに家にいたという。

 シャトル便に乗らずに、どうやってあの時刻に地球に戻れたというのだろう。

 自家用クルーザーを使えば可能だが、そうなると、もっと不可解なことになる。そもそも、何故そんな面倒くさいことをする必要があるのだ。

 自家用機に乗るためには、整備と管制チェックのために、一時間以上の事前準備が必要だ。あの時刻に地球に着くためには、ランドールより先に航宙ポートに着いていなければ間に合うはずがない。【遺伝子センター】で女性を抱く暇などなかったはずだ。

 ランドールはそこまで考えると、大きく身震いした。

 キャプテン・三神の言動のすべては、巧みに仕組まれた芝居だったのではないか。

 わざとランドールを炊きつけてユナに求愛させ、そのことを理由にユナを激しく咎める。そして、動揺したユナが家から飛び出すと、心配して後を追いかけてきたランドールと遭遇する――。

「【アルパード】!」

 ランドールは、ありったけの怒声を張り上げた。

「キャプテンの居所を教えろ。今すぐだ!」

【できません。船長命令は絶対です】

「クルーの生命が危険なときは、船長命令を破っても罪にはならない。航宙法でそう定められている」

【生命の危険?】

「ユナが弱りきっている。このままじゃ死んじまう。キャプテンに会わせたいんだ」

 【アルパード】は、しばらく黙り込んでいた。瞬時に判断がつかないのだ。コンピュータにも、迷うということがあるのだろうか。人間のように、ふたつのものごとの間で板ばさみになるということがあるのだろうか。

【キャプテンは、ホテル・プレジデンシャルの最上階にいらっしゃいます】

「恩に着る」

 ランドールは、通りに停めてあったエアカーに飛び乗った。

 通信回線を開くと、何件ものメールが元YX35便のクルーたちの間で飛び交っていた。どれも、キャプテン・三神と突然連絡が取れなくなったことを訝る内容だった。

 ランドールは乱暴に回線を切ると、車のアクセルを踏み込んだ。



 【ホテル・プレジデンシャル】の最上階にある長期滞在者用スイートは、客の好みに応じて内装を模様替えしてくれることで有名だ。セキュリティも厳重で、国家元首や財界人が好んで使う隠れ場所として知られる。

 たやすくは開かないと思っていたドアは、意外にも内側からすんなり開いた。

「やっぱり来たね、ランドール」

 バスローブを羽織っただけのレイは、微笑みながら彼を迎え入れた。

「【アルパード】を説得できるのは、きみくらいだと思っていたよ」

 部屋に入ったとたん、ランドールは息の詰まりそうな閉塞感に襲われた。

 目を憩わせるような色が、何もないのだ。だだっ広いスイートは、すべての窓にブラインドが降ろされ、ダークグレイのモノトーンで統一されていた。

 深く、底がない空間。まるで、宇宙の深淵を思わせる。

「何か、飲むかい」

 レイは来訪者に背中を向けて、バーカウンターに立った。

 それどころじゃないと、わめき散らししたいのをこらえ、ランドールはぐっと奥歯を噛みしめた。

「……ユナが、ひどく衰弱している」

 広い肩がぴくりと動いたが、それだけで答えは返ってこなかった。

「もうずっと食事を取っていないんだ。いっしょに来て、話をしてくれ」

「では、ユナはきみの家にいるわけだ」

 レイの声は静かで、何の感情も混じっていない。その無機質さに、ランドールは言葉を詰まらせた。

「それならば、何も心配することはない。きみがユナのそばにいてくれれば」

「あ――あんたは」

 ランドールは、奇妙な悲しみに胸を衝かれて、叫んだ。「あんたは、嘘をついた。ユナは俺のことを愛してなどいない。あの人の想っているのは、あんただけだ」

「知っているよ」

 レイは穏やかに答えた。

「それなら、何故あんなふうにユナを傷つけた。『娼婦』などと蔑んで、どれほどあの人がショックを受けたかわかるか」

「わかっている」

「じゃあ、何故」

「そうすれば、ユナが僕を憎んでくれると思ったからだよ」

 芯を失った虚ろな声で、レイは続けた。「憎んで、僕を永久に忘れてくれると思った」

「どうして、そんなことを」

 ランドールは、ほとんど半泣きになっていた。

 すべてが間違っている。

 レイもユナも、そしてランドールも、何か致命的な誤りを犯した世界の中に放り込まれて、ぐるぐる廻っているのだ。

 レイは、深い息を吐いた。そして、一枚の電磁紙をランドールの前に差し出した。

 それを受け取ったランドールの顔に驚愕が走った。

「これは――」

「これが、僕がユナと別れなければならない理由だよ」

「こんなものに参加するために、あんたは……あんたはユナを捨てるのかっ」

「三十年前、このために僕は命を永らえたんだ」

 レイの薄茶色の眸は、人の目には見ることのあたわぬ、はるか彼方を見ていた。

「生き残ったのは、僕ひとりだ。だから――逃げることはできない」

「ユナを死ぬほどの悲しい目に会わせて、置き去りにして、それでいいのか!」

「きみならば、ユナを支えて、いつかその悲しみを癒してくれると信じている」

 レイは、視線を銀河から目の前の男に戻して、微笑んだ。

「ランドール・メレディス。僕の妻を――よろしく頼む」



 顔を見たら、きっと殴ってやろうと思っていた。だが、自分の手は、拳を握りしめることもできないほど、ぶるぶる震えている。

「キャプテン……」

 なんという、目のくらみそうな愛情だ。途方もなく愚かしく、途方もなくすさまじい。

 それに比べれば、彼のユナに対する愛情など、どれほどちっぽけな子供だましであることか。

 ランドールは、精魂尽きたようにエアカーのシートに崩れ落ちた。

 苦労して身体を前に屈め、ようやくコンソールの通信スイッチを押す。

 画面に表われたYX35便のクルー名簿の、どの名前を押せばよいのか頭が働かない。

 逡巡した果てに、彼の指は【全員送信】のボタンを押していた。

「助けてくれ……」

 涙を流しながら、ランドールは我知らず絶叫していた。

「お願いだ、みんな。キャプテンとユナを助けてくれ!」



 ランドールが帰ったあと、レイはホテルを出て、航宙局に向かった。

 正面玄関には向かわず、搬入用の通用口を使う。知っている顔に、なるべく出会いたくはなかった。

「やはりな。ここで待ち伏せていた甲斐があったよ」

 太くおおらかな声が響き、レイははっと目を上げた。

 緑のベレー帽。背筋のぴんと伸びた、たくましい身体。白い口髭。鋭い眼光とにこやかな笑み。

「大変なことになっとるようだな。レイ」



 入口を塞ぐようにして立っていたのは、レイの航宙大学時代の教官、キャプテン・神楽だった。




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