6.流行り病と聖女の献身
ララが20代を迎えようとする頃、平和なグラールス州には新たな、そして冷たい影が落ち始めていた。それは、原因不明で治療法も見つからない、「不治の病」だった。病は最初、最も貧しく不衛生な村々、日々の暮らしに追われ衛生概念が希薄な地区で発生したが、その恐るべき致死率と速い進行速度は、やがて州都の裕福な地区にまで静かに、しかし確実に広がり始めた。患者は高熱に苦しみ、全身に激しい痙攣を起こし、最終的には皮膚に現れる奇妙な斑点と共に、短期間で命を落とした。州の医者たちはこれを「熱病の変種」と呼んで記録したものの、その正体も、進行を食い止める手段も知らなかった。
混乱と恐怖が支配する中、修道女ララは躊躇なく病に苦しむ人々の中へ入っていった。彼女の行動は、周囲の人々、特に彼女の庇護者であるチュディ医師には、無謀と映った。チュディ医師をはじめとする州の有力者たちは、彼女を邸宅に呼び出し、その危険な献身を諫めた。
「ララ、貴女は州民の希望だ。その身を危険に晒すことは、神の慈悲を自ら拒む行為に等しい!病は汚いものだ、近づいてはならん!」
しかし、ララは毅然として答えた。その瞳には、かつての怯えはなく、ただひたすらに、深い慈愛と覚悟が宿っていた。
「神の道は、最も苦しむ人々の傍にあるべきです。私の命は、すでに八歳のあの日、神の無限の慈悲によって救われたもの。この命を、苦しむ兄弟姉妹のために使うことに、恐れるものはありません。」
この献身的な姿勢は、瞬く間に民衆の心を鷲掴みにした。彼らは、自らの安全のために邸宅に閉じこもる高慢な医師や貴族たち、そして病人の手を握ることさえためらう教会の聖職者たちと、危険を顧みずに、病に穢れた人々の手を握り、額の汗を拭う聖女ララとを、鮮烈に対比させた。ララのカリスマは、抽象的な信仰の領域から、具体的な救済者の領域へと昇華された。彼女は、人々にとって、この世の混乱と苦しみから救い出す、生きた奇跡となった。
ララは、修道院で培った薬草学と病理学の知識をフルに活用した。彼女は単なる慰めの言葉をかける看病人ではなかった。チュディ医師の書斎で学んだ科学的な知識と、修道院の薬草園で実践的に得た知識を組み合わせ、病人の症状を注意深く観察した。
ララが調合する薬は、驚くべきことに一時的に高熱を下げ、激しい痛みを和らげる効果があった。彼女は、当時の主流な西洋医学が見過ごしがちな、民間伝承で用いられる薬草の力を深く理解していた。そこに、科学的な病理学の知識を応用し、民間伝承の薬と科学的な知識を融合させた「独自の治療法」**を密かに作り上げていた。この治療法は、既存の医師たちが用いる血抜きや無意味な祈祷よりも明らかに効果が高く、彼女は結果として、他の医師たちよりも高い治癒率を記録した。
「この薬は、あなたの魂を清め、神の試練を乗り越える力を与えます。あなたの信仰が試されているのです。諦めてはいけません。」
ララはそう言って、薬を病人に優しく与えた。その言葉を聞いた民衆は、薬の効果と共に、ララへの信仰心を極限まで高めた。彼女の純粋な献身と、薬による具体的な効果が相まって、「聖女ララに触れ、彼女の薬を飲めば病は癒える」という神話が確立された。彼女は、神の愛を体現するだけでなく、現世での「救済」をもたらす存在となった。
この状況に、チュディ医師は驚愕し、そして焦りを感じていた。公の場では、彼はララの活躍を最大の賛辞と共に称賛したが、内心では、彼女の医学的な知識の深さと、民衆の心に対する異常なまでの影響力を危険だと感じ始めていた。彼は、彼女の行動に、かつて自分が行った「魔女の娘を改心させる」という企図を超えた、予測不能な力が働いていることを察知した。しかし、彼自身が庇護し、世間に売り出した「聖女」を今更非難することは、彼の権威そのものを失墜させる行為となる。チュディ医師は、自らが創り出した怪物のような「聖女ララ」の影響力の増大に、為す術もなく見守るしかなかった。グラールス州の命運は、純粋な慈愛と、人知を超えた知識を持つ一人の修道女に、完全に委ねられようとしていた。




