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海での告白

「良いよ。海に行こう!」

「良かった。君たちの話の流れ的に断られる可能性も考えてしまったよ」

 聞こえてたのか。そういう事は言わなくても良いの。狩野君は今日も絶好調で、ウルトラ残念君だ。更に彼の、

「でも無理やりにでも連れ出すつもりだったんだけどね」

 という発言で生じたイラッは、私のハートを刺すように痛めつけた。

 そして、友達二人の嫌な視線を受けながらも、狩野君と二人駅まで向かう事にした。

 にしても、こいつは喋らない男だな。自分の立場を分かっているんだろうか。

「あ、あんな所にたこ焼きの屋台があるね!」

「そうだね。クスッ。お腹すいたの?」

「別に食べたいなんて言った覚えないんですけど!」

 私達が駅につくまでにした会話は、これだけだ。

 残念君の奇行はこれだけじゃなく、駅に向かったのだから当然電車を使うのかと思えば、タクシーに乗り込む。じゃあ駅まで歩かなくても良かったのに、と言うより失態だわ。

 私はタクシーには乗り込まず、ドアの外から狩野君に言った。

「狩野君。私、あんまりお金持って無いよ」 

 いや、直接学校から制服のまま来たのだから、私は一円も持ってなくて、電車にも乗れなかった事に今更気がついた。

「大丈夫。僕に任せて」

 狩野君は優しく微笑むけれど、

「でもここから海まで遠いよ。タクシーを使っちゃうと五千円とか一万円ぐらいはかかるよ」

 私にはタクシーの料金を予測する技もなければ、ここと海との正確な距離も分からない。それに安く見積もって五千円、帰りの運賃も考えると、まだ付き合ってあげるかも分からない相手に、中学生である相手に、奢ってもらうには大きすぎる金額だ。苺パフェ五百三十円とは文字通り桁が違うし、私自身も「後で半額払う」とも気楽に言えない金額だった。

 躊躇する私に、狩野君は「大丈夫だよ」と微笑み、財布の中身を少し見せてくれた。超リッチマンだった。

 それでも気乗りしない。乗りたくない。

 すると狩野君は私の腕をつかみ、強引に車内に引きずり込む。

 私が「ちょっと! 何するのよ!」と叫ぶ前に、彼は「僕のためでもあるんだ。君は何も気にしなくて良い」と言った。イラッとして怒るのを忘れてしまった。

 運転手さんは私たちのやり取りなんて気にもせず、事務的に聞く。

「どちらにしましたか?」

「海に行くよ」

「えぇ。分かりました」

 そのまま車は緩やかに動き出す。

 私が窓の外を眺めていると、流れる景色は次第に馴染みある景色から、見覚えのある景色に変わっていき、二十分もすれば殆ど知らない景色へと変わっていった。その間、狩野君は一言も喋ろうとしなかった。

 強引に車に乗せられた事にイライラし、無言の彼にイライラし、告白された後の反応を決められない私にイライライし、つまり私はご機嫌斜めだ。

 私も狩野君も運転手も無言の車内で、私はイライラしっぱなしで窓を眺め、狩野君は何を考えてるのか涼しい顔で窓を眺めていた。

 車が札幌市を抜けた事を知らせる看板が見えた時、やっと彼は独り言なのか小さな声で、

「なんて言ったら良いんだろう」

 ポツリと呟いた。そんなの予め考えておきなさいよ。これだから、残念君は駄目ね。兄とは種類が違うけれど、とんでもないマイペース君だ。

「私に用があったんじゃないの? 海に行く理由から教えてよ!」

 イライラを隠し、私は聞いた。ここは私がリードするしかないと思った。

「そうだね。うん。覚えてるかな? この前の話なんだけど……」

 そうして黙る残念君を見ながら、その続きを言わないと『この前』が『どの前』か分からないのよ、クラスメイトとしてほぼ毎日会ってるんだから! と心の中で厳しくツッコミつつ、優しく聞き返した。

「えっと、何の話かな?」

「魔法の話」

 嘘でしょ?

 覚えてる。詳しくは思い出せないけれど、狩野君は兄や妖花さんたちとTRPGに夢中なのだ。ちょっと真剣に遊びすぎていて、妖花さんたちと喧嘩してしまった。でも、この場面でその話をする? 中々告白できないからって、趣味の話からスタートする?

 駄目だ。残念君はとても残念だ。

 趣味語りなんて、男だけが喜ぶ自己満足でしかないの。女の子はそんなの望んでないのよ。趣味に夢中になる男の子をカワイイとか素敵とか思う事はあっても、予備知識の無い世界の話を自慢気に語られるのは苦手なのよ。女の子には黙って、ご馳走よ。苺パフェとか。

 全然分かって無いわね。

 でも、何故か私は怒れなくて、

「ゴメン。あんまり覚えて無いなぁ。聞かせてよ!」

 心にも無い事を言った。

「うん。っと。なんだろう」

 イライラ。

「つまりさ、だから、うん」

 イライライライラ。

「君がもし千年の命を無理やり与えられたら、どう思う?」

 やっと出てきた言葉が、自分達の遊びの設定についての質問かよ! しかも詳しい説明は無いの? と怒り心頭なはずなのに、私はちゃんと考えて答えた。

「う~ん。私なら……。世界を回って、美味しいものを食べまわるかな。場所だけじゃないよ。時代も変わって、沢山の美味しいものを食べられるの! 素敵だなぁ」

 意にそぐわない回答だったのか、狩野君は少し怪訝な顔をしたけれど、直ぐに大笑いした。

「君らしいよ。やっぱり、高志さんの妹だ。君なら、大丈夫なのかもしれないね」

 なんかムカつく事を言った。

「じゃあ、狩野君はどう思うのよ?」

「僕は恨む。その力を僕に押し付けた人たちを。千年の命は、千年の孤独だ。想像してごらん、君の親友二人が百年という長めの人生を全うしこの世を去ったとしても、君は孤独のまま九百年を生きなくちゃいけない。彼女達の付き合いは、君の人生の十分の一にも満たない」

『千年の命』は『魔女狩り』の次にやる狩野君の設定なのだろうか。太ももの上で強く握られた彼の拳は、震えていた。演劇部として、役に入り込む気持ちは理解出来なくもない。

「う~ん。そうだね。千年の孤独かもしれない。それに自分の意思を無視して無理やり押し付けられたのなら、不満もあると思う。それでも、私は楽しむかな。だって今狩野君が例に出した毒子ちゃんと知り合ったのは、中学に入ってからだよ。まだ十五年のうちの三年。人生の五分の一だけの付き合い。村ちゃんだって、小学三年生からの付き合いだしね。別に千年の命だから別れがある訳じゃないし。千年の命にだって、素敵な出会いもあると思うな」

「君は強いんだね」

「強くなんかないよ」さっきも演劇部で大泣きしてきたし。「でも不満だからって立ち止っててもしょうがないでしょ。何とかして楽しみたいのよ」

「それは強いって事だよ。僕には出来なかった」

 狩野君は後悔するように悲しそうな顔をした。妖花さんたちと喧嘩した事を思い出してるのかもしれない。

「今も妖花さん達と喧嘩してるの?」

「うん。喧嘩って言い方が合ってるかは疑問だけどね。でも、以前のように恨んだりはしたくない、と思えるようになった。難しい事なんだけどね」

「そうだね。簡単じゃないよね。でもやる価値はあるよ! 絶対楽しい方がお得だって!」

「君は凄いや」

 口だけだよ。私だって目標にしてるだけで上手く出来てる訳じゃない。けど、今の狩野君には必要の無い言葉だと思った。黙って飲み込んだ。

「狩野君も千年の命を楽しめる日が来ると良いね」

「ありがとう」

 狩野君は笑った。私は胸が締め付けられるようにイラッとした。

「でも僕は今日までなんだ。今度は君の番なんだよ」

「え? どう言う事?」

「覚えてるかな。『魔法』のために人を捨てなくてはいけない存在の事を」

「なんとなくなら……。人と太陽の架け橋だっけ?」

「そう。そのためだけに、人が魔法を使うためだけに、僕は人である事を無理やりに捨てさせられた。その代償の一つが、千年の命だったんだ。しかも不死身だったりもする。自分で死を選ぶ事も出来ない。僕は多くの選択肢を奪われた。だから君には選んで欲しかったんだ。どうする? 千年の命を引き受ける?」

 ちょっと待って。質問の意味が分からない。今までなんとか意味不明マイペースな彼の話を自己解釈を加え理解しようと頑張ったのだけれど、もう無理。本当に待って。

「落ち着いて。狩野君! 私には事情が飲み込めないよ」

 私は狩野君の身体を揺らした。

「そうだね。感情的になるのは良くないね」

 いやいや、そうじゃなくてね。それも大事なんだけれど。

 TRPGの話をする残念君は、兄以上に手ごわいかもしれないぞ。暴れる彼を私がリードしなくちゃ駄目ね。本来私は暴れる側で、苦労するのは毒子ちゃんの役目のはずなのに……。

「う~んと、つまり私は狩野君から『千年の命』を引き継ぐわけね」

「そうさせたい人がいるって話だよ。でも従う必要も無いよ」

「当然でしょ!」勝手に私を巻き込まないでよ。

「良かった。高志さんは君には普通の子でいて欲しいと思っている。僕も同じだけど、一応君の意思も尊重したいと思ったんだ。僕が選択肢を奪われた事で不満を覚えたからね」

 そう。聞いてくれたのは有難いのだけれど、それなら私のいないところで断って欲しかったわ。って言うか、もしかして……。

「あのさ、私気がついたんだけれど、これから海に行く理由ってそれ? 魔法とか千年の命とか、そういうののためなの?」

「そうだよ。断固拒否しようね!」

 無邪気に笑う彼だけど、私はついにイライラを爆発させた。

「酷いわ! 私を弄んだのね!」と演技調に訴えた。

「ゴメン……」と狩野君は神妙な面持ちで謝った。

 別に私が勝手に勘違いしてただけだし、狩野君が残念君なのはずっと前から知ってたし、今のだって誤解した照れ隠しに大げさに表現した半分冗談だったりするけどね。

 怒ってるのは本当。

 残念君は話の組み立てが駄目なのよ。自分の頭の中にある情報と、私の頭の中にある情報をもっと整理して話すべきなのよ。これ毒子ちゃんに私が怒られた事だけれど。それに、まるで意図的に誤解させようとしているみたいだったわ。故意にじゃなかったとしても、今のは勘違いしてもしょうがなかった。毒子ちゃんも村ちゃんも勘違いしてたし!

「怒ってる?」

 狩野君は心配そうに聞いてきた。

「怒ってる!」

 私は窓を見つめたまま、狩野君の顔を見もせずに答えた。

 前にもこんな事があったな。いつだったろう。そうだ。狩野君は転校初日から校門前で私を待ち伏せしていた。あの時も私は告白だと勘違いしたのだけれど、結局は兄への手紙を渡されただけだった。こいつは最初からどうしようもない残念君だった。

 建物の隙間から海が一瞬顔を覗かせた。もう海は近いみたいだ。

 転校初日はどうしたんだっけ。あの時も私は怒って、えっと、そうそう、絶対に見るなと言われた手紙を勝手に見たんだ。

 でもあの時はこんなに怒ってたかな。ちょっと違った気もする。手紙を見るための正当な論理的理由を手に入れて、怒っているというよりむしろ喜んだ。

 じゃあ、今は?

 とっても怒ってる。

 なんで?

 無理やり海に連れ出されたから? 友達を含んで誤解させたから? 誕生日に変な事に付き合せられるから? 狩野君が残念君だから? 狩野君の告白を期待していたから?

 イラッドキッ、と心の中で違和感。

 これだ。私は彼の告白を期待していたんだ。

 イライラしながらも、私が辛抱強く残念君の話を理解しようとして、何とか正しい情報を聞き出そうとしたのは、期待していたからだ。今思い出せば、少し猫撫で声だった気もする。

 そっか。

「狩野君。私、狩野君の事が好きなのかもしれない」

「怒ってたのに……。急にどうしたの?」

「分からないよ」

 なんでだろう。見るのも嫌になりかけてたのに、その嫌な理由も思い当たらなかった。いや、理由なんて必要ないのかもしれない。きっと、恋ってそういうものなんだわ。お父さんお母さん、あとオマケでお兄ちゃん。私、恋しました。

「でも、きっと好きなんだよ!」

「参ったな」

「狩野君は私の事嫌いなの?」

「そうじゃなくて、今はそういう時じゃ無いというか。上手く言えないな。言葉はいつも不器用だね」

「不器用なのは狩野君だよ!」カワイイね!

「あ~。そっか。昔の事で忘れてたよ。僕も知っている。でも、君のそれは愛とか恋とかとは別なんだ。僕達はある儀式をしないといけない。そのために、お互いを認識しあわなければいけない。だから、本能的に直感するように出来ているんだ。それは恋と似ている感情だけど、違う。恋の切なさや痛さを強調した感じ。理由の分からない不快感に襲われる、けど嫌じゃない。確かに似ているけれど、違うんだよ。儀式をしなければいけない今日、君の誕生日にそれは最も強くなる。でも今日だけの気持ちなんだ。明日になれば分かるよ」

 またも、狩野君は暴走し始めた。何を言ってるのか分からない。頑張れ、舞子。恋の試練よ。えっと、つまりは……。

「そうなの。私、狩野君の事、実は苦手だったの。イラッとしてたの。でも理由が分かったら、なんて事なかった。ただ、好きだからそばにいるのも辛かったんだね」

「いや、違うよ。参ったな。話を聞いてくれない」

「聞いてるよ! 明日まで返事は待って欲しいんでしょ。私信じてる。だ~い好き!」

「君は、絶対に高志さんの妹だよ……」

 運転手さんが鼻で笑った気がしたけれど、バックミラー越しに確認しても真顔のままだった。

 私は初めて経験する恋という感情に、翻弄されるかのように、その後五回ほど「大好きだよ」と伝えた。でも狩野君は「参ったな……」と言うばかりで、反応はいまいちだった。

 強すぎて私を押しつぶしてしまいそうなドキドキから、私は自分の気持ちを吐き出す事で一瞬でも解放される。だけど、それをされて狩野君は困っている。

「狩野君。ゴメンね。私、こんなの初めてで……。全然気持ちが言う事を聞いてくれないの。気持ちに理性が追いつかないのは、いつもそうな気もするけれど……。でも本当に今回はどうしようもなかったの」

 狩野君は「気にして無いよ」と微笑んでくれた。だけどその言葉は、優しそうで残酷だった。どんな形にしろ、気にしては欲しかった気がする。

「もう、これで最後にするよ。さっき気付いたばかりだから不安定だとか、何度も言うほど安っぽいのかとか、色々思っちゃうかもしれないけれど、私の気持ちは本気だから」

 私は狩野君の糸目を見つめ、恥ずかしすぎて一度目をそらしてしまったけれど、それでももう一度見つめなおす。

「私は、五分ぐらい前からずっと、狩野君の事が大好きだよ!」

 狩野君はきょとんと、糸目を見開いた。私は狩野君の瞳を、この時初めて見たのだけれど、不思議な色をしていた。まるで太陽のようなオレンジ色をしていた。

「くっ。ははは。君は面白い子だよ」

 私には何が面白いのか分からないけれど、狩野君は大好きな狩野君になっても残念君なのは変わらないんだなぁと思った。

「笑わないでよ。さっきも言ったけれど、本気なんだからね」

「うん。ゴメン。そうだね。僕はそういう気持ちを押し殺す事に慣れていたけど、さっき言った不思議な直感は僕にもあるんだ。だから君の事を他の人と違って意識してしまう僕は確かにいる」

「全くの脈なしではないのね!」

 言ってる意味は良く分からない。それでも望みはあるらしいという事実だけで充分だった。狩野君は私の言葉には反応せずに話を進める。

「今日は色んな意味で答える事は出来ないんだ。でも、明日。明日になっても舞子ちゃんの気持ちが変わらなかったら、恋人を前提として友達になろう」

 今度は私が笑ってしまった。

「そんな友達、変だよ。お互い恋人前提と意識しながら、お友達なの?」

「変かな?」

「変だよ」

 そういのって、告白できない時になってしまう状態だもん。意図的に作る関係じゃないよ。

「それでも良いよ。前進はしてるんだもんね!」

 私たちの会話はこれで終わった。そのまま別の会話をするのも気まずかったし、私は微かな希望をかみ締めているだけで胸がいっぱいだった。

 狩野君は何を考えているのか、窓を見つめる彼の横顔からは想像出来ないのだけれど、きっと私の事を考えてくれているのだろう。だと良いなぁ。

 しばらくして、車は止まった。私が狩野君の横顔を見つめている間に、目的地に着いたみたいだった。海のお店らしい建物と建物の間には、海が見えた。先ほどとは違い、波の形がクッキリと見えるぐらい近かった。

「着きましたよ」

 運転手さんはそう言って何か手元で操作し、ドアは自動で開けれた。強い潮の香りが車内に広がった。

「ありがとう。釣りはいらないよ」

 創作物語のキザキャラテンプレートみたいな事を言って、狩野君は一万円札を差し出した。似合って無いよ。 

「お気をつけて」

 と言う運転手さんの言葉を背に、結婚したら狩野君の金銭感覚について指導しなくてはいけないと思いながら、私はタクシーから降りた。その前に今度来る時は電車で来ようね、と言わなくちゃと思った。今日のところは結論が出てるので蒸し返さないけれど、奢ってもらうにしろ割り勘にしろ、ちょっと私には大きすぎる金額だから。その前に狩野君と何度も海に来れる関係にならなくちゃいけないのかぁ~。

 恋って難しいのね。木村 舞子。恋に溺れる今日で十五歳。

 なんて思いながら海を眺めていると、

「こっちだよ」

 狩野君はそう言って、手を差し出してくる。この男は狙って誤解や勘違いをさせようとしているとしか思えない。私は例の胸の締め付けがあったけれど、遠慮なく手を繋ぐ事にした。危うく『嬉しいな。大好きだよ』と言いかけた。

「私、秋の海に来るのって初めてかも」

「今日の君は『初めて』ばっかりだね」

「そうだね! 狩野君への気持ちにも気付けたよ。だ~い……」

 私は『大好き』と言いかけて、寸での所で踏みとどまる。この男、狙ってなかったとしたらとんだ子悪魔だ。

「誰もいないね」

 ビーチに出てみれば、妖花さんとかのTRPG仲間が待っているのかな、と思っていたのだけれど、それらしき人影ところか、誰一人としてビーチにはいなかった。

「急に決まったからね。ここで話し合うって」

「ふ~ん。でも考えてみたら、変だよね。なんで話し合うのに海に来る必要があったの?」

「僕の都合、かな。他にも山とか林とかも考えたんだけど、多分海が一番良い」

「いつも狩野君の話は、分からないのね」ミステリアスだね。素敵だね!

「そうかな~。でも君や高志さんも、その気があるよ」

「ひっど~い。お兄ちゃんだけだよ……。でも、狩野君とおそろいならそれでも良いかな」

 私達は誰もいないビーチに腰掛け、多分イチャついた。誰がなんと言おうと、私はそう認識する事にした。夕日に照らされた海は、私たちの熱々ぶりに、オレンジ色に照れていているようだった。誰がなんと言おうと、私はそう認識する事にした。

 ずっとこのまま話していたいな。と思っていたのだけれど、それは無理な願いだった。そもそも、待ち合わせをしていたのだから当然なのだけれど、いらない邪魔が入った。

「狩野さん。お待たせしました」

 私たちの後ろから話しかけてきたのは、二十代後半と思われる若い男だった。スーツを着ているのに、何故か軽そうだと第一印象で認識してしまう男だった。そしてその後ろには三十人ぐらいの人がいた。私が思っているより、このTRPGの規模は大きいみたいだ。そうよね。わざわざ、海で話し合うぐらいだもの。

 狩野君は「やぁ」と軽く挨拶し、「僕の方こそ、直前まで場所を決めないでゴメンよ」

「いや、仕方が無いですよ」

「あの、初めまして。いつも狩野がお世話になっております」

 私はとりあえず挨拶をした。確か、恋人はこんな挨拶をするのよね。

「狩野さん。この子が、例のですか。へぇ。なんかこうして見てると、二人でデートしてる所を、俺達が邪魔したみたいですね」

 私は『そうなのよ!』と思ったけれど、狩野君は「いや、そんな関係じゃないよ」ときっぱり断っていた。濁すぐらいの気遣いは欲しいと思った。好きなんだけど、残念君は健在だと思った。

 不満をぶつけるのは筋違いかもしれないけれど、この人たちが私を巻き込んだのだから、それ程失礼では無い気もするので、言ってやった。

「あのさ、狩野君の希望通りに出来ないのは仕方が無いと思うの。だけど私を巻き込むのって可笑しく無い? それにそのせいで私だけじゃなく狩野君まで困ってるんだからね!」

 初対面なんて言葉を聞いた事無いです、の毒子ちゃんをイメージしながら言ってやった。

 スーツ男は薄ら笑みを浮かべて、

「狩野さんこの子が例のですか? なんて言うか高志君の妹って感じですね」

 全然似て無いのに、なんか耳タコな事を言われた。でも、狩野君は『さん』で、お兄ちゃんは『君』なのね。ちょっとそこは見込みあるわよ。あなた。

 なんて私が満足げに頷いていたら、スーツ男の変わりに、別の十代後半ぐらいの女性が私に応えた。

「巻き込むも何も、それは運命なのよ。あなたが生まれた時には決まってしまった運命。でも安心して。私達はその運命に逆らうためにいるのだから……」

「運命なんて大げさな。私は『千年の命』なんて真っ平ゴメン。狩野君もやりたくないの。それだけよ」

「そうだね。君の言う通りだ。規模が大きく見えても、あるのはシンプルな決断だけ。自分の運命は自分で切り開こう!」

 多すぎるTRPGの集団は「お~!」と気合を入れて歓声を上げた。熱いね、熱血だね、君達。どこか演劇部に通じる馬鹿さ加減を見て、なりきる事を趣味にする人たちの共通点なのかもしれないと思った。

 そんな事より、狩野君は私に同意している割には、この女の『運命』って単語を借りるのね。しかも私への返答のはずなのに、私の方を見てなんかいない。優しく微笑みつつ見つめるのは年上女だ。年上好みなのかしら……。

「狩野君のば~か」

「何で? 君はいつも突然に変な事を言うなぁ。参ったや……」

 私はフンっと拗ねてみせる。

 すると狩野君は優しく慰めてくれるはずだったのに、聞こえてきたのは、憎たらしい別の人の声。

「僕が思うに舞子ちゃんが怒り出した理由は何も理解して無いからだよ。ねぇ、妖花ちゃん」

「そうね~。まだ、魔法の存在自体を信じてすらいないと思うわ」

「その辺は高志の功績だろ。あいつが頑張って舞子をこっちの世界から遠ざけていたからな。信じる方が可笑しい。いや舞子なら何でもありだから、信じても可笑しくは無いか」

 集団より奥、駐車場からビーチに向かって妖花さん、マッチョさん、水原の見慣れたトリオが歩きながら、会話に割り込んできた。よくあそこから私たちの会話が聞こえたな、と感心するのだけれど、それよりも、先に来ていた人たちが狩野君や私に『千年の命』役を押し付けてないのだとしたら、このトリオが押し付けているのだと思った。

「あなた達だったのね。私に役を押し付けるのは。なるほど合点がいったわ。確かにあなたたちなら私の完璧な演技力を知ってるもの。私に是非演じて欲しいって思ってしまうのは無理ないわ。でも残念! 私は『千年の命』なんて興味ありませんから!」

「ほ~ら。僕の言った通りだ。舞子ちゃんは絶対勘違いしているよ」

「そうなの?」

 狩野君が心配そうに私に聞いてくる。

「してないよ」

 もちろん、私は笑顔で答える。

「いや、してるだろ」とマッチョが笑い出し、「見せてあげれば、早いわ」と妖花さんが水原に言った。

 水原は自分の意見を私が認めない事にいじけたのか、ブツブツと小声で呟きだした。いじけた三十路優男が不気味に見えたのか、みんなは身構えた。狩野君はスーツ男に何か耳打ちし、今度はスーツ男がいじけだした。大人の男の間ではいじけるのがブームなのか。母性をくすぐる作戦? とか私が考えていると、水原がこちらを見て微笑んだ。そして……。

「……っと申請終了。おいで『美女の涙』!」と不思議な単語を叫び、カッコつけながら海を指差す。仕草もネーミングもカッコ悪いよとか、いじけて見せたのは突然弾けるための前フリだったの? とか、そういった私のツッコミ待ちかと思った。

 でもツッコミなんて出来なかった。だって水原はふざけてなんかいなかったのだから。

 私の後方、海で水の音がした。しずくが落ちるような、蛇口の水が少し開いていたような、そんな静かな音じゃない。まるで滝つぼにいるかのような、大きな音だった。

 そして、振り返った私が見たのは正に滝だった。幅二メートルほどの滝が、突如海に出現した。でもそれは普通じゃない。もちろんビーチに突如滝が出現したのだから普通な訳無いのだけれど、下から上へ突き上げる、見た事もなければ、聞いた事も無い滝だった。

 はるか上空へと突き上げられた水は、一つの形を作っていく。まるで水の彫刻のような、ヌードの女性を形作っていく。数秒で、滝は消えた。水の供給が途絶えたかと思えば、既に水の彫刻は完成していた。上半身裸の美しい人魚だった。

 彼女は私達に微笑み、そして弾ける。

 晴れていたビーチに、水たちが落ちてくる。雨が降る。

 私は落下物に対しての反射だったのか、無意識に頭を抑えながら背中を丸める。

 でも、私が濡れる事はなかった。

 恐る恐る上を見てみれば、私達三十人の集団を丸々守るような、巨大傘が上空に浮いていた。何あれ? と思った瞬間に傘は消えてしまった。

 十数秒の出来事だったけれど、私が今までの十五年間かけて養ってきた常識を否定されたようだった。

「な、何なの?」

 頭の中が真っ白で何も考えられなかった。それでも誰に聞いたでもないけれど、やっと疑問の言葉を漏らす事が出来た。答えたのは水原だった。

「舞子ちゃん。コレが魔法なんだよ」

「ま、ま、魔法って何よ!?」

 自分から出たのは、また質問。発言者の私の予想以上に大きな声で、自分の動揺は思ったより大きいのだと自覚し、より心臓の鼓動が速まってしまった気がした。狩野君に感じるドキドキとは違う、凄く嫌なドキドキだった。 

 マッチョさんが「魔法は、魔法だろ。答えにくい事を聞くなよ」と言うのだけれど、

「理解出来ない事を見せるな~!」と私は怒った。

「なんかつまんないね。舞子ちゃんの反応が普通だよ。もっと舞子ちゃんらしくさ『きゃ~、素敵だわ。難しい事考えないわ。次はご馳走出して!!』とか言うのかと思ってたのに」

「ふざけるな、水原。あんたは私を何だと思ってるんだ!」

「食いしん坊」と水原もマッチョさんも言った。まさかの妖花さんも言ったかと思えば、狩野君までも言った。

「違うもん……」

 妖花さんは余裕の笑みを浮かべ「でも、やっぱり飲み込みは早いのね。もう、落ち着いたみたいじゃない?」と言えば、

 マッチョさんが「普段、高志を見ているからな。常識から外れる事には慣れているんだろ。これは高志の計算外の功績だな」と同意した。

 水原が「と言う事で、僕から説明しても良いかな?」と狩野君に聞けば、狩野君は「えぇ。僕は本物の彼女の同意が欲しいですから。僕も説明したんだけどな……」とちょっと不満そうに言った。

「狩野君、ゴメンね」私は謝った。水原はニヤニヤと笑いながら、話し始めた。

「まぁ、信じる方が不思議だからね。しょうがないよ。で、魔法なんだけど、今見てもらった通りなんだけどね。僕らは太陽にお願いする事で、太陽に力を借りる事で、魔法という不思議な現象を起こす事が出来る」

「うん。狩野君からその辺は、なんとなく聞いたよ。そのために犠牲になる人が必要なのよね。『千年の命』でしょ?」

「なぁんだ。そんなに大きく勘違いしてはないんだね。そうだよ。舞子ちゃんのお友達、その狩野君だっけ。彼が『千年の命』なんだ。僕らは『伝達者様』と呼んでるよ。呼び方は重要じゃないと思うから、今日は『千年の命』で統一しよう。で、僕はどこまで説明したっけ?」

「彼が『千年の命』って所までよ。舞子ちゃん、つまりね、彼がいなければ私たちは魔法を使えないの。そして今日で千年の役目を終えた彼には、後継者に力を引き継いで貰わないと困るのよ。そうじゃないと、私達は今後魔法を使えない事になるの」

「それで、良いじゃない!」

 私は、タクシーでの狩野君との会話を思い出した。彼は『千年の命』を『千年の孤独』と表現していた。そこにどんな人生があったのかは、私には分からない。でも、幸せだったとは思えない。

「狩野君は自分のような苦しみを、次の人には体験して欲しくないと思ってるの。それだけじゃないんだよ。以前は憎んでいた、あなた達を、魔法使いを憎みたくないって言ってたの。だから、魔法なんていらないよ。そんなものなくたって、みんなそれぞれ楽しく生きてるわ」

「それは違うわ。私達は秩序を守っている、と自負しているわよ。魔法の力で国際レベルの組織を形成し、秩序を守ってるのよ。人間なんて愚かな生き物で、それでも平和になんかならないのだけどね。争いの火種を消しても、大きな事件を未然に防いでも、ニュースで見るのは暗いニュースばかり。それでも私達がいるから、この程度なの。魔法の力があるから、組織を維持出来るの。魔法は必要なのよ。それに……、」

「嘘だね!!」と狩野君が、妖花さんの話をもう聞きたくないと言わんばかりに割り込む。

「嘘ではないか……。自分達にとって都合の良い事実だけを、自分達にとって都合良く話すなよ。僕から見れば、お前達のやってる事なんて、暗殺、誘拐、監禁、脅迫。どれも犯罪でしかないんだ。自分達の意見を強引に力尽くで押し付けているだけだ。仮にお前達のやり方で世界に平和が訪れたとしても、僕は、絶対に、お前達のやり方を認めたりなんかしない!」

 いつも、どんなに私が見つめても、顔色を変えなかった狩野君が、顔を真っ赤にしながら言い放った。

「あなたこそ、組織の一部を見て私たちの全体がそうであるかのように言うのは止めて欲しいわね。少なくとも、私は、暗殺も誘拐も監禁もしていないわ」 

「あんたは組織の行動を抑止出来る立場にあって、それをしない。同罪でしょうが!!」

「そうかもしれないわね。でもそれならば、あなたはどうなのかしら? 千年もの間、問答無用で魔法使いを狩り続けていたのでしょう? 私たちのやっているらしい意見の押し付けではないのかしら?」

「僕の過ちと、お前達の罪は、何の関係も無いだろ!」

「あるわ。自分に甘く他人に厳しい人の意見ほど軽い言葉は無いのよ」

 狩野君はそのまましばらく黙り込んでしまう。そしてビーチに座り込み「クソ!」と叫びながら何度も砂を叩いた。言い返す事が出来なくて悔しがってるように見えた。自分たちへの仕打ちを思い出しているようにも見えた。過去にやってしまったらしい自らの過ちを悔いているようにも見えた。

 千年を歩んできた狩野君の過去を私は知らない。私が知っているのは、その中の四ヶ月だけ。だから彼の悔しさを正確に理解する事なんて、出来ないのかもしれない。

 それでも私は、狩野君の背後からそっと抱きしめた。

「狩野君、大丈夫だよ」

 何が大丈夫なのか分からないけれど、

「私はずっと傍にいるから……」

 それがどれ程の意味を持つのかなんて、分からないけれど、

「だから、大丈夫!」

 私は大丈夫を繰り返した。 

「女に言い負かされて、女に慰められる男ほど惨めなものは無いわね」

「妖花さんは黙って!」

 私は立ち上がり、狩野君に「任せて。狩野君が口下手不器用残念君なのは百も承知よ。だから、私に任せてよ」告げる。

「自分に甘いって、それは妖花さんの見方でしかないよ。私には狩野君は自分を責めて責めて、そして進化しているように見えるわ。あなた達の事も受け入れようと努力してる。そんな人間の言葉に耳を傾けないなんて、小さい人間ですね。別に同意しなさい、なんて言うつもりはないよ。ただ、素直に聞きなさいって言ってるの」

「駄目ね。舞子ちゃん。口だけの決意なんて何の意味も無いわ。それを実現できて初めて意味があるのよ。どんな想いや努力が存在しようとも、失敗したのなら終わり。意味が無いのよ」

「無意味な事なんかありませんよ~だ。例えば、今回だって、もし狩野君の思惑と外れて私が『千年の命』を引き継いだとしても、その仮定で得た愛は本物ですもん。アイ ラブ 狩野君よ! それにその後の事はその後考えるわよ。千年をどう楽しむか、考えて見せるわ。千年を真剣に楽しんでやるんだから!」

 あ、封印していた大好き発言をしちゃった。

「青いのね。それが人の命に関る問題だとしたらどうするの? 失敗して大事な人をを失ってしまったけど、仕方が無いから次よ次、なんて開き直るのかしら」

「さっきから、話をそらさないで下さいよ。でも私ならこう思うわね。もう二度と同じ失敗はしない。あるいは、別の人には同じような失敗をして欲しくない」

「大事な人を失った事が無いから言えるのよ……。それに話はそれて無いわ。あなたがやろうとしている事は、そういう事なのよ。舞子ちゃんがどう頑張ったって責任取れる小さな問題では無いわ。私たちの組織は、それ程までに大きいのよ」

「同じ事です。妖花さんたちが魔法を失ったとしても、その組織は魔法だけで成り立っていたとは思えない。国際レベルの組織って、もう何言っちゃってるの? ってぐらい現実味の無い話なんですけど、そんな次元の信じられない組織を纏めるのに、一つの武器だけって事は無いはずよ。そうでしょ?」

 マッチョさんが口を挟む。

「そうだな。別に魔法の力だけで事を運ぶでもない。それに大人の力は魔法だけじゃない。権力、経済力、魅力、交渉術、……そして暴力。やり方はあるだろうな」

 水原も口を挟む。

「うん。後は人望や志だよね。みんな全く同じ思想って事はなくても、見ている方向は同じ。別に魔法があるから嫌々付き添ってるでも無いし、魔法があったって離反する人はいる」

「あなたたちは黙ってなさい」

 妖花さんはこの時になって笑みを崩した。マッチョと水原を睨みつける。そして私に視線を戻した。

「舞子ちゃんは知っているかしら。法の目をかいくぐり裁かれなかった殺人者を見た事がある? そんな人が自分の罪を笑い話にして同じ価値観の人と笑いあう光景を見た事がある? 自分より立場の弱い人間を切り捨てる事で罪を逃れた偉い人はどうかしら。無知な子供を騙し私腹を肥えさせる大人は見た事あるの? 老人の親切を利用し利益を得る人は見た事がある? 餓死する農民を横目にご馳走を食べる権力者は? 先進国のために危険な作業に従事させられる途上国の子供達は見た事あるの?」

「ない、ですけど……」

「そうよね」

 そう言った妖花さんは何か呪文を詠唱した。私の目の前に半透明な画面が出現し、妖花さんが今言った例を、短い映像で見せられた。

「あなたがやろうとしている事は、こういう人たちを見過ごし、あるいは見捨てようとしている事なのよ。その覚悟があって言ってるのかしら?」

「そんな覚悟は……、ないです」

「そんな覚悟は必要ないからね」

 狩野君は落ち着いたのか、冷静な口調でそう言った。

「舞子ちゃんが千年の重みを背負う事と、それらの問題は繋がってない。別に舞子ちゃんが千年の命を背負わされたから、加害者が反省するでも無いし、被害者が救われるでもない」

「繋がってるわよ。あなたなら、分かるはずよ。追跡魔法、嘘を見抜く魔法で彼らの罪をあぶりだす。彼らに信じられないような力を見せつけて、脅す事だって出来るわ」

「それはお前達の問題だよ。魔法に頼り切っているお前達の問題だ。知ってるかい? 警察官の殆どが魔法を使えないんだ」

「だから罪を犯した人間には都合の良い世の中なんじゃない。魔法は必要よ」

「その理屈じゃ、警察官が魔法を使えればいいじゃないか。でも世間に魔法を公表しようとした人物は行方不明になったね。結局、正義らしきものを振りかざして、自分達の地位を守りたいだけなんだよ」

「愚問ね。その警察官にも罪を犯す人はいるもの。それに世の中に魔法が溢れてしまったら、秩序なんて守れないわよ。強い力で押さえつけなくては、人は道を踏み外すのよ」

「そうか。僕はお前達組織が、私欲のために魔法を使っている事を知っているのだけどね。さっきの行方不明になった人もそう」

「必要悪よ」

「その必要悪って言い切る所が気に入らないんだ。必要なんかじゃない」

「私は自分の正義を信じているわ。あなたは私たちのやり方を受け入れない。話は決して交わらない平行線ね。あなたはどう思ってるのかしら? 舞子ちゃん」

「私は……」

 分からないよ。魔法とか、組織とか、急にそんな事言われたって……。でも、私はハリボテの覚悟を決めて、言った。

「私、『千年の命』になります。それで今まで通りなんだよね」

 私は狩野君の顔を恐る恐る伺う。彼は「そっか」と微笑んだ。

「ゴメンね。狩野君。でも、大丈夫だよ」

 私は狩野君に謝って、妖花さんに目線を移し、

「妖花さんなら組織内の悪い事を抑止出来る立場にあるのよね。じゃあ、条件出しちゃう。私もそのぐらいのポジションで組織に入れてよ」

「えぇ。あなたが『千年の命』になってくれるのなら、それで良いわ」

 私は狩野君の方に目線を戻し、

「ね。これで安心でしょ。私に任せて!」

 出来る限りの大きな笑みを作った。

「君がそう望むなら僕も何も言わないよ。別に魔法そのものを否定する気も無い。きっと、君なら組織を変えてくれるね。でも、僕が心配してたのはそう言う事じゃなくて……」

「分かってるよ。千年の孤独ね。大丈夫だって! 何度も言ったけれど、きっと私なら笑って受け入れられるよ」

「受け入れる?」

「うん!」

 だって、私は今も笑っているもの。大丈夫だよ。

 狩野君は微笑んだまま、語り始めた。

「例えばさ、十年先、陰村さんや国土さんは二十五歳だね。このぐらいになるとさ、一人ぐらいは結婚してたりするかも。僕の予想だと陰村さんが早く結婚してそうだ」

 いきなり脈絡もなく未来の話を始めた狩野君に、私は答える。

「村ちゃんは結婚早そう! でさ、きっと毒子ちゃんは一番遅いんだよ。怖いからね」

「はは。僕も別の理由だけど、国土さんは結婚が遅そうに思うな。きっと彼女は仕事に夢中になるタイプだよ」

「あ、それも分かるかも」

「更に十年先、二人は三十五歳だね。そろそろ子供がいても可笑しく無いよ」

「うひゃ~。村ちゃんの子供ってどうなるのかな。なんか予想し難いな。父親の影響を強く受けそうな感じ。でも、毒子ちゃんの子供は怖い子になるよ。あそこ家族全員怖いんだもん」

「しっかりしてるんだよ。他所の家の子に、怖いって認識される両親って事は」

「うん。超真面目~」

「更に十年先、四十五歳。そろそろ今現在のご両親の年齢に追いつきそうだね。高志さんなんて六十歳だよ」

「そうね。お兄ちゃんも六十歳になったら、流石に私にしつこく構う事も無いんじゃないかな。きっとさ、子供が出来たら馬鹿親になって、孫が出来たら馬鹿祖父になるよ」

「僕もそう思う。でもキャラはあんまり崩れなさそうだね」

「ね! 絶対、あのままだよ。あれは死んでも直らないタイプの馬鹿だよね」

「その十年先、五十五歳。君の友達のどちらかには孫が出来てるかも。高志さんは七十歳。もう元気なくなってくるのかな」

「孫ね……。もうそこまでいっちゃうと、全然想像できないよ」

「うん。そうだと思う。でもね、君は今のままだ。みんなが変化する中、君は十五歳のまま」

 友達二人を中心にして、未来を予想するのは結構面白くて、この時の私は思いっきり油断してた。ハリボテとは言え、覚悟を決めたはずだったのに、一気に目頭が熱くなった。

 二、三粒の涙をこぼしてしまったけれど、残ってる涙を絞るように一度ギュッと目を閉じ、私は再度笑顔を作った。

「そうだね! ピチピチの十五歳だ!」

 妖花さんが「見苦しいわよ」と私と狩野君の間に割って入る。それを無視して狩野君は話し続けた。

「更に十年先には六十五歳。もうそろそろ永遠の別れがあっても不思議じゃない年齢だよ」

 狩野君止めてよ。私は意地でも笑顔を崩さないで答えた。

「そうだね!」

 妖花さんは「止めなさい!」と狩野君の胸倉をつかむ。それでも狩野君は妖花さんを無視して、次第に大きな声になりながらも話を続けた。

「その時にも、君は十五歳の姿のままだ! もしかしたら、自分は不自然な存在だからと、葬式にも出られないかもしれない。式場の外で、手を合わせる事しか出来ないかもしれない」

「そうだね!」

「それはもっと先に起きるかもしれないんだ。結婚式にだって、出産祝いにだって、会いにいけないかもしれないよ」

「そうだね!」

 こぼれ落ちそうな涙のせいで、こぼれ落ちてしまった涙のせいで、私は何度か顔をゆがめながら、それでも笑顔で答えた。妖花さんは狩野君を突き飛ばし「これ以上続けるなら、実力行使に出るわよ」と脅しをかけた。

「止めてよ! 妖花さん。私は大丈夫だから。絶対に心変わりなんてしないよ。だから、狩野君も止めてよ……」

 狩野君の話は、この先私を待っている現実なのかもしれない。私が乗り越えなくちゃいけない現実なのかもしれない。それでも、今は聞きたくなんか無いんだよ。

 狩野君は起き上がろうともしないで、私も妖花さんも無視して話を続ける。

「君はこう言ったんだ。『受け入れる』って! それって本当はやりたくないって事なんだろ? じゃあ、断れよ!」

「出来ないよ。だって、私一人が我慢すれば良い問題なんでしょ。そうすれば沢山の悪い人を捕まえられたり、困ってる人を助けられたりするんでしょ?」

「人なんて弱い生き物だよ。自分達が食べている肉がどうやって出来てるのかだって、自分達が使っている薬がどういう犠牲の元出来上がってくるのかだって、自分達が競争に勝った裏で泣いている人の事だって、まともに向き合って背負って生きている人間なんてそうはいない。なのに、君は七十億人の命運を自分が握っているかのように考えて、そしてそれを背負い込もうとしている。いや、この女がそう思わせている。でも魔法がなくたって出来るよ。こいつらの組織じゃなくたって出来るはずだよ。君が一人で背負うような問題じゃないはずだ」

「そうだね。そうかもしれない。でも、違うんだよ。だって私には出来るんだもん。狩野君の言った例に対してはさ、どうして良いか分からないよ。じゃあ肉を食べないとか薬を使わないとかわざと負けるとかさ、そういうのは違うと思うんだ。結局、時々思い出して感謝してそして普段は気付かないフリしてやり過ごすしか私には思いつかない。でもね、今回は違うんだよ。私に出来る事があって、それは凄く明確単純なの。ただ受け入れれば良いんだよ」

「でも君が受け入れて、魔法のある世界がこの先も続いたとしても、きっと世界は平和になんかならないよ」

「そうだね。うん。きっと、そうだ」

「それでも君の意見は変わらないの?」

「そうだよ!」

「参ったな……」と呟き、狩野君は仰向けに倒れた。そして跳ね起き「負けたよ。最初言った通り僕は君の意思を尊重する。それにしても、君は頑固なんだね」と笑った。

「知らなかった?」と私も笑った。また勝手に落ちてきた涙を、手の甲で拭った。

「知らなかったよ。でも、今になって考えれば納得出来る」

「ちょっと失礼な言い方だね」

「そうかな?」「そうだよ!」

 私達は少し間を置き、そして笑った。これでもかと言わんばかりにお腹の底から声を出し、出来る限り大きな声で笑った。狩野君も腹に手を当て、爆笑していた。だけど、私たちの笑顔は紛い物だった。

「僕は大体長くて三年だったかな」

「何の話?」

「事情を知らない人と接点を持てた期間だよ」

「そっか……」

「でもね、事情を知っている人とはもう少し長く付き合えるんだ。例えば、高志さんとは十五年来の付き合いだし、狩野夫妻とは二十年ぐらいの付き合いになるかな」

「お兄ちゃんとそんな昔から知り合いだったの?」

「うん。だからね、僕はずっと君の傍にいるよ。今日で人間に戻る僕に、どれだけの時間が残されているのか分からない。それでも残りの人生を君の傍で過ごす」

「恋人前提の友達として?」

「その辺は、また明日から考えよう。ただの友達かもしれないし、その……。違った関係かもしれない。でも僕が生きている間は君に寂しい思いはさせないよ」

「狩野君ゴメンね……」

「ううん。僕がそうしたいんだ」

 無言で見つめあう二人。少しロマンチックな雰囲気に酔う私。悲しい気持ちも忘れられそうな素敵な時間。だったのに妖花さんの携帯電話が鳴る。私は大勢のギャラリーがいた事を思い出した。

「えぇ……。そう。分かったわ」と妖花さんは電話を切り、私達に言った。

「話はまとまったようね。さぁ、早く儀式をしなさい」

「焦ってるみたいだね」と狩野君は挑発的に言った。

「そう言えば、儀式って何をすれば良いの?」と私は聞いた。

 狩野君は魔法についてのウンチクを語りながら、また分かり難い話を始めてしまったけれど、妖花さんが手短に説明してくれた。

「キスよ」

 どうしよう。狩野君を好きだと気付いた日に、訳が分からないまま私は千年間生きる覚悟を決めて、そして気がつけば狩野君とキスする事になった。

 どうしよう!

 でも、ちょっと微妙だな。嬉しいんだけれど、胸にひっかかる。素直に喜べる状況じゃない。

 って言うか、

「狩野君は千年前にもしたんだ。キスを」

「そう、なるね」

「相手は女の人?」

「うん。基本、男の次は女。女の次は男が選ばれているらしいからね」

「ふ~ん」

 何て事なの。私は初恋だと言うのに、この男はシレッと過去の女の話をしやがる。

「別に、良いけどね。私は過去を詮索しない女よ」今回が初めてのケースだから多分だけれど。

「怒ってる?」

「もちろん!」

「参ったな」

「それと、今後は許しませんからね」まだ付き合ってもいないけれどね。

「本当に、参ったな」

「良いから、早くなさい!」と妖花さんがまたヒステリック。

 初めてのキスという状況で私は何をして良いのか分からず、この緊張や不安から逃げるように強く目を閉じた。暗闇の中、私の肩に狩野君の手の感触。私は乱れて強くなる鼻息を隠すために息を止めた。

 そこからは、何も起きなかった。緊張のせいで時間が長く感じるのかと思った。あるいは狩野君も緊張してなかなか行動に移せないのかもしれないと思った。

 だけど、私の肩から狩野君の手の感触が離れた。

 狩野君の感触が消えた理由を確かめるために目を開けた、と同時に、私はシャボン玉のようなものに包まれ、空へと浮かび上がった。どういう事なの?

 そして地響きと共に、妖花さんを囲むように鉄格子が出現した。

「駄目だな。狩野。時に男は強引で無いと」とマッチョさんは言った。

「狩野君が駄目なのには同意するな~。でも僕はマッチョ君みたいには思わないけどね。女の子なんて嘘つきなんだよ。隠れてる本心を察してあげなくちゃ。これだから中学生は青いって言われるんだよ」と水原が言った。

「参ったな。僕が一番年上なのに。でも、学ばせてもらったよ」と狩野君は言った。

「あんた達。こんな事をしてただで済むと思ってるの」と妖花さんは携帯電話を取り出し、少し何か操作をした。すると何処からとも無く大勢のスーツとサングラスで黒尽くめの老若男女が現れる。その数は常識ハズレで、軽く千人は超えていそうな集団だった。海の反対側、陸地側から人の海が出現した。

 水原とマッチョさんは余裕の表情で、

「妖花ちゃんが怒っちゃった。でもさ、雑魚がいくらいたって意味無いと思うな」

「全くだ」

 と言ったかと思えば、呪文詠唱。すると、押し寄せる人の海を拒むように、半円の鉄の壁が出現した。シャボン玉に包まれた私は学校の屋上よりも高い所にいると思うのだけど、鉄の壁の高さは私より少し低いぐらいだった。妖花さんの周りを、鉄格子の檻を補強するようにシャボン玉が包み込んだ。

 水原とマッチョと同時に呪文詠唱していたらしい妖花さんが「あなたたち二人で私をどうに出来るつもりなのかしら」と言ったと思えば、妖花さんを囲む鉄格子もシャボン玉も、人の海を拒んでいた鉄の壁も、蒸発するように一瞬で消えてしまった。

「うわぁ。僕達は雑魚だって。言われる側になると悲しいんだね」

「妖花に対抗出来るとは思っていないけど、時間稼ぎは出来ると思ったのにな……」

 すると狩野君は妖花さんに向かって走り出した。

「呪文を詠唱させなければ、ただの女だよ」

 妖花さんは沢山の部下の方へ、人の海の方へ逃げるように走り出した。

 人の海は、火の玉や氷の玉、何かは分からない光の光線、様々な魔法を狩野君へぶつける。

 空中でシャボン玉に包まれている私は、「狩野君!」と叫ぶ事しか出来なかった。狩野君の味方の人たちは、狩野君を守るように呪文詠唱しているらしく、狩野君が青白い光に包まれた。それでも人数差もあってか、狩野君の体は傷ついていく。そして歩を止めて、立ち止ってしまった。

 部下と合流した妖花さんが、呪文の詠唱を開始した。部下達はけん制するように狩野君たちに攻撃し続けていた。狩野君はジリジリと後退し、仲間と合流した。気がつけばマッチョさんや水原も、狩野君の仲間たちと一緒に呪文を詠唱していた。

 狩野君たちを囲むように、大きなドーム型の青白い光が出現した。次にマッチョさんが呪文を唱え終わると人の海を拒むように、厚さ二メートル程の堤防みたいな鉄の壁が何枚も出現した。水原が呪文を唱え終わると、海から出現した水の人魚五人が妖花さんに襲い掛かった。

 目を瞑って呪文詠唱していた妖花さんが、口を動かすのを止め、手の平をかざした。手の平からは三つの小さな火の糸が出た。三つの火の糸は次第に大きくなり、やがて龍になった。炎の龍は、水原の人魚を容易にかき消し、マッチョさんの鉄の壁も容易に突き抜け、狩野君の仲間達の青白い光のドームも容易に破壊した。それでも炎の龍は勢いも大きさも緩めていなかった。

「もう、止めてよぅ! 私は妖花さんに従うから!!」

 もう手遅れなのかもしれないけれど、私は必死に哀願した。

 狩野君が私の叫び声に呼応するかのように、上を、私の方を見た。そして微笑んだ。彼の微笑は失敗を誤魔化しているように見えた。

 マッチョと水原も私の方を見て、諦めたような半笑いで言った。

「俺達じゃ、駄目みたいだわ」

「そうだね。僕たちの手に負えないよ」

 私も彼らの諦めの笑顔を見て、諦めそうになった。別れを覚悟しそうになった。

 けれど、突如、風が吹く。シャボン玉の中の私には、その風の強さを感じる事は出来ないのだけれど、下にいるビーチの人々見るに、人が起立状態を維持出来ないレベルの暴風みたいだった。そして、見えないはずの風を、私は目視出来た。炎の龍を包み込むのに必要最小限ぐらいの小さな竜巻が現れた。竜巻は炎の龍と共に、私より遥か上空へ立ち昇り、爆発した。カラフルな炎の龍の残骸は、まるで花火のようだった。

 ビーチの方が気になって下ばかりを見ていた私は、この時なって上を見た。狩野君もマッチョさんも水原も、私を見て言ったのではないのだと、やっと理解した。私の上には、浮かんでいる兄がいた。

「アイ ラブ 舞子~!」と兄が叫んだかと思えば、狩野君たちと対峙していた集団が一人残さずどこかへ吹き飛んでいった。

「ハワイは暑いぞ~!」と兄が言っていたので、彼らはハワイに行ったらしい。

「お兄ちゃん! 何してるの?」

 この状況で、私は間抜けな質問をしたなぁと自分でも思う。でも、何故か兄を見た瞬間、安心してしまった。

「舞子を愛してる!」

 兄の答えは、もっと間抜けだった。でも兄が質問の意図を理解してくれないのはいつもの事で、狩野君が意味不明な説明をしてくれるのもいつもの事だった。

「高志さんは、呪文を詠唱を必要として無いんだ。正確に言うなら、殆ど必要ないかな。とにかく、時々自分に送られるエネルギーを調整するためだけに、呪文を詠唱する。つまりは常にエネルギーを受け取っている状態なんだよ。だから、さっきみたいに無詠唱で魔法を使う事が出来るんだ。理屈は簡単そうで、この状態をずっと維持出来る人間を、僕は高志さんしか知らない。常識ハズレの凄い事なんだよ」

 確かに、私が見るに呪文の詠唱をして無かったよ。でも私が聞きたいのは、そんな事じゃ全然無くて、あぁ~もう! 事態を飲み込めない私を置いてきぼりにしながら、会話は進む。

「マッチョ! お前達なら、あいつらの不法入国ぐらい誤魔化せるだろ? 後は任せたぞ!」

「出来る事は出来るが……。妖花が呼んでたのは五千人いたんだぞ。規模がでかいな」

「五千人もいたのか~! だが、来る途中邪魔してきた連中も全てハワイに送ったのだ!」

「相変わらず、高志君はデタラメだね。妖花ちゃんは高志君の足止めに、どれだけの人員を配置したんだっけ?」

「十万人。世界中から召集した実力派が、十万人だ。俺、筋肉で武装した自信をなくしそう」

 その時、私を包んでいたシャボン玉はゆっくりと地面に落ち、優しく破裂した。

「あ、時間切れかな」と水原は呑気に言っていた。けれど、私にはどうでも良かった。

「狩野君ゴメン。気持ちは嬉しかったよ。でもね、やっぱり私の意志は変わらないんだ。今はもう、私に千年の命を引き継いで欲しい人がこの場に居なくなったて、気持ちは変わらない。みんなもゴメンね」

 自分の意思で自由に動けるようになった私は、狩野君に近づきながら謝った。そして狩野君の手を握り、

「続き、しよっ!」

 いやらしく聞こえないように、爽やかな笑顔で言った。事実いやらしい事じゃないのだから、気にする必要は無いのかもしれないけれど、なんか恥ずかしかった。

「君の気持ちは分かったよ。でも、僕の気持ちは変わった。君の意思は関係ない。僕は君に千年なんて重みを背負わせないと決めたんだ」

 狩野君は拒絶した。

「駄目……。私は諦めないよ」

「参ったな」

 狩野君は後ずさりするけれど、私は手を離さない。

「舞子! 駄目だ~!」

 と兄が私たちの方へ急降下してくる。

「邪魔しないで!」

 と思ったのは私もだけど、言ったのは妖花さんだった。海の方から、妖花さんが飛んできた。靴底から火を噴射し、その勢いで飛んでいるみたいだった。まるでミサイルのようで、ちょっと変だった。兄は急降下を急停止し、妖花さんの襲来に備える。兄の周辺で数度の小さな爆発が起き、妖花さんが兄とすれ違う時には地面にまで振動が伝わるような大きい爆発が起きた。妖花さんは反転し、炎の龍を兄が居た場所に放つ。そこは黒煙で包まれていて、兄の姿は見えなかった。妖花さんの飛び方では、一定の場所に留まる事が出来ないのか、急加速、急停止、急反転を繰り返し、兄が居るだろう黒煙を中心に四方八方に飛び回っていた。やっぱりその様は、少し変だった。妖花さんは機関銃のように小さい魔法の玉達を撃ち出したり、炎の龍を何匹も追加したり、あの手この手で攻撃していた。耳をふさぎたくなる爆発音や、頭痛を誘う風切り音などが鳴り響き、黒煙の中で何度も何度も爆発が起きた。

 だけど、私は不安は微塵も感じなかった。

 兄は無傷なんだと確信していた。

 それは周りの人の反応が安心していたからなのか、認めたくなくても兄を信頼してしまってるからなのか、分からないけれど、この場で、誰も外傷を負う事は無いのだと思った。

「要求エネルギーが変わったよ」と狩野君は解説した。だけど私には意味が分からない。でも私が理解しなくてもドンドン状況が変わるのは、このビーチの常識になりつつあるので、詳しい説明は求めなかった。狩野君に聞いても、余計混乱しそうだし。

 妖花さんの攻撃の手は休まること無くても、黒煙は次第に晴れていった。そして、次第に見えてくる兄。兄は半透明な緑の箱を、両手で胸の辺りに持っていた。兄の手は箱に触れて無いので、『持っていた』という言い方が正しいかは分からない。

 黒煙も、妖花さんの攻撃魔法も、その箱に吸い込まれているみたいだった。それでも妖花さんは兄を攻撃し続けた。兄は眼を閉じ、何もしなかった。

「まずいな」とマッチョが言った。

「どうして?」と私は聞いた。だけど、質問に答える事無く、静観していた水原とマッチョは呪文の詠唱を始めた。変わりに狩野君が答えてくれた。

「彼女も、妖花って女も、呪文詠唱して無い事に気がついてたかな? つまりね、彼女もエネルギーを送り続けるように、命令した。だけど、普通の人間はそう長く耐えられない。数秒単位でも難しい事なんだよ。無理をして、消滅してしまった人は、過去に沢山いるんだ……」

「えっと、妖花さんも危ないって事なの?」

「そうなるね。凄い速度で動き回っているから分かり難いけど、彼女の周りが陽炎のようにぼやけてるでしょ? あれが、限界が近づいているサインなんだ」

 狩野君は「諦めてくれると思ってたんだろうね」とマッチョさんと水原の方を見た。私も二人の方を見れば、呪文詠唱しているのは狩野君の仲間もだった。みんなの呪文詠唱が終わると、妖花さんを捕らえるかのように、沢山の光の玉が空に浮かんだ。だけど、どれもが妖花さんのスピードに追いつけてないみたいだった。兄は今の状況に気がついて無いのか、目を閉じたままだ。

「お兄ちゃん! 妖花さんが危ないんだよ!!」

 私は兄に頼りきった発言をした。私は全てを兄に託してしまった。私は無力だった。

 目を開けた兄は、真剣な顔で妖花さんを見つめ、そして呪文詠唱。

「参ったな。まだ要求エネルギーを上げるつもりだ」狩野君は言った。オレンジ色の瞳を覗かせる彼の驚愕の表情は、兄も無理しているのだと私に教えてくれた。事実、兄が呪文詠唱を終えた途端、兄の周りもぼやけた。

「あまり、時間が無いよ」と言った狩野君の顔は、驚愕の表情から怯えた表情に変わっていた。

 私は狩野君を抱擁し「大丈夫だよ」と囁いた。慌て怯える狩野君に対してのこの行動は、ちょっと前にもした。だけど今回は、行動も、言葉も、私のためだった。

 兄は緑の箱から、そっと、手を離した。箱は不安定に膨張と収縮を三回繰り返し、やがて元の四角形に落ち着いた。兄はまるで照準を合わせるかのように、左手を妖花さんに向けた。でも妖花さんの動きを捉えきれないらしく、左手は全然追いついていなかった。

 兄のシルエットが大きく歪んだ。目に溜まった涙のせいなのかと拭ってみても、兄は歪んだままだった。

「お兄ちゃんの馬鹿! バカバカバカ!! 早く降りてこないと、狩野君とキスしちゃうんだから!」

 だから、無事に戻ってきてよ。お兄ちゃん……。

 兄はこちらをチラッと見て、間抜けな顔をした。

「私の舞子に、何をするか~!」

 どうやら、抱擁に怒っているみたいだった。

「狩野~! 歯を食いしばれ~!」

 兄はいつでも空気クラッシャーで、私の哀愁も吹き飛ばす、場違いな事を言った。

 狩野君は慌てて、みんなに何か指示を出した。みんなも慌てて呪文詠唱をしているみたいだった。空に浮かんでいた魔法の玉は消え去り、私達を囲むように幾重ものドーム型の魔法の壁が出現した。妖花さんも慌てた様子で、今までの猛攻の中でも一番派手な炎の龍を放った。

 兄は緑の箱を空高く放り投げた。緑の箱を失った兄は、炎の龍に飲まれた。炎の龍はそのまま天高く昇る。

 そして……。

 緑の箱が弾けた。散らばった破片たちは、秋の海岸に振る緑の雪みたいだった。遅れて、炎の龍も飛び散った。緑の雪と火の粉が舞う空から、私は兄を探そうとしたけれど、私の視界が捉えた人物は、見えない何かに叩き落され落下する妖花さんだけだった。見えない何かは、妖花さんを叩き落したのではなく、この辺りを押しつぶしているらしく、魔法壁が歪にへこんだ。

 地面へ激突する瞬間、妖花さんは不自然に減速、停止。ゆっくりと着地した。兄の仕業だと思った。私はとりあえずの二つの安堵をかみ締めながらも、もうそこにあるのが人である事すら判別しづらいほどに歪んでしまった妖花さんにどう対処すれば良いのか全く分からなかった。誰かの呪文詠唱が聞こえた。私は何をして良いのか分からないまま、妖花さんの元へ走り出そうとしたけれど、狩野君に「消滅に巻き込まれるよ」と制止される。そのまま、妖花さんの元へ走る狩野君を見て今度は私が呼び止めるのだけれど、「今日までの僕は、何があっても大丈夫だから」と狩野君は悲しそうに笑った。

 妖花さんへ近づいた狩野君が、大きく歪む。歪んでいるのは、妖花さんや狩野君ではなく、妖花さんの周りの空間みたいだった。

 歪んでいく様は徐々にでも、元に戻るのは一瞬だった。

 姿を現した妖花さんは狩野君とキスをしていた。あるいは姿を現した狩野君が意識を失っているだろう妖花さんにキスをしやがっていたと表現しても良い。

 なるほど。つまり二人はキスをしていた。そうか。そうなんだ。そうなのね。

 私の全ての感情は、怒りによって書き換えられた。

「酷いよ! 狩野君。どういう事なのよ!」

 私は走り出し、狩野君にタックルをして、二人を引き剥がした。

「私という、恋人前提の友達、になるかもしれない女がいながら、どういう事よ!!」

 狩野君は砂を食べてしまったらしく、何度か唾を吐き捨てた。

「参ったな。違うんだよ。今の僕は人じゃない。だから、魔法を使えない。だけど、だからこそ、出来る事があるんだ。呪文は僕を経由するだろ? その命令を拒否する事も出来ないけど、落伍者の烙印。魔法使い失格の烙印を押す事は出来るんだ。それが、今の儀式で、決して深い意味はなくて……」

「知らないよ! 何言ってるか分からないよ! あなたはいつもそうなのね!」

「参ったな……」

 狩野君はそう言って、マッチョさんと水原を見た。私は睨んだ訳では無いけれど、狩野君の視線移動につられて、きつい目つきのまま二人を見た。

「お~、怖。俺は何も言わない」

「僕も面白いからノーコメント」

「スミマセン。狩野さん。俺も怖いです」

 なんかスーツの男もしゃしゃり出てきたが、口を出さないみたいなのでスルーした。

「参ったな。本当に参った……」

「妖花は無事か?」

 と言う聞き覚えのある声に振り返れば、兄がいた。怪我は無いみたいで、ぼやけてもいない。

「お兄ちゃん。大丈夫なの?」

「私は大丈夫だ! 舞子は何も心配する必要は無い。それよりも、妖花は大丈夫か?」

 狩野君は私から逃げるように妖花さんの方へ移動し、脈や呼吸を確認して言った。

「えぇ。大丈夫みたいですよ」

「そうか。良かった」と兄は胸を撫で下ろした。お兄ちゃんも無事で良かったよ、と思ったけれど恥ずかしくて言えなかった。でも、これは恥ずかしくても言わなくちゃいけないと思った。

「お兄ちゃん。ゴメンね。私はやっぱり魔法を失うべきじゃないと思うの。今のお兄ちゃんを見て尚思ったわ。きっと、普通の人には出来ない事が、沢山出来るんだよ!」

「待て! その話は後だ。私は見てしまったのだ。狩野……。説明してもらおうか。さっきの ハグハグは何なのだ!」

「そうだった。私たちね、明日から恋人前提のお友達になる予定なの。お兄ちゃん、狩野君を奪ってしまってゴメンなさい」

 私は「その前に話し合いが必要だけどね」と狩野君を睨んだ。兄が「全く状況が分からん。が、狩野! お前は許せん!」と狩野君を睨んだ。狩野君は「参ったよ……」と空を仰いだ。

「何よ。お兄ちゃん! 私達二人の、恋人前提の友達の問題よ。黙ってて!」、「認めん。私はこんな男認めない」、「いや、高志さん。それより、舞子ちゃんを説得しないと。千年の命が……」、「話をそらさないで! 狩野君はいつもそう。いつもそうなのよ!」、「なんだと! いつもハグハグなのか! そうなのか?」、「それは違います。初めてじゃなかったけど……」、「何なの? キスだけじゃなく、妖花さんとハグもしてたのね!」、「いや、それも違くて。参ったな」、「何だと? 舞子相手に二股なのか? もっと許せん!」、「それも違いまして……。クソ。なんだよ、コレ」、「あら? 残念君は逆切れするのね。とことん残念君なのね。それでも、大好きなんだけど……」、「照れてる舞子なんて、見たくないのだ。私は全てを認めないのだ!!」

 兄が叫んだかと思えば、私は浮いた。以前何かのテレビで見た無重力の世界のように、私の身体が宙に浮いた。ふわふわと風船のようにゆっくりと、空へ浮かんでいった。

「みな、今日の所はこれでおしまいだ。さらばだ!」と言った兄の仕業のようだった。「ちょっと、狩野君とまだ話が……」と少しパニックな私は力弱く言うのだけど、狩野君にも兄にも、聞こえてるのかは疑問だった。不満に思ってる私とは対照的に、兄も狩野君も何故か嬉しそうに大きく手を振っていた。狩野君たちが人であると辛うじて認識できる高度で、上昇は停止。ゆっくりと動き出す。私には私の操縦は出来ないらしく、勝手に動き出した。ここで、私は落ち着いてきて、思い出す。今は制服姿だという事。今日はお気に入りの熊さんパンツだった事。そして、兄への不満。

「お兄ちゃん! まだお話の途中だったのに!」

「ふむ。舞子に何があったのか分からん。しかし、私は初めから決めていたのだ。舞子には普通の女の子でいて欲しいと。悪いが今回ばかりは、私の意見を押し通すぞ」 

「今回だけじゃないじゃない! それに、狩野君と恋人前提の友達になっても、私は美人だけがとりえの少し完璧な普通の女の子だよ!」

「お前が普通でいたいと思い、普通に振舞っても、世間は千年も歳をとらない人間を受け入れてはくれないものなのだ」

 ここで私は気がついた。兄は狩野君の事ではなく、千年の命の話をしているらしい。その事についても話していたけれど、突然に話題を変えるなよ。

「ねぇ、お兄ちゃん。知ってる?」と私は妖花さんから聞いた話をして、「それらの問題は、魔法があれば解決出来るかもしれないんだよ。私にはその使命があるの」

「ふむ。しかしだな……。そう、例えばだ。私は戦闘力に関して言えば、世界一の魔法使いを自負しているが、それでも一国の軍事力にも遠く及ばない。一人の力なんて小さいものでな。逆の言い方をすれば、大勢の力は予想以上に大きい」

「そうかもしれないけどさ……。でも、沢山の人が力を合わせて、魔法を使えば凄いよ!」

「仮にそうだとしても、舞子に重みを背負わせない。正直、舞子以外の人間だったのならば、本人の意思に委ねたかもしれないが、舞子だけは駄目なのだ」

「個人のワガママじゃない!」

「そうだとも! 私はいつでもワガママなのだ!」

「ふざけるな~!!」

 私は兄に肩ビンタしてやりたかったが、どうにも空中じゃ上手く動けなかった。

「舞子。世界に魔法を残せるのは舞子だけだ。それをさせなかったのは私だ。今後世界がどう動こうと、誰かが困ろうと、全て私が悪い。私を恨め。舞子は何も気にするな」

「出来ないよ……」気にしない事も、お兄ちゃんを恨む事も、出来ないよ……。

 でも。

「お兄ちゃんの馬鹿! 大嫌い!! ゴメンね。ありがとう……」

 明日から魔法を失った世界がどうなるかを考えると不安な私がいて、出来る事があるのに何も出来なかった自分を憎む私がいて、それでも人でいられる事に安堵する私もいた。

 下を見下ろせば、まばらに光る窓達でライトアップされる街並みがあり、その隙間を縫うようにおもちゃみたいに見える車たちが忙しなく走っていた。沢山の人がいて、沢山の生活があって、沢山の人生があるんだなぁと思った。その全てが幸せだったら良いのになぁと思った。

「お兄ちゃんの馬鹿……」

 私は意味もなく、意味はあったのかもしれないけれど私には理解出来ないまま、兄に言った。

「あぁ。舞子ではなく私が馬鹿なのだ!!」

 兄の返答はよく分からなかった。でも、心が軽くなった。

 その後、家まで会話はなかった。一体どうやって空を飛ぶ私達が、人目を忍んで我が家に到着するのかと思ったけれど、堂々と二階のベランダに着陸した。隣の佐藤さんのおじさんと目があった気がしたけれど、特に騒がれなかった。兄に聞いたところ「ステルスなのだ!」と言っていた。全く意味が分からなかったけれど、結果が分かるから、狩野君の説明よりはマシなのかな。

 家では誕生日パーティが待っているのかと思っていたけれど、緊迫した様子の怖い人たちがいっぱいいて、十二時を過ぎるまでほぼ無言の重たい空気だった。十二時を過ぎてから、私の誕生日は一日遅れで祝ってもらえた。知らない怖い人がいっぱいいて、正直微妙だった。

 

 翌日。昨日の日曜日に文化祭があったので、今日は振り替え休日だ。更に昨晩は遅い時間から始まる誕生日パーティがあった。つまりはゆっくり寝られる日に見える。けれど、毒子ちゃんと村ちゃんがお祝いしてくれるので、いつもの平日より少し早い時間に目が覚めた。

 リビングでは父も母も普通の様子だった。

「今日は休みじゃないのか? 早起きさんだな」

「うん。友達がお祝いしてくれるの」

「あらあら、良かったわね」

 朝食を食べながら見るテレビからは、特に世界が変わった様子は伝えられてこない。

 違ったのは兄だった。 

 支度を終え、家を出ようとした時、私の携帯電話が鳴った。兄からのメール着信だった。

『私は旅に出る。舞子から自立の旅なのだ!!』

 履きかけの靴を脱ぎ捨て、兄の部屋へノックもせずに入った。執筆用のノートパソコンが無い事を除けば、見慣れた部屋だった。けれど、そこに兄はいなかった。

 リビングで食器を洗っていた母に聞けば、兄がずっと家にいたのは私を守るためだったらしい。もうその必要は無くなったので、見聞を広める旅に出たそうだ。あと、嫉妬で狂いそうなので狩野君から離れたかったらしい。

 私は兄の部屋に戻り、誰もいない部屋で独り言。エッチな本を書いていて、いつも強引に周りを巻き込んで、彼女の一人も出来ない駄目男で、最低の兄だ。恥ずかしい兄だ。それでもいつも私の事を守ってくれていた、大切な兄だ。

「お兄ちゃん。行ってきます! 行ってらっしゃい!」

 その時、また携帯電話が鳴った。兄からのメールだった。

『困ったのだ。今、寝台列車に乗ったのだが、もう寂しいのだ! 舞子、会いたいよ!!』

 私はさっきのメールの返信もまだだったなと思い出し、何事もなかったかのようにスルーする事を決め、友達の待つファミレスへ向かった。

 けれど、兄のメールは私の罪の念を、また少し軽くしてくれた。

 これで兄の誕生日から私の誕生日までの物語はおしまい。

 まだまだ私の物語は続くよ。もっともっと地球の物語は続くんだよ。

 友達と楽しそうに会話する高校生や、まだ眠たそうに欠伸をしながら会社を目指すサラリーマンや、母親に怒られながらも嬉しそうに幼稚園バスを待ってる子供や、そんな色々な沢山の人を見ながら、私はファミレスを目指した。

 世界から魔法が無くなたってきっと私達は幸せになれる、そう願った。

 みんなが真剣に楽しめる世界にしたいなぁ、そう思った。

 雲一つない空では、昨日までと変わらない姿の太陽が輝いていた。

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