ホンバン。そして、転校生と……
夏休みが明けて八月が終わった辺りで、朝も練習するようになった。誰もいない体育館で練習するためだ。今までの第一視聴覚室でも通しで練習する事が多かったけれど、毒子ちゃんが頻繁にストップ号令を出すし、その場で指示を出し、もう一度同じシーンのやり直しなんて事も多かった。けれど、ステージ上ではノンストップで、本当の意味で通して演じた。照明や音響なんかが使えて、私たちのテンションは上がると同時に、劇の完成度も上がってきた。兄は朝も学校に来ていた。
夏休みが終わった時期に『必要な物リスト』を玄関ロビーの掲示板に張り出すのは、毎年の恒例だった。必要な物リストとは、衣装作成や大道具作成に必要な布だったり、木材だったりのリストだ。部費の限られている演劇部にとって、毎年協力してくれる生徒やPTAの皆様には頭が上がらない。これは勝手な言い分だけれども、この中学校全体で劇を作っているような一体感を感じられた。
ただ、部の内部では少し揉めた。この時期に毒子ちゃんが台本の変更を含める、大幅な変更を申し出たのだ。毒子ちゃんが突然言い出した案の中でも目立ったのは、スクリーンを使って劇への映像混入だった。私は演劇が好き、と言うよりは、演じる事が好きだったので、特に違和感無く受け入れてしまった。けれど、演劇が好きな生徒達からは非難の声が上がった。特に強く反対したのが、部長さんだった。「その場で演じる、その場限りの演技だからこそ、花火のような美しさがある」とか、「全然本物とは違うセットで、観客とイメージ共有できる一体感が大事だ!」とかの部長さんの言葉は印象に残った。「好きな食べ物を混ぜても、美味しくなるとは限らない!」と言う部長さんの言葉はとても印象に残った。何度かの話し合いを経て、結局毒子ちゃんが引退する三年生という立場を利用して押し通した形ではあったが、とりあえずは落ち着いた。
十月の文化祭までは時間があるように思えたけれど、九月は中間テストやら学力テストで学校が練習を禁止する時期だ。更に秋には沢山の行事があって、合唱発表会や陸上競技会や体育祭の前にも練習禁止になってしまう。
時間が過ぎるのはあっという間だった。
十月に入ると、木材はそうそう集まる物でもなかったけれど、それでもあるもので工夫しながら、大道具なんかも出揃ってきた。布の方は必要数よりずっと多くの提供もして頂いて、衣装は結構イメージ通りに作る事が出来た。元の素材がカーテンやベッドカバーだったとは、言われなくちゃ気付かないと思う。
十月になるとなのか、あるいはある程度劇が完成してくるとなのか、私自身にも分からない。それでも例年通りに、三回目だと言う今年も例外なく、急速に育ってくる感情があった。
不安。恐怖。自己否定。
練習を重ね、昨日よりも経験値の高いはずの今日なのに、ミスが増えていく。今まで出来た事が出来なくなってしまう。ふとした瞬間に、自分への自信をなくしてしまう。それらは私一人の問題ではなく、部員全員を襲う現象だった。
だけど、誰一人として重く受け止めてなかった。
ネガティブを見えないフリするつもりも無いし、仕方ないと諦めるつもりも無い。
でも、私達は重く捉えない。それがこの演劇部なのだ。言うならば斉藤先生流。
私達が目指すのは、完璧な舞台じゃない。
本番でミスしようが、パニックになり台詞を忘れようが、そんな事は重要じゃない。
私達がやっちゃいけない事は、一つしかない。
『真剣に、楽しむ』事を忘れる。
それだけ。
それは間接的に劇の完成度を高める事に繋がるのだけど、直接的じゃない。
お客さんが喜んでくれたら、私も楽しい。だから、頑張る。
これが大事なんだ。
完璧ばかりを追いかけ、私達が楽しむ事を忘れた時、例えそれがどんなに素晴らしい劇になったとしても、私たちの演劇部とは言えない。
それに、この時期に襲ってくるネガティブ達は、私達が真剣に楽しんでいるからこそ感じるもの、だと捉えている。
眠れない夜も楽しんでやる。
突然感じるイライラだって楽しんでやる。
緊張して真っ白になっていく思考だって楽しんでやる。
だって、真剣じゃなかったら、出来ない経験だったのだから。適当にやっていたならば、沸かない感情だったのだから。
不安になる私。緊張してしまう私。自己否定する私。彼女達は確かに『本当の私』で私の一部なのだ。
私は彼女達の存在を否定しない。
彼女達の存在を認め、そして共に歩き乗り越えていく。成長していく。
そもそも、彼女達を含めての私カラーなのだ。
彼女達がいなかったら、出来なかった。
そんな、私だけの私カラーの舞子姫がある。
さぁ! 行きましょう!! 舞子姫。
私はそっと目を開けた。
「やぁ、姫。イメージトレーニングは終わったかい?」
毒子ちゃんが私に問いかけてきた。
「うん。震えは止まったよ。もう、大丈夫」
「ががががが、頑張りましょうね!」
村ちゃんは、まだ準備が出来て無い様子だった。
今は舞台裏、体育用具室で私達は待機している。
昨日の前日公演は好評だった。前日公演の観客である生徒達は、強制的に見せられる。だから、観客の数は決まってるけれど、観客の興味は決まっていない。全く興味の無い生徒もいるのだ。やっぱり最初はお喋りする生徒や、始まる前から居眠りしている生徒なんかもいたが、次第に劇に夢中になってくれる様は、役者日和に尽きた。
対して、父兄に発表する後日公演は、見たい人だけが見に来てくれる。だから見に来てくれる観客の興味は強いけれど、その数は全く予想できない。もしかしたら、演劇部の身内しか来てないのかもしれない。
ある男子生徒がドアを少し空け、体育館を覗き見る。そして私たちの方を向き小声で言った。
「スゲーわ。ほぼ満席」
との事だ。でも今は吹奏楽部の発表中なので、その観客が維持されるとも限らない。
斉藤先生は怯える一年生と村ちゃんに言った。
「そんなに、緊張しないで。大丈夫。お客さんは敵じゃないよ。みんな味方なの。だから、真剣に、楽しもう」
それでも一年生の緊張は解けなさそうだった。まだ心の準備が出来て無い生徒がいたとしても、ステージ上では吹奏楽部の演奏が途絶えた。そして聞こえる、演劇部の紹介アナウンス。初っ端から出番の私は、落ち着いたはずの心のリズムが、また少し乱れた。
「これはあなた達がいる世界とは、別の世界のお話。あなた達にとっては不思議な力の魔法が、私達にとっては当たり前の世界。人間に似ていても全く別の種族、魔族がいる世界。だけど、抱えている問題はそんなに違わないかもしれない」
暗闇の中、ステージ端でスポットライトを浴びながら毒子ちゃんが言った。
まだ照明のつかないステージ上には、脚付き手作りスクリーンがあった。
「この世界でも、人は、自分と違う考え方や常識の生き物を、受け入れる事は出来ないようです。悲しい事に、百五十年もの間、争い続けています」
毒子ちゃんのアナウンスと共に、スクリーンにはグラウンドで撮影した争う映像が流れる。映像は無音声だし、毒子ちゃんのアナウンスもここまでなので、ステージ上での音は姿を消した。
グラウンドで戦っている戦士達はいくらかの殺陣をした後、突然一人、また一人と倒れていく。
場面は変わって、校長室で撮影した映像が流れる。リッチな校長先生の椅子に座っている弱小国の王フィールクーさんの元へ、兵士らしき人が報告している。王様は驚いたように立ち上がったかと思えば、そのまま苦しんで蹲ってしまった。兵士も倒れてしまう。そこへ画面外から心配そうに駆け寄る冠をつけた美人が舞子姫だ。直ぐに姫は慌ててどこかへ行ってしまう。
今度は校長室の隣、応接室で撮影したシーン。四人がこれまた豪華な椅子に座り、お洒落なガラス机を挟んで、会議をしている様子が映し出される。先ほどのシーンと同じように、突然苦しみ始めてしまう。この四人は頭に角をつけていた。魔族であると一目で分かるようにするためだった。元々、兄の書いた台本では人と魔族で見た目の違いは無かったが、毒子ちゃんが「とにかく視覚的イメージでキャラが分かるようにしたい」と言い出した事で、魔族役の人は角をつける事になっていた。
ここで映像は終わり、ステージの照明がつく。
ステージ左側には、黒いローブを纏った白髭のおじいさんがいる。宮廷魔法使いオールサイさんだ。彼はパントマイムで本棚から本を取り出し、立ち読みし始める。そこへ、逆端から私が息を切らしながら走ってくる。
「おぉ。舞子姫。随分と慌ているようですが、どうかなさいましたかな」
こうして私の最後のステージは始まり、そして終わった。私達の演劇部は技術面なんかで言えば、それほどレベルの高い部活とは言えないと思う。それでも沢山の拍手で幕を閉じ、きっとこの公演は成功だったんだと、思った。最後に部員全員が舞台に上がり言った「ありがとうございました」は、予め決められた台詞ではあるけれど、多分、部員全員の本音でもあった。
文化祭の閉会式の後、生徒達はそのまま解散する事になっていた。その一方で演劇部である私達は第一視聴覚室に集まっていた。
最後の部活動。文化祭の反省会。
ゾロゾロと入場してくる部員達は、達成感に満ちた表情をしていた。教室はまだまだ興奮の抜けない私たちの熱気に包まれていた。夏が戻ってきたかのようだった。
「そろそろ始めるよ~」と部長さんは叫ぶ。だけど全然静かにならない教室で、「静かにしな!」と毒子ちゃんが怒鳴る。
それは見慣れた光景のようで、全然違う。困り果てた様子の部長さんもいなければ、クールデビルの毒子ちゃんもいない。教室のみんなが嬉しそうだった。
一応は静かになった教室だけれど、どこか五月蝿かった。落ち着かない様子で自分の太ももをこする生徒、貧乏ゆすりをする生徒に、キョロキョロ辺りを見回す生徒や、逆にジッと次の言葉を催促するように部長さんを見つめる生徒もいたし、鼻息の荒い村ちゃんもいた。
「みんな楽しかったですか?」
部長さんは質問した。騒がしく「楽しかった!」と叫び声の上がる教室。
「私も楽しかったです。今年は外部指導員として高志さんが台本を書いてくれて、指導もして……くれなかったけど、見守ってくれました。窓から落ちそうになった先輩がいたかと思えば、突然ワガママな変更を言い出す先輩もいて、現実でもお姫様になってしまう先輩もいました」
部長さんは先輩批判をし、
「きっと今年は特別にイレギュラーな年だったんだと思います。だからこそ、すっごく楽しかったよ~!」
私達はまた騒いだ。興奮を隠し切れず、はしたなく机を叩く生徒もいた。
「それでは、次に斉藤先生。一言お願いします」
斉藤先生は私達全員と目を合わせるように教室を見回す。
「うん。みんな良い顔してるね。きっと、真剣に楽しんでくれたんだと思うな」
私たちはまたまた騒いだ。斉藤先生は満足そうに教室を眺め、静かになるのを待ってから、
「努力をすれば必ず勝てる、とは言えないのが現実です。でも真剣に楽しんでいれば、きっと負けても平気だと思うの。劇でもそうでしょ? 本番で台詞を間違えたからって、そこで『はい。NG。やり直しましょ』なんて出来ない。さり気なく修正するしか無いわ。みんなの人生もそう。負けたからやり直し、なんて事は出来ない。そこからも先に進まなくちゃいけないの。そういう時、きっとどれだけ真剣に楽しんだかが力になってくれるわ。だって、努力自体を楽しんでるんですもの。楽しい思い出が力になってくれないはずが無いわ!」
私達はまたまたまた騒ぐ準備をしていたのに、ここで斉藤先生は不意に黙った。私たちのウズウズが頂点に達しそうになってから、斉藤先生はやっと続きを言う。
「そして、三年生の皆さん。演劇部で会うのは今日で最後ですね。あなた達はまだ十四歳と十五歳。まだまだ、先は長いよ。真剣に、人生を楽しんでね!」
私達は勢いよく力いっぱい、手が痛くなる拍手をした。
「斉藤先生。ありがとうございました。次は、外部指導員高志さん。お願いします」
兄は席から立ち上がり、緊張しているのか一度の咳払いをして、話し始めた。
「私は自分が生み出した人物達を、文字通り『生み出した』と思っている。自分の子共のように愛している。出来の良い子、悪い子。私と同じような思想の子、間逆の子。私より年上の子、年下の子。その全てを愛している」
キャラを考えずに真面目に語りだした兄に、どう反応して良いのか分からないのか、みんな静かになった。兄はそのまま話を続ける。
「しかし彼らは私の中にしかいない。物語を読んでくれた人が、その人なりの解釈を加え心の中で消化した時、私の思い描いていた子共達とは別の形をしているのだと思う」
みんなの視線が、台本の大改編をした毒子ちゃんに集まる。兄は優しく微笑み、話を続けた。
「それで良いのだ。私の子から生まれた、君達の子。いわば、私の孫。別人で良いのだ。君達が見せてくれた、私の孫は最高に可愛かったぞ!」
私以外は盛大な拍手を兄に送った。
「ありがとうございました。えっと、次は三年生のみなさん、一言お願いします」
部長さんが最初に指名したのは、元部長の毒子ちゃんだった。
「まずは、謝らなくちゃだね。急に大幅な変更をしてゴメンなさい」
いくつかの野次と笑い声が、毒子ちゃんをからかうように攻め立てる。
「予想以上に五月蝿いな。悪かったと思ってるよ。そして感謝してる。なんだかんだで、思いついた事を試させてもらえて良かった。不満が残るだろう中、手を抜かずに付いて来てくれるあんたらで良かった。本当にありがとう」
最後に毒子ちゃんは「女の子のワガママは大目に見てね」とウインクしたが、冗談なのか判断しかねるので、誰も笑えなかった。それでも、沢山の拍手が送られ、毒子ちゃんはもう一度「ありがとう」と言いながら着席した。
その後、毒子ちゃんの近くに座っている私たちの番かと思えば、部長さんが指名したのは、廊下側の席に座っている三年男子だった。どうやら、毒子ちゃんだけは特別で、残りは廊下側の席から窓際の席へ、指名していくらしかった。三年生達がそれぞれ、喜びを語り、別れを語り、ついに村ちゃんの順番になった。
「え、えっと。毎年の文化祭公演は楽しかったです」
村ちゃんは過去を思い出すように少しの間目を閉じ、話を続けた。
「わ、私は自分を変えたくて演劇部に入部しました。自分自身を好きじゃなかったって事じゃないんです。ただ、憧れている人がいました。その人のようになりたいと思っていました。でも、私自身はこの三年間で変われたかは分かりません。でも、これだけは言えます……」
そして、村ちゃんは兄を見つめる。狼男が変身する必要性に迫られ、人工満月を見つめているかのようだった。
「今年の文化祭は最高でした! この演劇部は最高でした! 高志さんサイコー!!」
村ちゃんは陰ちゃんになって、叫ぶ。右手を高く掲げ、ガッツポーズする。反応に困るみんなのなかで、斉藤先生だけは小さな声で「サイコー」と右手を低く掲げていた。兄の名前が出て、私は恥ずかしかった。
陰ちゃんが着席したのを見届け、部長さんは私を指名する。ちょっと不思議な空気でバトンを渡された。何故か、私はこの「どうしたら良かったんだろう?」と自問自答している観衆を前にする空気に、慣れている気がした。
「本当、今年の文化祭は波乱万丈、奇想天外、あら不思議。変な年だったね。でも楽しかったよ。みんなのおかげだと思う。ありがとうね!」
私はまずはお礼を述べる。最初は、兄が部活に絡む事が嫌だったけれど、途中も幾度かのトラブルもあったけれど、終わってみれば本当に楽しい文化祭公演だったな、そう思えた。
「演技って変身の魔法だと思うの。私じゃない私になれる。でも、その中にも必ず個性のカラーって出るんだよね。ほら、台詞は全く同じはずなのに、二年生が演じたメイドさんは甘えたくなる優しそうなメイドさんだったじゃない。でも、村ちゃんのメイドさんは逆に庇護欲をそそる感じだったでしょ? 村ちゃんの方が先輩なのにね!」
クスクスと笑い声が聞こえた。陰ちゃんは私の横腹をつっついてくるけれど、結構強い力で痛かった。
「別々で良いんだよ。村ちゃんみたいに変わりたいって思うのは大事な事だと思う。でも、どんな自分も否定しないで! 弱い自分も、悪い自分もちゃんと受け止める事が出来た時、あなたたちのカラーは今よりずっと色濃く輝いてくれるよ!」
兄の名前を出した村ちゃんに復讐って訳じゃないけれど、村ちゃんの名前をいっぱい出しといた。陰ちゃんは恥ずかしそうだった。
「そして、個人にもカラーがあるように、組織にもカラーってあるよね。私はこの演劇部で三年間を過ごせて、本当に良かったと思う」
やっぱり部活動において顧問の存在は大きい。部の方針やルールと言うものは、生徒に任せるという選択肢も含めて、顧問が決めてしまう事も多い。私達だって、半場強制的に『真剣に、楽しむ』事を強要された。人生論なんて詰まる所正解なんて存在しないもので、それは部活のカラーにも言える事なんだと思う。斉藤先生の生き方や考え方が正しいのかどうか問われれば、分からないとしか答えられない。
私に言えるのは、
「斉藤先生が顧問で、私は本当に良かったと思います!」とだけ。
それにいくら顧問の先生が方向性を決めようと、部員一人一人の個性が部のカラーを決めるのは間違いない。自信を持てないで恥ずかしそうに演技する一年生がいれば、笑いを取ってリラックスさせようとする三年男子がいた。そんなトラブルメーカーの三年男子がいれば、おっかない毒子ちゃんがいた。大人しい村ちゃんがいれば、暴れん坊の陰ちゃんがいた。みんながみんなに影響を与えながら、この演劇部のカラーは出来上がっていった。誰か一人でもいなければ、違う色をしていたはずなんだ。
「みんなと演技できて、私は本当に幸せ者です!」
演劇部のある高校は少ないかもしれない。でも幸いにも札幌には劇団がある。私がやる気になれば、その門を叩けば良い。あるいは高校に演劇部がなかったとしても、作ってしまえば良いのかもしれない。それにこれから高校入学までの間に、新たな出会いがあるかもしれない。私は別の何かをやっている美人女子高生になっているかもしれない。高校生って近いようで遠い未来で、正直どうなってるのかなんて分からない。
「私たち三年生は今日で引退だね。私は今後も演劇を続けるかは分かりません。もしかしたら、今日が最後の公演だったのかも!?」
だから……。
「本当にこの部活に入って良かった!」
別に今日私が引退するからと言って、今生の別れではない。親友二人はこれからも同じクラスメイトでもあるし、別々の高校に行ったとしても連絡をずっと取り続けると思う。私の携帯電話には、部員全員の電話番号もメールアドレスも入っているし、以前宣言した通り予定が許す限り来年以降の文化祭公演だって見に行く。
私たちの繋がりは終わらない。それでもこのメンバーで劇をやる事は、もう二度と、ない。
だから……。
「本当にみんなと出会えて良かった!」
だから……。
「私は……」
まだ、終わりたくない。もっとずっと、このメンバーで劇を続けたい。
「あのね……」
今日で終わりなんて絶対に嫌だ。
「上手く言えないなぁ。えっとね……」
絶対に、絶対に、嫌だ!
「私が言いたいのは……」
駄目ね。
カッコつけようとするから言葉が出ないんだ。
つまりはこういう事。
「嫌だよ。いやだ。いやだ! やだやだやだ! 終わりたくなんか無いよ~!!!」
結局私はカッコ悪すぎた。
人目を気にする事なく、大声を上げて泣いてしまった。そのまま崩れるように椅子に座り込んでしまった。顔を隠すように顔を机に伏せた。
自分の感情も抑えられずに、声がかれるまで、涙がかれるまで、延々と泣き続けた。
「全く、姫はしょうがない子だよ」と毒子ちゃんが背中をさすってくれ、「姫さん、カワイイです」と陰ちゃんが頭を撫でてくれた。
興奮に包まれていた教室は、少しの間どよめき、そして静まりかえる。私の泣き声以外には、人の出す音は何一つなかった。いや少しずつ増えてくる、すすり泣く音。
風が窓を叩きつける音がいつもより大きく聞こえた。
どれくらいだったろうか。
泣き疲れた私が顔を上げ、時計を見るとミーティング開始から一時間程が過ぎていた。
私が喋り始めた時間なんて見ていなかったから、私が泣いていた時間は分からない。五分だったのかもしれないし、三十分だったのかもしれない。
とりあえず私はスッキリした。吹っ切れた訳じゃないけれど、悲しい気持ちは涙と声と共に、体の外に大分出す事ができた。
「毒子ちゃん。何泣いてんのよ。三年生なんだからしっかりしないと!」
「姫のせいじゃないかぁ」
情け無いのは見間違いよ、の毒子ちゃんじゃなくて、情けない毒子ちゃんだった。
「ほら、村ちゃん。さようならは笑顔で言おうよ! そういう別れでしょ。やり遂げた別れなんだよ!」
「だ、だって~、姫さんが悪いんです~」
全く村ちゃんは先輩としての威厳を身につけなくては駄目ね。
教室を見回してみれば、全員泣いてやんの。やっぱり、パーフェクトでビューティな私が抜ける穴は大きいわね。今後が心配だわ。
「みんな、元気だしなよ。私達は最高の演劇部で、最高の仲間だった。私達はサイコーだ!」
村ちゃんのをパクッた。私は一人右手を高く上げ、叫んだ。涙の少なかった男子生徒を中心に何人かが力なく後に続いた。
「声が小さいよ! 私はもう今日でいなくなるんだからね。元気な姿を見せてよ! もう一度いくよ~! 私達はサイコーだ!」
さっきよりはマシだけど、全然駄目ね。
その後、私は沢山の『サイコーだ』コールをした。次第に泣き止んだ生徒達が、元気いっぱいに後に続いてくれた。
繰り返せば繰り返すほど、その勢いは増していった。
でもやりすぎてちょっと飽きてきた。私が飽きる頃には、体感三桁に届きそうな数の『サイコーだ』コールをした。
みんなで泣いて、その後にみんなでひたすら『サイコーだ』コール。
なんて怪しい集団なんだろう。念のため言っとくけれど、私達は中学生なので、誰一人として酔っ払ってなんかいない。こいつら馬鹿だ。とんでもない馬鹿だ。だけど私達っぽい。凄く満足。
意図的に隠したけれど、一番泣いて一番元気に『サイコーだ』コールをしていたのは兄だった。ともかく、こうして私は演劇部を引退した。
サイコーだったよ。
私は友達二人と一緒に帰宅する事にした。これはいつもの事。
私達が校門を通る時、狩野君が誰かを待っていた。これもいつもの事。彼は待ち伏せするのが好きなのだ。
最近、私は狩野君を見るだけでイラッとしてしまう。狩野君は悪い人じゃないと思うのだけれど、どうしてもイラッとしてしまう。認めたくない感情だった。
別に本能と戦うため、って訳じゃないけれど狩野君に声をかける。
「狩野君。今日も待ち伏せ? よくもまぁ飽きないね!」
「うん。実はそうなんだ」
やっぱりだ。でも、兄はミーティングが終わったら直ぐに教室から出て行った。これは珍しい事。公演が終わったからもう毒子ちゃんたちと話す必要も無いし、父や母も文化祭を見に来てくれていたから、そちらと合流でもしたのだろう。そうしなきゃいけない必要性もある。夜が楽しみだわ。
「お兄ちゃんなら、先に出て行ったんだけどなぁ。まだ来ないの?」
「高志さんなら、さっき通ったよ」
狩野君は長めの間を作り、
「今日は君を待っていたんだ」
私を見つめ、言った。何故だか私はかなりイラッとした。
私が本能と戦ってる事情なんて知りもしない残念君は、
「今日は誕生日でしょ? 二人で海を見に行こうよ」
私の誕生日を知っていた事に、ちょっと引くのだけど、ストーカー体質の狩野君ならばありえそうなのでスルーした。あのウルサイ兄から聞いた可能性も充分にあり得るし、「舞子の誕生日なのだ。楽しみなのだ~」なんて姿も容易に想像出来る。
それよりも当日に美少女を連れ去ろうなんて、残念君は常識を知らないわね。私だって予定があるのよ。毒子ちゃんと村ちゃんがお祝いしてくれるはずだった。
私は毒子ちゃんに聞いてみれば、
「どうしようか。海だって。行く?」
毒子ちゃんは、これもイラっとくるニヤニヤ顔で、
「狩野君。ちょっと待ってな。姫と作戦会議だ」
言ったかと思えば、狩野君と少し距離をとった。
「行く? って姫ね。あんた一人で行くべきなんだよ」
「え~。この後、パフェを奢ってくれる約束だったじゃ無い! 二人に奢ってもらえれば、私はチョコレートパフェとフルーツパフェを食べられるのよ!」
「姫さん。勇気を出してください」
「本当、この子はしょうがない子だね」
「じゃあさ、狩野君もファミレスに来てもらおうよ」そうすれば私は苺パフェとも再会できるわ、なんて少し悪巧みを思いついたのだけど。
「だから~、あんたは海に行くの。私達とは明日にしときなって」
「あのドク子さん。もしかしたらなんですが、多分なんですが、姫さんは気付いていません。私が思い出す限り、姫さんはそういうのとは無縁でしたから……」
「なるほどね。確かに、姫は鈍そうだよね」
「ちょっと! 話は分からないけれど、とてもイラッと来る流れよ!」
「そうだね。どうやって言えば、姫にも理解出来るだろうか……」
毒子ちゃんは少し考え、
「いいかい? 姫は忘れてるだろうけど、狩野君は一つの場所に長く住んでいられないんだ。家族の事情でね。そんな男の子が女の子の誕生日に友達の目の前で『友達は来るな。君だけに来て欲しい』なんて勇気を持って言う理由は分かるよね?」
「分かる……」
「あんたが、鈍くても自信過剰な子で助かったよ」
「だからって、私が行く必要は無いよ」
言葉とは裏腹に私の顔は熱を帯びていた。友達二人はニヤニヤしていた。
「へ~。姫は行きたい、とは思わないんだ」
「うん」
「行きたくない、とも思ってませんよね? 姫さんがそう思ったなら、即断ったはずです」
「うん……」
「じゃあ、行きなよ!」「行きなさい、です!」
「二人がそう言うなら、仕方ないかなぁ」
そう。私は選択の余地なく、仕方なく行くしかないのだ。この二人がよりいっそうとニヤニヤとしている事実なんて、気付かなくて良いのだ。
私は何度か深呼吸するけれど、そんな簡単に顔の熱が取れる事はないみたいだ。だからって、いつまでもこうしていても埒が明かない。
赤いだろう顔は諦めるとして、リラックスしている自然な笑顔を作り、狩野君に言った。
「良いよ。海に行こう!」