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ギャラクシー・ヴォイス  作者: BUTAPENN
ギャラクシー・ヴォイス
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Galaxy Voice

「地球にようこそ。

こちら、クシロ航宙ポート管制ステーション。白鳥しらとり管制官です」

「ばっかやろう。またてめえか」

 ユナの鼓膜に届くと同時に、血液より早くストンと心臓まで駆け降りてくる怒声。

 とてもあの遠い虚空の彼方から届いているとは思えない。

 喉がからからに渇くのを覚えながら、モニター画面に指を延ばすと、一瞬早くコンピュータが自動的に、相手の認識記号を表示する。

 火星定期航路・貨物用シップYX35便。船長R・ミカミ。

 確かめる必要もなかったのだ。あいつに決まってる。

 半年前研修を終え、実地訓練についたばかりのユナに襲い掛かった災厄。

 うわずった声で懸命に進入航路のデータを読み上げる彼女に、いきなり彼は

「声が小さい! それじゃ1なのか8なのかわからねえ!」

 と怒鳴りつけたのだ。

「すみません、今日配属されたばかりの新人で」と謝りながら言い訳したのがまずかった。

「てめえが今日生まれたばかりの赤ん坊かどうかなんざ、こちとら関係ねえ! 俺は正確なデータを要求してるんだ!」

 怒り狂った男の声が、ヘッドフォンをびりびりと振動させた。

「素人に毛の生えたような管制官に、20人の乗組員の命と、火星系に住む400万の植民者の命の糧を運ぶ大事な宇宙船シップを預けろってのか。いいからまともな奴に替われーっ」

 ショックで2、3日、食事もろくに喉に通らなかった。

 クシロ航宙ポートは全部で15のエリアに区分されている。その中で第8エリアは月や火星への貨物シップ専用。見習い期間中のユナは、各種宇宙法に関する資格取得のために、現在は第8エリアのみを担当していた。それゆえ、火星の定期航路のYX35便は彼女が誘導することが多くなる。

 クシロポートの通信回線は、2ヶ月に一度ミカミの怒声がMAXレベルに達した。

「てめえの誘導なんざ受けたくねえって言ってあるだろう。誰かほかの奴と交替しろ!」

「……貴船の担当官は、この私です」

 この半年にどうやら反論することだけは覚えたが、相変わらずユナの声は恐怖にかすれている。

「進入航路とクシロ上空の地磁気の状態を確認いたします。送信内容と照合願います。現在、磁気嵐の初相局面にて北向きベクトル増大中。CF電流は毎分80.6LA。

よって、進入経路はB2923a、座標Z19を選択してください」

「ふうん。送信ではB2923cとなってるんですがねえ」

「あ……。cです」

「ばっきゃろ! もう一度はじめから読み直せっ!」

 


「なんて、イヤな奴」

 思わず声に出してつぶやきながら、ぼんやりと自分の手の中の透明な青いカクテルを見つめる。

 中には、淡い光を放つ薄紅色のチェリーがひとつ浮かんでいる。22世紀に火星栽培用に開発された、遺伝子組み換え技術による発光植物。

 レトロなその輝きが好きで、ユナはこのバーに来ると、必ずそれを注文してしまう。

「性格最悪で、俺様男で、宇宙には自分ほど偉い者はいないと思ってるんだわ」

 ちっとも酔えないカクテル。

 次第にユナの視界で、青がにじみはじめる。

 目じりをぬぐおうとあわてて手を離したはずみで、グラスはカウンターの上に横倒しになってしまった。

「ご、ごめんなさい」

 少量だがぶちまけられた液体。はずみでころりと中のチェリーがころがった。

 隣に座っていた大柄の男が、それをひょいと指でつまんだ。

 見る間に甘酸っぱい果実は男の口に運ばれた。

「あっ」

 軽い悲鳴がユナの口から洩れた。

「すみません。僕の眼の前にころがってきたもので、つい」

 その男は、確信犯のとぼけた声を出した。

 そして愉快そうに付け加える。「好きなんですよ、この発光チェリー」

 すぐバーテンダーがやってきて、グラスを片付け、カウンターを拭いてくれる。

 今どき珍しく、ロボットではない。

 こんなこだわりが、クシロの夜の隠れ家的存在として、このバーにひそかな人気がある理由だろう。

 ユナがとまどって口ごもっていると、

「お詫びに、同じものをご馳走します」

「あ、いいんです」

 男はにっこり笑って、バーテンダーに慣れた仕草で指を一本立てる。

 謝るのは私のほうなのに。

 こんなのって困る。……イヤな奴ではなさそうだけど。

 彼女は、男の顔をさりげなく見上げた。

 30代前半くらいか。はらりと額にかかる黒髪。彫りの深い顔に、透明な薄茶色の瞳。

 ハイネックのセーターの上にジャケットを羽織ったクラシックなスタイル。大学の助教授でもしているような、理知的な印象だった。

「ありがとうございます」

 警戒心は持ち続けたまま、運ばれてきたカクテルのおかわりを前に、目をそらしながら礼を言った。

「ところで、聞くともなく聞こえてしまったのですが」

 男は、低くよく通る声で切り出した。

「今夜のお酒は、あなたにとってあまり美味しいものではないようですね」

「……」

「誰かのことを、非道く罵っていらしたようですが」

 ユナはカクテルを一口すすると、言葉を選びながら口を開いた。

「今日は、仕事上のトラブルで、その、ちょっと落ち込んでいて」

 返事なんかする必要はないはずなのに。

 ふだんより気が弱くなっている。

「……私、航宙管制官の仕事をしているんです」

「管制官。よくは存じませんが、一瞬の判断力が勝負の、緊張を強いられるお仕事なのでしょうね」

「ええ。私には向いていないのだと思います」

「なぜ、向いていないとわかっていて、その職業を選ばれたのですか?」

 ユナは思わず、自分をじっと見つめている男に視線を返した。

「すみません。立ち入ったことを」

「いいえ、いいんです」

 古いスタンダード・ジャズが一瞬の沈黙にかぶさった。

 不思議だ。

 なぜ彼の気遣わしげなまなざしの前では、ごまかしたり、嘘をつきたくないと思ってしまうのだろうか。

「私、本当は内惑星航路のシップ・アテンダントになりたかったんです。宇宙が、あの綺麗な星々のきらめきが大好きだったんです」

 店の四方の壁にはめこまれた水槽には、映像ではない本物の熱帯魚と、七色の光のうねりがゆっくりと揺らめいていた。

「あの無限の空間にいだかれて航行するシップに添乗して、優しい微笑みを浮かべながら、宇宙に旅立つお客様のお世話をしてさしあげる。一生の夢でした。

大学を卒業して就職試験を受けたのですが、適性検査ではねられました」

「適性検査で?」

「私の体は先天的に、無重力による宇宙貧血に耐性がなかったんです。あきらめて地上勤務を希望したところ、管制官の研修施設に配属されました」

「お辛かったのではないですか? いっそ宇宙とは無関係の他の仕事を選ばれたほうが」

「いいえ。少しでもつながりのある仕事がしていたかったんです。まるで子どもみたいでしょう。通信回線の向こうに永遠の宇宙が広がっている。そう思うとそれだけで満足でした。……でも」

 彼女の声は消え入りそうに続く。

「やはり、私には適性がなかったのだと思います。肉体のではなくて、精神的な耐性が。ひとりの貨物シップの船長がひどく私のことを嫌っているのです」

 勤務以外は下ろしている豊かな長い髪を、ユナは悲しげに掻きあげる。

「頼りないのだと思います。私の管制誘導が。いくらミスのないように念入りに気を配っても、彼の前では頭が真っ白にかすんでしまうの。余計に間違える。そしてまた怒りを買う。終わりのない悪循環に陥ってしまうんです」

「そうだったのですか」

 かすかに震えるユナの細い肩から目をそらせて、男は自分の目の前のウイスキーのグラスを持ち上げる。

「一度、旧い友人に聞いたことがあります。

暗黒で無音の宇宙空間に何日もいるときに突如襲ってくる不安と恐怖。そこに数百万キロ向こうから届く地球からのメッセージ。まるで天国からの使信のように、愛しい恋人のささやきのように、優しく美しく聞こえるのだと。

その声を彼らは【ギャラクシー・ヴォイス】と呼ぶのだそうです」

「ギャラクシー・ヴォイス。初めて聞きました」

「シップの乗組員たちの隠語ですよ。彼らは大なり小なり、恐怖心と折り合いをつけながら宇宙にいます。そんな彼らにとって地球から聞こえる声は、青い故郷からのたった一本の命綱でもあり、慰めなのです。その声が決して、不安を誘うようないい加減なものであってほしくはない」

 ユナははっとした。

 知らなかった。そんなふうに私の声が受け止められていたなんて。

 通信回線の向こう側の、茫漠たる暗黒の中で生きている人々のことを、たったひとことの地球からの呼び声にすがろうとするその心を、私は何も考えていなかった。

 ユナの瞳の淵に、じわりと雫がたまる。男はそれに多分気づきながら、黙ってグラスを傾けていた。

「その話をしてくれた友人は、変わった経歴の持ち主でね。幼い頃、『アウター』で遭難したことがあるそうです」

「え……?」

 アウターソーラーシステム。太陽系において小惑星帯アステロイド・ベルトより外側、外惑星とその空域を指す。

 23世紀の今なお、人類の探索はほんの一部の居住可能な衛星にしか及ばない。行けども行けども果てしなき、永遠の死の空間。

「30年前、木星系の第一次調査移民団が帰還する途中、シップが小惑星に激突した事故のことをご存知ですね。彼はイオで生まれた最初の赤ん坊でした。事故の直後、移民船の船長はとっさに、その子だけを脱出用カプセルに押し込みました。

事故地点と最寄りのステーションの位置から言って、1人分の酸素しかないと判断したのでしょう。

彼は遠ざかっていくカプセルの窓から、両親らの残っているシップが爆発するのをなす術もなく見ていたそうです」

 男は誰にともなく微笑んだ。

「何日も何日も、目に映るのは広大な深淵のみ。気が狂いそうになる寸前の4歳の彼を支えてくれたのは、救難信号を送ったステーションのひとりの通信員の、一瞬も休むことなく呼びかけてくれる励ましのことばでした。

それはまさに、彼にとって生涯最高のギャラクシー・ヴォイスだったのです」

 ユナは言葉もなく、彼を見つめた。

「その男は大人になると、ともすれば恐怖にうちひしがれそうになる自分との戦いに勝つために、あえてシップでの仕事を選びました。彼にとって自分の生まれた宇宙とは、死と生が隣り合わせのゆりかごのように、懐かしくまた恐ろしい場所だった。

今でもスロットルレバーを握りしめるたびに、恐怖と極度の緊張から別人のように性格が変わってしまうと言います。

あなたに無礼な暴言を浴びせたその貨物シップの船長も、多分」

 彼は、愉快そうにくつくつと笑った。

「恐怖に脅える自分への苛立ちに負けて、つい怒鳴ってしまうのでしょう。 本当はあなたの美しい声が自信にあふれて自分に語りかけてくれるのを、誰よりも心待ちにしているのに」

 最後の琥珀色の液体を、名残惜しそうにひとくち口に含む。

「きっと地上に降りてきた彼は、今ごろ借りてきたネコのようにおとなしくなって、自己嫌悪に陥りながら酒など飲んでいますよ」

「あの……」

 ユナは、かすれた声で問いかけた。「あなたは……」

「おしゃべりが過ぎました。今日はこれで帰ります。こんなむさくるしい男の話相手をしてくださって、ありがとうございました」

「そんな。私こそ」

 胸がつまって、あとのことばが続かない。

 男は、長い指で自分のカードをカウンター脇のレジスターマシンに入れると、ユナと自分の席番号をインプットした。

「それはそうと」

 ひきしまった長身を立ち上がらせ、男はふと思いついたように、

「もし、よろしければあなたのファーストネームを聞かせていただけますか?」

「……ユナです」

「ユナさん。きれいなお名前です。僕はレイと言います」

 そしてこみあげる苦笑を片手で抑えながら、ドアに向かってきびすを返す。

「オンボロシップの通信回線を介すると、それほど僕の声は違って聞こえますかね?」

「え?」

「あなたの声は、全然変わりません。ギャラクシー・ヴォイスの資格十分だと思いますよ。白鳥管制官」

「え? ええっ?」

 彼女が振り返ったとき、もう男の姿はバーの中から消えていた。



「クシロの上空は快晴。南南東の風20ノット。気圧1024hPa。磁気の乱れはありません。絶好のテイクオフ日和です、YX35便。

エリア進入後、第2ゲートから離脱願います。離脱航路はG0259dを選択してください」

「いい指示だぜ。これ以上ないくらいクリアな声だ。上達したな。ユナちゃん」

「白鳥管制官とお呼びください。レイ・三神船長」

「それはそうと、ユナ、今から2カ月後に1週間の休暇を取っておけ」

「なぜですか」

「今度火星から帰ってきたら、おまえを俺のシップに乗せてやる。憧れの宇宙をその目で見せてやるよ。俺の膝の上の特等席でな」

「任務に就いてまだ1年足らずの新人が、そんなに休暇は取れません」

「親戚が2、3人死んだことにしとけ」

「……この会話、他の管制官たちに筒抜けですよ」

「んなこと、かまうもんか」

 ユナは、ヘッドフォンの向こうの貨物シップの中で離陸を待つ恋人の、照れくさげな仏頂面を思い浮かべて、我知らず微笑む。

「大気圏離脱許可。YX35便。火星まで、良い旅を(ボン・ボヤージュ)」




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