春の午後の物語 【月夜譚No.347】
中庭のテーブルに紅茶とマフィンを運ぶ。春の午後は風も心地良く、隅に植えた庭木からチラチラと木洩れ日が落ちる。
少女はトレイをパラソル付きのテーブルに置いて椅子に腰かけ、用意してあった文庫本を手に取った。紅茶を口に含み、本を開く。
少女にとって、春の密かな楽しみの時間だ。
聞こえてくるのは耳を掠める風と葉擦れ、そして頁を捲る紙の音。実際はとても静かなのに、少女の中では様々な音が駆け巡る。物語の世界は賑やかで楽しくて、いつでも違う場所に誘ってくれる。
時折ふと手を止めては、周囲に視線を遣る。中庭には、少女の母が趣味で育てている花が色とりどりに咲いている。それを眺めつつマフィンの甘さに頬を緩め、また本の世界に戻っていく。
何度かそれを繰り返して次に顔を上げた時、辺りはもう橙色に染まりつつあった。数時間読書をしていた計算になるが、少女の体感ではもう何日も経っているようだった。
家の中から名前を呼ばれ、短く返事をして頁に栞を挟む。
続きはまた明日。
食器が鳴るトレイを手にして家に入る少女の背中で、春の風がふわりと小さな音を立てた。