とある子ども
武 頼庵(藤谷 K介)さんの『24夏のエッセイ祭り企画』参加作品です。
とある子ども
とある子どもを、1週間ばかり我が家で預かった。
その子は、かわいそうな子どもだった。
何がかわいそうって、その子に選択権がほとんど無いことだ。
その子どもには、生まれつき、あらかじめ選択肢がひとつしかないか、答えが用意されていた。
だから、自分で『選ぶ』ということが出来ないようだった。
「何が食べたい?」
と聞いても、
「わからない。何が食べられるの?」
と言う。
たくさんの選択肢を提示してあげると、時間をかけて、やっとその中からひとつを選んだ。
Netflixで映画を見せてあげたら、同じ映画を見たいと何度もせがんできた。
他にもたくさん、映画はあるのに。
遊園地に連れていったら、同じ乗り物に乗りたいと言う。
何度も何度も同じ乗り物に乗った。
他にも、たくさんたくさん、楽しい乗り物はあるのに…。
朝は私のピアノで起きた。
夜はプラネタリウムをつけてあげて、その光の中で寝させてあげた。
私や夫に何度も抱きついてきた。
私も夫も子どもを抱きしめた。
屈託のない笑顔が愛しかった。
子どもって、体温が高い。
ぷにぷにした柔らかな手と、私の冷たい手を繋いで、毎晩一緒に寝た。
なんと、私の娘たち…猫たちも、その子どもと一緒に寝た。
先住猫のネコちゃんが8歳、新入りのコネコちゃんは1歳になったばかりだ。
私の猫たちはその子どもを、愛した。
出かければ、帰るまで、必ず玄関で待っていた。
お風呂に入れば、出るまで脱衣所の前で待っていた。
子どもが何をしていても、少し離れたところから見守っていた。
子どもは、生き物と接したことがほぼ無かったようだ。
はじめは怖がっていたが、次第に慣れて、
「ねこちゃんを、ぎゅーしたいよ。」
と言うようになった。
いま、子どもは、あるべきところに帰ってしまった。
ネコちゃんは玄関で、子どもが帰ってくるのをずっと待っている。
コネコちゃんは、ピアノの下、おふとんの敷パットの下、カーペットの下などをくまなく探している。
そして、子どもがいないことに
「プルャーッ!!」
と不満を訴えている。
2匹とも、お水を飲まないし、トイレもしてくれない。
私もだ。
私も、寂しくてたまらない。
あの子の幸せを、毎分毎秒、祈っている。
私と夫は、結婚当初から、自然妊娠以外は望まないと決めていた。
婦人科疾患をわずらい、3月に子宮と左卵巣を摘出した私は、もう子供は産めない。
そんな私たちのところに、ひと夏の一瞬だけでも、天使のような子どもが来てくれたことに、心から感謝している。
あの子の幸せを願ってやまない。
あの子の笑顔が絶やされないよう、願ってやまない。