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桐堂亜衣の回想記録 黎明編

「というわけで、ここが奴隷ちゃんの部屋になるわ」

「色々すっ飛ばしましたね」

「食事描写って長いしお腹すくし読み飛ばされるしで、あんまり好きじゃないのよね。特殊な世界観なら雰囲気描写に一役買うこともあるけど、現代日本じゃカップラーメン食べようが満漢全席食べようがどれも同じよ」

「東雲先輩は方々に謝るべきだと思います」


 東雲邸の一室、そこに割り当てられた部屋はまさしく私の部屋だった。

 見覚えのある布団、見覚えのあるこたつ、見覚えのあるカレンダー。部屋のレイアウトから飾ってある食玩(大怪獣コレクション)の位置まで完全に再現されている。

 アパートの一室がまるまる移転したみたいだ。移転前の部屋よりも若干広いってのがまた気に食わない。


「……あの、私本当にここに住むんですか」

「奴隷ちゃんなんだから主人の側に仕えるのは当然でしょう」

「ああもう、どうして隷属契約なんか結んじゃったんだろう」

「嫌なら一億円弁償してもらってもいいのよ」

「私、お化け屋敷に住んでみたいなってずっと思ってたんです」

「現金ね」

「生きるための知恵ですよ」


 愛すべきMyこたつに滑りこむと、向かい側に東雲先輩が入った。一人用こたつなので少し狭い。

 季節は春先なので火は入れないけれど、それでもこたつは柔らかな温もりを与えてくれる。日本人に生まれて本当によかった。


「ああ、そうだ。はいこれプレゼント」


 東雲先輩はポケットから細長く黒い箱を取り出し、私に手渡した。

 見た目こそ高級感ある黒の箱だけど、私にはこの箱がパンドラの箱に見えた。


「開けなくてもいいですか」

「ダメ、ここで開けなさい」

「どうせロクなモノじゃ無いんだろうなあ」

「主人の贈り物に好き放題言ってくれるじゃない。当たってるけど」


 当たってるんですか。

 黒い箱の蓋を開くと、真っ赤なクッションの上に飾り気の無い真っ黒なチョーカーが座っていた。

 ほとんど無地の黒チョーカーに、ワンポイントの鈴がついている。軽く指で弾くと、リンと澄んだ音が鳴った。


「首輪ですか」

「ご明察。隷属の首輪よ」

「取り付けたが最後外せなくなったり、先輩の合図で締まったりしないでしょうね」

「あはははははは。鋭いわね、無駄に」

「つけませんよ。絶対につけませんよ。フリじゃないですからね」

「じゃあこういうのはどう? それをつけたら隷属関係を解消する――」


 チョーカーを取り出し、迷うこと無く装備した。

 このフィット感、この色合、そしてこの鈴の音色。私のために作られたかのような素晴らしいチョーカーだ。こんな素晴らしいチョーカーを手に入れた私に勝てる者が居るんだろうか、いや無い。


「――条件を教えてあげる」

「騙しましたね」

「あなたが勝手に騙されたのよ。人の話を最後まで聞かないから」

「まあいいです、一手間加わるだけで結局は同じ事です。それで、条件とは」

「1つ目、一億円」

「それができたら最初からしてます」

「そりゃそうよね、じゃあ2つ目。恋をしなさい」

「……は?」


 一瞬、耳を疑った。この人、今なんて言った? 恋っていわゆるラブのこと?


「恋をしなさい、桐堂亜衣。あなたの恋した相手と私の前でキスをすれば、隷属関係を解消しましょう」

「はいはい、分かりました分かりました。それで本命の3つ目は?」

「そんなもの無いわ、私は本気よ。奴隷ちゃんの甘いやーつ見せてよ」

「……まじで言ってるんですか。その、恋って恋愛って意味ですよね? ボーイとガールがミーツするヤング特有のブルースプリングカルチャーですよね?」

「青春をブルースプリングって言うのはやめましょうね、奴隷ちゃん」

「いやいや先輩、仮にも一億円ですよ一億円。東雲先輩は一億円分の借りをこんなやっすいエロゲ展開にするために使うんですか」

「やかましいわ恋奴隷。決めたったら決めたの、異論も反論も認めないわ」

「奴隷の解放条件が恋をすること? 恋する乙女は全てを超えるとか思ってるんですか。そんなんだから恋愛脳って呼ばれるんですよ、ちゃんちゃらおかしいったらありゃしないです」

「言いたいこと言ってくれるじゃないの、奴隷ちゃん。主人にそんな口を聞いて許されると思ってるのかしら。時間制限を加えましょう、期限は1年よ。1年以内に恋をしなさい。それができなければ、恋奴隷から愛奴隷にランクアップしてもらうわ」

「愛奴隷ってなんですか」

「1人の時にネットで検索してみなさい。いい、絶対に1人の時に検索するのよ。検索した後は履歴の削除を忘れないように」

「なんとなくですけど、ノクターンの足音が聞こえてきたような気がします」

「その認識で間違ってないわ。それで、やるの、やらないの?」


 一度冷静になって考える。

 ふざけた条件であることに違いはない。東雲先輩は恋愛至上主義者であると断ずるのは容易だけれど、仮にも私を陥れた張本人だ。何か裏があると思ってしかるべきだろう。

 ただ、その裏というのが何かは分からない。私が恋をすることで東雲先輩に何の得があるんだ。どうにも胡散臭い。

 東雲先輩の真意は計れないけれど、だからといって何も行動しなければ1年後には愛奴隷だ。選択肢は無いも同然だった。


「達成できなければ罰を与えるのと、達成できれば褒美を与える。前者が独裁者の手法で、後者が名君の手法です」

「そういう物怖じしない姿勢、嫌いじゃないわ。いいでしょう、制限時間内に条件を達成できれば、進学後に大学の学費をチャラにするってのはどうかしら。雨城大学限定だけどね」

「大学の、学費……」

「桐堂さん、あなた進学はほぼ絶望的でしょう。高校を卒業したらすぐにでも社会に出たいというのなら無理強いはしないけれど、悪い話ではないと思うわ」


 大学の学費が、チャラになる。雨城大学限定とはいえ、私にとってそれは非常に魅力的な報酬だった。

 今のままでは高校を卒業するのが精一杯で、進学なんてとても無理だと思っていた。中3の冬には既に、高校を出たら働こうと割り切っていたくらいだ。

 でも、条件を達成できれば進学の道が開ける。見逃すには惜しすぎるご褒美だ。


「東雲先輩、あなたは何を考えてるんですか」

「何って、奴隷ちゃんのことだけど」

「たかが小娘1人を奴隷にするのに一億円の貸しを作ったかと思えば、寝食を提供して恋愛を推奨して、挙げ句の果てには進学の道まで開こうとしている。あなたのやっていることはまるで――」

「それ以上は言わなくていいわ。安心なさい、私は学園のため、引いては私のためにやっているの。それにはあなたに生きててもらわなくちゃ困るのよ。それでも理由が欲しいのならば、心して聞きなさい」


 東雲先輩は、淡く笑う。

 慈愛と策謀が共存する顔で、艶やかに笑う。


「世界は優しいの。あなたが知ってるよりもずっと、ね」


 ほんの少しだけ、この人の奴隷になるのも悪く無いかなって。そんなことを考えた。



 *****



 まどろみの中、朝の教室。物音に薄っすらと目を開くと、油性ペン(極太)を構えた里子が目と鼻の先にいた。


「ん……。何、してるの、里子」

「あ、起きたんだ亜衣ちゃん。もうすぐホームルーム始まるよ」


 いつの間にか教室にはクラスメイトがちらほらと集まっていた。いつもなら賑やかなはずの教室なのに、不思議なことに誰ひとりとして雑談に興じる人はいない。それどころか席を立っているのも里子だけで、他のクラスメイトは皆席についていた。

 普段と違う静かな朝を疑問に思うのもつかの間、止まっていた時間が流れ出すようにクラスメイトが動き出す。すぐに教室はいつもの雑然とした空気に満たされた。

 なんだったんだろう今の。


「珍しいね、いたずらされそうになるまで起きないとは。いつもの亜衣ちゃんなら視線を向けるだけでも起きるのに」

「ちょっと寝不足でね」

「本当に珍しいね。体内に原子時計入ってる亜衣ちゃんが夜更かしだなんて、地球の自転速度が変わったって言っても不思議じゃないよ」

「地球は今日も明日も24時間営業だよ、残念なことにね」


 というか、原子時計なんて入っててたまるか。


「夜更かししてたわけじゃないよ。ちょっと眠れなかっただけで」

「ああ、亜衣ちゃんでも眠れない夜はあるんだね」

「人を思春期みたいに言うんじゃない」

「どっからどう見ても思春期じゃないの。なになに、悩み事?」


 悩み事というわけではない。悩ましくはあるけれども。

 あの後、東雲先輩に強引にひん剥かれてお風呂に投げ込まれたり、学校で出された宿題をやろうとしたらあれこれ口を出されたり(悔しいことに東雲先輩の解説は非常にわかり易かった)、布団に入ってようやく眠れると思ったら抱きまくらにされてたり、散々な目にあった。

 なんだかんだと理由をつけて四六時中付きまとってくるのだ。鬱陶しくて仕方がないけれど仮にも奴隷の我が身だ、強くは言えなかった。昨日1日でついたため息の数は両手に余る。

 この人の奴隷になるのも悪くないなんて、一瞬でも気を許した自分が恨めしい。


「まあ、ちょっとね」

「ふーん……。ま、いっか。今日のところは聞かないであげよう」

「お心遣い痛み入ります、里子さま」

「お礼ならぱんつでいいよ」


 里子の襟首を掴んで引きずり、「オルァッ!」と叫びながらオーバースローで窓の外にぶん投げる。

 ぶん投げられた里子は非科学的な軌道でカッ飛び、きらりと輝くお星様になった。さすがはコミックアーツの使い手だ、お約束は外さない。


 肩をぐるっと回してから席に座り、ケータイを開く。東雲先輩からメールが一通来ていた。

 要件を端的にまとめた1行の文章に目を通し、返信フォームを開く。『余計なお世話です』と打ちかけて考えなおし、何も返信せずにケータイをポケットにしまった。

 憂鬱な気分を紛らわすように指先で首筋をなぞる。チョーカーにつけられた鈴に触れると、リンと澄んだ音が小さく鳴った。



FROM:ご主人様

TO:桐堂亜衣

SUB:無題

『朝ごはんはちゃんと食べなさい』

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