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星食  作者: ???
パパラチアサファイア
2/2

Track 1.

 自分は幼い頃から、可愛くないこどもだと言われていた。自分の歪んだ性格のせいなのか、それともお互いの見たくない部分を自分が引き継いでいるからなのか、それとも単純に自分のことが嫌いだったのか、二人ともいない今ではもう確かめようもない。

 自分が中学生の頃に離婚した母親は、一度だけ再婚したという知らせが届いて以降、音沙汰はなかった。自分の親権を得た父親も、今では連絡もない。自分に残されたものは同居している父方の祖父母と、なぜか自分を気にかける酔狂な父親の再婚相手の娘だけだ。

 それでも自分が祖父母に引き取られたのは、単に父親も自分も一人っ子で、ほかに跡取りがいなかったから。祖父にそう聞かされたとき、改めて誰でもよかったのだと思った。

 世の中はきっと、自分じゃないといけないということは何一つない。自分は最初から誰の目にも映っていないし、愛されるに値するような人間でもない。

 だから、自分はこのまま、愛されることも、愛することも知ることはないだろう────人生は、そう言うものなのだと知っている。


「考え事? アキ」

 不意に聞こえた声に顔を上げると、目の前に白いマグカップが差し出される。カップからは、乳白色の湯気がゆらゆらと揺れていた。自分のものかと問えば、彼女は当たり前だと言うように少し笑って、ローテーブルの上にマグカップを置く。

「……まぁ」「へぇ、アキも人並みに悩んだりするんだね」「……」

 カップを持ったまま横目でそちらを見ると、彼女はひらりと笑う。冗談だよと言って、彼女はカップに口をつけた。白い喉が嚥下したのを見て、自分もようやく口をつける。コーヒーが胃のなかにすとんと落ちて、じわりと熱が広がった。

 彼女は、戸籍上は自分の姉になっている。ただ自分と彼女は互いの父親の姓を名乗っているから、戸籍上は姉妹でも苗字は違っている。年齢も十ほど離れているからか、自分にとっては赤の他人のようなものだと思っていた。

「明日、学校だよね。送ってくよ」「……仕事は」「好きでしてることだから」

 そんなわけがないと思ったが、彼女は小さく欠伸をすると、それ以上は聞かないと会話を打ち切るようにテレビをつける。静かな部屋に、テレビキャスターが夜のニュースを読みあげる声が聞こえて、会話の行く先を見失った自分はマグカップに視線を落とした。黒いコーヒーはゆらゆらと小さな波紋に自分を映している。

 高等部に進級した春から週末を彼女の部屋で暮らしはじめて、気づけばもう数ヶ月が経っていた。越してきた当初は柔らかく色づいていた若葉は、今ではもう枯れ葉色に染まって、地面に葉を落としている。

 自分と彼女は、彼女の住む夕月市のマンションで、金曜日の夜から月曜日の朝まで一緒に暮らしていた。主に自分が暮らしている祖父母の家は空の宮市だから、週末の三日間だけを一緒に過ごす、期間限定の家族ごっこのようなものだが。

 彼女からそれを提案されたとき、彼女は「ずっと家族が欲しかった」と言っていた。「だから君が家族でいてくれる間は協力するよ」という言葉通り、彼女は祖父母のもとに居づらい自分を週末だけ引き取るよう説得して、一緒に暮らしてくれた。なのに、彼女からはこれまでずっと、自分の渡す生活費を固辞されたままなのだけれど。

 けれど、どれだけ自分達の間での認識が家族だとしても、周囲からは異質に見えるようで、自分の通う学園の生徒がこの関係に疑問を持っていることも知っていた。それは彼女に言うべきことでもなかったから、自分はずっと秘密にしていたが。

「お腹空いたね。なに食べたい?」

 彼女がテレビから視線を外して聞かれた言葉に、自分は目を伏せた。食べたいものや好きなものを聞かれると、自分はいつも答えに窮してしまう。もともと口下手の気があるが、それとは別に好きなものや嫌いなものも特筆するほどなく、そしてそれをどう言語化して伝えればよいのかもわからないのだ。

 少しの間考えた末に、結局自分は首を振るにとどめた。彼女はそんな自分を見て少し笑って、「じゃあ適当に作るね」と言ってマグカップを持ってキッチンへ向かっていく。そういえば彼女はいつも、自分の口下手さをそっと笑っているのだ────


「おやすみ」

 夕食と入浴を済ませて自室へむかう自分の気配に気付いたのか、彼女はパソコンから顔を上げる。自分はそれに頷くと、隣接する自室の戸を開けた。彼女が用意した来客用のベッドに寝転ぶと、エアコンの低い軌道音と吐き出される温かい風、そして隣から彼女がパソコンのキーボードを叩く軽い音だけが部屋に聞こえていた。

 自分は本当は彼女が暇ではないことも、自分と一緒に過ごすために仕事を変えたことも知っている。知っていてなお、自分は彼女から与えられるものと彼女とのこの関係を、どう受け止めるべきか迷っていた。

 自分のために用意されたこの部屋も、他人の家の匂いも未だに慣れない。本当は他人なのだからここまでしてもらうこともないのに、それを甘んじて受け入れている自分の浅ましさが時々ひどく嫌になって、そう言うときは大抵、自己嫌悪の底無し沼に沈んでいくような息苦しさがあった。

 自分はイヤホンを接続すると、地方のローカルラジオを流す。軽快な流行りの音楽とともに、パーソナリティーが曲について話している。そこには自分も、彼女もいない。顔も知らない誰かと、同じ時間と音楽を共有している。そのことに、自分は僅かに自己嫌悪の淵から引き揚げられるような心地がした。


 ────眠い


 自分は目を閉じて流れてくる音楽とパーソナリティーの笑い声を聴きながら、次第に微睡んでいく意識に身を任せた。


「じゃあ、また金曜日に」「……ありがとうございます、送ってくれて」

 彼女は少し笑うと、車のパワーウィンドウを閉めて去っていく。自分がほっと吐いた息は、冷えた空気の中で白い煙となってやがて霧散する。その場に取り残された自分に突き刺さるような好奇の視線を見返せば、彼女たちはバツが悪そうに自分から目を逸らして校内に入っていった。

(もう入学してから何カ月も経ってるのに、今更こんなことで興味を持つなよ)

 顔の似ていない年上の女性が月曜日に必ず送迎していることは異質に映っているようで、自分と彼女の関係を邪推する人がいることも知っていた。暇人だなと内心で悪態をつきながら下駄箱で靴を履き替えると、自分の所属する高等部一年二組の教室へ向かう。その道すがら、「早瀬さん」と呼び止められた声に振り返ると、思わず眉間に皴を寄せそうになるのをぐっと堪えた。

 生徒から無遠慮に見られるのは無視してしまえば支障はないが、教員と言えばそうもいかない。こうして呼び止められるのは、両親が離婚して、再婚をして、再婚相手と暮らさずに祖父母の家に居候しているという背景を()()()に思って声をかけられることがほとんどだった。そもそもことの発端は、祖父母ではなく血の繋がらない姉である彼女が、入学前に事前に自分を連れて事情を説明しに行ったことなのだけど。

「学校はどう? 何か困ってることはない?」「はい」

 自分の言葉に何も感情が乗っていなかったからか、目の前の彼女は少し心配そうな色を瞳にのせて「本当?」と返す。

「……早瀬さんは、お家の事情も色々とあるでしょう? クラスではどう? みんな優しくしてくれる?」

 この一連の流れも、いつも通りのことだった。実際になにかあったとて別にどうすることも出来ないだろうと内心で悪態をつきながら、表面上は笑顔を取り繕って頷く。自分の答えに納得がいかなかったのか、彼女は質問をさらに重ねようと口を開く。まだ続くのかと思いながら、彼女に気付かれないよう小さくため息をついて、そっと目を伏せた。

 彼女のように聞いてくる周りの人間の対応に困ったことは、なにも初めてではなかった。周りの人間が悪気がないことは解っているが、相手は善意で言っているとわかっているからこそ、雑な対応で済ませることができないのも迷惑のひとつだ。

 こう言ったことがある度、自分がよく考えるのは一般的な家族に囲まれて、普通の学生らしい生活を送っていないことは、そんなに悪いことなんだろうかということだった。望まれてもいないのに声をかけたり、心配をするのは単なる自己満足だ。自分は相手の自己満足を満たす道具ではないのだから、本当に自分のことを思うのなら、どうかそっとしておいて欲しい────

 自分は目の前の教員から目線を外し、冷えた窓の外を見ながらどうでもいいから早く教室に行かせてくれと思っていると、

「早瀬、ここにいたのか。雪瀬先生が一年生の教室で探してたよ。冬季の天文部の合宿のことを相談したいらしい」「……は、」

 背後から少し低い、芯のある声が自分の名前を呼んだ。自分の所属している天文部に合宿はない。何しろ活動回数が少ないから、集まったのも秋ごろにあった文化祭の片付けが最後だ。自分が振り返って訝し気に目を細めれば、声の主は特に気にした様子もなく、目が合うと僅かにその眼鏡の奥の目元を和ませた。

「うん、聞きたいことがあるって。ついでに私も雪瀬先生に用事があるから、一緒に行こうか」

 そんなに時間はかからないみたいだからという言葉とともに彼女は自分の肩をポンポンと叩くと、目の前の教員に「すみません」と頭を軽く下げ、するりと自分を追い越して先に歩いていく。先に我に返った自分は、呆気にとられた様子の教員に軽く頭を下げると彼女のあとをついていく。彼女は自分を連れて少し歩いてから、人気の少ない階段の踊り場までいくと、眼鏡の奥に悪戯っぽい光を瞬かせて振り返った。

「少し強引だったかな」

 少しどころじゃないだろうと思いながらも、「いえ」と返す。強引だとは思わなくもないが、不器用な優しさは理解できなくもなかった。……それを自分が受けてもよいものかという点では、複雑な気持ちなのだけれど。

「ありがとうございます。……(たけ)先生」

 武 (あずさ)は、中等部の養護教諭だ。高等部から学園に入学した自分とは、直接的な関わりは多くない。自分はそこまで目立つような人間ではないが、家庭の事情がある生徒は学園内の教員間で共有されているものなのだろうか。それであれば、彼女が自分の名前を知っているのも、先程のように助けようとしたのも理解できる。

「うん、大したことじゃないよ。割り込んでごめん」

 彼女は困ってたように見えたからと言うと、眼鏡の奥の瞳を僅かに和ませる。「本当は雪瀬先生は探してないんだ。でも、ああ言わないと逃げられないかと思って」という言葉に対して、自分は頷くにとどめた。

「悪気がある訳ではないんだ。早瀬のことを先生たちはみんな、"心配"してるだけで」

 ────"心配"という言葉が、やけに耳障りだった。心配と復唱すれば、そうだねと頷かれる。そんなこともどこか滑稽なものに思えてきて、自分は思わず皮肉げに笑った。

 思えばこのとき、自分はいつもの通りに流してしまえばよかったはずだ。だって、目の前の彼女は自分の事情なんて知らない。いつも通りに取り繕って、受け流してしまえばよかったはずなのに。……なのに、どうして自分は彼女にそれができなかったのだろうか。

「……便利な言葉ですよね、心配(それ)。そうやって理由をつければ、好き勝手なことが言える。……でも、そうやって優しさを装った言葉で傷つけられるのはいつも────」

 自分の気持ちや理由をうまく言葉にできない人ばかりなんだ、と言いかけて言葉を止めた。目の前の彼女に言ったって、なにも解決なんてしない。これは単なる八つ当たりだと思い直して「すみません」と口にすれば、彼女は予想外にも穏やかな表情で「いや」と言って緩く首を振った。

「私も言葉が足らなくて、重ねて嫌な思いをさせて悪かった。この時間ならもう先生たちも職員室に行ってると思うから、教室に入れると思うよ」

 彼女はそう言うと、中等部の保健室の方に向かって歩いていく。自分は何か言葉を取り繕おうとして、結局うまい言葉が見つからずに口を噤む。胸の中に広がる苦い後味を飲み込んだあと、小さくため息をつくと、自分は高等部の一年二組の教室のドアを開けると、窓際の一番後ろの自分の席に座る。おはようと言う挨拶に返しながら、一時間目の授業の準備を机の上に出した。

 ────この時、自分は彼女ともう関わり合うことはないと思っていた。単なる思春期の、嫌な一生徒として、精々職員室や同僚間での話のネタにでもなっておしまいだと思っていた。

 けれど、彼女と彼女の妹と知り合ったことで、自分の周囲は次第に賑やかなものになっていって。だから、自分は忘れていた。


 ────自分は本来はもっと、癇癪持ちのこどものような性格をしている、決してよい人間ではないことを、自分は知っていたはずだったのに。




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