私の兄は魔法使い
札幌の夏は涼しい。
らしいのだけどずっとこの地で住んでいる私たちには、涼しいなんてとても思えない程の暑い日。
そんな暑さのせいで、目覚まし時計が鳴るよりも二十分も早く目が覚めてしまったものの、とても二度寝出来る温度ではなかった。
「今日は暑いなぁ……」と寝言のような独り言を漏らす。
太陽さんにさり気なくお願いしたつもりだけれど、涼しくはなってくれないみたいだ。
仕方なしに、まだ夢と現実の境目が曖昧なぼやけた思考の中、朝食の香りに誘われフラフラとリビングに向かうと、母が心地よいリズムでネギを刻んでいた。
「ママー。おはよ~」
「あらあら、もう起きたの? おはよう。
もう少し待ってね。後はお味噌汁だけだから」
「急がなくても良いよ~。時間はあるから。
それに、起きたばっかで食欲はわかないわよ」
なんて、本当は寝ぼけてようが朝からとんかつでもステーキでもカモンカモンな私だけれど、年頃の女の子として、つかなくても良い嘘をついてみたり。
するとソファーで横になりながら新聞を読んでいた父が、
「はは。舞子。家族の前で『女の子』を演じなくても良いだろ?」
と言ってくるので、
「もう! パパったら! ウルサイわね~!」
と反撃。
こんな風に、変に勘が鋭いくせに気付かないフリもしてくれない父と軽く喧嘩をしてみたり。
私はまだ料理の並んでいない食卓に座り、テレビで朝のニュースをぼんやりと見る。
うん。
多分どこにでもありそうな『普通』の朝よね。
目が覚めてくるにしたがって空腹警報が強くなり、ご飯まだ~と私が発言する五秒前ぐらいになると、母が料理を食卓まで運んできてくれた。
「さぁ、出来たわよ~」
「は~い。ありがとう。ママ!」
卵焼きとウインナーそしてお味噌汁なんて変わり栄えのない料理を並べながらも、かなりの料理の腕前を感じさせる母の料理を感謝しながら食べたり。
私たちは『普通』の家族。
と言いたいけれど……。
ちょっとだけ普通じゃない。
そう。私たち家族はある秘密を持っている。
私自身はまぁ普通よ。
夏休みを射程距離に捉えた七月初旬だと言うのに、今回の夏休みは憂鬱にならざるを得ない、そんなどこにでもいる受験を控えた美人なだけの中学三年生の女の子。
父もまぁ普通ね。
高校を出てからずっと同じ会社で三十年働き続け、気付けば課長と言うポストを手に入れ、これからも頑張らなくちゃな、そんなどこにでもいそうな四十八歳中年男。
母は普通じゃないかな。
自分の親を褒めるのもなんだけれど、芸能人張りに年齢不肖で綺麗な四十八歳。
可愛らしいポニーテールがチャームポイント。
二度の出産を経験したとは思えないスタイル。
自慢の美人ママ。
とは言え、美人ママの存在なんて自慢こそすれど秘密にはしないよ。
母にももちろん原因は無いわ。
じゃあ、なんで私たちが『普通』じゃないか。それは、言いたくない……。
けれど、いつもなら起きてくるはずの無い時間なのに、奴は来た。
「みな、早いな。おはよう」
(ウルセー)。
リビングのドアを開けてそう発言した男は、細い髪で女のように長髪。身体も女のように細く、しかも高身長なせいで余計に細く見える。
認めたくないけれど、こいつは私の兄である。
そして、私の家族が『普通』じゃない理由、私の『秘密』は全てこの兄のせいだ。
兄について人に言いたくない秘密が四つある。
恨めしい私の『来るな』オーラなんか気付かない様子で、兄は私の隣の席に座り、父と母と会話をしていた。
「あらあら。高志。早いのね」
「今日は特別だからな」
「そうか。高志の誕生日だったな」
「ふむ。それで妖花達が誕生日を祝ってくれるらしいのだ。
帰りは朝になるかもしれないから、昼も夜も飯はいらんぞ」
なるほどね。
今日は誕生日だから、早起きした訳か。
生意気にも祝ってくれる人がいるらしい。
珍しく出かけるのね。
兄なんか『ハッピーバースデー トゥー ミー』とか寂しく言ってれば良いのに。
さて、言いたくないのだけれど言わなくちゃ話が進まないわ。という事で……。
兄の秘密その一。
兄と私では十五歳も歳が離れている。
まぁ、コレぐらいの秘密なら軽いジャブよ。
それ程隠したい訳じゃないわ。
自分から人に報告しないだけで、聞かれれば苦もなく答えられるレベル。
兄の秘密その二。
兄は引きこもりだ。
月に一度か二度出かけるだけで、人生の殆どを家で過ごしやがる。
そんな十五歳年上の兄がいるのが恥ずかしくて人に言えないのだ。
と言うか、憩いの場であるはずの家にずっと兄がいるなんて、うっとしい事この上ないのだ。
はぁ~。朝から兄に会うなんて最低な日だわ。
もうこの場にいるのも耐えられない。秘密その三と四は後でね。
私は朝食を流し込み、
「今日は日直だから急ぐの!」
(嘘だけど)。
と逃げるように洗面所に向かう。
誰も無反応。
みんなは兄と『誕生日おめでとう』な会話で盛り上がっていた。
苛立つ気持ちを落ち着かせるために深呼吸をすれば、鼻に広がるのは母の作った朝食のとても良い匂い。
だけれども気分はまるでトイレで深呼吸してしまったかのように、ますますイライラするだけだった。
今日は唯でさえつまらない授業を尚いっそう暗い気持ちで受ける事になり、楽しいはずの部活の時間も鬱々と過ごしてしまい、帰宅の時間になってもまだ落ち込んだままだった。
クラスも部活も同じ友達二人と下校中、やっと私は気がつく事ができた。
そうよ。
今はまだ十九時。
兄が誕生日で出かけるならば、今ならきっと家にいないはずよ。
と言うか朝帰り発言してた気がするわ。
今日は久しぶりに、兄のいない家族三人で過ごせそうな夜。
その事に気が付いた私は、今日一日分のハッピーが一度に押し寄せてきたような、とても軽い足取りになる。
その事に気が付いた友達から、きつい言葉を浴びせられた。
「今日は落ち込んでるのかと優しくしてたのに。
急にニヤニヤしちゃって。気持ち悪い」
そう言ったのはドレッドヘアーで褐色肌の女の子。
私より頭一つ分程背が高く、筋肉もソコソコ付いている。
毒々しい言葉を吐くこの子は、国土 綾芽ちゃん。
国土を逆から読んでドクコちゃんと私は呼んでいる。
面倒を避けるためドクターの娘だからドク子ちゃんと説明しているが、本当の意味は毒舌の毒子ちゃんだ。
「毒子さ~。優しくしてくれるなら、最後まで優しくしてよ」
と私が反撃すると、もう一人の友達が援護射撃してくれる。
「き、気持ち悪くなんかないですよ~。元気になってくれて、う、嬉しいです」
と言ったのは前髪で顔の半分を隠しちゃってる私より頭一つ分小柄なセミロングヘアーの女の子。
同級生にも、いや幼馴染である私にでさえ敬語で話すこの子は、陰村 花ちゃん。
「ん~。やっぱり村ちゃんは優しいね~。いい子だね~」
「村~。甘やかすんじゃないよ。
舞子は気分屋で人に心配をかける所か、それをそんなに気にしない鈍感な神経の持ち主なんだ。
怒る時はしっかり怒ってあげた方が良いのさ」
「ひど~い。それじゃ……」
(お兄ちゃんみたいじゃないとは言えず)。
「それじゃ、何なのかな?」
「何でもない」
と私は小石を蹴って拗ねてみせる。
「ほらね。直ぐ拗ねる」
「あ、あの。二人とも喧嘩は止めて下さい~」
「大丈夫だよ。こんなの喧嘩のうちに入らないから」
毒子ちゃんと声を合わせて村ちゃんをなだめた。
そうそう。
今日私は誰とも喧嘩しない自信があるわ。
だって幸せ到来夏到来。
兄がいない夜がある、と言うだけでこんなにも楽しい下校時間になるなんて、想像もしていなかった。
けれど、その時だった。
「あれ。高志さんじゃないですか?」
村ちゃんが指差す方角には確かに見覚えのあるシルエット。
あの男は、間違いなく私の兄だ。
「うぁ。出た」
私は頭を抱えてうずくまる。
「舞子ちゃん?」
「大丈夫。大丈夫だよ。朝からお兄ちゃんに会ったから落ち込んでたの。
で、今日は出かけるって言ってたから、家に帰ってもいないんじゃないかな~って喜んでたのがさっきのスキップの正体。
説明終わり」
「そして今、その希望は打ち砕かれ大げさに落ち込んで見せた、と。
面倒臭い奴だね~」
「駄目ですよ! ドク子さん。
落ち込んでいる人に追い討ちをかけるような真似をしては!
それに舞子ちゃんもお兄さんを毛嫌いするのは良くないです!」
おぉ? 村ちゃんが珍しく怒ってるよ。
陰ちゃんモードだ。
説明しよう。
陰ちゃんモードとは私がつけた村ちゃんの戦闘モードなの。
普段はフニャ~でおどおどしている村ちゃんが突然スイッチが切り替わったかのように積極的になるなんとも神秘的なモードの事である。
そんな陰ちゃんには私たちは頭が上がらないの。
恐ろしいの。強いの。
まるで陰ちゃんは陰の番長ね。
「舞子~。怒られてる時にニヤニヤするな~」
「そうですよ! でも、それよりも……。高志さんたちを追いましょう!」
「え~。嫌よ~。お兄ちゃんに関るとロクな事無いんだから……」
「私も舞子に賛成かな~。割と興味ないしね。それに理由も分からない」
「追います!」
陰ちゃんは言い切った。
駄目だ。この子、聞いちゃいね~。
私と毒子ちゃんは顔を見合わせる。
駄目だ。
毒子ちゃんの苦笑いは完全に諦めている。
私が頑張らないと。
「せめて理由を教えてよ。なんで追いかけるの?」
「良いから! 見失いますよ!」
そう言い放った陰ちゃんは、私たちの返事を聞かずに兄たちの尾行を開始した。
「舞子。諦めな。あぁなった村は止められないよ」
結局、村ちゃんを説得出来なかった私達は、兄の尾行を開始した。
兄グループは四人組だ。
一方の私たちは……。
陰ちゃんは一人電柱やポストに隠れながら、でもやたら目立つオーバーアクションで尾行している。
その後ろを私と毒子ちゃんで追従する形。
もちろん私と毒子ちゃんは電柱に隠れたりはしていない。
「で、どれが舞子のお兄さんなのさ」
「長髪の女っぽい男」
「あれか~。へぇ~。で他の三人も知ってるの?」
「うん。優男が兄の友達A。
マッチョ男が友達Bさん。
綺麗なお姉さんは妖花さんだけれど、今は友達Cさんでいいわ」
「随分と乱暴な紹介するな~」
「分かってよ。気分じゃないのよ」
「ふ~ん。にしても友達Aさんは結構カッコイイね~」
突然だけれど。
私が兄の存在を恥ずかしいと思うより前に、幼馴染の陰ちゃんは兄と知り合ってしまっている。
毒子ちゃんにも『家に呼べない理由』を説明するために、秘密その一とその二は話している。
そして秘密その三も話している。
でも二人が知っているのは秘密その三の途中までなの。
と言う事で……。
兄の秘密その三―(表)。
あいつは小説家なのだ。
と言っても全然売れていなくて、本来なら兼業作家と言って仕事と執筆を同時にこなす作家さんにならなくちゃいけないのに、実家暮らしという荒業を使って引きこもっていやがる。
これが秘密その三―(表)。
これだけなら『引きこもり』を打ち消す事が出来る訳だし、隠す必要が無い。
多少情けないが、言い訳のためにも、秘密その二の『引きこもり』称号がある以上人に言いふらしたい。
しかし出来ない理由がある。秘密その三には続きがあるのだ。
兄の秘密その三―(裏)。
あいつは小説家は小説家でも、大人な小説家なのだ。
しかも飛びっきり濃~いアダルティ。
平たく言えばエロ小説家だ。
村ちゃんも毒子ちゃんも兄のペンネームを知りたがるが、これ以上は踏み込ませない。
毒子ちゃんの「兄ってどんな人?」なんていう詮索をなんとか誤魔化しながら歩いていると、兄たちは路地裏にあるちょっとボロ目の三階建てのビルに入っていく。
兄たちが入った入り口は地下へと続いていた。
陰ちゃんは物怖じする事なく後を追いかけようとしているが、冷静な毒子ちゃんが聞いた。
「ちょっと……。降りちゃって大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。私知ってるから。
マッチョさんの、えっと友達Bさんのお父さんのビルなの。
下はただのライブハウスよ。
でも、こんな時間にやってるもんなのかな」
平日の夕方。
このライブハウスがどんな運営方式をしているのか正直分からないけれど、とても営業中とは思えない静けさ。
先に降りた兄たちはもう建物の中に入ってしまっているし、人の姿は見えない。
「二人とも! とりあえず追いかけますよ!!」
と言う陰ちゃんの言葉に従い階段を下りる事にした。
階段を下りると、そこにあったのはロビーだった。
階段の正面には普段受付に使われるだろうカウンターがあるが今は無人で、その奥には防音のためか、やたらとゴツイ鉄製の黒いドアがある。
陰ちゃんは中の人に知られないように、そ~っと扉を開けて、中を覗き込んだ。
私と毒子ちゃんもそ~っと中を覗き込む。
私たちの身長差は丁度頭一つ分ずつあるので、楽に覗けるだろうと思ったけれど、狭い隙間を三人で覗くという行為は思った以上に窮屈だ。
中は薄暗く、と言ってもライブハウスとしてはまぁ普通の雰囲気のある暗さ。
椅子も無い広場の奥にステージがあり、むき出しの大きい石柱が三つあるのが威圧的に見えた。
受付のカウンターに人がいなかったから分かりきっていた事だけれど、今はこのライブハウスは営業中では無いらしく、中にいるのは兄たち四人だけ。
しかしその四人はあり得ない形で存在していた。
兄だけは普通の格好。
しかしステージの上で仰向けに寝ていた。
ステージの前でまばらに並ぶ他の三人は、黒いローブをまとっていて、先端に何か紙がついている変な棒を持っている。
神主さんが持っていそうな感じの棒だ。
兄を除く三人は棒を振り回しながら、好き勝手叫んでいるように見える。
その光景はまるで黒魔術の儀式だった。
私は「何してんだろうね」と言う疑問が頭の中を支配するのだけれど、それを言葉にする事も出来ずに、ただただ黙って彼らの奇行を見つめる事しか出来なかった。
多分毒子ちゃんも陰ちゃんも同じなのだろう。
人間には多種多様な感情があるだろうけれど、今私の中では不安と恐怖だけが満ち溢れていて、それらは私の思考すらも奪っていくように心の隙間を全てを埋め尽くしていき、もはや私の中でまともな思考は働いていない。
それ程までに彼らの雰囲気は怪しかった。
五分ぐらいだろうか。
叫び終えた彼らのうち友達Cさんが、
「みんなエネルギーは送れたわね。後は……」
と言った。
友達Cさん、もとい妖花さんはステージの上まで移動し兄の前で、
「エマタ・エタア・ヲラカチ・ノモノカ」
とまたも意味不明な言葉を言っていた。
この時、妖花さんが邪魔で兄が見えなくなっていた。
妖花さんが何をしているのか良く見えない。
兄に対して何かしているようで、肩が小刻みに揺れている。
そして妖花さんは立ち上がり、振り返り「エマタ・エタア!」と叫ぶ。
すると、ステージの下の二人も「エマタ・エタア!」と叫ぶ。
変な儀式をしている四人は知人と言えど、恐怖を感じざるをえない。
この光景は絶対にヤバイと私の直感が告げている気がする。
そして私は、妖花さんが兄に何をしていたのか気付いた。
彼女が立ち上がったおかげで、彼女の足の奥に兄が見えた。
兄は先ほど見た光景と同じくステージの上で仰向けに寝ていた。
しかし一目見てすぐに異常であると分かる。
胸元に剣が突き立てられていたからだ。
私は実物の剣を見た事が無いのだけれど、その剣は兄の身体を軽々しく突きぬけ地面にもかなり突き刺さっているのだと思った。
悲鳴を上げる事も出来ない。
私は後ずさりして壁に寄りかかる。
座り込んでしまった陰ちゃんと、私に向かって声も出せずに口を動かしながら何かを訴えている毒子ちゃんを見ながら、私の顔色も彼女たちと同じような青白い色をしているのだと思った。
声や音を出す事も身動きも出来ないのに、自分の心音が勝手に五月蝿く耳に届く。
それ程までに激しく脈打っている。
しかし私たちの動揺なんか無視するかのごとく、それでも私たちの存在は決して無視しないかのごとく、ドアの隙間からは儀式の続きの音声が無常にも届けられる。
「これで、木村 高志は死んだわ」
「おぉ~」
「儀式もクライマックスね」
「おぉ~」
「その前に……」
声はそこで途切れた。
陰ちゃんモードの陰ちゃんはこの中の誰よりも気丈で、立ち上がりドアを勢い良く開ける。
いや違うかもしれない。
開けたのは妖花さんだったのかもしれない。
開かれたドアから見えたのは、直ぐ目の前に集まっていた妖花さんたちだった。
この時になってやっと私たちは悲鳴を上げるのだけれど、それはなんとも虚しく響き渡るだけ。
強引に部屋の中へと引きずり込まれていく。
私を引きずって行くのは妖花さんで、
「全く。覗き見するなんて悪い娘たちね」
などと言っているが、それに反論するかのように陰ちゃんの、
「高志さんに何をしたんですか?」
荒げた声が聞こえてくる。
陰ちゃんと同じ気持ちらしい毒子ちゃんは、
「そうだよ。あんたらこんな事して良いと思ってるの!?」
年上、それも十五も年上の大人に対してタメ口をきき、私は、
「妖花さん……。なんで……。なんでお兄ちゃんを……」
上手く自分の気持ちを言葉にする事も出来なかった。
兄なんかいなくなれば良いのにと常日頃思っていたのに、いざその瞬間が訪れると私の心の制御権を他人に奪われてしまったかのように操縦不能に陥り、あぁ兄の存在は思ってた以上に大切で大きくて、私は兄の事が好きだったんだと、大事な家族だと思っていたんだと……、強引に思い知らせれた。
私たちはステージより三メートル程離れた地面に座らせられる。
「ちょっと、何するのですか!」
と陰ちゃんが立ち上がり抗議しようとし、毒子ちゃんも追従するように立ち上がる。
でも、友達Bさんが何処からか取り出した剣を妖花さんに投げ、妖花さんは陰ちゃんの喉下に剣先を当てる。
「良いから黙って見てなさい」
陰ちゃんは「ヒィ」と小さく悲鳴を上げて座り込んでしまった。
その剣が決して偽者ではない事を証明するかのように、妖花さんは剣を地面に突き刺して見せる。
その剣を友達Bさんが再び握り、監視をすると言わんばかりにステージに背を向けて私たちを見つめている。
妖花さんは振り返り、ステージに上り、兄の前に移動し、また私たちの方に振り返る。
「邪魔が入ってしまったけど続けるわよ」
私たちが加わった事で、場の空気は怪しい物から険悪な物に変わった気がする。
しかし儀式を行っている妖花さんは私たちの存在なんか無視するように、
「木村 高志は清いまま生き、特別な力を手に入れた。
そして死を持ってその力はより強力になって定着する」
何の力を手に入れたのか分からないけれど、死んでしまったら何の意味も持たないでしょ……。
お兄ちゃんを帰してよ……。
気が付けば、啜り声で泣く私に気が付いたのか、妖花さんは少し振り返り小声で、
「大丈夫よ」
と言っていた。
少し見えた横顔は微笑んでいたように見える。
「さぁ! 偉大なる力を手に入れた木村 高志よ。蘇りなさい」
そう言って、妖花さんは兄に近づき、座り込み、そっと顔も近づけた。
キスをした。
「こら! 妖花! そんな事聞いて無いぞ!」
兄が怒りながら上半身を起き上がらせた?
あれ? え?
演劇用っぽいフェイクの剣が床に落ちる。
「お兄ちゃん!!」
何で?
兄は元気そうに「ビックリしたか?」などと笑っていやがる。
「ゴメンなさいね。私たちを尾行しているあなたたちに気が付いたものだから、ちょっと驚かそうと思って」
妖花さんまで笑っていて、友達Aも「ゴメンよ。舞子ちゃん」と、友達Bさんも「怒るなよ。舞子」と笑っている。
「ふざけるな~! どういう事なのよ。お兄ちゃん。説明してよ!」
と私は怒り爆発。
「怒るな。舞子。ささやかな逆誕生日プレゼントだ!」
「いや、全然嬉しく無いし。それに意味不明だし」
私は抗議した。
すると、優男の友達Aと妖花さんが説明してくれるのだけれど、
「舞子ちゃん。高志君は童貞のまま三十歳を迎えたんだよ。
だから魔法使いになったんだ。
結構有名な話なんだけどな~」
「うふふ。そういう事なの。
高志君は魔法使いになったのよ。喜んであげてね」
「えっとね。
私はドッキリの内容について説明を求めたつもりはなくてですね……。
ドッキリをされた事実に対して怒りを覚えてるの!」
私は年上連中に怒鳴りつけると、毒子ちゃんがため息混じりに説明を求めてきた。
「舞子~。何コレ。まだドッキリは続いている感じ?」
またまた突然だけれど、ここで……。
兄の秘密ー四。
兄は彼女がいない。
生まれてからずっといない。
もちろん兄妹で『お兄ちゃん童貞?』なんて会話はしないよ。
だけれども簡単に想像付く。
だって彼女が出来た事がないのだから。
兄は未経験で新品なのだ。
十五も年上なのに。
「多分、この人たちは結構マジ……。そういう人たちなの」
私は赤面しながら答える。
私の言葉を聞いた陰ちゃんは「そうなんだ~」と敬語ではない独り言を漏らし、「それにしてもさっきのは悪ふざけがすぎます!」と妖花さんに詰め寄る。
「あなたは簡単に信じるのね。魔法使いなんて」
と妖花さんは少しだけ困惑した表情を見せるものの、
「と言うかね~。怒ってるのは……。なるほどね。そういう事」
なにやら挑発的な笑みを浮かべる。
「魔法使いになるのに、さっきの儀式は必要なかったんですよね!」
「えぇ。今の話の流れからすると、そうなるわね。
本当はクラッカーを鳴らしながら『おめでとう』なんて言うだけの予定だったわ。
あなたたちがいなければね。
あなたたちが悪いのよ」
「違いますよ。
高志さんも『ここまでするなんて聞いてなかった』って言ってました!」
「そこは、私のためかな」
「何なんですか! あなたは!」
「聞かなきゃ分からないかしら?」
「分かります!」
「そうよね~。じゃあ、聞かないでくれるかな」
ムフーと陰ちゃんは鼻息を一噴き。
少し言葉に詰まっているみたいだ。
妖花さんはそんな陰ちゃんに、
「カワイイ、カワイイお嬢ちゃん。
私は小娘相手にも手を抜かないから……。
よろしくね」
と妖微笑を浮かべながら握手を求めて手を差し伸べる。
けれど、陰ちゃんはその手をバシッと叩き「私もおばさんだからって容赦しませんから!」とらしくない過激発言をしていた。
陰ちゃんモードを知っている私たちでも、正直驚いた。
「舞子~。村はどうしちゃったんだろうね」
「さぁ……」
その時だ。事の発端人である兄は、鳴り響く二つのクラッカーの音共に自慢げに、
「どうだ。凄いだろ。私は三十歳まで純潔だったのだぞ~」
「本当に凄いよ。高志君。僕には三十年なんて無理だよ」
「だよな。普通は三十年なんてあり得ない。
お前は本当に凄いぞ。凄すぎるよ!」
「ははは! 褒めるな! 褒めるな!!」
等とはしゃいでいた。
とりあえず私が思うに褒められて無いよ。
多分だけど貶されてるよ。
はぁ~。これ以上この人たちと話してても、私は疲れるだけだ。
「毒子ちゃ~ん。帰ろう……」
「そうだね~。ほら、村。帰るよ」
「はい……」
私は妖花さんに軽く礼をして「それじゃ、帰りますね」と、
毒子ちゃんは疲れ顔で「お邪魔しました」と、
陰ちゃんは鼻息だけで、
お別れの挨拶をした。
妖花さんは私たちの挨拶に『さようなら』とは返してくれなかった。
「舞子ちゃんたち。ちょっと待って。
今日の事はここにいる七人の秘密よ」
「大丈夫だよ。人に言いふらすような事でも無いしね」
と毒子ちゃんは言ったけれど、多分本当。
この子は人の悪口を言いふらすような子じゃ無いの。
言いたい事は面と向かって言う。
本人に言いすぎちゃうから毒子ちゃんなんだけどね。
「秘密にします! 言いたくありません!
あなたの悪口はみんなに言いたいですけど!」
と陰ちゃんは言うけれど、多分大丈夫。
この子が人の悪口を言ってるの見た事無いもの。
「私も言いませんよ。お兄ちゃんの恥なんて。
って言うか、今日の事だけじゃなくて色々と言えないですよ。
お兄ちゃんの事なんて……」
「そう。良かった。少し悪ふざけが過ぎたわ。
今更ながら少し後悔しているの」
妖花さんの言葉を聞き、陰ちゃんは黙ったままだけれど、鼻息がどんどん荒くなっていく。
こんな陰ちゃん見た事無いよ。
「それじゃ、妖花さん。秘密にしますから! 帰りますね!」
私は危険を感じたので、その場を無理に切り上げた。
それにしても、この会話中もずっと騒いでいる男連中がムカつく事この上ない。
特に兄が。
帰り道。
思った以上にライブハウスで時間を潰してしまったらしく、途中通り過ぎたコンビニで時間を確認すれば、もう二十時を少しすぎていた。
「はぁ~。疲れた~」
「本当だね。それにしても、あんたのお兄さんって、中身は超個性的なんだね~」
「止めて。何も言わないで。そして明日からも出来るだけ会話に出さないで」
「はいはい。あんたも大変だね……」
次に毒子ちゃんは村ちゃんの顔を覗き込み、
「村~。何怒ってんの~。機嫌直しなよ」
私は陰ちゃんの頭を撫で、
「村ちゃんは過激なドッキリに怒ってるんだよね。
あれはやりすぎだよ。本当にあの人たちに関るとロクな目に会わないんだから……」
陰ちゃんはお帰りになったようで、落ち着きを取り戻した村ちゃんは、
「い、いえ……。ゴメンなさい。ビ、ビックリしただけです」
笑って見せた。
丁度その時、私たちが別方向に進む交差点に付いた。
「よっしゃ! 今日の事は忘れて、明日から部活頑張ろうね」
「うん。毒子ちゃん。村ちゃん。バイバイ!」
「はい。失礼します。さようならです」
私たちは別れ、私は一人下を向きながらトボトボと家路を目指す。
今日は朝から付いて無いわ。
兄のバースデーは私のバッドデー。
えっと、兄の秘密四まで全部教えたよね。
十五歳年上の三十歳で、
引きこもりで、
エロ小説家なのに、
彼女が出来た事が無いから未経験なの。
そして残念だけれど、今日兄の秘密は新しく増えてしまったわ。
兄の秘密―五。
私の兄は魔法使い(自称と友称)。