1
ロマンス映画みたいに、何もかも放り出して、恋に人生をかけることができたらいいのに。
――なあんて甘い夢を抱くほど、わたしは甘ったれていない。
テストや受験、部活に友達づきあい、身勝手な未来予想図を押しつけようとする親とのバトル。恋のキューピッドのつけ入るスキなどコレっぽちもないのだから、当然といえば当然だ。
と、わたしは思っているんだけどな。
どうやら、うちのお姉ちゃんは、ちがう意見を持っているらしい。
「まあね。なんて言うかさあ、面倒くさくなったから、逃げてきちゃったんだよね。だから、しばらくぶりにさ、こっちに戻ってきたというわけ。てへへっ」
……うそ。
驚いた。
名古屋で一人暮らしをしているハズのお姉ちゃんが、今わたしの目の前にいる。学校が終わって家に帰ったら、高校時代のジャージを着たお姉ちゃんが、コタツに潜り込んでいたのだ。
コタツの上には、たくさんのミカンの皮とビールの空き缶が二、三本転がっている。テレビは、つけっ放し。チャンネルは夕方のニュースが始まったところで、リポーターがにこやかにローカル情報を伝えている場面だった。
わたしは、荷物を置くのを忘れたまま、思わず声をもらした。
「なっ、何それ。てへへ、ってさ! つきあってから、まだ半年もたっていないんじゃなかったっけ? それなのに、もう別れたの?」
頼んでもいないのに、お姉ちゃんがわたしに、茶髪の彼氏とのツーショット写メを送りつけてきたのは、わずか一か月ぐらい前のことだ。
『わたしたち今日も、らぶらぶです×××』のメッセ入りで、お互いのほっぺをくっつけあい、イイ感じだったのをはっきり覚えている。それなのに。
「あのさ、お姉ちゃん。今度こそ、運命の人だって……ほざいてなかった? 世界でいちばん好きな人だって……」
ふざけたことに、わたしの質問に対し、お姉ちゃんは「そうだったっけ?」とスっとぼけた顔で返事をしたのだ。
で、次に述べた言い訳が、これ。
「だって、いいなあと思ったのは最初だけで。いざ、つきあってみたら、思ってたのとは、全然ちがったんだもん。そうたいしたテクないくせにさ、すぐエッチしたがるし。それに一日に何度もメールがきて、うざいったらないんだよ。別れようって言ったら、下宿先にまで押しかけてきそうな勢いだったもんだから。大家さんに迷惑をかけちゃいけないと思って、家に帰って来たというわけ。ああ、安心して。こっちの住所は教えていないから。学校の方も試験休みに入ったことだしね。ちょうどよかった。助かったわ、アハハ!」
まったくバカバカしい。あまりにもバカらしくて、返す言葉を見つけられなかった。あ然と、お姉ちゃんの顔を眺める。
わたしの冷めた視線をものともせず、お姉ちゃんはニッと歯を見せて笑った。
「そういうわけだから、しばらくこっちにいるね。真紀ちゃん、よろしく~」
面倒くさそうにひょいひょいと手を振ると、お姉ちゃんは再びコタツの中に潜り込んだ。片手を頭に添え、おせんべいをバリバリ食べながらテレビを見る。わたしに向けたそのうしろ姿は、花のうら若き乙女ではなく、完全におっさんのものだった。
あ~あ、そうなのだ。わたしのお姉ちゃんは、こういう人。
次から次へと恋愛の相手を見つけては別れをくり返す、何ともまあ、救いようのないほど、恋の絶えない人間なのだ。
そして、真の姿を世間に隠している。家でジャージ以外の服を着ているところを、わたしは見たことがないんだもの。
――エッチが下手くそだってさ……。
ったく、恋に夢を見る、女子高生を相手にする話じゃないじゃんかよう!
いったい、今回で何回目の修羅場なのだろう。十回目……ううん、ひょっとしたら二十回目かもしれない。高一でバージンを捨てたと豪語した日から数えたら、たぶんそれぐらいになる。
それに比べ、わたしの方はというと――。
恋に奔放なお姉ちゃんとは正反対だ。
男にだらしないお姉ちゃんを、ずっと見てきたものだから。わたしは、なかなか恋をする気にはなれなかった。
ていうか、それよりも、毎回お姉ちゃんの相手をするのは、本当に疲れる。
お父さんは単身赴任で家にいないし、お母さんもパートで留守にしがち。こうして誰もいない家にお姉ちゃんが帰って来ても、わたし一人しか文句を言う家族はいないのだ。
しかたないから、わたしがお姉ちゃんの相手をしてやっているだけなのに。姉の方は、妹の気苦労をちっともわかってくれやしない。
まあ、でも。
真に受けないで、もっと気楽に聞き流せば、悩まないで済むし、簡単なんだろうけど。でも、どうして。無邪気にアハハと笑うお姉ちゃんを、なぜだかわたしは強く突き放すことができなかった。だから、結果的に、こうして話を聞いてあげているだけなんだ。
「んっ、んっ!」
わたしは、お姉ちゃんに聞こえるように、わざと大きく咳ばらいをした。
「どうでもいいけどさ、そっちの事情はともかく、こっちの邪魔になることは絶対にしないでよね。念のために言っておくけど、一応わたしテスト中なんだよ」
お姉ちゃんは、無言で片手をあげてヒラヒラさせた。本当にわかったのかどうだか疑わしい。けど、お姉ちゃんの心中を察しただけでうんざりしてしまうので、もうやめよう。
カバンを握りしめて階段をのぼり、自分の部屋のドアをあけた。窓際の机にカバンを置いて、制服のままゴロリとベッドに寝転ぶ。
ちょうど真下から、テレビの音が聞こえてきた。ううん、と背を伸ばす。
カーテンの間から見える夕焼けの空。
お母さんが帰ってきたらしく、家の前でキキッと自転車の止まる音がしたので、わたしはホッとした。あとは、お母さんがよろしくやってくれることだろう。
お姉ちゃんとわたしは正真正銘の姉妹だけど、半分しか血がつながっていない。お姉ちゃんは、お母さんの連れ子だった。お母さんがお父さんと再婚した後わたしが生まれて、今の家族になったのだ。
だから、なのかもしれない。お姉ちゃんとわたしが正反対の性格で、最近特にお姉ちゃんの行動に対し、いらいらするようになったのは。
それとも、わたしの方が変わってしまったのかな。
わたしだって、そういつまでも子供じゃいられない。早く大人にならなくちゃいけないのだから。




