5 指先に触れた恋
アーク炉の横に立ち、クラリッサは指先で計器類の針のブレを追い、視線だけで魔導回路の癖を読む――
その姿は、“炉と会話している”と言ったほうが早かった。
「炉の鼓動が少し荒い。……魔石交換は昨日の夜でしたね?」
「はい主任!」
「……第三補助管に魔力の滞り。フェリックス、ここを頼む」
「了解」
彼女の靴音だけがリズムよく響く。
しなやかな足取り、必要な指示だけを簡潔に投げるその姿は、まるで“軍の前線指揮官”のようだった。
周囲の職員は息を合わせて動き、クラリッサの一言で状況が瞬く間に整っていく。
「——よし。これで出力は安定する。
全系統、通常値へ。動作確認を」
職員たちがパネルを操作し、魔導管がふっと脈動を弱める。
静かに、しかし確実に、機関車は整えられていった。
クラリッサは最後に炉を軽く叩き、静かな満足の息を吐く。
「……今日は良い音だ」
その横顔は、誰よりも厳しく、誰よりも誇り高い技師のそれだった。
ふと、職員たちがクラリッサの背後に視線をやり、「あちらの数値を確認しなくては」だの「書類の提出が今日までだった」だのと言い出して、その場を離れていった。
クラリッサは嫌な予感がして振り返る。
紺色の制服。鍛え上げられた体躯。
ラインハルトは微笑みながらそこに立っていた。だが、わずかにその瞳には悲しみが横たわっている。
アーク炉の青白い光を浴びて、その澄んだ青い瞳がまるで透明に見えた。
「こちらは危険です。私に用があるならセーフティ・オフィスで職員に声をかけ、お待ちください。伺いますから」
「……それではここで凛々しく働く貴女を見られないではありませんか」
クラリッサは喉の奥が熱くなるのを感じた。困惑とも、動揺ともつかない感情。
ラインハルトは一歩踏み出し、彼女の前に立った。
「ホルン主任」
「……はい」
「いえ、役職名ではなく、今はクラリッサさんと呼ばせてください。
クラリッサさん、なぜ俺を避けるのです。近づこうとすることも許されませんか」
クラリッサは彼を見上げ、その眉を寄せた。
「私は未亡人です。
それに比べて、貴方は伯爵家の御嫡男であり、未来のある方です。
私は貴方の気持ちに応える立場にありません」
「未亡人だから? それだけ?」
「十分な理由だと思いますが」
ラインハルトはきょとんと目を瞬かせ、穏やかに笑んだ。
「なんだ。そんなこと、俺は少しも気にしていません」
「っ……!」
クラリッサは一歩下がる。
「それに、私の手はいつも油でまみれ、可愛げもありません。第一騎士団所属の貴方なら、女性など選び放題なのではありませんか?」
ラインハルトが手を差し出す。
なぜかクラリッサは逆らえず、その手を重ねた。
ラインハルトはクラリッサの革手袋を丁寧に抜き取り、ポケットからハンカチを取り出してそっと機関油のついた指先を拭った。
「汚れなど、拭けば良いだけです」
「そんな単純な話ではありません……」
その言葉を遮るように、ラインハルトはクラリッサの指先へ――
触れるか触れないかの、ごく微かな口づけを落とした。
「俺は、貴方ほど可愛い人を見たことがない」
クラリッサの頬が、音がしそうなほど一気に赤く染まる。
ラインハルトはそれを見て、子犬のように嬉しそうに笑った。
「嫌われているわけではなさそうで、良かった!」
クラリッサの手を両手で大切に包む。
「好きです。貴女のことが。
また、お話してください」
手を離すと、ラインハルトは丁寧に一礼し、踵を返して帰っていった。
「な……、な……。なんなのあの人……」
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機関室の入口には、戻るに戻れなくなっていた職員達が団子になって中の様子を伺っていた。
ラインハルトが通りかかると、彼は穏やかに笑む。
「皆さん、邪魔してしまって申し訳ありません。それから、ありがとう」
柔らかくそう言うと、颯爽と帰っていく。
「さすが第一騎士団。なんか格が違う」
「主任には幸せになって頂きたい」
職員達がそうつぶやく中で、フェリックスも頷きながら苦く笑った。




