8 家名と誇りの間で
玄関へ入るなり、クラリッサは義父を振り返った。
「お義父様。私はホルン家の誇りを背負って、魔導機関車にしがみついてきたつもりです。
……私の働きは、そんなに簡単に切り捨てられる程度のものだったのですか?」
レオポルドは驚いたように息を呑む。
「そんなことはない!
お前は十分すぎるほど頑張ってくれた。クラリッサは、我がホルン家の誇りだ」
クラリッサは黒い上級技師の制服に目を落とし、胸元を軽く押さえた。
「ホルン家には跡取りがいません。
私はこの“家名”のために、どれほどのものを犠牲にしてきたとお思いですか。
……なぜ、そんなに簡単に結婚を許せたのですか」
唇を噛んだまま、クラリッサは義父から身を翻した。
「失礼いたします」
硬い靴音が、すっと遠ざかる。
「クラリッサ!
……ホルン家の一員である前に、お前は“ひとりの娘”だ。幸せになってくれ!」
その声が届いたかは、彼自身にも分からなかった。
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ラインハルトは機関室を覗いた。
彼を見つけた職員たちは、首を振る。
ラインハルトは眉を下げて、お辞儀をした。
ラインハルトはセーフティ・オフィスを覗いた。
彼に気づいた職員たちは、さっきと同様に首を振る。
ラインハルトはまた眉を下げて、お辞儀をした。
ラインハルトは職員食堂を覗いた。
いい匂いがした。
昼食時ではないからか、ほとんど人がいなかった。
ラインハルトは項垂れた。
懐中時計を取り出し、ラインハルトはため息をつくと、とぼとぼと鉄道局本部を後にした。
「大型犬が悲しんでるみたいで見ててつらい」
「なんで主任は避けてるんだ? あんなにいい人なのに」
“大型犬”の背中を見守っていた職員たちの後ろに、クラリッサが立つ。
「へぇ。随分暇そうにしていますね。仕事は完ぺきなのですか?」
地を這うような声。
「「ひぃっ!!」」
職員たちは蜘蛛の子を散らすようにそれぞれの持ち場に戻っていった。
「主任」
笑いながらフェリックスは来月の勤務表をクラリッサに渡し、二人は並んで歩き出した。
「彼らの言うことも、私にはわかりますよ」
「フェリックスは暴風の味方ですからね」
「意外にお嫌ではないんでしょう?」
クラリッサは勤務表を指でなぞりながらも、天井を這う蒸気管を見た。ちょうど「ふっ」と蒸気が吐き出される。
好みで言えば、ドンピシャである。
絶対に口にはしないが。
一人で魔導機関車も押せそうな程の筋肉は頼もしくて好きだ。
よく見ると綺麗な顔をしているところも、澄んだ青い瞳も。
濡れた子犬みたいな情けない顔も。
子どもみたいに無邪気な笑顔も。
あの“暴風”のような行動力も。
ただ、心がついていけない。
「一番大切なものが欠けているんです」
「彼に?」
――私に。
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ラインハルトは明かりの落ちたセドリックのラボで、椅子を抱えて落ち込んでいた。
「あの……戸締まりをして帰りたいんですが」
「セドリック……。俺はクラリッサさんに避けられている。しかも理由が分からない……」
セドリックはラインハルトのそばにしゃがみ込むと、トントンと背を叩いた。
「……僕もこの手のことは疎くて。どう言えばいいのか」
「うぅ……」
その時扉がノックされた。
「ラインハルトさん、ちょっと見てきますね」
セドリックが立ち上がって扉を開けると、ヴァレリアが立っていた。
「セドリック様……」
彼女はセドリックを見るなり頬を染める。
「リア。ラインハルトさんなら、ここにいますよ」
ヴァレリアはセドリックの脇から部屋を覗くと、眉をひそめた。そしてラインハルトのそばまで歩いていく。
「お兄様! 時間になっても迎えに来てくださらないから、もしやと思って来てみれば!
またセドリック様にご迷惑をおかけして!!」
「だって! だって!!」
「なんて女々しいこと!!」
セドリックがヴァレリアの腕をそっと引く。
「……リア。ラインハルトさんは落ち込んでいるんです」
「分かってますわ、そんなこと」
彼はヴァレリアを自分の方に向かせる。
「……リア」
「……わたくしが言い過ぎましたわ」
セドリックがふっと穏やかに笑うと、ヴァレリアは顔を赤らめ、両手で顔を覆った。
「反則ですわ! その笑顔は!!」
セドリックは苦笑しながら、彼女の手を顔からはがしてそっと握った。
「貴女はまたこんな時間まで残っていたのですか?」
「……まだまだ実力が足りませんもの」
「僕の権限で、貴女をいつでも僕の助手に指名できるんです。リアさえ頷いてくれれば僕は貴女をこのラボに迎えるのに……」
「そんなのズルですわ!」
「リア……」
二人は静かに見つめ合う。
ラインハルトは愕然と二人を見上げた。
「リア充め!!
あのラブラブな二人をみてるのがお兄様はつらい!!」
ラインハルトは顔を両手で覆って泣き出した。
「……あっ、お兄様のこと、ちょっと忘れてましたわ」
セドリックは苦笑した。




